陰律無情 日本語校閲版|原典の疑義と節略箇所を明示 本版について 本版は、既存の日本語版をもとに、中国語の制作底本にある第一集・第二集、付録および回向偈を、1,631項目の原順序で収めています。各章と章外部分は、明示された範囲で校閲と独立照合を終えています。実際の確認範囲、修訂、原典に残る疑義は、添付の校閲記録に示します。 中国語の本文と原注を意味の基準とし、英語第10版の該当箇所を、読んだ範囲で表現と構成の参考にします。英語と中国語に違いがある場合は中国語に従い、中国語にない数字、関係、説明や英語版だけの付録を移し入れていません。英語の参照範囲と修訂の内訳は、別添の審校報告に記録しています。 敬語と授受表現は、誰が話し、誰が行い、誰に向けられた動作かを確かめて扱っています。阿玉の地の文は敬体を基本とし、人物の発言、詩偈、引用、別の執筆者の文章はそれぞれの語り方を保っています。付録の経文と原注は別段落とし、編集者が加えた注と用語説明は巻末に分けました。 「十一因縁」の段落は、従来稿の句読と訳語を一部見直し、原文の難句も残しています。意味のつながりを確定できない箇所は、解釈を補い過ぎず、注で限界を示しています。訳し方を採用することと、中国語底本の字句が学術的に確定することは別です。原文の異字、年数や続柄の食い違いは、黙って訂正せずに注で示しています。 ZH-L0251、ZH-L0286、ZH-L0739、ZH-L0741の四箇所には、「非逐語のあらすじ」と明示した、露骨な描写を含まない要約を収めています。省略された細部を再現した逐語訳ではありません。制作底本のTXTには表題と欠表の案内しかなく、その記述は残しています。表の校閲済み翻訳は、現代中国語版『寿康宝鑑』に基づく独立した外部参考補表として本書に添え、出典、異文、残る疑義を明記しています。同じTXT版に欠けていた原表を復元したとは主張しません。本版を無削除の逐語全訳と称することはできません。 本書の宗教的説明、人物評価、医療・歴史・法に関わる記述は、原著の叙述を伝えるものです。編集者による事実認定や医学的・法的助言ではありません。 2026年10月21日 日本語校閲版 第一集 · 第二集 · 付録 · 回向偈 · 編集注 · 本書の用語 陰律無情 第一集 目次 まえがき 0/自序 1/『陰律無情』執筆の縁起(一)――如来の神力により三十三天へ昇る 2/『陰律無情』執筆の縁起(二)――冥府の最高統帥、酆都大帝に再び拝謁する 3/第七殿で裁きを傍聴する 4/判官は言った。「死んでから懺悔しても、もう遅すぎる!」 5/自慰による大地獄の悲惨な報い、判官が天機を余すところなく明かす! 6/買春客が受ける十万年間の大地獄の報い 7/近親相姦の邪行を罰する倒輪氷天地獄と彩花剣林地獄の実情 8/ポルノサイトに溺れた若者、福徳と寿命を削り尽くし、わずか二十代で死亡! 9/自慰への凄惨な処罰――電眼鉄丸地獄 10/現世の寿命が尽きる前に、まず三魂を鉤で捕らえる!!! 11/判官は厳粛に答えました。「冥府の我らが冥王は、現世ですでに許容量を超える邪気が放たれているのをご覧になったのです!」 12/歯車狼蛇地獄 13/冥界の最高統帥、酆都大帝に初めてお目にかかる 14/電光スクリーン――電氷針を撃ち出す新しい地獄 15/冥府の平民区での暮らしを覆う神秘のベールをはがす 16/遠く千九百年余り前の前漢時代の春画の作者が、今なお大地獄に囚われ、苦しんでいる! 17/二度目の裁きの傍聴――古書に記された賞善・罰悪の二司をこの目で見る 18/色情の書籍・雑誌やディスクを回覧し、共有することによる地獄の果報 19/衆生の元陽の体を取り戻す――人間界の色情物品をどう処理するかについての冥府の権威ある見解 20/堕胎の報いと嬰霊の枉死哭城 21/嬰霊の大いなる訴え――閻羅王の黄色い令牌 22/堕胎を行う医師の現世と来世の報い――砕裂地獄で十万年間の刑に服す 23/子よ、泣かないで――判官が堕胎の償い方を詳しく説明する 24/わが子よ、お母さんはあなたを愛しています――判官が心を込めて、世のすべての母親を諭す! 25/陰律における女性の貞潔と婚前の性行為 26/陰律における、雷がこの世の人を撃ち殺す謎 27/同性愛の行き着く先――連想大地獄 28/冥光初転堂で地蔵菩薩に参礼する 29/宝珠と神呪、その威力は無限――南方三聖が地獄の大苦を救う姿をこの目で見る 30/判官が明かす『玉暦』の真相――『玉暦宝鈔』と『陰律無情』を全力で護持する 31/見るに堪えない阿鼻大地獄の刑罰、神獣諦聴が説く利他行の修習 32/判官は言った。「聖母マリアは観世音菩薩の化身である」――観世音菩薩が地獄を巡り、苦しみを救う 跋 陰律は無情なれど、仏には情けあり 国を護り民を愛し、因果を明らかに理解する まえがき 『陰律無情』は、同門の上官玉華が精魂を傾けて書き上げた一冊である。上・中・下の三界が力を合わせ、天地の鬼神が大きな期待を寄せている。世のあり方を立て直し、人心を正すための本書は、先行する『玉暦宝鈔』に続く、冥府のもう一つの重要な著作である。今、人の心は悪くなり、道徳は衰えた。それゆえ、地獄と冥界の実情を必ず公にし、それによって善根がまだ完全には消え失せていない、縁ある人々を救い戻すことになった。 今回の冥府の特別な恩恵は、まさに地蔵菩薩のご意向によるものである。大いなる特例として、地獄で見聞きしたことはすべてこの世に公表してよいとされ、人間界の大災厄を消し去るため、今年中に本書の初稿を完成させることになった。 陰律を擁護する者はみな、天界へと昇り、地獄の名簿から名を除かれる。この救世の功徳を回向して西方極楽浄土への往生を願えば、その蓮の位は上品へと高まる。われら三宝の弟子は、必ずこれを擁護し、遵守しなければならない。 一人が法を得れば、九玄七祖もことごとく上昇し、苦を離れて楽を得ることができる。1上は四恩に報い、下は三有を救うには、この典籍を広めることに勝るものはない! 壬辰の年 妙証 合掌 0/自序 阿弥陀仏! 皆さん、こんにちは! 世界が平和になり、戦いがやみますように! 虚空法界のすべての有情が、喜びに満ち、楽しく、静かで安らかでありますように! 法界のすべての有情が、生死から解脱し、三界を出離し、苦を離れて楽を得られますように! 法界のすべての有情が正法を聞き、清浄な戒律を守り持って成就を遂げ、その戒が明珠のように清らかで、汚れのないものでありますように! 私たちの母なる地球の磁場が、一日も早く劫の初めの均衡と調和を取り戻しますように。この文章を目にするご縁のあるすべての有情衆生が、身近な親族や友人へと次々に伝え、過去に五戒を守り持つことで得られた貴重な人身を大切にし、しっかり修行しますように。この暇満の人身を生かして、引き続き清浄な戒律を守り持ち、私たちの内なる自性の光明を高め、一日も早く解脱の彼岸へ至れますように! 私たちの霊性を光明へと向かわせましょう。すべての有情の霊性が光明に満ちれば、宇宙の大自然におのずから均衡がもたらされ、私たちも、大きな共業によるこれほど多くの天災に遭わずにすむでしょう。ですから、大宇宙全体のためには、まず自分自身を正しく整える必要があると言えます。自分自身が一つの小宇宙なのです。小宇宙は大宇宙に通じ、一はすなわち一切、一切はすなわち一であり、私たちには自他の隔てがなく、すべてが密接につながっています。ごく私的なことをしても誰にも知られない、と思ってはいけません。善悪の一念は、そのまま冥府の善悪記録簿へと直結しているのです。 仏菩薩は慈悲をもって、今日の世の衰えをご覧になっています。科学技術の発達によって、世の人々に豊かな物質がもたらされると、人心や思想は急激に悪くなり始めました。現代人の多くは因果を信じず、古い考えで時代に合わないものだと思っています。幼い子供でさえ、かつて劫の初めにあった人間の純良さを失っているのですから、大人はなおさらです。それが、昔の優れた孔孟の伝統や、四書五経の教育を失ったためだとは気づいていません。 現代人はみな、考え方や暮らし方が開放的です。たとえば、大型ショッピングセンターで売られているタンクトップやキャミソールのような服は、今では普通とされていますが、昔、女性がそのような服装をすることは到底ありえませんでした。今ではアダルトショップが至る所にあり、主な新聞売店に並ぶ新聞の内容や雑誌の表紙は、ほとんどがビキニや胸元を大きく開けた服装です。子供たちは毎日必ずそれを目にするので、悪いことを覚えまいとしても容易ではありません。仏菩薩は、世の中で霊性の教育がすでに深刻に欠けていることに気づかれ、衆生の霊性が衰えれば、災難が必ず次々に起こり続けることを案じておられます。世の中には、世のあり方を救おうとする情報や文章を絶えず発信し続ける善意の人々もいますが、衆生が悪を捨てて善に従わなければ、寿命が尽きたとき、必ず地獄に堕ち、あらゆる残酷な刑罰を受け尽くし、そこから出られる日はありません。 天帝は慈悲深く、多くの大地獄がすでに極度に満員となり、なおも増設を続けなければならない様子をご覧になりました。とりわけ邪淫地獄では、多くの幼い子供たちが苦しんでいます。それはみな、健全な考え方や因果についての教育が著しく欠けていたためであり、まことに人間界の衆生にとって大きな悲しみです! そこで天帝は特に仏に伺いを立て、この世の適任の弟子を一人、手配してくださるようお願いされました。その者は清浄な戒律を守る者でなければならず、必ず意識がはっきりした状態で地獄を見学し、その後、人間界に戻って一冊の本を書き、地獄の様子を詳しく記録して、この世の衆生に知らせるのです。その名は『陰律無情』とされました。本書は、地獄を見学するたびに、比較的わかりやすい言葉で書いています。また、書き終えるたびに修正を経て、実情に合っていると確認されて初めて掲載できます。一編の報告をきちんと書くために、私、阿玉が何度も地獄を往復して内容を確かめなければならないこともあります。ですから、以前この世で広まっていた、扶乩2や憑依によって書かれた善書、あるいは夢の中での霊異体験を語ったものとは、まったく異なります。 天帝は、今回、前例のないこととして私、上官玉華に地獄の様子を世に公表させることで、世の人々に警告を与え、心を修めて本性を養い、それ以後は戒を破らず、罪も犯さないようになることを望んでおられます。そうなれば、寿命が尽きた後に地獄に入って刑罰を受ける可能性を、必ず大きく減らせるでしょう。こうした地獄の実相を次々に伝えて、より多くの人々が目を覚まし、邪を改めて正しき道に向かい、励んで善を行い、福を積むことができれば、以前につくった、地獄に至る悪因の報いを免れ、福に恵まれた地に生まれ変われるかもしれません。あるいは、女性から男性の身に転じることもあるでしょう。もちろん、詳しいことは、仏菩薩と因果によって具体的に定められる必要があります。 一つ一つの命には、必ず光明へ向かう階段があり、心から懺悔する有情衆生が着実に踏みしめて昇れるように残されています。それによって、善因をまけば善果を得、悪因をまけば悪報を受けることを、衆生にわかってもらうのです。因果応報は影が形に付き従うようなものです。報いがないのではなく、まだその時が来ていないのです! 少し前、仏は私、阿玉に教えを示し、地獄を見学してから戻って文章を書き、人々に因果を理解させ、清浄な戒律を受持させるようお命じになりました。まだ戒を守っていない人は、しっかりと戒を守ること。すでに戒を守っている人は、さらに一段上を目指し、絶えず自分を高めて、人々のためになることをより多く行う必要があります。 私、阿玉は三宝に帰依し、五戒を受持する仏弟子です。仏の慈悲によって、この仕事に取り組ませていただけることを、とても光栄に思います。『地蔵菩薩本願経』には、「威神力によるのでなければ、業力によるほかない」とあります。実際、仏力の加護がなければ、私にはこの神聖な任務を担うだけの福徳も智慧も、まだ到底足りません。それでも、この機会を大切にし、全力を尽くして、仏が慈悲をもってお定めになった務めを果たします。 「法を弘めるのは菩薩、法を護るのは仏」という言葉があります。実のところ、ありとあらゆる功徳はすべて仏に由来しています。仏はその背後で、数多くの手配と加持をしてくださっているのですが、私たちが気づかないだけなのです。ですから、皆さん、励んで戒を守り、仏恩と師恩に報いましょう! 慚愧の弟子 上官玉華 謹んで記す 1/『陰律無情』執筆の縁起(一)――如来の神力により三十三天へ昇る3 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 私は判官に尋ねました。「冥君閻王である酆都大帝は、当時、人間界を教え導くために『陰律無情』を書こうと天帝に上奏されましたが、天帝はどのようなお教えを示されたのでしょうか」 判官は言いました。「ちょうど公務で天界へ行き、天帝にご報告しなければならないところだ。お前も連れて天界へ行き、天帝をお訪ねしよう!」 私は喜んで判官に感謝し、私たちは天界へ飛んでいきました。人間界の地上から約6000メートルの高さまで飛ぶと、清らかさと安らぎがすでにはっきりと感じられ、飛んでいる天人たちや、宮殿、家々も見えました。天界の宮殿や家々は光を放ち、精巧で美しく、輝きのない人間界の家とは違っていました。 やがて、大きな宮殿の門前に着きました。門の上には「帝釈天」の大きな三文字が記されていました。武器を手にした二人の天将がいて、たくましく威厳のある姿をしていました。二人は私たちを知っているようで、とても礼儀正しく、笑顔で迎えてくれました。判官が、天帝に拝謁に来たと告げると、二人の天将は、天帝から先ほど、私たちが来たら改めて取り次ぐ必要はなく、そのまま中へ通してよいと命じられていると言いました。二人の天将が両側に分かれて立つと、門はひとりでに開き、私たちは中へ進みました。 この宮殿は大きいだけでなく、とりわけ荘厳で、きらきらと光り輝いていました。天女たちが見えました。一人ひとりが美しい顔立ちで、並外れた気品を備えています。人間界で最も美しいミス・ワールドがここに来ても、たちまち色あせてしまうでしょう。天人の身体も化生ですが、地獄道とはまるで感じが違います。4天人たちはのびのびとくつろぎ、誰もが楽しそうで、天界には何の苦痛もありません。天人たちの衣はふわりと軽やかで、縫った跡が見えず、まさに「天衣無縫」です。天界に来ると、人間界は本当になんと汚れているのだろうと感じます。地獄に行くと、人間界は本当になんとよい所なのだろうと感じます。ですから、私たち人間は、常に上へ昇っていかなければなりません。上へ行くほど清らかになり、下へ行くほど苦しくなるのです。 一人の天女がやって来て、私たちを案内してくれました。確かに、宮殿はあまりにも広大でした。やがて、金色にきらびやかに輝く大殿が前方に現れ、私たちは中へ入りました。天女は天帝に、地獄の判官と、この世の平民の女性である上官玉華が拝謁に参りました、と申し上げました。 大殿の中央、最も高い所に座っておられる方が天帝でした。天帝はお姿が荘厳で慈悲深く、頭には昔の中国式の王冠を戴いておられました。冠は長方形で、前後にすだれのような飾りが垂れていました。天帝のお顔を仰ぐと、おのずと敬う心が湧いてきます! 天帝の衣は、淡く柔らかな七色の光を放っていました。七色もあるのに少しもまぶしくなく、色が重なる奥行きと立体感があり、見ていると、とても安らかでくつろいだ気持ちになりました。天帝の心の光が放つ輝きは、天界全体を包み込むほどでした。 判官は天帝に拝謁の礼を行い、私も大殿にひざまずいて、頭を下げ、天帝を拝しました。そのとき、天帝の慈悲深いお声が響きました。「上官玉華、立ちなさい。お前は、冥府が『陰律無情』を著すことについて、朕がどう考えているのかを聞きたいのだな?」 天帝の衣の色が変わっています! 先ほどまで七色だったのが、今は白、生成り、淡い緑、黄金色へと変わりました。天衣無縫なので、裁断や縫製の時間が大いに省けるうえに、衣を思いのままに変えられるのです。なんと不思議なことでしょう! 私は言いました。「はい! 私めは、『陰律無情』という本を著すに至ったいきさつを、天帝にお尋ねしたく存じます」 天帝は感慨深げにおっしゃいました。「人間界と三悪道の衆生の中には、他方の国土から願に従って人間界へ降り、自らと縁のある苦難の衆生を救い導く仏菩薩も、ごくわずかにいる。5その仏菩薩を除けば、天界より下にいる衆生は、すべて朕の臣民である。人間界に堕ちてから、人間界で流転するにつれて習性が汚れ、天界からますます遠ざかり、故郷である天界へ無事に帰れる者も、ますます少なくなっている。人間界の衆生が日々発するよくない思念は、すでに天界の居住環境をひどく損ない、朕の宮殿の輝きを失わせている。近年になると、人心はにわかに激変し、因果を軽んじ、邪淫を時代の流行と見なすようになった。そのため、この上なく邪な淫気が、まるで鋭い剣のように雲を突き抜け、猛毒を帯びた雲気が天界を覆っている。このまま進めば、ほどなく人間界の衆生は、みな地獄に堕ちてしまう。 朕が、人間界のこの大災厄をどのように解決すべきかと思案していたまさにそのとき、酆都大帝から緊急の冥牒公文が発せられ、朕への上奏と伺いがあった。地獄はすでに満員となり、職員も深刻に不足しているとのことだった。そこで、天機を大いに明かすことを決め、適任の生きた人間を一人探して地獄を見学させ、その後に『陰律無情』という名の本を著させ、人間界に広めることで、世のあり方を立て直し、人心を清めたいという。それゆえ朕は、福徳と智慧を円満に備えた仏に、修道する生きた人間の中から、ふさわしい者を一人、朕のために探してくださるようお願いした。必ず意識がはっきりした状態で地獄を見学し、見聞きした実情を、この世に戻って書物に著すのである。だからお前は、この神聖な仕事をしっかりと担い、朕がお前に与えた使命に背いてはならない! すべての衆生の本籍は、もともと天界にある。お前たちは今、分籍して人間界へ行っているのであり、地獄に堕ちた者も分籍しているのだ。地獄は牢獄のように衆生を閉じ込めているが、衆生が心から懺悔して過ちを改めれば、天界へ帰ることになる。『陰律無情』の『陰』とは冥界の冥府を指し、『律』とは仏の律、天の律、地の律、人の律を指す。人間界の衆生が戒律や法律を犯せば、必ず冥界の地獄に堕ち、受けるべき無情な果報を受けなければならない。したがって、生きている間に善に従う者は決して堕ちず、悪業を行う者に対しては、陰律は必ず無情なのである。陰律の無情な果報を避けるには、一人ひとりが善を行い、心を清めて道を修めなければならない。そうすれば、その命も必ず天界へと昇華することができる。 朕はすでに天人を遣わし、お前が『陰律無情』というこの宝典を書くのを守り助けるよう命じている。『陰律無情』が一日も早く出版され、人間界に広まり、人心を清め、衆生がみな予定どおり、故郷である天庭へ帰れることを願っている。 この宝典を読んだ後、次々と増刷して広める生きた人間がいれば、その者が求めるあらゆる善き願いについて、朕はその者と縁のある天人を遣わし、願いがかなうよう助けよう。衆生には、朕のこの思いを深く汲み取ってほしい! 上官玉華、この果物を食べなさい!」 私は喜んで両手で受け取りましたが、食べずに、天帝には何を贈り物として差し上げたらよいだろうかと、心の中で考えていました。 すると、天帝のお声が聞こえました。「なぜ食べないのだ?」 私は感謝を込めて答えました。「天帝から賜ったこのお品を人間界へ持ち帰り、年老いた父に食べてもらいたいのです!」 天帝はおっしゃいました。「お前の親孝行な心は立派だ。しかし、お前の父には、この果物を食べるだけの福報が、今のところまだ十分に備わっていない。この仙果は、やはりお前が食べなさい! 『陰律無情』をきちんと書き上げ、人間界に広めてくれることが、朕にとって最良の贈り物だ!」 そこで私は、感謝の気持ちを胸に、その仙果をいただきました。この仙果は、見た目が新鮮でみずみずしいだけでなく、食べ終わった後も、口の中に澄んだ甘みが感じられ、心身が清らかで軽く、心地よくなりました。これほど澄んだ甘みのある見事な果物は、人間界では本当に一度も食べたことがありません! 私の身体は、たちまち力で満たされました! 戻ったら、見聞きしたことを真剣に、きちんと書かなければなりません。天帝のお心遣いとお世話に感謝します。 「阿弥陀仏! 一介の民である上官玉華、ここに天帝を拝し、御礼申し上げます! これにて失礼いたします!」 判官は、ようやくご自分の仕事に取りかかれることになりました。私が長い間、お時間をいただいてしまったのです。 判官に感謝します! 私は判官に合掌し、一礼しました! 急いで戻って文章を書く必要さえなければ、これほど清らかな天界で、ぜひ座って禅定を修めたかったところです。でも、時間が限られているので、やはり白い蓮の花に乗って、先に戻ることにしました! 2/『陰律無情』執筆の縁起(二)――冥府の最高統帥、酆都大帝に再び拝謁する 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 「判官にお尋ねします。私は、冥府が『陰律無情』というこの典籍を著すことになった、そもそもの始まりを知りたいのです」 判官は言いました。「少し前、われわれの冥府で緊急会議が開かれた。十二殿の閻王とすべての官吏が、酆都大帝たる冥君閻王の発した冥牒公文による緊急通告を受け取った。われわれの冥府で最高の統率者は、酆都大帝たる冥君閻王である。冥君閻王はただお一人で、その下に十二殿の閻王がいる。以前、地獄には十殿と十人の閻王しかいなかったが、今は新たに増設された地獄の区域に、さらに二人の閻王が加わった。この十二殿の閻王は合わせて十二人で、それぞれ十二殿の下にある大小の地獄を統率している。そして、この十二殿の閻王は、酆都大帝たる冥君閻王の命を受けるのである。 冥牒公文の緊急通告の内容は、次のようなものだった。冥君閻王は、地獄が極度に満員となり、現在も新しい地獄の増設が絶えず続けられ、冥府の官吏や職員も深刻に不足しているのをご覧になった。さらに、この世の衆生が次々に地獄へ堕ちることを忍びなく思われ、清浄に戒を守る生きた人間を一人遣わして、地獄の刑罰を見学させた後、この世に戻って本を書かせ、その名を『陰律無情』とするよう、天帝に上奏した。人心を清め、道に迷った衆生の心と本性を取り戻し、善を行って徳を積ませることで、本来の天寿を安らかに全うし、寿命が尽きた後は上昇して、地獄への転落を免れられるようにするためである。この生きた人間とは、すなわちお前、上官玉華のことだ。お前は冥府が発行した令牌を身につけており、執筆期間中は自由に冥府へ出入りできる。冥府は特に一人の判官を遣わし、上官玉華、すなわち阿玉を導いて地獄を見学させ、その質問に答えさせる。判官が手を離せないときには、冥府のすべての官吏が上官玉華を助けなければならない。地獄は実に広大で、すべてを見学し終えるには長い時間がかかるが、『陰律無情』はできるだけ早く人間界に大量に広める必要がある。そのため、皆が適宜、比較的代表的な罪霊の事例を挙げて、お前に取材させることになった。 冥牒公文の緊急通告には、阿玉、お前が完全に意識のはっきりした状態で、禅定の力で分身し、地獄を訪れて見学することが記されていた。『陰律無情』が出版された後には、毎日地獄へ堕ちる衆生を大幅に減らし、それによって、現在われわれが毎日抱えている、処理能力を超えた仕事量も軽減されることを期待している。今、冥府の官吏や職員はみな非常に忙しいが、お前が来れば、必ず時間を割いて応対し、必要な情報をすべて提供しよう。『陰律無情』を著すことになった始まりは、酆都大帝たる冥君閻王のご命令なのだ。もっと詳しく知りたければ、冥君閻王への拝謁に連れていこう。冥君閻王がお答えくださるだろう」 「はい! 判官、本当にありがとうございます!」 私たちは前へ歩き始めました。地獄は本当に広く、見学のたびに歩く道が違います。どうか、すべての有情が地獄に堕ちてきませんように!6 地獄に来るのなら、願に従って衆生を救うために来てほしいものです! 今、私たちが歩いている方角からは苦しむ声も聞こえず、恐怖も感じません。前方には小さな橋と水の流れ、木立があり、とても気持ちのよいところです。判官によると、ここは冥府の閻王がお住まいになる場所で、これから向かうのは、閻王が官員たちを引見して協議する会議の間だそうです。実際、冥府の官員たちの住まいはなかなかよいものです。官員たちは、人間界の官員と同じように、いくらかの福利厚生を受けています。さらに進むと大きな建物があり、その内装には昔ながらの清らかで上品な趣が見られます。広間の最も高いところには、「正大光明」の四文字を記した横額が掲げられ、その下に冥君閻王がお座りになっています。7両側の壁には、昔の装いをした人々が善行を積んでいる絵がいくつか掛かっています。冥府の官員の一部が両側に座り、酆都大帝である冥君閻王は、官員たちと地獄の増設工事について協議しておられました。本当にたいへんお忙しそうです! 私はすぐにひざまずいて申し上げました。「この世の平民の女、上官玉華が、酆都大帝閻王に謹んで拝謁いたします! 酆都大帝が『陰律無情』の執筆をお命じくださり、私の見聞を広め、業を消し、福を養う機会をお与えくださったことに感謝いたします。お尋ねしたいのですが、酆都大帝はどのような因縁から、『陰律無情』というこの書物の執筆をお命じになったのでしょうか?」8 酆都大帝である冥君閻王はお答えになりました。「人間界の遠い昔、人々はみな生まれつき善良で、五戒十善を守っていた。そのころは天地の陰陽が調和し、虹が輝き、五穀が豊かに実り、人間界は一面、穏やかな気に満ちていた。天災も人災もなく、誰もが安らかに天寿を全うし、寿命が尽きると天界へ帰っていた。ところが、人の根本的な性質は絶えず汚れ、ますます低いところへ堕ちていった。人は、始まりのない劫の昔から淫欲に由来する習性によって、六道の中で輪廻を繰り返してきた。人の振る舞いが絶えず堕落し、戒を破って十悪を行うようになったため、中古の時代になると、天は地獄を造り始めた。堕落して戒を破った陽の世の人々を罰し、教え導き、地獄で反省させるためであった。9 そのころの地獄はとても小さく、地獄に堕ちる陽の世の人も多くなかった。時がたつにつれて汚れが重なり、遠い昔の、人の本来善良な性質は、ほとんど完全に失われてしまった。今や人の心は激変し、思念の邪悪な気が天庭へまっすぐ突き上げている。とりわけ邪淫の気は、宇宙の自然の均衡を保つ法則をいっそう深刻に損ない、天地の気を濁らせ、天と地の区別すらつかないほどになっている。陰陽はとうに均衡を失っている。陽の世の人々が安心して暮らし、仕事に励むには、地球の自然環境におけるさまざまな均衡が整っていなければならない。劫の初めには、誰もが心善良で五戒十善を守り、天地は穏やかな気に満ちていた。この穏やかさは、人の思念が大自然と呼応することによるものであり、大自然もそれに応えて、晴れやかな天気、五穀の豊作、輝く虹をもたらした。今、地球では五穀が不作となり、各地でさまざまな天災や人災が起こり、空は黒く曇り、気温が数日のうちに大幅に変わることもある。これも、人の心の悪念が大きく変動するために生じている。人の思いが無情で義を欠けば、冷たい空気が陽の世に降りてくるのを招き、誰もが明るく清らかな心を持てば、虹の輝きを招くのだ。 陽の世で天災が頻発していることは、すでに一つの警告である。今後はさらに多くの天災が、次々と絶え間なく訪れる。人類のいかなる科学技術でも、天災の到来を阻むことはできない。衆生を救えるのは高度な科学技術ではなく、心から五戒を守り、十善を行い、過去の悪を心から懺悔し、清浄の道を修めることである。このまま進むなら、宇宙の大自然には、おのずと均衡を取り戻す方法がある。人間界には必ず大規模な天災や人災が起こり、悪に従う陽の世の人々は、必ず一人残らず地獄に堕ちる。 今や地獄は満杯となり、ここでの仕事も、処理できる限度を大幅に超えている。私は、人間界が滅亡に向かい、倫理が堕落していくのを見るに忍びない。そこで天機を大いに明かすことにし、清浄に戒を守る陽の世の人を一人遣わしてくださるよう、天帝に上奏した。その者に、意識のはっきりした状態で地獄のさまざまな刑罰を見学させ、陽の世へ戻って書物を書き、人々を教え導かせるためである。悪を捨てて善に従い、一日も早く、生まれながらの霊性の光明を取り戻してもらいたいのだ。 世の人々が『陰律無情』を読んだ後、次々と人に伝え、あるいは無料で増刷して広く流通させ、また自らの心を清めるなら、その者が求める善なる願いはすべてかなえられる。冥府は、その者の生死簿に大きな善の功徳を一つ記し、過去に積んだ地獄に堕ちる悪業を免じることができる。その者は寿命が尽きると、この大きな善の功徳によって天界へ昇る。もし善書『陰律無情』を誹謗し、あるいはその流通を妨げる者がいれば、同じく冥府にあるその者の生死簿に大きな悪業を一つ記す。寿命が尽きれば、嚎叫地獄、抜舌地獄、眼をえぐる地獄などに入り、地獄の刑罰を受ける。寿命が尽きる前にも、病に苦しみ、ついには命を落とす報いを受ける。具体的な量刑は、善書『陰律無情』をどのように誹謗し、あるいはその流通を妨げたか、その詳細に応じて、どの刑罰を受けるかを定める。その誹謗を信じ受け入れた衆生が多ければ、誹謗した者は、前述の地獄で刑を受けるよう言い渡されるだけでなく、さらに阿鼻大地獄へ落とされる。そうなれば、そこから抜け出して生まれ変わることは極めて難しい! さて、私たちは今、忙しくしている。今日はひとまず帰り、今述べた、この本を世に出す因縁を書き記しなさい。世の人々が互いに励まし合い、次々と伝え合い、よく身を修めて心を養い、徳を積み、善を行うことを願っている。」 阿弥陀仏! 私、阿玉は、酆都大帝である冥君閻王に礼拝し、感謝を申し上げました! 合掌して、判官や官員の皆様に感謝を申し上げ、白い蓮の花に乗って帰りました! 3/第七殿で裁きを傍聴する 諸仏菩薩のご加持に感謝いたします。今回の地獄行きによって、私は見聞を広めるとともに、戒を守るという信念をいっそう固くすることができました。実は、私は幼いころから、このような特別な感応がありました。まもなく起こることや、将来起こることの一部が夢に現れるのです。夢のように感じられますが、実際には夢ではありません。自分の魂が体から出たことがはっきり分かり、自分の体が寝床に横たわっているのも見えます。魂が体を離れて目にした出来事は、はっきり覚えています。たいてい、このようなことは後に現実となります。あるいは、何らかの知らせであることもあり、その場合は、出来事が起こる前にあらかじめ対処しておくことができました。 以前の出来事は、どれも私自身か家族に関するものでした。今回は少し特別で、すべての有情衆生と分かち合い、思念の大切さを皆さんに知っていただく必要があります。「人に知られたくなければ、自分がしないことだ」といわれるとおりです。私たちの身の回りで毎日起こる多くのことについて、皆さんは、それが間違った行いだと気づいていないかもしれません。例えば、正式に結婚している夫婦で、双方とも浮気をしていなくても、二人とも邪淫の戒を犯しているのです。なぜでしょうか。それは、非時・非地・非器の戒律を守っていないからです。 昨夜、私は夢を見ているような感覚で、再び体を離れて地獄へ行きました。地獄に着くと、陰の気がとても重く感じられました。ここにいる男女はみな苦しみ、大声で叫び、悲痛な悲鳴を上げています。笑顔も自由もありません。鉄鎖でつながれている者もいれば、鬼卒に刑具で引きずられ、殴られ、叉で突き刺されている者などもいます。地獄には鬼卒や判官がいますが、彼らも笑うことはなく、とても厳粛で、中にはひどく恐ろしい顔つきの者もいます。冥府の官員の一部だけは、それほど恐ろしい顔つきではありませんが、それ以外の鬼卒はみな凶悪な姿をしています。地獄には日光がなく、人間界とは違って、空は黒ずんだ灰色に少し赤みが差しています。とても言葉では表しにくい、何とも不快な感じです。 そのとき私は地獄の第七殿へ来ました。ちょうど冥府では、邪淫の罪を犯した男の霊を裁いており、判官の許しを得て中へ入り、傍聴しました。この大殿の中央には、泰山王という、この殿を統括する方が座っていました。この殿には十六の小地獄があり、すべて泰山王が管理を担っています。地獄で最も上位にいるのは閻羅王で、十二の殿を含む地獄全体を統括しています。各殿には一人ずつ王がおり、それぞれの殿の王が十六の小地獄を管理しています。泰山王のそばには冥府の官員が二人いて、そのうち一人が判官でした。また、大刀と鉄鎖を持った刑の執行役の鬼卒もいました。皆、厳粛な面持ちで裁きを聞いており、辺りは陰鬱で、ひやりとするような空気に包まれていました。 そのとき、泰山王はとても恐ろしい形相で、生前に邪淫の罪を犯した男の霊を取り調べていました。その霊は言い逃れをしていましたが、泰山王が手で空中をひとなぞりすると、たちまち孽鏡台が現れました。孽鏡台には、その男の霊が若いころ、妻や不倫相手と非時・非地・非器の行為をしたことや、色情的な書籍やディスクを見たことなど、邪淫の罪が映し出されました。男の霊は恐ろしさに全身を震わせ、地にひざまずいて許しを求めました。しかし、すでに遅く、泰山王は鬼卒に、外へ連れ出して抱銅柱地獄で刑を受けさせるよう命じていました。 大刀を持つ鬼卒は、男の霊を鉄鎖で引きずり、刑を受けさせるために大殿を出ていきました。そこで私も後についていき、どのような様子かを見ることにしました。見なければよかったのですが、目にした途端、ああ、何と恐ろしいことでしょう。この地獄にいる霊は、みな苦しんで大声を上げており、その数もたいへんなものでした。悲痛な叫び声は一度も途切れず、苦しみは絶え間なく続き、休む時間はまったくありません。先ほどの男の霊を見ると、うれしそうに銅柱へ歩いていきましたが、抱きついた途端、苦しみの叫びを上げました。そこで判官に、なぜなのかと尋ねました。判官によると、あの男の霊には、真っ赤に焼けた銅柱が美女に見えたため、とても喜んでいたのだそうです。ところが、抱きついてみると銅柱が全身を焼くので、苦痛の叫びを上げたのでした。 私は続けて、非時・非地・非器とは何なのかを判官に尋ねました。正式な夫婦であっても、これらの戒律を守らなければならず、そうでなければ邪淫の罪を犯したことになるのだそうです。非時とは、仏菩薩の誕生日や、毎月の六斎日、年に三度の長斎月の間は、戒を守り、性交をしてはならないということです。こうした日、例えば毎月の一日、十日、十五日などには、四天王が人間界を巡察し、善悪を記録して、天庭に戻って玉帝に報告します。非地とは、夫婦の営みは節度を守るべきであり、夫婦の寝床以外の場所、例えば居間、台所、便所、屋外、仏前などでは行ってはならないということです。非器とは、生殖器以外の部位で夫婦が性行為をしてはならないということです。これに背けば、いずれも地獄に堕ちて苦しまなければならず、地獄の苦しみを受け終えてからも、豚、犬、オシドリ、蛇などの動物に生まれ変わらなければなりません。 今は科学技術が発達し、インターネット上には色情的なサイトがたくさんありますが、それらも見てはいけません。見ることも戒を犯すことになり、必ず福が損なわれ、寿命が縮まり、禄が削られます。行動に移していなくても、その思いが起こると、倶生神(くしょうじん)がすぐに記録します。一人ひとりに二柱の倶生神がおり、一柱は悪業を、もう一柱は善業を記録しています。もちろん、一生、自分の伴侶一人としか関係を持たないのだから、こうしても浮気にはならないと言う人もいるでしょう。しかし、それも間違いなのです。判官はこう言いました。「人として、自らの真の精気を保たなければならない。性交が過度になれば、自身の正気を消耗する。男女が性行為をするときには、さらに邪気を発し、天地の正気を損なうのだ。」正式な夫婦でも、先に述べた非時・非地・非器の戒律を犯したことがあるなら、できるだけ早く懺悔して過ちを改め、この知らせを人間界のすべての有情に伝えてください。皆が互いに身を清く保ち、自らを大切にし、礼節と人の道を守ることで、天地の正気の均衡が保たれるようにするのです。 以前に非時・非地・非器を犯したのが、法律上の伴侶に強いられたためで、心の中では性行為の快楽を少しも味わっておらず、さらに遅れることなく懺悔して過ちを改め、同時に、これからは人を教え導こうと誓願を立てたのであれば、この地獄の苦しみを免れることが許されます。もし故意に快楽を求めて戒を犯したのであれば、必ず抱銅柱地獄に堕ちて刑を受けなければならず、その報いが終わると畜生道へ落とされ、さらに人間界に転生して、卑しい身分の女の身を受けます。 次に、邪淫の戒を犯した場合の刑罰の違いについて述べます。まず、未婚の男女についてです。独身で未婚の男女が、まだ童子の身を保っている場合、つまり男性なら童男、女性なら童女で、まだ童貞や処女を失わず、異性との性行為を経験していない場合でも、色情的な書籍やサイトを見れば、いずれも邪淫の罪を犯したことになり、福が損なわれ、寿命が縮まり、禄が削られます。一度だけ見たのであれば、寿命が一か月縮まります。見続ければ、一年以上縮まります。見るだけで行動に移しておらず、遅れることなく懺悔すれば、罪業を軽くすることができます。 未婚で、つまり結婚前に性行為をした場合、相手が一人だけで、その後その相手と結婚したとしても、双方とも福報を損ないます。礼節を守らなかったからです。未婚のまま、みだりに性行為をする場合、つまり今日の相手はA、明日はB、明後日はCというように、頻繁に相手を替える場合もあります。今では、男性は恋人の女性が多いほど面目が立ち、女性は万人と枕を交わす、といったことなどが流行しています。このような行いをすると、命が尽きた後、この地獄に堕ちて、燃える銅柱をいっそう長く抱かなければなりません。その後は畜生に生まれ変わり、さらに人間界へ転生して、過去の世からの負債を償います。既婚者が不倫をした場合は、与えた害に応じて、罪業に対する刑の期間と重さが定められます。少なくとも一万年間、燃える銅柱を抱かなければなりません。 強姦をしたり、策略を用いて女性に貞操を失わせたり、あるいは女性が淫欲をむさぼったりした場合は、命が尽きると、この地獄に堕ち、二万年間の刑を受けます。その後、さらに嚎叫地獄で一万年間の報いを受けてから、人間界へ戻り、過去の世からの負債を償います。邪淫に加えて、人に害を加えて死に至らせた場合は、この地獄に堕ちて四万年間の刑を受け、その後、人間界へ戻って、過去の世からの負債を償います。 阿弥陀仏! 書き方に至らないところがあれば、それは後学である私の過ちであり、判官の教えとは関わりありません。仏菩薩のご加持によって、地獄を見学し、この文章を書いて皆さんと分かち合うことができたことに感謝いたします。もし功徳があるなら、この功徳を虚空法界のすべての衆生に回向し、欲望を離れ、清浄な戒律を守り、ともに無上正等菩提を証することができますように。10 4/判官は言った。「死んでから懺悔しても、もう遅すぎる!」 仏菩薩の大いなるご加持に感謝いたします。私は再び地獄をじかに訪れ、見聞を広めることができました。地獄はいつも苦しく陰鬱に感じられ、負の磁場に満ちています。皆さんが業を造ったために地獄へ来ることのないよう願っています。本当に、言葉にできないほどの苦しみなのです。 すぐに第七殿へ着くと、一人の男の霊が裁かれていました。見たところ、まだ品のよい人のようでしたが、何の罪を犯したのか、判官から五百年間、銅丸を飲み込む刑を言い渡されていました。詳しく見ると、この男の霊には、生前、正妻が一人と、決まった愛人が二人いました。生前は、非時・非地・非器の性行為を好んでおり、この三人の相手が、ちょうどその欲望を満たしてくれていました。彼が一生に関係を持った相手は、この三人だけでした。 そのとき、男の霊が弁明する声が聞こえました。なぜ正妻は五百年間、銅柱を抱く刑を免れられたのに、自分は五百年間、銅丸を飲み込む刑を免れられないのか、と言うのです。判官は「映像を見よ!」と言いました。実は、生前、男の霊が正妻に非器の性行為を求めると、正妻は拒み、礼に反するので、そんなことはしないようにと諭していたのでした。正妻が彼としたのは非時・非地の性行為だけで、しかも欲望が弱かったため、罪もやや軽く、福報を損なうだけで済みました。また、非器の性行為を拒み、しないように諭したことで、いくらかの福を再び積むこともできていました。 男の霊は正妻に無理強いこそしませんでしたが、外にもう二人の相手がおり、その二人とは、この三つの邪淫の罪をいずれも犯していました。判官は言いました。「お前には懺悔する心があり、父母に孝行し、公の務めでは忠を尽くして法を守っていた。犯したのは、この三つの邪淫だけであることを考慮して、五百年間、銅柱を抱く刑は免じる。」男の霊は、もはや何も言い返せず、鬼卒に銅丸を飲み込む地獄へ連れていかれました。鬼卒に中へ押し込まれると、男の霊は自分の愛人がやって来たのを見て、すぐにそちらへ近づきました。しかし、実際にはそれは一羽の大きな鳥で、その大きなくちばしで、男の霊の生殖器をすっぽりくわえ、前へ引っ張って引きちぎりました。男の霊は激痛に大声で悲鳴を上げました。あまりにも血なまぐさい光景に、私はそれ以上見続けることができませんでした。 殿堂を出てから、私は邪淫を犯した場合の刑罰について、判官にいくつかお尋ねしました。判官によると、まず正しい理解と正しい念を保ち、常に自らを戒め、身を清く保って自分を大切にしなければならないとのことでした。思いの中で邪淫を行い、行動には移していない場合は、一週間分の福が損なわれます。色情的な刊行物を見た場合は、見るだけなら、一週間分の福が損なわれ、寿命が一週間縮まります。行動に移せば、一か月分の福が損なわれ、寿命が一か月縮まります。二度目にまた邪淫を行動に移せば、二か月分の福が損なわれ、寿命が二か月縮まります。以後も同様に増えていきます。11 男女の婚前の性行為は、すべて福を損ない、寿命を縮めます。具体的には個々の事例によって異なりますが、大きく分けると、おおむね三つにまとめることができます。 第一は、一生の相手が一人だけで、その相手の欲望が弱く、後にその相手と結婚する場合です。このような場合、非時・非地・非器の禁戒を犯さなければ、福報が損なわれるだけです。また、できるだけ早く懺悔して、業を消すこともできます。 第二は、結婚の前も後も相手は一人ですが、非時・非地・非器の禁戒を犯し、しかも欲望が強い場合です。結婚の前も後も福を損ない、寿命を縮めます。寿命が尽きると地獄に入り、五百年間、銅柱を抱き、五百年間、銅丸を飲み込みます。生きている間に懺悔すれば、その力はいくらか大きくなります。さらに、ほかの人にも犯さないよう強く勧め、功によって過ちを償えば、地獄の果報を免れることができるかもしれません。 第三は、結婚の前も後もみだりに邪淫を犯し、欲望がとりわけ激しく、一日中、酔生夢死の生活を送る場合です。現世では必ず福が損なわれ、寿命が縮まり、寿命が尽きると地獄に入り、銅柱を抱く、鉄床に寝る、銅丸を飲み込むなどの刑を受けます。具体的な事例に応じて判断されますが、それぞれの地獄で少なくとも一万年間は刑を受けなければなりません。地獄での報いが終わると、さらに畜生道へ落とされ、オシドリになる報いを受ける者もいれば、犬や蛇などに生まれ変わる者もいます。 今、地獄で最も多いのは、この第三の種類です。また、現在の地獄は以前よりも大幅に拡張されています。人間界でも、今、この第三の種類に当たる人が大勢おり、将来はいずれも地獄へ来て報いを受けなければなりません。 判官は続けて、女性の月経中は夫婦の性交が厳禁であり、妊娠中や授乳中も性交をしてはならず、これに反すれば福報を損なうと説明しました。また、月経中に性交をすると、さまざまな精血を飲む鬼を招き寄せ、血を吸われます。性行為のたびに、精気を飲む鬼がやって来て精気を吸い、その後、体に病を生じさせ、不運にもたびたび見舞われるようになる、ということでした。 判官はさらに、女性が夏に肌を露出しすぎる服を着ることも、一週間分の福を損なうと教えてくれました。異性に邪淫の思いを起こさせるからだそうです。判官の話を聞いて、心にどのような思いを起こすかが、本当に大切なのだと感じました。目に見えないところには、本当に鬼神がいて、私たちの行動を監視し、記録する役目を担っているのです! 大切な知らせを与え、天機を明かしてくださった判官に、深く感謝し、ここで拝礼してお別れしました。どうか天下の有情がみな清浄な梵行12を修め、地獄の苦しみを受けずに済みますように。 5/自慰による大地獄の悲惨な報い、判官が天機を余すところなく明かす! 仏菩薩が衆生を救うことは、大海に波が絶えないのと同じように、休む間もなく、一念また一念と続き、波また波とつながっています。天下の有情が、そのことを深く感じ取り、自分の本分を果たし、五戒を守って人の身を保ち、身を清くして自らを大切にするよう願っています。後学である私も、仏菩薩の大いなる慈悲の心に学び、眠ることも休むこともなく、広く衆生のために尽くすことができますように。昨日、再び仏のお力をいただいて、地獄へ行ってきました。 仏のお力によるご加持に、頂礼して感謝いたします! 仏の御名を一声唱えると、たちまち苦難の地獄に着きました。仏のお力によるご加持がなく、光の輪に包まれていなければ、私はきっとひどく疲れてしまうでしょう。地獄の負の磁場は、山を押し倒し、海を覆すような勢いで、絶え間なく押し寄せてきます。人間界でも、七日間続けて雨が降り、曇り空に加えて風邪までひけば、もう本当につらいと言う人が大勢いることでしょう。毎日、陰気な雨が降り、病気で頭が重く足元もふらつくのに、仕事へ行かなければならないのです。けれども実際には、地獄の苦しみは人間界の少なくとも百千倍にも及びます。地獄の苦しみは絶えることがありません。悲鳴が聞こえてきました。苦しみにうめく声です! 声のするほうへ行って見てみましょう! ああ! 大勢の男の霊が裸で、炎のように赤い光を放つ、柔らかそうな双頭の蛇に巻きつかれています。男の霊たちには、美女に体をなでられている光景が見えています。しかし、双頭の蛇が男の霊の生殖器に触れると、すぐさまそれをかみ切り、男の霊は痛みに狂ったように叫んで気を失います。双頭の蛇がひと息吹きかけると、男の霊はたちまち意識を取り戻し、傷つけられた生殖器も、突然、傷一つない元どおりの姿になります。すると双頭の蛇は、再び炎のように赤い光を放ち、先ほどの苦痛の光景が繰り返されます。本当に、もうこれ以上見たくありません。胸が何とも苦しくなります! ここには、このような男の霊が大勢いて、みなこの大きな苦しみを受けています。私は地獄の判官のもとへ教えを請いに行き、なぜ彼らはこのような報いを受けるのかと尋ねました。判官は、これは生前に自慰を好んでいた者が受ける、地獄の果報の一つだと言いました。双頭の火蛇による報いは、地獄の時間で数えて、一万年もの長い間受けなければならないのです! これは、通常の自慰によって受ける悪報の一つです。 自慰の悪報には、二万年間受けなければならないものもあります。生前、感覚への刺激を求め、氷やぬるま湯、唐辛子、潤滑剤など、あるいは自分の好きな品物を使って、自ら自慰という邪淫を行ったり、他人にそれを教えたりした者は、寿命が尽きると、この氷火五重天地獄に入ります。 私は、なぜ自慰にはこれほど重い刑が科され、軽く犯した者でも一万年になるのかと尋ねました。 判官は、自慰はとりわけ身体を傷つけ、徳を損ない、人身の三宝である精・気・神13を消耗させるうえ、親に対する甚だしい不孝にも等しいからだとおっしゃいました。自殺と同じで、他人を傷つけていなくても、自分を殺せばやはり一つの命を奪うことになるので、刑が重いのです。自慰を好む衆生は、一般に行う頻度が高く、繰り返し犯します。生前、一度自慰をすると福徳と寿命が半月分削られ、二度目には一か月分削られ、寿命が尽きると地獄に落とされて報いを受けます。生きている間に力を尽くして懺悔すれば、寿命が尽きた後に地獄へ入る苦しみを免れる可能性もありますが、実際の個々の事例を見て判断しなければならないとのことでした。 判官は、氷火五重天地獄を見学する必要があるかと私に尋ねました。私は、それもよいと思い、見に行くことにしました。 ここは双頭火蛇地獄よりも、さらにずっと残酷でした。ここには多くの器具がありました。いえ、刑具と言うべきでしょう。刑具は透明で、わずかに白みがかり、丸みがあって先端の鋭い形をしていました。見るからにこのうえなく冷たく鋭く、男の霊に触れると、生殖器がたちまち凍りついて折れ、粉々になりました。凍って折れると、すぐにまた元どおりになりました。 氷の刑を受け終わると、休む間もなく、すぐに火山に押しつぶされる報いを受け続けました。この火山に押しつぶされる刑は、自慰という邪淫の際、ぬるま湯や唐辛子などを使って快楽を助長することを好んだ者が受けるものです。小山のような、燃えるように赤い刑具が、男の霊の正面から飛びかかってきました。それは身体に合わせて作られたかのようで、生殖器の位置にちょうど留め具があり、生殖器を押さえつけ、灼熱で焼き切るのです。またもや、苦痛の叫び声やうめき声、気絶する際の声があちこちに響きました。その後は業力によって目覚め、身体も元に戻り、繰り返し刑を受けるのです。本当に、あまりにも苦しく、あまりにも哀れでした! 今夜、この地獄で見た光景には、あまりのことに吐き気を催しました。判官によると、この地獄は新設されたものですが、それでも足りず、さらに増設する必要があるそうです。人間界にはこのような衆生があまりにも多く、寿命が尽きると、この地獄に入って報いを受けるとのことでした。 ほかにも、美容サロンを営み、女性の豊胸手術や陰部を狭くする手術などを行う者のための、数多くの美容地獄が増設されているのを見ました。多くの不正な美容会社や医療センターは、もっぱら女性を欲望に溺れさせ、邪淫によって戒を犯させています。そうした者は生前に福徳と寿命を削られ、寿命が尽きると、この地獄に入って一万年間、報いを受けます。 判官は、私が何か尋ねたがっているのをご存じでした。実は、私たちは思念で意思を通わせているのです。私は、なぜ非地での性交も戒を犯すことになるのかと尋ねたくなりました。すると判官は、映像を見せてくださいました。 実は、屋外や便所、あるいは雷鳴と稲妻が交錯する夜には、多くの鬼類や精霊の類がやって来て、精気を吸い取ったり、飛精して身体に取りついたりするのです。そのような時に非地で性交を行えば、自分の身体によくないだけでなく、大自然の正気の磁場をも破壊します。百害あって一利もないので、それを犯した衆生は、自ら苦しい報いを受けなければなりません。14 帰る前に、判官は私に言いつけました。「今回、あなたは仏の力によってここへ来られ、また上界のわが聖上と閻王の特別なお許しを受け、本官に地獄の実情を説明するよう命が下されました。天機をすべて明かしたとも言える、またとないことです。あなたが陽の世に戻ったら、この言葉を伝え、世の人々に警告していただきたい。これ以上、邪淫を犯して人倫を損ない、徳を損ない、自ら地獄を造り出してはなりません。それは、ここの仕事量も、陽の世の天災や人災も、大いに増やすのです。本官の姿がどれほど恐ろしいか、御覧なさい。世の人々が死後、私に会わずに済むことを願っています。それこそ、たいへん幸運なことなのです!」 あらゆる悪のうち、淫が第一です! ここで判官にお別れを申し上げ、その教えに感謝しました。またお目にかかります。 6/買春客が受ける十万年間の大地獄の報い 仏に感謝し、お授けいただいた白い蓮の花に乗って出発しました。今日の地獄は、どうしていつもと違う感じがするのでしょう。道を間違えたのでしょうか。普段の地獄は陰気が重く立ちこめていますが、今日は強い黄金色の光が差していました。とても心地よい仏の光です。顔を上げて見ると、なんと大願地蔵菩薩でした。涙がこぼれそうになり、すぐに五体投地して地蔵菩薩を礼拝しました。15 地蔵菩薩は、人としての身をよく大切にし、この意義ある仕事をしっかり果たすようにと、私に教えを示されました。真剣に正法を広め、地獄の苦難を明らかにし、帰って人間界の衆生を戒め、邪を改めて正しき道に帰り、悪を捨てて善に従うよう導きなさい、とのことでした。私は喜んで菩薩に、必ず力の限りを尽くし、教えに従って実践いたしますと申し上げました。 まず判官に合掌してご挨拶しました! 今日は判官に、「買春客、売春婦、そして売春を斡旋する者の果報」についてお尋ねしたいと思いました。 判官は、買春客には二つの類型があると教えてくださいました。 第一は、生理的な欲求を抑えられず、妻では満たされないため、定期的に決まった売春婦を相手に性交する者です。生前、罪を犯すたびに福徳と寿命が一か月分削られ、寿命が尽きると、犯した邪淫に応じた地獄に入って報いを受けます。報いを受ける期間は個々の事例によって決まりますが、通常、刑期は八百年であることが大半です。 第二は、欲望が激しく燃え盛り、長年にわたって売春婦を呼んで邪淫を行い、人としての身を大切にせずに浪費し、酔生夢死の生活を送り、性的快楽を助長する道具を使って肉体の感覚への刺激を追い求める者です。この類の者は、生前、罪を犯すたびに福徳と寿命が一か月半分削られ、寿命が尽きると、犯した邪淫に応じた地獄に入って十万年間、報いを受けます。地獄の報いが終わると畜生道に落とされ、下等な畜生となる報いを千年間受けます。その後、人としての身に生まれ変わることができても、頭がはっきりしないという報いを受けなければなりません。 売春婦の果報については、三つの類型に分かれます。 第一は、完全に他人に支配されて売春を強いられ、その時は自力で抜け出せず、性交の際にもまったく快楽を感じず、後に救い出されてそこを離れた者です。ただし、業障を懺悔し、その後は決して再び犯さなければ、地獄の報いを免れる可能性があります。 第二は、金銭のために売春婦として暮らす者です。生前、行うたびに福徳と寿命が一か月分削られ、寿命が尽きると、犯した邪淫に応じた地獄に入って八万年間、報いを受けます。地獄の報いが終わると畜生道に落とされ、八百年間、報いを受けます。その後、人としての身に生まれ変わることができても、低く卑しい境遇に置かれる報いを受けます。 第三の類の売春婦は、第二の類として述べた買春客と同じく、欲望が激しく燃え盛り、人としての身を大切にせずに浪費し、酔生夢死の生活を送り、性的快楽を助長する道具を使って肉体の感覚への刺激を追い求める者です。生前、行うたびに福徳と寿命が二か月分削られ、寿命が尽きると、犯した邪淫に応じた地獄に入って十五万年間、報いを受けます。地獄の報いが終わると畜生道に落とされ、下等な畜生となる報いを二千年間受け、その後、人としての身に生まれ変わっても、低く卑しい境遇に置かれる報いを受けます。 売春を斡旋する者には、二つの類型があります。 第一は、金銭のために一時的にこの仕事に従事したものの、後に過ちを悟って離れ、その後は決して再び犯さない者です。さらに力を尽くして懺悔すれば、地獄の果報がいくらか軽減される可能性はありますが、生前、一度犯すたびに福徳と寿命が一か月半分削られ、寿命が尽きると煙花翻滾地獄に入って十万年間、報いを受けます。 第二は、心根が正しくなく、売春婦を支配し、自身も欲望が激しく燃え盛り、利己的で、自分の利益しか考えず、もっぱら策を弄して他人を陥れるなどする者です。生前に福徳と寿命を削られ、寿命が尽きると煙花翻滾地獄に入って報いを受けます。迫害を受けた売春婦が全員、人としての身に生まれ変わるまで、地獄を離れる機会はありません。その後は畜生道に落とされて報いを受け、畜生道の報いが尽きた後、さらに人として低く卑しい境遇に置かれる報いを受けます。 「まあ、判官、売春を斡旋する者の悪業への報いは、とても重いのですね! ご説明を聞いて、胸が痛み、とても悲しくなりました。この仕事に携わる衆生をたいへん気の毒に思います。」 判官はおっしゃいました。「この仕事は社会の風紀をひどく乱し、道徳、礼節、人倫を破壊し、人の善良な本性に重大な悪影響を及ぼします。ですから、地獄の冥王は、このような悪を犯した衆生を厳しく罰するのです。ただ、本官の知るところでは、仏や菩薩はこうした衆生を慈しみ、人の姿に化して彼らのもとに赴き、善根のある者が心を改めて善に向かうよう教え導いておられます。」 今日はひとまずここまでです。判官に感謝いたします! 阿弥陀仏! 白い蓮の花に乗って、先に帰ることにしました。 今回は、地獄で思いがけず大願地蔵菩薩にお目にかかれて、とても嬉しく思いました。菩薩は全身を金色の光に包まれ、私にも加持を授けてくださいました。その願力の広大さは、まことに不可思議です! 人間界に戻ると、すでにひどく疲れていました。地獄へ行くたびに元神と元気を多く消耗するので、帰った後は必ず呪を唱え、すぐに補わなければなりません。16 読者の皆様には、これを小説だと思って読まないでいただきたいのです。そうすれば、地蔵菩薩の深いご苦心を無にせずに済みます。私、阿玉から、あらためて皆様に感謝いたします。南無大願地蔵菩薩摩訶薩! 7/近親相姦の邪行を罰する倒輪氷天地獄と彩花剣林地獄の実情 私、阿玉は地蔵菩薩を礼拝いたします! 再び法益にあずかることができ、本当に嬉しく思います! 地蔵菩薩は私、阿玉に五戒について教えを示されました。五戒を守れば人としての身を保つことができ、それは人として生きる基本であり、堕落することもありません。とても簡単に見えますが、多くの衆生が知らず知らずのうちに犯しています。私たちはよく、身近な人が「私は人殺しや放火、人を害するようなことは一度もしたことがない。ただの一般市民だ」と言うのを耳にします。実際には、人殺しや放火は、すでにきわめて重い身の罪であり、地獄に落ちて報いを受けなければならないものです。それでは、地蔵菩薩の慈悲深い教えを拝聴しましょう。もし聞き違いがあれば、それは私、阿玉自身の問題です。菩薩の教えを、以下に簡潔に述べ直します。 一、不殺生――いかなる有情の命も奪うことを禁じます。清浄な菜食は、この戒を守る基本です。清浄とは何でしょうか。『楞厳経』の教義を厳格に守り、動物由来のものは服用も使用もしないことです。つまり、あらゆる動物に関係する食品は食べてはなりません。例えば、牛乳、バター、卵、蜂蜜など、動物に関係するものはすべて断たなければなりません。化粧品にも動物由来の成分を含むものが多くあり、それらも使ってはなりません。病気の時に服用する薬、特に漢方薬にも、動物由来の成分を含むものが多くあります。17 二、不偸盗――他人の同意を得ずに、物を自分のものにすることが盗みです。会社では多くの人が会社の文房具を私用に使い、家に持ち帰って使うことさえあります。また、会社で私用の電話をかけたり、携帯電話を充電したり、会社のコピー機やファクスで私的な書類を処理したりすることなどもあります。会社の同意を得ていなければ、これらはすべて不偸盗戒を犯すことに当たります。 三、不邪淫――夫婦の間以外での性的関係です。非時・非地・非器の行為、ポルノのディスクを見ること、性的快楽を助長する道具を使うことも、すべてこの戒を犯すことに当たります。 四、不妄語――真実を語り、他人を欺かないことです。あるものはあると言い、ないものをあると言ってはなりません。意図的に欺くことは、さらに重くこの戒を犯すことになります。方便としての嘘も、できるだけつかないようにします。何度もつくと意識によくない影響があり、習慣となって当たり前になりやすいからです。 五、不飲酒――酒と麻酔性の物質を断つことです。酒に関係する製品は、すべて口にしてはなりません。例えば、腐乳は多くの場合、酒を含むので食べられません。18売り手が、ごくごくわずかな酒しか使っていないと言っても、ほんの少しでも入っていれば酒です。ただし、命を救うための薬用であれば、例外を認めることができます。また、多くの化粧品にもアルコール成分が含まれているので、できれば使わないほうがよいのです。 地蔵菩薩の教えを謹んで拝聴した後、私、阿玉は続いて判官にお会いしに行きました。 判官、阿弥陀仏! 今日は、近親相姦の果報について教えていただきたいと思います。 判官は、近親相姦は道徳を損ない、社会の風紀を乱し、人倫の正気を破壊する行為なので、冥府はこのような衆生を厳しく罰するとおっしゃいました。この類の邪淫を犯した衆生は、誰であれ生前、一度犯すたびに福徳と寿命を二か月半分削られ、寿命が尽きると、邪淫地獄のうち倒輪地獄で五百年、抱銅柱地獄で五百年、鉄床地獄で五百年、煙花翻滾地獄で五百年、剣林地獄で五百年、苦しみを受けます。これは一般的な近親相姦に科される刑罰にすぎず、もちろん、具体的な刑罰は実際の事件を見て最終的に決定されます。白い蓮の花に乗ると、一瞬にして倒輪地獄に着きました。ここでは、女の霊より男の霊のほうが多くいました。 この地獄にいる近親相姦を犯した霊は、すべて自分と同じ世代の異性の親族と性交した者でした。すなわち、男性なら兄の妻、弟の妻、姉、妹、または妻の家の同じ世代の既婚の異性と性交した者です。女性なら姉の夫、妹の夫、兄、弟、または夫の家の同じ世代の既婚の異性と性交した者です。 倒輪氷天地獄には、回転する非常に大きな輪があり、四方はたいへん冷たい氷の壁に囲まれていました。上には少し鏡に似た氷がありました。氷の鏡と呼ぶことにしましょう。この氷の鏡は、四方の氷の壁とは氷が違っていました。ある種の透明さと映し出す力があり、ともかく鏡の機能を備えていて、輪の中の様子を映して見ることができるのです。その鏡からは透明な氷が絶え間なく飛び出し、回転する輪の中で刑を受ける衆生の霊体に当たっていました。 その時、全裸の男の霊が一人、大きな輪に向かって歩いていくのが見えました。大きな輪は彼を吸いつけ、その全身を輪の中に閉じ込めて回転しました。氷の鏡が氷を放って男の霊にぶつけ、一片一片の氷が罪ある霊を打って血を流させ、手足を断ち切り、甚だしい苦痛を与えました。罪ある霊は必死に外へ逃げようとします。けれども、傷ついた身体を引きずって、ようやく一時的に大きな輪から離れても、外の鬼卒が叉で突き上げ、再び中へ投げ込むのです。その光景は、きわめて凄惨でした。阿弥陀仏! その時、判官は、隣の彩花剣林地獄も見に行くよう私に言いました。この地獄は、生前に自分の直系親族と、強いられて、あるいは自ら進んで邪淫を行った罪に対するものです。もし強いられ、その場で欲楽の心がなかったのであれば、懺悔によって刑罰を受けずに済みます。しかし、欲楽の心があったなら、やはり報いを受けなければなりません。男性なら娘、孫娘、母方の祖母、父方の祖母、または妻の家の直系親族である異性と、女性なら父、孫息子、父方の祖父、母方の祖父、または夫の家の直系親族と邪淫を行えば、誰であれ報いを受けなければなりません。この地獄には、見た目には美しい花が無数にありました。それらの花には多くの仕掛けがあり、色も変わるので、見ていると、とても心を引かれるように感じられました。19 その時、裸の男の霊が一人、淫らな思いに満ちて花を取ろうとしました。花はたちまち形を変え、彼の身体に絡みつきました。花がゆっくり下へと巻きつき、男の霊の生殖器の位置に達すると、ただちに生殖器を切り落としました。血しぶきが辺り一面に飛び散り、血肉が滴りました。その後、花は無数の硬い花びらに変わり、絶え間なく飛んできて罪ある霊を打ち、気絶させました。気絶すると鬼卒がやって来て、氷のように冷たい液体を罪ある霊の顔にかけ、目を覚まさせました。その後も絶え間なく繰り返し責め苦を受け、甚だしい苦痛を何度も何度も味わい続けるのです。こうなると分かっていたなら、初めからなぜそんなことをしたのでしょう! 判官はおっしゃいました。「人間界の近親相姦という邪行は、天地の許さぬものであり、その罪悪は極めて重いものです。必ず重い判決を下して厳しく罰し、決して赦すことはありません。それによって、陰律に私情がないことを明らかにするのです。」 今日はここまでにして、また日を改めて来ることにしました。 判官にお別れを申し上げ、ご案内に感謝しました! 8/ポルノサイトに溺れた若者、福徳と寿命を削り尽くし、わずか二十代で死亡! 諸仏菩薩に感謝いたします! 私、阿玉は白い蓮の花に乗って出発しました。 判官、阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌してご挨拶しました! 今日は判官が、邪淫地獄の一つである電光眼地獄の見学に連れていってくださいました。この地獄は、生前にポルノの本やポルノサイトを見ることを好んだ衆生が、寿命が尽きた後に入って報いを受けるところです。この地獄で報いを受ける衆生は、年齢や見ていた頻度に応じて刑を言い渡され、最も軽くても五十年間、地獄の報いを受けます。溺れていた場合は、年齢が低いほど、判決はさらに重くなります。 多くの人はポルノサイトを見た後、続いてほかの邪淫も犯します。例えば、自慰や非時・非地・非器などの邪行を行い、さらには性的快楽を助長する道具まで使います。このようなポルノの書籍を見ることは、人の善良な本性をひどく損ない、とりわけ、生まれつきの性質が清らかで、純陽の身体を持つ子供にはそうなのです。20大人でさえ見るべきではないのですから、未成年の子供ならなおさらです。 今、人間界には、パソコンでこのようなポルノサイトを見ている青少年が大勢います。誰であれ色欲に溺れれば、身体・心・霊のあらゆる面で、健全な成長に必ず直接の影響が及びます。人は毎日、思考や思念によって生活しています。思考や思念が行動を促し、行動が善悪の業を造り、善悪の業が運命を決め、運命が業力を生み、業力が生じれば報いを受けなければなりません。 ポルノサイトを頻繁に見ていると、思考がぼんやりと沈み、物事をはっきり判断できなくなります。とりわけ子供への影響は非常に広範囲に及び、人としての身で修行できるよい機会を失わせます。「色という字の頭には一本の刀がある」と言われるとおり、古今東西、どれほど多くの名士や将兵が、色欲という関門を越えられずにきたことでしょう。 判官はおっしゃいました。「まず、ポルノの書籍やポルノサイトを見るたびに、福徳と寿命が削られます。その後、さらにほかの邪淫を犯せば、同じように福徳と寿命が削られます。これは緩やかな自殺にも等しいのです。 今、人間界では科学技術が発達し、子供たちもパソコンを使い、大勢の子供がポルノサイトを見ています。親がそれを知らない場合もあります。親自身がパソコンの使い方を知らず、子供が自分で学ぶに任せて一度も様子を尋ねず、毎日の仕事も非常に忙しく、子供のことにかまう余分な時間がまったくないからです。また、経済的に多少余裕のある家庭では、家事労働者を雇って子供の世話をさせますが、その人が適切に世話をするとも限りません。ですから、こうした親も福徳を削られます。知らないからといって、構わずにいてよいわけではありません。『養って教えざるは、父の過ちなり』と言います。親は自ら心を配り、子供が健全に育つよう教育すべきです。一方、はっきり知っていながら止めなかったり、性教育だとして子供が見るのを放任したりする親もいます。さらには、時代が違う、今は開放的な時代で、学校にも幼児が必ず学ぶ性教育の課程がある、と言う者までいます。これは重大に誤ったものの見方です。冥府は、今回、阿玉、あなたが地獄を見学して人間界へ帰った後、有情の衆生に、邪を改めて正しき道に帰るよう戒めてくれることを願っています。人間界での数十年の歳月を大切にし、世の道徳や人の心に役立つことを多く行い、人も自分も害するようなことをしてはなりません。さもなければ、ひとたび次の息が来なくなった時、死後に私のもとへ来ることになります!」 すでに悲鳴が聞こえていました。電光眼地獄の衆生が、残酷な刑を受けているのでした。この地獄には、仕掛けのある大型のパソコンが数多く設置され、一人の霊に一台ずつありました。パソコンには見るものが映っていて、どの霊も自分のパソコンを見ていました。けれども、見なければまだよいのに、ひとたび見ると、大声で悲鳴を上げるのです。 とても若い、二十代ほどに見える男の霊がいました。彼のパソコンからは鉤の形をした赤い電光が放たれ、直接その両目に引っかかって、眼球を外へ引き裂くように引っ張り出しました。辺り一面が鮮血に染まり、男の霊は極度の苦痛と悲しみに満ちていました! これは、サイトでポルノの映画や画像、小説などを見た果報です。 判官によると、この男の霊は幼い頃からポルノサイトを見始め、自慰もしていたそうです。犯す頻度が高かったため、一生分の福徳をすぐに削り尽くし、地獄に堕ちてきたのです。その両親は今も人間界で、愛する息子を失った悲しみに泣き叫んでいるとのことでした。 隣には、机の上に座ってポルノの本を読んでいる罪ある霊がいました。先ほどの目を鉤で引っかける報いと同じ刑罰で、厳しさも同じでしたが、報いを受ける速度は少し遅くなっていました。私は判官に、なぜ刑を受ける速度が違うのかとお尋ねしました。判官はおっしゃいました。「パソコンでポルノサイトを見る者は、一般に短時間に見る量が多く、見ている時間も比較的長いからです。一方、ポルノの書籍や画報、小説などを見る場合は、限られた数冊の本にすぎません。もし衆生が生きている間に、それほど多く見ておらず、後に過ちを悟り、懺悔して二度と犯さず、逆にこの善を勧める文章を力を尽くして広め、衆生にポルノサイトやディスク、書籍をもう見ないよう勧め、自分の金銭を使ってできる限りポルノの書籍やディスクなどを買い取って焼却し、功によって過ちを償うならば、この地獄の果報を免れることができます。」 判官は厳しくおっしゃいました。「電光眼地獄で報いを受ける衆生は、一般に、さらにほかの邪淫地獄へ行き、引き続き刑を受けなければなりません。自慰や非時・非地・非器などの罪を犯した者は、死後、必ず吞鉄丸、抱銅柱、煙花翻滾などの地獄や、そのほかさまざまな非器地獄に落とされ、刑を受けることになります。」 今日はひとまずここまでにして、判官にお別れを申し上げました! 私、阿玉は判官に合掌して礼をし、感謝を申し上げました! そして白い蓮の花に乗って帰りました。 ポルノサイトやディスクが人に及ぼす害は、本当に深いものです。さまざまな大地獄に漂う血なまぐさい臭いは、私、阿玉にはとても耐えられませんでした。さまざまな大地獄を見学し、大勢の罪ある霊が鬼卒に首や手を切り落とされ、肉をそがれ、足を切られ、大声で叫ぶ、恐ろしく血なまぐさい光景をあれほど多く見たため、家に帰ってからも、いったん心を整え直して、ようやく立ち直ることができたのです! 9/自慰への凄惨な処罰――電眼鉄丸地獄 諸仏菩薩に感謝いたします! 白い蓮の花に乗って出発しました。 判官、阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌してご挨拶しました! 今日は判官が、邪淫地獄の一つである電眼鉄丸地獄の見学に連れていってくださいました。電眼鉄丸地獄は、生前にポルノサイト、ポルノ画像、ポルノ刊行物を見ることに溺れ、またパソコンのそばで、それらを見ながら自慰をしていた者が、寿命が尽きた後に入って罰を受ける地獄です。その期間は八百年で、その後、霊識がどのように変化したかを見て、ここで引き続き罰を受けるかどうかを決めます。21 前にも述べましたが、ポルノ刊行物を一度見るたびに、福も寿命も一か月分削られます。初めて見たときだけは福と寿命が半月分削られ、その後は毎回一か月分ずつ削られます。頻繁に見たうえに自慰まですれば、確かに一生分の福報もあっという間に削り尽くされてしまうのです。 この地獄は電光眼地獄の隣にあり、苦しみは電光眼地獄の千万倍にもなります。ここにいるのは、ほとんどが青少年です。ああ、なんてかわいそうなのでしょう。一人ひとり、みなとても幼いのです。私がこのくらいの年齢だったころは、まだ学校で勉強していて、ぼんやりと何も知らずにいたことを覚えています。この子たちはどうして、勉強できるのに勉強せず、みな地獄に来て刑罰を受けているのでしょう。一言でいえば、見ていて心が凍る思いです! 男の子たちには、必ず身を慎み、自分を大切にしてほしいです。地獄はあまりにも、あまりにも苦しいところです。決してここへ来てはいけません。人間界でしっかり勉強し、修行して、すばらしい人生を大切にしてください。 ここで、どこかで見たような男子中学生を見つけました。どこで会ったのでしょう。思い出しました。半年ほど前、葬儀場でこの子の遺影を見たのです。半年前、私が親戚の葬儀の世話をしていたとき、この子の葬儀会場は親戚の葬儀会場の隣にありました。そのとき、私たちの会場には人が多く、子どももたくさんいたので、熱気に包まれているようでした。一方、この子の会場はひっそりとしていて、両親と二、三人の親族しかいませんでした。そのとき、こちらの親戚たちは、まだこんなに幼いのに、いったい何があったのだろうと話していました。両親は気の毒で、お母さんはひどく悲しんでいました。私は遺影に向かって「阿弥陀仏」と数回唱え、回向しただけでした。22まさか地獄でこの子に会うとは思いませんでした。人の命は本当に無常です! 判官のお話では、この男の子は両親にとって一人きりの子どもでした。生前はポルノサイトやポルノ刊行物を見ることに溺れ、自慰という悪習まで身につけ、自分で作った道具を使って自慰を助けてもいました。六歳から自慰を始め、十歳ですでに腎虚になっていました。23母親はこの子を連れてあちこちの名医を訪ねました。この子は多くの漢方薬を飲みましたが、歩く姿は老人のようで、杖が必要でした。本人が命も健康も大切にせず、なんと服薬中も自慰を続けていたため、十二歳で福も寿命もすべて削り尽くされ、電眼鉄丸地獄に落とされて八百年の罰を受けることになったのです。 [非逐語のあらすじ。未成年者に対する性的な暴力の詳細は省略] 少年のそばには、刑具として使われるコンピューターがあり、火の蛇が身体に巻きついていました。少年は目を傷つけられ、二匹の大きな狼にも襲われるなど、複数の罰を同時に受けて苦しんでいました。それは耐えがたい苦しみでした。 私は判官に尋ねました。どうして同時にいくつもの刑罰の報いを受けなければならないのでしょうか。なぜ、目が元どおりに戻るのを待ってから、火の蛇や野生の狼による報いを受けさせないのでしょうか。 判官は言いました。「これらは決して別々に受けさせることはできません。生前、この者はパソコンを見ながら、その場ですぐに自慰をし、さらに自分で作った自慰を助ける道具を使って、再び邪淫を犯していたからです。そのため、これほど早く地獄へ報いを受けに来ることになりました。この地獄での報いを受け終えた後も、嚎叫大地獄へ行き、引き続き刑罰を受けなければなりません。自慰を犯して自分の福報をすべて早々に失い、両親をひどく悲しませ、白髪の親に黒髪の子を見送らせたのですから、親不孝な子です。それゆえ、この刑罰を受けるのです。今の現世の人々は、幼いうちから礼義を守らず、両親に逆らって口答えし、罵倒し、さらに殴ったり蹴ったりまでします。その振る舞いは、一部の下等な鳥獣にも劣ります。天地の間でひどい親不孝を働いた者は、死後必ずここへ来て罰を受け、霊識を練り清め、元神を浄化し、完全に心から懺悔して過ちを改めるまで続けなければなりません。」 「今日はここまでにしましょう。私にはまだ大切な務めがありますので、また別の日においでください。」 「判官、阿玉はこれでおいとまいたします。ありがとうございました!」 10/現世の寿命が尽きる前に、まず三魂を鉤で捕らえる!!! 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します。 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に向かって合掌しました。 今日は判官が、邪淫地獄の中にある鞭杖地獄の見学に連れていってくださいました。鞭杖地獄とは何でしょうか。現世の寿命がまだ尽きず、人間界で暮らしながら邪淫を犯している衆生の神識のごく一部が、冥府の鬼卒によって地獄へ連れてこられ、罰を受けるのです。人には三魂七魄があり、24鬼卒は罪を犯した霊の三魂を捕らえ、地獄で刑を執行します。人間界の衆生は、めまいや頭痛を覚え、ひどく頭が重く、意識がぼんやりします。ぼんやりしている間に殴られていると感じる人もいますが、たいていは悪夢を見ているのだと思っています。ひどい場合には熱が出て、寝床に横になって眠らなければなりません。刑罰を受け終えて現世に戻ると、全身に激痛が走り、まるで骨の奥まで痛むように感じる人もいます。 この鞭杖地獄は、本当に広大です! まさに見渡す限り果てがなく、人間界で海を眺めるように、どこに端があるのか分かりません。私がこれまで見学した地獄の中で、最も大きなものです。この鞭杖地獄には、中国、イギリス、アメリカ、フランス、日本、タイ、それにインド、アフリカ、パキスタンなど、実に多くの国籍の人々がいます。不幸なことに、この地獄で罰を受けている青少年や幼い子どもも無数にいるのです。25 私は判官に、どうしてこんなに大勢いるのかと尋ねました。この地獄は、本当に恐ろしくなるほど広大です! 判官は言いました。「まさに科学技術が発達し、人間界でコンピューターが発明されたためです。驚くほど大量のポルノサイトが、青少年や幼い子どもたちを害し、汚しています。彼らはみな邪淫を犯し、地獄へ落ちる因を作っています。こうした不善の業をなす衆生の数は、絶えず積み重なり、急増しています。だからこそ、仏は特にあなたを地獄の見学に遣わされたのです。戻ったら、五常八徳をしっかり守るよう衆生に諭してください。26特に若者たちは、これらを時代遅れの古いものだと思ってはなりません。必ず身を慎んで自分を大切にし、邪を改めて正しき道へ戻り、悪を捨てて善に従わなければなりません。さもなければ、後に地獄の残酷な刑罰を免れることはできず、そのとき悔やんでも手遅れです!」 そのとき、鞭杖地獄の衆生がみな、鬼卒に鞭や杖で激しく打たれているのが見えました。ここの鬼卒は、ずっと鞭や杖を手に罪を犯した霊を打ち続け、霊たちは痛さのあまり、わあわあと叫んでいます。その叫び声が、あちらこちらで途切れることなく響いていました。打たれるのは、自分自身の過ちを反省させるためです。罪を犯した霊のうち、ごく一部は魂が現世に戻り、意識を取り戻すと、深く悔いてそれまでの過ちを改めます。しかし大多数は、魂が現世へ戻ると、再び同じ過ちを犯し続けるのです。 判官、私、阿玉はお尋ねしたいことがあります。どうすれば、現世の衆生に、この『陰律無情』という著作が、紛れもなく真実の、今日の地獄の実情であると信じてもらえるでしょうか。私の話はすべて自分で空想したことや作り話だと思い、小説を読むように受け取る人もいるかもしれません。なかなか信じてもらえないのです。 判官は言いました。「目に見えないところでも、すべてに因果があります。見えないものだからといって、偽物なのではありません。私たちは誰も、母親が自分を産むところを見ることはできませんが、それは動かしがたい事実です。見えないからといって、存在しないということにはなりません。頭上三尺には神霊がいます。27この大千世界には、私たちの目に見えないものが実に多くあります。それでも、それらは私たちの暮らしと密接につながり、切り離せない関係にあるのです。ただ私たちが仏菩薩や鬼神の存在に気づいていないだけです。一人ひとり、機縁も福報も異なり、感じることや経験することも、すべて同じではありません。善悪の因果は影が形に付き従うようなものです。報いがないのではなく、まだその時が来ていないのです。天の網は広大で、目は粗くとも何一つ漏らしません。今回、阿玉、あなたが各大地獄の実情を見学しに来たのも、仏が選び、手配されたことです。あなたはこの使命を担う資格を備えた、戒を守る仏弟子なのです。人々のためになるこの善行を、しっかり真剣に成し遂げてください。」 判官、励ましのお言葉をありがとうございます。私、阿玉は、この神聖な務めを果たすために、必ず力の限りを尽くします。 そのとき、数人の冥府の役人が鞭杖地獄に向かって歩いてくるのが見えました。あっ、冥君閻王がおいでになりました。私、阿玉は合掌して冥君閻王にご挨拶しました! 冥府では、この鞭杖地獄をさらに増築することになっており、冥君閻王は現地を視察するために来られたのでした。閻王は、人間界の青少年が邪淫の罪を犯すという重大な社会問題に、強い関心を寄せておられます。今では、これは人間界だけの問題ではなく、冥府にもすぐに影響が及び、増築まで必要になっているのだと分かりました。私は驚いて言いました。「この地獄は、今でも果てが分からないほど広大なのに、まださらに増築するのですか?」 冥君閻王は言いました。「現世では、邪淫の戒を犯す衆生の列に、新たな青少年が絶えず加わっているからだ。ポルノサイトやポルノディスク、ポルノ刊行物を見たり、自慰をしたりしている。しかし、彼らの現世の寿命はまだ尽きていない。この問題は徳を損ない、体を傷つけるものゆえ、必ず厳しく罰さなければならない。人間界には、こうした深刻な問題を罰する法律がない。本王が地獄を増築し、生きている者の魂を捕らえてきて、この因果を清算させるしかないのだ。我らの冥府では、ここ数年ずっと増築が続き、仕事の量も増え続けている。現在のこの鞭杖地獄は、それに比べれば、なおあまりにも小さい。毎日流れ込んでくる無数の罪を犯した魂を、どうして収容できようか。あなたに伝えておこう。現世で公を重んじて法を守り、仏の戒律を守り、大いなる善をなす者を、冥府は拘束することができない。だが、戒に背くことや法に反することを一つでも行えば、本王の生死善悪の記録帳から、決して逃れることはできない。現世の法律は容易に逃れられても、陰律から逃れることはできない。このような因には、このような果がある。地の果て、海の果てのどこにいようとも、冥府の鬼卒は必ずあなたを見つけ出す。戒に背かず、罪を犯していないのでなければ、逃れられぬ。阿玉、あなたはこの言葉を伝える務めを、しっかり果たすのだ。今回、冥府は特別に道を開き、天機をすべて明かして、世の人々に地獄の真相を知らせる。その目的は、衆生が迷いの道から引き返し、善を行って徳を積むことを願うところにある。それによって、現世のさまざまな大悪業が引き起こす大災難を減らし、取り除き、生きとし生けるものが塗炭の苦しみに陥るのを避けたいのだ。戻ったら、人々に勧めなさい。五常八徳を謹んで守り、国法を犯さず、親孝行をし、師や年長者を敬い、節操と礼を守り、二度と地獄へ至る因果を作らぬようにと。さて、本王にはまだ公務がある。あなたは先に現世へ戻りなさい。」 閻王に感謝します! 判官に感謝します! 阿弥陀仏! 11/判官は厳粛に答えました。「冥府の我らが冥王は、現世ですでに許容量を超える邪気が放たれているのをご覧になったのです!」 諸仏のご加持に感謝します! 今日は危うく文章を書けなくなるところでした。ここ数日、私、阿玉が地獄へ行くのを妨げる障害が次々と起こり、一難去らぬうちにまた一難という有様です。最初はパソコンに不具合が起きて文字を入力できず、その後は人ならざるものが私の眠っている隙に激しく妨害し、元気を消耗させに来ました。そのころには、少し熱っぽく頭も痛くなり始め、かなり疲れ切っていました。今朝はもう風邪の状態でした。私は風邪を引くたびに、熱心に真言を唱えても治るまで最低七日はかかり、そうしなければ半月もかかります。 先ほど、私は念の力で自分に言い聞かせました。今日は絶対に病気で倒れない、地獄へは必ず行く、文章も必ず書く、自分ならきっとできると信じよう、と。そこで座って孔雀呪を唱え始めたところ、三十分ほどすると熱が下がり、鼻水も出ず、喉の痛みも和らぎ始め、頭痛もなくなって、風邪がよくなり始めました。孔雀明王のご加持と、十方の諸仏のご加持に、限りなく感謝します。私、阿玉は、この神聖な仕事をしっかり果たして仏恩に報いるために、必ず力を尽くします! そうしなければ、諸仏のご加被に顔向けできません! 白い蓮の花に乗って出発します。判官、阿弥陀仏! 今日は判官が、邪淫地獄の一つである陰魂剣花地獄の見学に連れていってくださいました。 私は判官に尋ねました。「陰魂剣花地獄とは、どのようなものですか?」 判官は厳粛に答えました。「この地獄は、現世の寿命がまだ尽きず、現世で自慰や邪淫に溺れている衆生のためのものです。男性は毎日、あるいは頻繁に、性行為の相手となる女性を意図的に次々と替え、しかも得意になっています。女性は毎日、あるいは頻繁に、性行為の相手となる男性を意図的に次々と替え、しかも自分を大したものだと思っています。このように邪淫の戒を犯し、邪淫に溺れる衆生は、天地の陰陽の正気(せいき)の均衡を著しく壊しています。性行為をするたびに、衆生の思いから邪淫の欲望の気が大量に放たれるからです。こうした邪気は鬼の類や精霊などを引き寄せ、性行為をしている者は、知らぬ間に害を受けても気づきません。このような邪気があまりにも多く、盛んになり、極めて巨大な勢力を形成すると、人間界には必ず無数のさまざまな災難が起こり、それを相殺して均衡を取ることになるのです。 人類は宇宙の自然の法則を著しく壊していますが、現世にはこれを罰する法律がありません。一部の西洋諸国の法律は、さらに婚姻せずに同棲することの合法化などを認めています。こうした法律を制定した者は、量り知れず果てしない地獄の果報を受けなければならず、その法律が現世で完全に撤廃されて初めて、地獄での業の報いを終えることができます。まさに、菩薩は因を畏れ、凡夫は果を畏れるということです。私たちは毎日、何事をするにも因果の道理にかなうようにしなければなりません。一時の不注意によって後の世に悪い報いを招かないよう、気をつけることです。冥府の我らが冥王は、現世ですでに許容量を超える邪気が放たれており、しかも、その中には未成年の青少年によって作られた悪業が数多くあるのをご覧になりました。そこで我らが冥王は、地獄の中に、さらに多くの新たな地獄を増築し、まだ寿命の尽きていない、戒を犯したこうした衆生を罰することにされたのです。現世で生きている者の魂を捕らえて地獄で罰することにより、世の人々に戒めを与え、罪業を消し去り、寿命が尽きた後に地獄へ入って刑罰を受ける期間も短くできるよう願っておられるのです。」28 判官、私、阿玉のために詳しくご説明くださり、ありがとうございます。またたくさんのことを学びました。本当にありがとうございます! 陰魂剣花地獄に着くと、ここも非常に広大なのが分かりました。中には幼い子どもが大勢いて、特に西洋諸国の子どもたちも一緒に刑罰を受けていました。実に大勢です! イギリス、アメリカ、フランス、中国の子どもたちもおり、とにかく、ほとんどあらゆる国籍や人種の人々が見られました。 [非逐語のあらすじ。未成年者への性暴力の詳細は省略しています。] そのとき私は、多くの男の子たちの霊が鬼卒に引きずり出され、花のような鉄製の刑具で過酷な罰を受けるのを見ました。女性の霊も、高熱の鉄の花のような刑具で罰を受けていました。あまりにも大勢の者の泣き叫ぶ声が天を揺るがすほど響き、聞いているのがとてもつらくなりました。私はほんの少し見ただけですぐに退出し、心がひどく痛みました。人々に戒めを伝える務めに少しでも力を尽くすためでなければ、このような場所には決して来たくありませんでした。 現世でこの刑を受ける衆生は、熱があるように感じ、寝床で意識のはっきりしないまま眠り込んでいます。身体の三魂が地獄へ連れていかれているため、こうした人々は日常生活も正常に送れません。悪夢を見ているのだと思う人もいますが、悪夢よりもはるかに苦しいのです。 大部分の人は、その身体的な苦痛、とりわけ下半身の激痛や強く刺すような痛みのつらさを感じることができます。 少数の人は、地獄の刑罰を受け終えた後、身体の痛みから戒めを感じ取り、過ちを改めます。 判官によると、冥府の閻王はこのような大きな社会問題を重く見ておられ、罪を犯した霊に刑を受けさせるのは、悪い風潮が広がり続けることによって現世にもたらされる深刻な災難を防ぐためだということでした。 私、阿玉はもう一つ判官に尋ねたいと思いました。「どうして、この種の邪淫地獄の刑罰は、どれもとても近代的に見えるのでしょうか。コンピューターの刑具や、光を放つ氷の鏡などもありますね。」判官は言いました。「地獄は人間界を映した姿なのです。人間界の衆生が戒に背く近代的なものを作り出せば、地獄でも直ちに同じような刑具を新たに設け、そうした衆生を罰します。今の現世の美容技術は、なんと進歩していることでしょう。お金をいくらか使うだけで、いつでも全身の外見を一変させ、誰にも分からなくすることができます。現世では、うまくだまして逃げおおせるかもしれません。しかし陰律においては、容貌を変えるどころか、すでに転生を何度も重ねた者であっても、我らが冥王は即座に見つけ出し、連れ戻して法に従って処刑することができるのです。阿玉、戻ったら、現世の衆生によく言い聞かせてください。必ず公を重んじて法を守り、親孝行をし、仁・義・礼・智・信に従わなければなりません。これを古くさい決まり文句だと言ってはいけません。これは天地の正常な運行と変化の均衡を保つための法則なのだと、知る必要があります。従わない者は誰であれ、自然によって淘汰され、因果によって罰せられるのです。 さて、今日はここまでにしましょう。ひとまずお帰りください。また次回おいでください。」 私、阿玉は判官に頂礼して、おいとましました! 12/歯車狼蛇地獄 仏のお力による加被に感謝します! 感謝すべきことは、本当に数え切れません! 仏に感謝します! 仏が残してくださった、無上の大法を説く経典に感謝します! 私、阿玉は仏典が大好きで、特に経典そのものを直接読み、学ぶのが好きです。法会にじかに参じ、まるで二千五百年前のインドの霊鷲山に身を置いて、仏が説かれる無上で妙なる菩提の法音を直接聞いているかのようです。29その感覚は、簡単な言葉や文章では表しきれません。皆さんも、ふだんから経典そのものを読み、学ぶとよいでしょう。人生における数多くの深遠で妙なる道理について、経典の中では一つひとつ答えを見つけることができます。 仏はあらゆる経典の中で、私たちがいかに自らを正しく律するかを教えてくださっています。戒を守ることを菩提の因とし、六度万行を修め、30精進して修行し、無上正等菩提を証するに至るまで、その一つひとつの細部を、きわめて明確に説かれています。初めのうちは、法友の中にも経典の意味が分からない方がいるかもしれませんが、それはかまいません。毎日読み、学び続けさえすれば、必ず少しずつ分かるようになります。何より大切なのは、毎日続けることです。私、阿玉も学び始めたころは、読むたびに実にすばらしいと感じたのに、読み終えるとすぐに何もかも忘れてしまいました。頭には、ただ非常にすばらしかったということだけが残り、内容が何だったのかは言葉にできませんでした。業障が重かったのです! それでも、経典が好きなので、忘れてしまっても毎日読誦しようと思いました。そうした日々を数年続けるうちに、少しずつ覚えていられるようになり、また、時や場所が変わる中で、自然に何かの道理を悟れるようになったことに気づきました。ですから、続けることはとても大切です。皆さんも一緒に、まだ健康な人の身があるうちに、ぜひ経典をたくさん読み、学んでほしいと願っています。人生は無常であり、次の一息が戻らなければ、もう次の世です。本当に仏恩に報いたいのであれば、真剣に修行し、戒を守ってこそ、真の仏弟子なのです! 皆で一緒に励み、精進して戒を守りましょう! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に向かって合掌しました! 今日は判官が、歯車狼蛇地獄の見学に連れていってくださいました。この地獄に来て刑罰を受ける衆生は、生前、二人の女性と同時に性行為をすることを好んだ男性、または二人の男性と同時に性行為をした女性です。着くと、また激しい悲鳴が聞こえてきました! 一人の男性が見えました。裸で、回転する輪に縛りつけられているようでした。その輪の両側には、柔らかな体をした二匹の蛇が、ほとんど彼に貼りつくようにいました。一匹は赤色、もう一匹は暗い青色でした。一匹の蛇は彼にきつく巻きついて離さず、頭や顔、耳に噛みつき、肉を一片ずつ噛みちぎって、地面は血でいっぱいになっていました。もう一匹の蛇は下半身に噛みついていました。この男性は、極度の苦痛にさいなまれた様子で泣き叫んでいました。 隣の女性を見ると、彼女も裸で回転する輪に縛りつけられていました。輪の両側には、非常に凶暴な鉄の狼が二匹いて、絶え間なく彼女に噛みつき、引き裂いていました。一匹は女性の胸に、もう一匹は下半身に噛みついていました。女性は大声で助けを求めていましたが、誰も相手にしません。とにかく、ひどく血なまぐさい光景でした。今見た男女二人の衆生は、どちらもそれほど年を取っておらず、まだ三十代なのに地獄へ落ちて報いを受けていました。本当に痛ましいことです! 判官は厳しい表情で私に言いました。「この種の衆生は、自らの霊性を損なうだけでなく、社会の風紀も著しく乱します。そのため、冥府では必ず厳罰に処さなければなりません。ここで五百年の罰を受けた後、さらに別の地獄へ送られ、裁きを受けることになります。このような衆生は今、ますます増えており、この地獄も最近また拡張されました。あなたは今後、もっと頻繁に見学に来てください。この邪淫地獄のほかにも、別の地獄の実情を見学し、記録しなければなりません。できるだけ早く本を印刷して、現世の衆生に益をもたらすためです。その人々が一日も早く悪をやめて懺悔し、善を行って福を積み、地獄に入る可能性を減らすとともに、現世の災難も減らせるようにするのです。」 はい、判官。私、阿玉は仰せに従います! 必ず全力を尽くして行います。 白い蓮の花に乗って帰ります。 13/冥界の最高統帥、酆都大帝に初めてお目にかかる31 この『陰律無情』という本は、私、阿玉が持てる力のすべてを注いで書いているものです! 私は学校であまり学んでおらず、文章もつたないものです。それでも、あらゆる有情に仏の戒をしっかり守ってほしいと、ずっと願い続けてきた心は、まったく偽りのないものです。 最近、私、阿玉は、ある女性の法友が談先生をしきりに誹謗しているのを見ました。激しく迫り、まったく容赦のない言葉を浴びせているのです! 談先生には恩があります。先生の文章から、生き生きとした仏の教えをたくさん学び、本当に感謝しています! しかも、冥君閻王が自ら先生を『陰律無情』の原稿審査役に任命され、先生も快くお引き受けになりました。有情を苦しみから離れさせ、安楽へ導くためのことなら、先生はきっとお断りにはなりません。誰かの誹謗によって『陰律無情』の出版や流通に影響が出るとすれば、それは間違いなく、とても重大な問題です。 ですから、私も自分にできる限りの力を尽くし、この時に声を上げて先生を支えたいと思います。自ら判官に教えを請い、すべてを明らかにしていただくことにしました。 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します。 私は判官に合掌しました! 今日は判官に、こうお尋ねしたいと思います。「談先生がお説きになっているのは正法でしょうか?」 判官は答えられました。「談先生が説いているのは正法だ。疑う必要はない。そうでなければ、冥王がどうして原稿審査を任せるだろうか。阿玉、そのように尋ねるのは、冥王の智慧をないがしろにするようなものだぞ。」 「ああ! 申し訳ありません、判官! 私の尋ね方が間違っていました。どうかお許しください。」 判官は言われました。「かつて仏が菩提樹の下で、まさに成仏しようとしていた時、魔がやって来て激しく妨害した。仏は三昧の定力と、慈悲の福徳による威神力をもって魔軍を退けられた。魔はやむなく退いたが、その際に、『今はお前の定力を打ち破れないが、やがて末法の時代になれば、私の子や孫である魔たちにお前の衣を着せ、お前の法を破壊させてやる』と誓った。そして魔は憤りながら去っていった。その時、仏は慈悲の涙を流された。実は、仏は魔が正法を破壊することを心配されたのではなく、魔の子や孫たちが仏法を破壊し、正法を誹謗したために、無量無辺の地獄の果報を受けることを哀れまれたのだ。仏は入滅される前にも弟子たちに、後世の仏弟子は必ず戒を師とし、人によらず法によらねばならないと説かれた。最も大切なのは、その人の説く法が仏の経典と合致し、相応しているかを見ることだ。『楞厳経』には、『私がこのように説くとおりであれば、仏の説と名づける。このとおりでなければ、それは波旬の説である32』とある。正法の時代には、仏がおられても魔が妨害に来た。まして今は末法の時代であり、法を説く邪師はガンジス川の砂ほどもいる。正法のある所には必ず魔がいる。これもまた修行の道で霊性を磨き、高めるための試練の機会なのだ。かつて仏でさえ、父の兄弟の子にあたる従弟の提婆達多に誹謗され、至る所で妨害され、陥れられた。その後、提婆達多はここ地獄に入って刑罰を受けることになった。」 その時、突然、冥府の官吏がやって来て告げました。「酆都大帝のご命令である。現世の者、上官玉華を直ちに召し出すようにとのことだ。」ああ! 私はびっくりしました! 酆都大帝はここの最高指導者です。その大帝が私にお会いになるとは、何か大変なことが起こったのでしょうか。私は判官とともに、すぐに向かいました。 大殿に着きました! 私はすぐにひざまずき、酆都大帝に拝謁しました。 「南瞻部洲の震旦国33、この世の平民の女、上官玉華が、酆都大帝に伏してご挨拶申し上げます! 酆都大帝、どうか罪をお許しください。」 私がお目にかかった酆都大帝は、朝服をまとい、宝冠をかぶって高座にお座りでした。顔は深い黒色で、表情はひときわ厳しく、威圧されて恐ろしくなるようなお姿でした。 私は大殿でずっとひざまずいたまま立ち上がらず、顔を上げて仰ぎ見ることもできませんでした。 すると、酆都大帝が口を開かれました。「そなたが来た理由はすでに承知している。それゆえ、特別に召し出してやったのだ。現世の談氏、別号を文殊摩詰という者は、正法を説き、末法の衆生を教え導いて人の心を清めている。今や現世では道徳観念が日増しに失われ、因果の考えを教える教育が甚だしく欠けている。善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあるとはどういうことかも知らず、それゆえ何のはばかりもなく開放的な思想を広め、殺生、邪淫、個人への誹謗を行い、それを言論の自由だと思っている。だが、すでに他人と聖なる教えを誹謗する罪を犯していることを、少しも知らないのだ。談氏の説くものは、人の心を救い、向上させ、過ちを改めて新たに出直させる正法である。仏の説かれた正法を護持する者なら、誰であっても、私はその功を加算して褒賞を与えることができる。仏の教えに従って実践し、生涯それに背かなければ、他人に広めず自分だけで修行する者でも、必ず地獄に来て苦しむことはない。自ら生涯実践して背かないだけでなく、次々と他人に伝えて広めるなら、必ず福が増し、寿命が延び、その福は子々孫々にまで及ぶ。自ら実践せず、さらに故意に破壊し誹謗するなら、現世で必ず福と寿命を削られ、寿命が尽きれば抜舌地獄、嚎叫地獄に入り、さらに目をえぐられ、「誅心」の刑34を受け、耳を切り落とされるなど、地獄の酷刑を受けねばならない。刑罰を受ける期間については、その正法を誹謗する言説を信じたすべての衆生が、再び正しい信仰を起こし、正法の修行を再開するのを待って、ようやく誹謗を行ったこの罪ある霊に地獄を出る機会が与えられる。その後、人として生まれ変わっても、卑しい境遇に生まれる、あるいは心身のさまざまな機能が十分に備わっていない、両目が見えない、耳が聞こえない、体がやせ衰えている、あるいは貧しく身分が低い、生活環境が劣悪である、物資が乏しい、家庭が不和である、さまざまなことが思うようにならないなど、つらい報いを受ける。そなたは速やかに戻り、私の言葉を書き記すがよい。迷いに執着して悟らない衆生を諭し、正法を誹謗せず、立ち返って懺悔するよう勧めてほしい。」 私は酆都大帝、閻王、そして各判官に頂礼し、伏して感謝を申し上げました! 白い蓮の花に乗って帰ります。 14/電光スクリーン――電氷針を撃ち出す新しい地獄 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します。 私は判官に合掌しました! 判官は、今日は私を電光スクリーン地獄の見学に連れていくと言われました。 電光スクリーン地獄とは、どのような所なのでしょうか。生前、色情的な刊行物、ディスク、画像、短編映像、音声や言葉などを制作した罪のある者が入る所です。つまり、現世の衆生に好ましくない空想を抱かせたり、直接、邪淫の思いを起こさせたりするこうした色情的な製品を、わざとウェブサイトに掲載し、衆生が自由に見られるようにして、現世の衆生の思想を損ない、その結果、邪淫の罪業を犯させた者です。また、衆生の思いを乱すこうした色情的な製品を、好んでウェブサイトに転載する者も、寿命が尽きればこの地獄に入って罰を受けなければなりません。 この地獄で刑罰を受ける衆生は皆、自分たちが制作した色情的な製品が、ウェブサイトから完全に、跡形もなく消えるまで待たねばなりません。転載した衆生もまた、その影響を受けた衆生が邪道を改めて正道に立ち返り、こうした色情的な製品を見たことで引き起こされた邪淫の行為を、それ以後二度と犯さなくなって、ようやくこの地獄を出ることができます。 私は判官に尋ねました。「この地獄にはずいぶん多くの人がいますね。制作した人がこんなにいるのですか。」 判官は言われました。「転載した衆生もすべて同じ罪に当たり、この地獄に入って刑罰を受けねばならない。もちろん、制作した者よりは少し罪が軽い。ウェブサイトは短期間のうちに、無数の無邪気で何も知らない子どもたちを毒し、成長していく心の歩みをひどく損なうことができる。誰にとっても、幼い心の成長は成人後の行動の土台となるものだ。それなのに今の人々は、ほんの幼い頃から、こうした悪い嗜好を持ってしまっている。『地蔵経』に、『悪縁に遭えば、念ごとに増していく』とあるとおりだ。習慣はいつしか当たり前となり、大きくなってから懺悔の心を起こして過ちを改めるのは、優れた善知識の教化に出会わない限り35、とても難しい。現代の世界ではコンピューター技術が日々進歩しているが、因果の教育が乏しいまま、すでに無数の未成年の子どもたちが、毎日ウェブサイトでこうした色情的な製品を見ている。その因果はすべて、こうした色情的な製品の制作者と、それを転載した衆生が責任を負わねばならない。それゆえ冥府は、このような衆生を厳しく罰するため、特別にこの地獄を造ったのだ。」 この地獄の衆生を見ると、皆、裸でそれぞれのコンピューターへ歩いていきます。彼らがコンピューターの中に見ているものは、すべて色情的な製品ですが、私に見えるのはコンピューター型の刑具です。そのコンピューターは燃えるような赤色で、光を放っています。罪ある霊が欲情した様子で近づくと、コンピューターから真っ赤な鉤が飛び出し、たちまち両目を引っかけてえぐり出します。さらに電氷針が刺さり、全身から血を流させます。最初に頭を刺し、それから下へと、全身くまなく刺していくのです。とにかく、あまりにもむごたらしい光景です! こうした酷刑を期限もなく受け続け、色情的な製品がこの世から完全に消えるまで待たねばならないのですから、それはまさに無量無辺の苦しみです! ひとまずこの地獄を離れましょう! むごくて見ていられません! 判官は続けて告げられました。「『陰律無情』が本になる前に、阿玉、そなたは先に内容をウェブサイトで公開するように。縁のある衆生が次々と人に伝え、転載できるようにし、人の心を清める効果をもたらすのだ。転載した衆生には、冥府にある個人の善悪簿に、大きな善行の功績一件が記録される。それは父母に孝行する功徳と同じで、違いはない。 あらゆる悪の筆頭は淫であり、あらゆる行いの第一は孝である。わが主君である冥王は、現世で孝行をする人を何よりも高く評価し、称賛される。今日はここまでだ。ひとまず帰るがよい。」 私は合掌して判官に別れの礼をし、白い蓮の花に乗って帰ります。 15/冥府の平民区での暮らしを覆う神秘のベールをはがす 『陰律無情』を発表してから、これは扶乩や霊の憑依によって書かれた文章だと思う人がいます。ですから、ここでもう一度、強調しておかなければなりません。私、阿玉は、坐禅をして心を静めた後、雑念をなくして初めて心の力を集中させることができるのです! そして仏の加持の力により、意識がとてもはっきりした状態で、白い蓮の花に乗り、一瞬のうちに地獄に着きます。したがって、『陰律無情』の内容は、幾度も地獄を往復して確かめたもので、参考にする価値が非常に高いのです! もし誤りがあれば、それはすべて私の修行が足りず、聞き違えたためです。それでも、仏菩薩のために働き、一切の衆生を利するために戒を守りたいという私の心は、間違いなく、本当に偽りのないものなのです! ですから、『陰律無情』は、民間の扶乩、憑依、啓霊、あるいは夢によって書かれた著作とは、まったく異なります。読者の皆様には、どうかこの点にご留意いただきたいと思います。 仏の加持に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します。 私は判官に合掌して礼をしました! 今日は判官に、こうお尋ねしたいと思います。「冥府の平民区は鬼道に属するのでしょうか?」 判官は言われました。「平民区は鬼道に含まれる。つまり、生前、人として善くも悪くもなく、特に大きな善行も大きな悪行もせず、平凡に一生を過ごした衆生が来る所だ。その者の寿命が尽きると、まず黒無常と白無常に導かれて審判の大殿に入り、善悪の記録簿を調べられる。地獄に落ちる業のない衆生は、この平民区に割り当てられることがある。大きな善業のある者なら、上の界へ昇るか、人間界に戻って生まれ変わることができる。」 今日は平民区を見学します。ああ! 思う間もなく平民区に着きました。ここは地獄よりも、はるかに、はるかによい所に感じられます。少なくとも刑罰を受けずに済むのです。ここで暮らす衆生を見ると、現世とあまり変わらず、皆とても自由です。平民区の衆生は自由に行動でき、簡単な売買や取引も自由にできます。 ここには大人も子どもも、店もあります。空は灰色で、太陽はなく、星も月もありません。彼らの服はくすんで見えます。血肉の体はなく、その姿は少しふわふわとしていて、現世の衆生が歩く時に感じるような、地球の重力を受けている感じがしません。これが違いの一つです。 近寄って見てみると、前方に鬼道の平民が一群、集まっていました。ああ! そこは長い廊下のような形をした、さまざまな品物を小売りする一画でした。廊下はとても長く、左右両側に物を売る露店が並んでいます。一つの露店に店主が二、三人いる所もあれば、一人だけで商売をしている所もあります。 ここには飲食の一画もあります。彼らが食べているものを見てみましょう。ああ! どうして食べ物にはどれも温かみがなく、すべて氷のように冷たいのでしょう。食べ物はどれも、とても軽いようです。見た目には一つの品物なのに、手に取ってみると、物としての重さを感じない、と言うべきでしょうか。現世でコップ一杯の水を持てば重さを感じますが、ここの物にはその感じがありません。それでは、平民区の霊体はどうやって食事をするのか、見てみましょう! 何かを吸い込んで食べているようで、しかもとても速いのです。その時、突然、女性の店主が私を呼ぶ声が聞こえました。 「店主さん、こんにちは! これは何ですか?」 「出来たばかりの清潤湯ですよ。これを飲んだら、次はまた来年飲めばいいんです。」 まあ! 一年に一度飲むのですか? 霊芝にだってそんな効き目はありません! 一度飲めば一年もつなんて、ものすごい栄養ですね! その時、女性の店主の手が私の手に触れました。 彼女は言いました。「お嬢さん、ずいぶん体温が高いですね! お体を大切にしてくださいね。さあ、一杯飲んでいってください! 飲めば体温が下がって、気持ちよくなりますよ。」 私は笑って言いました。「ありがとうございます! 今日は飲みたい気分ではないんです。」 現世では、私は子どもの頃から体温が低いほうなのに、平民区に来ると、なんと高いほうになるのです。 道すがら、霊体たちが自由に買い物をしているのが見えました。この平民区には淡々とした感じがあり、やはり陰の気もありますが、地獄よりは、はるかに、はるかによい所です。 私は判官に、こうお尋ねしたいと思いました。「平民区の衆生の平均寿命はどれくらいですか? 飲食物は吸い込むのでしょうか?」 判官は言われました。「寿命については、最も短い者で三百年、最も長い者で千五百年だ。善根があり修行をする者なら、早めに寿命を終え、人間界や天上へ昇ることができる。食べ物については、現世の衆生のように毎日三食を食べる必要はない。彼らは触食によって、食べ物の精華を吸収するので、一度食べれば、およそ一年は満腹でいられる。現世の子孫が四月の清明36に一度供養をすれば、一年は十分に満たされるのだ。ただし、先祖を供養する時には、決して肉食を供えてはならないと、しっかり覚えておくように。そのようなことをすれば、鬼道にいる先祖の罪業を増やしてしまう。現世の子孫は、菜食の食べ物、生花、果物などを供えて供養するべきだ。もちろん最もよいのは、読経し、仏の名を念じ、徳を積んで善を行い、その功徳を回向して、先祖が育ててくれた恩に報い、先祖が一日も早く超昇できるようにすることだ。 今日はここまでだ。帰ったら忘れずに、もう肉食を供えて先祖を供養してはならない、それはただ先祖を苦しめるだけだと、世の人々に伝えるように。」今回、冥府の平民区を見学して学んだことで、私は本当に目を開かれ、見聞が広がり、多くのことを学びました。人は死んで鬼となった後、本当に別の生存空間と世界で、まだ終わっていない業報の生を続けているのです。 判官の教えに感謝します! 白い蓮の花に乗って家へ帰ります。 16/遠く千九百年余り前の前漢時代の春画の作者が、今なお大地獄に囚われ、苦しんでいる!37 仏がさまざまな慈悲の方便によって教え導き、皆のためにいろいろな修行の機会を設け、作ってくださることに感謝します。修行は進まなければ退くものです。本当に恥ずかしいことに、本来は昨夜、地獄へ行くはずでしたが、疲れていたため先延ばしにしてしまいました。この場を借りて、仏菩薩の前で懺悔し、お許しを請います。仏は多くの経典の中で、どのように精進し、どのように戒を守るべきかを、私たち皆に教えてくださっています。恥ずかしい、恥ずかしいことです! 『華厳経』の中で、仏はこう説かれています。「仏子よ! 菩薩摩訶薩には十種の勤精進がある。何を十種というのか。すなわち、一切の衆生を教化することに勤め励み、一切の法に深く入ることに勤め励み、一切の世界を荘厳し清めることに勤め励み、一切の菩薩が学ぶところを修行することに勤め励み、一切の衆生の悪を滅ぼし除くことに勤め励み、一切の三悪道の苦をやめ鎮めることに勤め励み、一切の魔たちを打ち砕くことに勤め励み、一切の衆生のために清浄な眼となることを願って勤め励み、一切の諸仏を供養することに勤め励み、一切の如来をことごとく喜ばせることに勤め励む。これが十種である。諸々の菩薩がこの法に安住するなら、如来の無上の精進波羅蜜を具足することができる。」自分は修学と精進の面で、まだ至らないところがあると感じます。本当に、今までの倍も向上に努めなければなりません。38 さらに『大宝積経・菩薩蔵会』を見ると、仏はこう説かれています。「恐れず、おびえず、驚かず、畏れない。四つの堅固で勇猛な威勢を起こす。菩薩蔵の微妙なる法門において、いっそう精進する。捨てず、放さず、遠ざからず、離れない。鋭く力強い信解、堅固な信解、堅固な堪忍、堅固な正勤を、欠けることなく成就する。舎利子よ、私はそなたのために、堅固な忍と堅固な正勤について、方便のたとえを説こう。菩薩に堅固な忍と堅固な正勤を得させ、身命を顧みず菩薩道を行わせるためである。」本当に恥ずかしいことです。何度か続けて地獄に行っただけで疲れてしまうとは、教え導いてくださる仏菩薩の大恩に顔向けできません。引き続き努力して戒をしっかり守り、精進して修行し、仏菩薩の恩に報いなければなりません。また、皆さんも無辺の力を成就し、勇猛に精進し、正しく勤めて精進し、戒が明珠のように輝くことを願っています。39 出発前に、足元の蓮の花が一輪増えていることに気づきました。護法に感謝します! 仏菩薩はいつも慈悲深くいらっしゃいます! 今日は蓮の花が一輪増えたので速度がずっと速く、一瞬のうちに地獄へ着きました。判官に礼をすると、判官はすでに私を待っておられました。 今日は判官に、淫書を書き、印刷し、販売する者や、色情映画を撮影し、色情ディスクを製造する経営者の果報、色情映画に出演する俳優の果報、媚薬など淫行を助ける品を売る者の果報について、お教えいただきたいと思います。 判官はすぐに私を「煙花翻滾地獄」という所へ連れていってくださいました。話をしているうちに、すでに異様な雰囲気を感じ始めました。とても悪い感じで、淫らな気と言うべきでしょうか。地獄全体はすでに尽きることのない陰の気に満ちていますが、こちらの地獄では、淫らな気が陰の気よりもはるかに、はるかに強く、陰の気を覆い尽くすほどです。さらに、強烈な生臭い悪臭もあります。皆さんに伝えるためでなければ、本当に見に行きたくありません。 着きました。また激しい叫び声と、苦しむうめき声です。ここには大勢の男女の霊がいますが、互いに話したり、言葉を交わして挨拶したり、慰め合ったりすることはありません。「苦しいですか?」という簡単な一言さえありません。皆、ただ絶えず地獄の報いを受け続けているからです。 その中の一人の霊が、とても小さな椅子の上で、両手を椅子について逆立ちしているのが見えました。つまり、頭を下に、足を上にしているのです。なんとも極端な格好です! その後、地面に落ちて死に、また生き返って繰り返します。判官は、生前、淫書の中で、女が逆さになり、男が立って邪淫を行うような動作を好んで書いた果報だと言われました。40 一人の霊が、片手だけを地面について、ずっと体を支えています。疲れ果てて汗を流し、震えているのが見えます。やめた途端、巨大な鳥が飛び降りて来て、その霊を食べてしまいます。その後、また生き返り、同じ刑罰を繰り返します。これは、生前、鞭で打つことや感覚的な刺激を追い求めることなど、特に極端な邪淫の動作を好んで描写した人が受ける刑罰なのでした。 一人の霊が、地面で休みなく回り続けています。止まるとすぐに、巨大な狼が何匹もやって来て、その霊を引き裂いて食べてしまいます。これは、生前、淫欲を催させる幻覚剤を好んで調製していた果報です。 一人の霊が、罰として片足で立ち続けさせられ、淫行の動作をしているように見えます。やめるとすぐに、大きな鉄の鳥が突っ込んで来て、その霊にぶつかって殺してしまいます。その後、風が吹くとまた生き返り、繰り返し刑罰を受けます。これも色情的な書物を書いた果報です。 一人の霊が、絶え間なく薬を飲み続けています。やめるとすぐに激しく吐き、半死半生になると、また無理やり飲まされます。これは、生前、媚薬や催情薬の研究と製造を専門にしていた果報です。 一人の霊が、たいまつや管状の灯のような刑具を手に持ち、自分の生殖器を焼き続けています。生殖器が焼けただれて崩れると、風が吹いて元に戻り、また同じ苦しみを繰り返します。これは、生前、淫行を助ける道具を好んで売っていた報いです。 二人の霊が、震動する小さな蛇をいくつか一緒に持ち、自分たちの生殖器のそばで刑を執行しています。二人とも、生殖器が砕けてただれる激痛を受けています。この二人は、生前、性に関する製品を専門に売っていた店の経営者です。 一人の霊が、とても小さく、しかも尖って熱い椅子に座り、真っ赤に焼けて火を噴く台の上で何かを書いています。その思いを受け取ってみると、どうやって淫書を書こうかと考えているのでした。書こうとすると、たちまち両手が焼け落ち、その後、また生き返って同じ火の刑を受けます。これも、さまざまな淫書を書いた果報です。 こちらには、淫書をたいそう楽しんで眺めているように見える男女の霊がいます(顛倒した妄想のため、彼らの頭の中は淫欲でいっぱいなので、彼らには淫書が見えていますが、私には一枚の白紙のような物に見えます)。ここには、巨大なコンピューターに似た印刷機が一台あります。彼らが淫書を印刷しようとすると、この巨大な機械が彼らを吸い込み、全員を機械に通して押しつぶし、どろどろの肉の塊にしてしまいます。血しぶきが飛び散り、狂ったような叫び声が上がります。そのすさまじい苦痛は、とても言葉では表せず、耐えられるものではありません。一日に千万回も刑罰を受けなければならないのです。ここまで来ると、私はもう見続けることができず、自分までひどく苦しくなりました。これらは、生前、色情映画を撮影し、色情ディスクを製造した者が受けなければならない、甚大な果報なのです。 私は一度深く息を吸い、それから再び判官に尋ねました。「この罪ある霊たちは、いったい何年、報いを受けなければならないのでしょうか?」 判官は答えました。「彼らがどれほど長く報いを受けなければならないかは、何とも言えません。基本的には、彼らが書き、印刷した淫書、撮影した色情映画、色情ディスク、製造した媚薬や、精力を高めて淫行を助ける薬の類が、人間界からすべて消え去って初めて、彼らに地獄を脱する日が訪れると言えます。たとえ再び人間界に生まれたとしても、必ずきわめて低く卑しい境遇に生まれる報いを受けます。実際にどれほどの期間、刑罰を受けるのか、具体的に答えられるのは仏菩薩だけです。この地獄には今、新たに何層も増築され、さまざまな刑罰も加えられています。以前は、これほど広大な敷地ではありませんでした。今は科学技術が発達し、この種の邪淫の製品が猛烈な速さで、驚くほど大量に印刷、生産されています。人間界には性用品店も非常に多く開かれ、罪を犯し、戒を破って地獄に落とされ、苦しみを受ける者は、まことに数えきれません。実のところ、地獄は人間界を映す影なのです。人間界に戒を破る新しい物が現れると、その報いの必要に応じて、地獄は直ちに増築されます。罪を犯した衆生は、寿命が尽きるとここへ来て、苦しみの報いを受けるのです。」 私は言いました。「このように終わりのない刑罰は、無間地獄と同じほど苦しいのではありませんか?」判官は言いました。「ここの苦しみは、無間大地獄の苦しみには、まだ遠く、遠く及びません。これらの本や邪淫の製品は、無量無数の衆生に害を及ぼすからです。とりわけコンピューター上の色情サイトは、天真爛漫で邪気のない、純陽の体を持つ子どもたちまで汚染します。これは陰律において、決して容認も赦免もできないことです。説明しましょう。先ほど述べた、俳優が色情映画への出演を強制された場合は、報いが少し軽くなり、百年です。ただし、その後は二度と犯さないことを誓い、さらに罪業を懺悔しなければなりません。金のために一本だけ出演し、その後は出演しなかった場合は、千年の報いを受けます。その後、自分で色情ディスクをすべて買い取って焼却し、心から懺悔したなら、五百年の刑罰を減らすことができます。色情映画を撮影する監督や、色情ディスクを発行、制作する者は、寿命が尽きるとこの地獄に入り、色情映画とディスクが完全に消え去るまで報いを受け、初めてこの地獄を出られます。その他の関係者は、この地獄に落とされ、五万年の報いを受けます。淫書を執筆、印刷、販売する者、および邪淫の映画や色情ディスクの撮影に携わる経営者、俳優、監督、関係者は、すべて生きているうちから、一律に福を削られ、寿命を縮められます。淫書一冊、あるいは映画一本につき、福と寿命が一年分削られるのです。」 私はさらに判官に尋ねました。「もしサイトを開設して色情ディスクや映像を販売したり、公開して人にダウンロードさせたりした場合、有料であれ無料であれ、どのような報いを受けるのでしょうか?」判官は言いました。「道理は同じです。同じようにこの地獄に落とされ、自分が売った色情ディスクが人間界から永久に消え去り、関係する色情サイトも徹底的かつ完全に閉鎖されて初めて、地獄の報いから脱することができます。帰ったら、必ず皆に、法と礼を守り、戒律を実践して天罰を免れるよう、よく戒めてください。今日はひとまずここまでにしましょう。まずは蓮の花に乗ってお帰りなさい。また後日いらしてください。」 読者の皆様にお伝えしておきたいのですが、私が地獄を訪れて知った内情は、私の神識が意識のはっきりした状態で、仏の力に頼って赴き、知ったものです。夢の中で行ったのでも、天道や一貫道などのように、扶乩という方法で問い出したものでもありません。私自身も、すでに仏教に帰依し、常に菜食を守り、五戒を守る三宝の弟子です。私の名は阿玉です。これまで述べたことは、一言一句すべて真実です。一切の衆生がことごとく仏道を成就するよう、回向いたします。 17/二度目の裁きの傍聴――古書に記された賞善・罰悪の二司をこの目で見る 阿玉は最近、ずっと邪淫地獄を見学しています。邪淫地獄は、地獄全体の中で最も敷地が広く、最も広大な地獄です。このことからも、邪淫が現在の人間界における、きわめて大きく、きわめて深刻な問題であることが分かります。大いなる智慧を備えた仏は、遠い昔から多くの経典で、この問題について予言し、詳しく説かれていました。また、生まれながらに備わり、私たちにまとわりつくこの根本的な執着を、どのように徹底して解決するかも、非常に詳しく教えてくださいました。私たちは皆、経典をもっと学び、淫乱がどこから生じ、どのように解決すべきかを知るべきです。経典はあまりに多く、一度にすべてを挙げることはできませんが、例えば次のようなものがあります。 『仏説法滅尽経』には、こう説かれています。「道徳はなく、淫らで汚れ、乱れ、男女の区別もなくなる……劫が尽きようとするため、日月はしだいに短くなり、人の命もしだいに縮まり、四十歳で白髪となる。男子は淫らになり、精を尽くして若死にし、六十歳まで生きる者もいる。男子の寿命は短く、女子の寿命は長く、七十歳、九十歳、あるいは百歳に至る。」41 『仏説四十二章経』には、こう説かれています。「欲は汝の意から生じ、意は思いから生じる。この二つの心がそれぞれ静まれば、色でもなく、行でもない。」42 『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』では、さらに明確に説かれています。「あらゆる世界の六道の衆生が、その心に淫欲を抱かなければ、生死の相続に従って流転することはない。汝が三昧を修するのは、本来、塵労から抜け出すためである。淫心を除かなければ、塵労から抜け出すことはできない。たとえ多くの智慧を持ち、禅定が現前しても、淫欲を断たなければ、必ず魔道に落ちる……」 仏は経典の中で、淫乱は自分自身の意念における顛倒した思いから生じるのだと、繰り返し懇切に皆に教えておられます。意は思いから生じ、誰もがこの、生死を流転する種子を持っています。仏は私たちに、淫欲の働きを、身と心の両方で断たなければならないと教えておられます。仏典には、こう説かれています。「私は不善の業を造り、焼け焦げた木の柱のようである。今の世では荘厳を欠き、来世でもまた同じである。家の中でも荘厳を欠き、外でもまた同じである。悪い因によって悪業を造り、それによって悪道に入る。来世には苦痛を受け、どこに身を置くのかも分からない。諸天はことごとく、私の悲しみ泣き叫ぶ声を聞く。救い守ってくれる者はなく、必ず地獄に入る。」43 ご縁があってこの文章を目にするすべての方が、正しい信と正しい念を十分に備え、正法を修行し、苦しみを離れて安楽を得られますよう願っています。 仏力の加持に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿玉は判官に合掌して礼をしました! 判官は厳粛に言いました。「今日は裁きの大広間に、裁きを受けるため、男女二人の罪ある霊が来ています。男は売春の仲介人、女は売春を取り仕切る女主人です。」 私は言いました。「はい! 阿玉が傍聴できるよう、お取り計らいくださり、ありがとうございます、判官。」 ああ! 到着すると、すぐに机を強くたたく重い音が聞こえました。 ああ! 冥府第七殿の泰山王が、たいそう怒りに満ちた様子でいるのが見えました。今にも席を離れそうに、立ち上がって身を下へ乗り出し、罪ある霊に向かって大声で叱りつけました。「不届きな罪ある霊どもよ。魂が冥府に帰ってきたというのに、まだ屁理屈で言い逃れるか。何が『互いに望んだこと』『食欲と色欲は人の本性』『人生の苦悩を解消した』だ。まったくのでたらめではないか。お前たち夫婦は、もともと人間界では暮らしにゆとりのある家庭を営み、穏やかに生活していた。それなのに、まっとうな職に就こうとせず、金のために、世間知らずの少女や女性を誘い集め、だまして、売春を仕事にさせた。これが第一の罪だ。さらに策を巡らせて彼女たちをだまし、お前たち二人の罠に陥れ、その血肉を削って得た金を搾り取った。これが第二の罪だ。お前たちは故意に少女や女性に麻薬を使わせ、賭博、飲酒、喫煙をさせ、多額の借金を負わせ、それを利用して支配し、売春の仕事から抜けられなくした。これが第三の罪だ。彼女たちが不幸にも妊娠すると、お前たちはわざわざ堕胎の手配をし、罪のない命を傷つけた。これが第四の罪だ。このような天の道理に背く行いは、まことにこの上なく恥ずべきことだ!」 泰山王のそばには、冥府の高官が二人いました。一人は賞善司の長です。紫がかった黒い長衣をまとい、顔つきは穏やかで、ごくわずかに微笑みを浮かべているのが見えました。地獄でこのような顔つきを見られること自体、すでにたいへん珍しいことです。阿玉が見た冥府の役人は、誰もが厳めしく恐ろしい顔つきで、非常に凶悪な様子をしていました。もう一人は罰悪司の長で、深緑色の長衣をまとい、この上なく険しく怒った顔つきをしていました。その目からはほの暗い白い光が放たれ、一目見られただけでも全身が不快になりました。二人の司長の帽子は同じ形で、それぞれ衣服と同じ色にそろえられていました。 そのとき、泰山王の声が聞こえました。「罰悪簿を差し出し、直ちに読み上げよ。」そこで、罰悪司の長が記録簿を取り出すのが見えました。うわあ! 本当に、とても長い帳簿です。罰悪司の長も非常に厳しい様子で、この二人の罪ある霊が犯したことを、すべて読み上げ始めました。まさに悪事の限りを尽くしていました。皆様に知っていただくため、その一部をお話ししましょう。 この二人の罪ある霊は、生前、美しい少女たちを支配し、自分たちの金もうけの道具にするために、何度も繰り返し堕胎させ、悪い習慣にも染まらせていました。その後、一部の少女たちは、縁のある男性に迎えられ、妻や第二夫人となりました。しかし、子を産めないことが原因で、家庭が崩壊した者もいました。また、かつての麻薬使用や堕胎が原因で、慢性の婦人科疾患、中枢神経の異常、手足の麻痺など、生涯にわたる後遺症が体に残った者もいました。そのうちの一人は、精神に異常を来したため夫に捨てられ、その後は家族にも見捨てられ、路上をさまよう身となりました。耳にするのも耐えがたい出来事が、あまりにも数多くありました。 泰山王は言いました。「猙獰と獠牙、二人の鬼卒よ、命を聞け。直ちにこの者たちを連れていけ! 煙花翻滾地獄へ連行し、まず十万年の刑罰を受けさせ、心に悔いる気持ちがあるかを見て、その後あらためて裁定する。」そのとき、二人の罪ある霊の足は激しく震え、体も絶えず震えていましたが、すべてはもう手遅れでした。44 判官は言いました。「このような罪ある霊は、通常、地獄で非常に、非常に長い間、刑罰を受けます。彼らが傷つけたすべての衆生が、この二人に麻薬使用や堕胎などをそそのかされたことで生じた、あらゆる後遺症から完全に解放され、その後遺症がすべて消えて初めて、大地獄を離れられる可能性が生じるのです。」 阿玉は判官に尋ねました。「ある行為が人の思考に深く長く影響し、害を及ぼして、完全に回復するまで何世もかかるとしたら、その何世もの間、待たなければならないということですね。」判官は答えました。「そのとおりです! 傷ついた後に回復するまでの時間は人それぞれで、長い場合も短い場合もあります。もちろん短いほどよいのですが、執着が強く、一つの問題を解決するのに千年もかかる霊もいます。ある空間にずっととどまり、そこを去ろうとしない霊がいるのは、執着のためです。かつて、ある若い娼婦がいました。この娼婦はそれなりの美貌を持ち、幸い、とりわけ悪い習慣に染まることもなく、ただ喫煙と飲酒を覚えただけでした。実はこの娼婦自身、たばこも酒も好きではなく、仕事に必要だったために覚えたのです。売春の仲介人と女主人にそそのかされ、手配されるままに、娼婦は何と、一年半の間に六回も堕胎しました。その後、彼女と縁のある商人が、彼女を妻として家に迎えました。商人は、娼婦がこれほど若いうちに、すでに六回も堕胎していたとは知りませんでした。結婚後、娼婦は堕胎の後遺症により、生涯子を産めない身となり、婦人科の病気も患っていました。そこで間もなく、商人は家系を継がせるため、新たに愛する女性を妻に迎えました。娼婦は、子を産めないために捨てられたことをどうしても受け入れられず、寿命が尽きた後も、その霊体は鬼道にとどまり続け、千年を過ごしました。そして、縁のある正法に出会って初めて、鬼道を離れたのです。」 判官は続けて言いました。「これは、おおまかなところを話して聞かせているだけです。罪ある霊が地獄に来て刑罰を受けるときには、その霊が傷つけた、ほかの霊体の問題も関わってくるからです。基本的には、その罪ある霊が傷つけた一人ひとりの衆生が、六道のどの道にいようとも、まず苦しみから解放されて初めて、その罪ある霊は地獄を離れることができます。先ほどの二人の罪ある霊が、具体的にどれほど長く地獄で罪の報いを受けるかは、今のところ、まだ確定できません。これは、まだ始まったばかりなのです。」 「さあ! 今日はここまでです。ひとまずお帰りなさい!」 「はい! 判官。」 阿玉は合掌して判官に別れの礼をしました! 判官に感謝します! 白い蓮の花に乗って帰ります! 18/色情の書籍・雑誌やディスクを回覧し、共有することによる地獄の果報 このところ、さまざまな用事で忙しく、さらに籠もって内面の修行をする必要もあったため、阿玉はずっと、地獄へ資料を取りに行って文章を書く機会がありませんでした。皆様を長くお待たせして、本当に申し訳ありません! 私は文章を書くために地獄へ行くとき、必ず自分の精神状態が最もよいときを選びます。地獄へ一度行くたびに、元気をいくらか消耗するので、戻ってから絶えず真言を唱えて補わなければなりません。今日は精神状態がよかったのですが、また別の次元の力が妨げに来て、私に書かせまいとしました。その力も小さくはなく、また半日もの時間を費やしてしまいました。一日でも戒を守らなければ、すなわち魔の眷属となります。必ず戒を守らなければなりません。阿玉はそう考えています。どのような障害に遭ったときも、戒を守るという心の修法で乗り越えるのです。これは仏教の心の修法で、たいへん役に立ちます。阿玉から皆様にもお伝えします。今までのところ、試すたびに効き目があったと言えます。 仏は涅槃に入られる前、阿難に「末法の時代には、戒を師とし、人によらず法によれ」と説かれました。『大智度論・第二巻』には、「仏は忍辱を鎧とし、精進を鋼の甲冑とし、持戒を大馬とし、禅定をよき弓とし、智慧をよき矢として、外には魔王の軍を破り、内には煩悩の賊を滅ぼす。これを阿羅訶という」とあります。45また、『仏説帝釈所問経』には、「仏の禁戒に従わなかった。今こそ恥じる心を抱くべきである」とあります。46戒を守ることは、本当に大切なのです! 心の力よ、来たれ! 南無大孔雀明王! 南無大孔雀明王! 今、私はこれらの障害を突破し、すぐに地獄へ向かいます。 仏菩薩の加持に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! たちまち地獄に到着しました! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 今日、阿玉は判官に、色情の書籍・雑誌やディスクを回覧することの果報について、お尋ねしたいと思います。 判官は言いました。「よい質問です。現在、人間界では、あまりにも多くの青少年が、このようなよくない行いをしています。阿玉、帰ったら忘れずに、この悪い習慣を持つ人間界の衆生に、自他を害する恐ろしい地獄の果報を免れるため、直ちにこれまでの過ちを深く改め、徳を行い、善を積むよう戒めてください。この知らせは、たいへん重要です。よく覚えておきなさい!」 「はい、判官! 阿玉は帰ったら、すぐに書き記します。」 判官は言いました。「人間界で色情の書籍・雑誌やディスクを自ら人に回したり、コンピューター上で回覧したりする衆生は、誰であれ、それらを売る衆生と同じ果報を受け、地獄で十万年の報いを受けます。これは通常の罰であり、重い場合は、自分たちが回覧した色情の書籍・雑誌やディスクが人間界から消え去って初めて、地獄の苦しみを脱することができます。それは無量無辺の苦しみです。色情の書籍・雑誌やディスクを回覧し始めた衆生は、一度回覧するたびに、そばにいる黒白の善悪倶生神に直ちに記録され、福報と寿命を削られます。生きているうちから、まず冥府の鬼卒に生魂を捕らえられ、鞭杖地獄に入れられて罰を受けます。鞭杖地獄については以前に紹介したので、ここでは詳しく述べません。つまり、人間界の衆生は、自分が頭痛を覚え、意識がぼんやりと混乱し、はっきりしなくなるのを感じるのです。大部分の者は、熱が出て悪夢を見ているように感じ、目覚めると全身に刺すような痛みがあります。生きているうちに、生魂を捕らえられて鞭杖地獄で罰を受けた後、過ちを改めて心を入れ替えた者は、地獄の果報を減免されることがあります。ただし、最終的な判断は、具体的な事例の実情に即して下す必要があります。迷いに執着して悟らない者は、福報を使い果たすと、そのまま邪淫地獄に入り、報いを受けます。また、回覧した色情の書籍・雑誌やディスクが、どの種類に属するかも見なければなりません。手淫に関するものだけを回覧した場合は、呑丸地獄に入って報いを受けます。コンピューター上の色情画像だけを回覧した場合は、電光眼地獄に入って報いを受けます。男一人と女二人、あるいは女一人と男二人の邪淫のディスクだけを回覧した場合は、歯車狼蛇地獄に入って報いを受けます。近親相姦の邪淫のディスクだけを回覧した場合は、倒輪氷天地獄に入って罰を受けます。このほかにもあり、数え尽くせません。以上のさまざまなものをすべて回覧し、罪を犯したなら、一つひとつの邪淫地獄で、順に報いを受けなければなりません。今述べた邪淫地獄は、阿玉、あなたがすべて見学したものです。さあ、帰って人間界の衆生に伝えなさい。色情の書籍・雑誌やディスクを回覧する衆生は、無量無辺の地獄の悪業を造っているのです。一刻も早くこの悪い習慣を改め、人も自分も害してはなりません。今は科学技術が発達し、コンピューターなら数秒で情報を世界中に広められます。しかし、考えたことはありますか? 人の霊性を傷つけるこのような情報によって、自分が知らず知らずのうちに、一瞬で無量無辺の地獄の悪業を植えつけているのです。人間界の衆生には、得がたい人の身を、もっと大切にしてほしいものです。そうしなければ、天地の正気が均衡を失い、必ず人間界に災難が下り、衆生に自らを振り返り、反省させることになりますが、そのときにはもう手遅れです。災難が訪れるときには、すでに悪業が熟しており、人間界は必ず甚だしい苦痛に包まれ、至る所で悲しみの光景が見られるでしょう。我らの仏は慈悲をもって、特に阿玉、あなたを冥府の見学に遣わされました。やはり一刻も早く帰り、見たさまざまな実情を、人間界の衆生に伝えなさい!」 阿玉は判官に頂礼し、感謝しました! お疲れさまでした! 白い蓮の花に乗って帰ります。 19/衆生の元陽の体を取り戻す――人間界の色情物品をどう処理するかについての冥府の権威ある見解 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します。 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 今日は判官に、こうお尋ねしたいと思います。「色情物品の処理方法と、それらの物品を滅却することなどの功徳について、お教えいただけますか?」 判官は言いました。「色情物品は、必ず滅却という方法で処理しなければなりません。この種の物品を人間界に残してはならず、徹底的に根絶しなければなりません。この種の物品が存在するかぎり、人が生まれながらに持つ霊性は汚染されます。しかもこの汚染は、その生まれながらの霊性の光を、直接、そして速やかに滅ぼすのです。」 「誰もが生まれながらに備える先天の元陽は、この上なく純粋で、この上なく陽の性質を持ち、光明に満ちています。人の霊性の光明が衰えて暗くなったり、消えたりすれば、その一生は終わりへと向かいます。見るだけなら何の問題もなく、行動に移しさえしなければ、性の知識や性教育の一種と考えればよいと思う人もいますが、実はこの考えは誤っています。 色情物品は、一度たりとも見てはなりません。たとえ一度見ただけでも、人の生まれながらの霊性の光明を汚染します。まして、心の田にはすでに色情の種子が一つ植えられているのですから、将来、再びよくない縁に出会えば、心を制して二度と揺らがないようにするのは難しくなります。 純陽の体を持つ青少年が色情物品を見ると、その心は必ず揺らぎます。ただ、揺らぐ程度が人それぞれ異なるだけです。とりわけ、今の高度な技術を備えたコンピューターの時代には、色情サイトが何のはばかりもなく横行し、かなりの数の人が、一度揺らいだ心を抑えられなくなり、手淫などに至って、この上なく純粋な元陽をたちまち失っています。完全に失わないとしても、気づかぬうちにいくらかを失い、それが長く続くうちに、邪淫を犯すことにつながるのです。 色情物品は、人の貞操に関する道徳を著しく損ない、衆生から恥を知る心をすっかり失わせ、道徳を衰退させます。今生で福を削られ、寿命を縮められ、祖先を辱め、後代を絶やし、さらに邪淫による地獄の悪果を造り、地獄でさまざまな甚大な苦痛を受けることになります。 先の文章では、さまざまな大きな邪淫地獄における、無量無辺の地獄の果報を詳しく紹介しましたが、本当に、そこを出る日はありません。家庭が崩壊し、人が命を落とす多くの出来事は、邪淫によって引き起こされています。色情物品こそ、邪淫を犯すことに至らせる元凶です。それは人の心を毒し、天理を滅ぼし、人倫を乱し、世の毒薬よりも害が甚だしく、人の霊性と慧命47を毒します。毒薬が滅ぼすのは、人の一度の生涯だけですが、色情物品は、人の純真な元陽の体を滅ぼし、命を早く終わらせ、地獄に入って無量無辺の刑罰を受けることに至らせます。しかも、ようやく地獄を脱した後でさえ、なお多くの邪淫の果報を受け続け、償わなければなりません。例えば、邪淫を犯したことに関わるさまざまな病気にかかることや、心のさまざまな苦痛などがあり、一つひとつ数え尽くすことはできません。 財力のある衆生は、できるかぎり色情物品を買い取って滅却するとよいでしょう。出版社や書店であれば、色情物品を発行したり売ったりしてはいけません。監督や俳優であれば、色情映画の撮影や出演を引き受けたり、自ら撮影したりしてはいけません。作家、画家、あるいは本を出す者は誰であれ、色情の書籍・雑誌を執筆したり、色情の絵を描いたりしてはいけません。会社の経営者、ある地域の指導者、あるいは国王など、相当の影響力を持つ人々は、色情物品の存在を厳しく禁じ、根絶すべきです。色情物品の存在を知ったときには、直ちに命令を下し、徹底して根絶し、滅却すべきです。財力もなく、上述のどの条件にも当てはまらない者は、置かれた環境や縁に応じて、関係者に色情物品を滅却するよう、力を尽くして説き、導くとよいでしょう。 どのような衆生であっても、上述のいずれかの方法で色情物品の滅却に力を尽くせば、現世で福が増し、寿命が延び、人から敬われ、財産が散逸せず、智慧が高まります。修行者であれば、法にかなった仕方で世間を超える願いを求めることで、その願いがかない、また徐々に向上します。冥府にある個人の善悪と生死の記録簿には、大きな善行の功徳が一つ記されます。この大きな善行の功徳によって、過去に作った地獄に堕ちる悪因を軽減、免除することができます。詳しくは、仏菩薩と冥府の上層の者たちに、それぞれの事例を判断していただく必要があります。 阿玉! 今日はここまでです。早く戻って、人々に伝える文章を書きなさい。」 「はい、判官!」阿玉は合掌して感謝しました! 白い蓮の花に乗って帰ります! 20/堕胎の報いと嬰霊の枉死哭城 仏の加持に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 判官! 阿玉は今日、堕胎の果報について判官にお尋ねしたいと思います。 判官:「堕胎は冥府が厳しく罰する行為だ。陰律が定める陰徳には三つある。一つ目は人の命を救うこと、二つ目は寡婦が貞節を守り通せるように助けること、三つ目はこの上ない善行を、人に知られることなく行うことだ。因果の法則において、陰徳には運命を変えるだけの力がある。古来、現世で高官や貴人となり、子孫も栄えた多くの有名な実例は、いずれも陰徳によるものだ。唐代の宰相、狄仁傑は、若いころ、試験を受けるため都へ向かう途中で宿屋に泊まり、その宿の美しい寡婦の女主人から深夜に誘惑され、警戒心を抱いたことがあった。剛直で正しい心を持つ彼は、慎んで邪淫を犯さなかったばかりか、美しい寡婦に婦道の礼を守るよう諭し、自分がどのように淫欲の心を鎮めているか、その身の不浄を観ずる方法を心を尽くして教えた。婦人はそのように観じた後、恥じ入る心を起こし、生涯、忠義の節操を守った。後に狄仁傑は、思いがけず訪れた色欲の誘いを貪らなかったことによって、その名を天下にとどろかせたのだ。現世の人が、運命に定められた業縁の試練を乗り越え、清浄な戒律を堅く守り、高尚な人格を損なわずに保つことができれば、天は必ずあなたに報いる。陰律によっても、個人の生死簿に大きな善行の陰徳が必ず加賞され、福と智慧が増す。堕胎は、実際には衆生の命を奪い、殺生戒を犯すことだ。子どもはまだ生まれておらず、生まれつき善良であるのに殺される。これは父母を殺すこと、仏の身から血を流させることと同じ罪であり、そのうえ子どもとの間に悪縁を結ぶ。いわゆる、恩も怨みもなければ、眷属とはならないということだ。 子どもと父母との縁には、借りを取り立てる関係と、借りを返す関係の二つがある。もし子どもが借りを返しに来たのであれば、殺されることで怨みを抱き、悪縁に変わってしまう。子どもがもともと借りを取り立てに来たのであれば、なおさら厄介だ。悪縁にさらに瞋恚の心が加わり、その結果、借りを負う因縁がいっそう深くなる。 堕胎には三つの場合がある。一つ目は、父母が故意に堕胎したのではなく、子どもの福報が十分でない場合だ。例えば、胎内で死亡したり、胞状奇胎であったり、妊婦に病気があったりと、さまざまな原因によって赤子が生まれることができない場合である。このような原因であれば、大人は必ず懺悔し、経を読んで供養し、赤子が一日も早く苦を離れて楽を得られるよう回向しなければならない。 二つ目は、経済的に苦しいために堕胎する場合だ。これは陰律では認められない。経済的な問題を理由に殺生してはならない。物事への対処の仕方は大切だ。現世でどれほど苦労しようとも、堕胎した後に地獄へ堕ちて報いを受けるより、千万倍もよい。よく覚えておきなさい! その赤子は恩を返すために来た可能性もあり、生まれた後に経済状況が変わり、富と地位に恵まれ、暮らしにゆとりのある家庭になることもある。もちろん、実際の個々の事例による。この堕胎では、生前に福報が削られ、身体、仕事、金運など、そのすべてが衰え、さらに剣林地獄へ堕ちて1000年間の報いを受けなければならない。未婚であれば、まず鞭杖地獄へ行き、500年間の報いを受けなければならない。その後、人の身に生まれ変わる際にも、なお殺生の余報を償う必要がある。例えば、女性は婦人科の病気になり、男性も生殖器系の病気になる。 三つ目は、今の現世で最も多い場合だ。多くの未婚の男女が、子どもができると堕胎しに行く。この行為の果報が最も大きい。生前に福報が削られ、寿命が尽きると、まず鞭杖地獄に入って800年間の報いを受け、さらに剣林地獄に入って2000年間の報いを受ける。堕胎する女性の罪は男性よりも重い。女性が最終的に堕胎すると決めるから、女性の罪のほうが少し重くなる。反対に、男性が女性に堕胎を求めても、最終的に女性が胎児を守り、子どもを産めば、男性には悪行が一つ記録され、女性には善行の陰徳が一つ記される。男性が後に懺悔の心を起こし、子どもをよく世話して、現世の人々に堕胎しないよう力を尽くして勧めれば、この他人に堕胎をそそのかした悪業は免除されうる。阿玉、見学に行きたいか?」 私は「はい!」と言いました。ほどなく到着しました。ここは邪淫地獄とは違います。邪淫地獄は邪淫の淫念と苦痛の声に満ちていますが、ここには強い怨みと苦痛の泣き叫ぶ声が響いています。上を見ると、「枉死哭城」という四つの大きな文字が書かれていました。 わあ! 小さな子が大勢います! びっしりとひしめき合い、みんな泣いています。その泣き声はあまりにも痛ましく、見ている私も涙が流れました。大声で泣き叫んでいる赤子もいれば、血の塊のような姿の赤子もいます。 判官は、堕胎の際に医師がその子をあのような姿にしたのだと言いました。ある嬰霊は、あまりにも怖かったため、今もずっとそこで小さく丸まったままでいます。実際にはもう体を伸ばせるのですが、その苦痛へのとらわれから、いまだに抜け出せないのです。私は判官に、あの子はいつになったら、あのように苦しまずに済むのですかと尋ねました。判官は、この嬰霊の父母がその子に懺悔するか、功徳を積んでその子に回向するかによると言いました。もう一人、女の子が「お母さん」と呼んでいます。私は判官に、まだ生まれていない嬰霊が、どうして「お母さん」と呼べるのですかと尋ねました。判官は、これらの赤子が現世で人として生まれたなら、人は1歳を過ぎてから言葉を学び始めるが、今はすでに人間界にはおらず、地獄に来た霊的な存在であり、霊的な存在には神通力があって、意念と思考によるのだと言いました。とにかく、ここの嬰霊たちは本当に痛ましく、みな絶えず泣き叫んでいます。ああ! 天には命を大切にする徳があります。私たちは決して、自分だけの都合で、罪のない幼い命を残酷に殺してはなりません。 判官は、この「枉死哭城」は新しく造られたものだと教えてくれました。私たちが話している間にも、嬰霊が絶えずここへ入ってきていました。本当に、ものすごい数です! そのとき、大勢の赤子が、手に黄色い紙を一枚ずつ持って飛び出してくるのが見えました。不思議に思っていると、判官は、彼らが持っているのは冥君閻王が許可した令牌であり、この令牌があれば、鬼卒は彼らがここを離れるのを認め、外へ出て父母を捜しに行けるのだと言いました。彼らはたいてい、母親の体に取りつくことが多く、母親の体調を悪くします。具体的にどこに取りつくかは、嬰霊の好みによります。母親のお腹の中に戻りたがる嬰霊は子宮に取りつき、母親の胸元などに取りつきたがる者もいます。ずっと母親や父親について回る者もいれば、父母を眠らせない者もいて、とにかく、いつでも厄介事を起こします。ほかの子どもが生まれれば、嬰霊はその家庭の和を壊します。例えば、弟や妹をたたいたり、わざとさまざまな騒ぎを起こしたりして、父母に自分の怨みと憤りを示すのです。 ここの右側には、70年前の古い城があり、「血汚城」と呼ばれています。今では「血汚城」だけでは、もう収まりきりません。「血汚城」の中の嬰霊は、孤独感がより強いように感じられました。判官は、故意の堕胎によるのではない嬰霊は、すべてここに置かれていると言いました。ああ! そういうことだったのですね。どうりで、みんな独りで泣いているわけです。 判官はさらに、70年前には故意に堕胎する人が少なく、そのころは、福報が十分でなくて生まれることのできなかった嬰霊が大半だったが、今の現世では故意の堕胎が多くなっており、現世の緊急避妊薬を服用することも殺生を犯すことに当たると言いました。嬰霊はすでに受胎しており、緊急避妊薬を服用したために堕胎が成立した例も無数にあるというのです。 判官はまた言いました。「今では、現世から毎日、堕胎された嬰霊がやって来て届け出ている。しかも、その90パーセントは邪淫を犯したための堕胎だ。これは殺生という大きな悪業である。邪淫に殺生が加わると、共通の悪業による災難が形作られる。この業力が天地の均衡を失わせるほどになると、人間界には必ず災難が起こる。それは、これらの怨みの気によって引き起こされるのだ。彼らには憤りを晴らす必要があり、災難を通じて、この部分の大きな悪業を消散させる必要がある。阿玉! 早く戻り、現世の有情に、この堕胎の果報を伝えて戒めなさい!」 はい! 判官、今日はありがとうございました! 私、阿玉は判官に合掌しました! 白い蓮の花に乗って帰ります。 阿玉は皆さんに、『大宝積経』第56巻の「仏説入胎蔵会第十四之一」をご紹介したいと思います。仏は説かれました。「その前世の業に従って、生を受けるべき場所に応じ、現れる中有48は、その生き物の姿となる。天に生まれる中有は、頭を上に向ける。人、畜生、餓鬼に生まれるものは、横向きに進んでいく。地獄に生まれる中有は、頭をまっすぐ下に向ける。あらゆる中有はみな神通力を備え、空を進み、天眼のように、遠くから生まれる場所を見る。」 「父母と子に互いに感応する業があって、初めて母胎に入る。また、その中有が胎内に入ろうとするとき、心はたちまち顛倒する。男であれば、母に愛を生じ、父に憎しみを生じる。女であれば、父に愛を生じ、母に憎しみを生じる。」 一つひとつの命がやって来るには、父母の双方とのさまざまな縁がそろっていなければならず、縁がなければ胎内には入りません。縁があってやって来たのなら、大切にすべきです。善縁であれ悪縁であれ、因縁が集まるとき、その果報は自ら受けることになります。どうか、堕胎を経験したすべての有情が、心から懺悔し、念仏して、哀れな小さな嬰霊たちに回向できますように。彼らが一日も早く西方浄土に往生し、苦を離れて楽を得られますように! 21/嬰霊の大いなる訴え――閻羅王の黄色い令牌 仏力の加持に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 判官は「枉死哭城」の嬰霊の事案を処理していました。女の嬰霊が大声で叫んでいるのが聞こえました。「あなたたちが憎い、憎くてたまらない。永遠に許さない。あなたたちは、何度生まれ変わっても、まともな死に方はできない。永遠に許さない。必ずまた会いに行って、仕返ししてやる。」彼女はずっと苦しげに叫び続けていました。まあ! こんな小さな嬰霊が、これほど強い怨みを抱いているなんて。この女の嬰霊は、ほかの嬰霊よりも少し大きく見えました。判官は、この女の嬰霊は6か月余りで、父母が女の子だと知った後、2度目の堕胎を受けたのだと言いました。2度とも6か月余りで堕胎されたため、女の嬰霊は冥君閻王に訴え、閻王は彼女が再び胎内に入り、借りを取り立てることを認めたのです。 近くへ行って、女の嬰霊と話してみましょう。私は彼女に「阿弥陀仏」と一声唱え、どうしてそれほど父母を憎むのかと尋ねました。もうやめにして、あの人たちのところへは行かないほうがよいのではありませんか。どのみち、あの人たちは女の子を望んでいないのですから、あなたが生まれても大切にはしてくれないでしょう。それなのに、どうしてわざわざ苦しむのですか。 すると、この女の嬰霊は、またわあわあと泣き出しました。彼女は、だめだ、たとえ地の果てまで行こうとも、この恨みは晴らさなければならない、父母を絶対に許さないと言いました。 彼女はひどく興奮し、苦しみながら、あの人たちはもう2度も自分を殺したのだと言いました。2度目の堕胎の際には、医師でさえ、そうすると危険があると言ったのに、父母は、何よりも大人が無事でさえあればよく、子どもはもういらないのだから、大人に最も有利な方法で処置してほしいと言ったそうです。 女の嬰霊は泣きながら言いました。そのとき彼女は、少しでも早く外に出たいと願い、母親のお腹の中で手足に力を振り絞ってもがき、蹴っていました。ところが医師が手で彼女の頭を押さえて注射を一本打つと、突然、全身に意識が遠のくような痛みが起こり、力がなくなり始めたのだそうです。その後、医師ははさみで、まず彼女の右腕を二つに切り、鉗子で挟んで取り出し、さらに脚を四つに切りました。脚は吸盤で吸い出されました。そのとき彼女は、激しい痛みと骨にしみる冷たさを感じ、胴体も同じ目に遭ったのです。 女の嬰霊は、さらに泣きながら言いました。「頭も、私の耳も、目も、一片ずつ切り取られた。特に頭を切られるのがいちばん痛かった。医師は頭を何度も切り、先のとがった刃物の形をした鉤で私を引っ掛けて取り出したり、鉗子で私を挟んだりした。医師が一度切るたびに、私はものすごく痛かったけれど、全身に力がなくて抵抗できず、血はずっと流れ続けていた。この苦しみは永遠に、永遠に忘れない。特に、今回堕胎をした医師は経験があまり豊富でなくて、前の医師より動作が遅く、そのうえ手元を誤った。本来なら、もっと少ない回数で切れたのに、医師が手元を誤ってうまくできなかったため、余計に道具が使われ、苦しみが増した。例えば、攪拌棒や吸盤、鉤など、どれも前のときより多く使われた。このあらゆる苦しみは、すべて、あの二人が私をいらないと言ったせいだ。医師には仕返ししない。医師は私を産むように勧めたことがあるのに、あの人たちは聞かなかったから。私に日の光を見せなかったのは、あの人たちだ。あの人たちが悪い。何度も何度も私を死なせようとした。私は永遠に、あの二人が憎くてたまらない。あの人たちを永遠にまともには死なせない。まともには死なせない。永遠に許さない。」またひとしきり、苦しげな泣き声が響きました。ああ! 本当に何ということでしょう! これほど深い怨みと復讐の心を抱いているのですから、現世のこの両親は、本当に力を尽くして懺悔する必要がありそうです。そもそも、男の子を産むのと女の子を産むのとで、何の違いがあるのでしょう! 判官は言いました。「この女の嬰霊は、同じ父母の家に生まれて借りを取り立てることを、再び閻王から認められた。今回は、この女の嬰霊は黄色い令牌を手に持ち、母親の子宮の中に宿ることができる。人の形ができあがるころ、この黄色い令牌はちょうど生殖器の位置に来るので、医師は彼女を男の子だと勘違いするだろう。こうして、この女の嬰霊は母親の妊娠中、両親の愛情を受け、生まれてくるのを心待ちにされる。もちろん、最終的に二人は失望する。生まれてくるのは女の子なのだ。これは閻王の裁定である。二人は分を守らず、陰律の法規を破り、殺人の罪を犯した。この父母は、もともと家庭の経済状況も福報も悪くなかったが、2度の堕胎という殺生行為のため、すでに福報と寿命を全面的に削減されている。その後も、この女の嬰霊から親不孝を受ける報いを償わなければならない。実際には、この父母が将来、罰を受けて苦しまなければならないと閻王が命じたというわけでもない。ただ、この父母自身が、人を殺してはならないという宇宙の法則を守らなかったのだ。最初の妊娠のときに、この嬰霊を産んでいれば、福報と寿命を全面的に削減されることはなかった。このような因を作れば、このような果を得る。どの衆生を殺したとしても、将来は、他者に殺されること、短命、多病という果報を受けなければならない。時代や科学技術がどれほど急速に発展しようとも、陰律における三大陰徳の基本法則、すなわち、人の命を救うこと、寡婦が貞節を守り通せるように助けること、この上ない善行を人に知られることなく行うこと、この三つは永遠に変わらない。天地と人倫の基準も永遠に変わらず、一つひとつの命には、それぞれ生きる権利がある。冥府では毎日、あまりにも多くの嬰霊が、現世で親になるはずだった者たちの故意の堕胎によってやって来て届け出ている。陰律は、この種の人殺しをする衆生を厳しく罰する。他人に堕胎をそそのかすだけでも、福が削られ、寿命が縮められるのだから、自ら堕胎するとなれば、なおさらだ。反対に、他人に堕胎しないよう説得すれば、福を増し、寿命を延ばすことができる。冥府は個人の生死簿に大きな善行の陰徳を一つ記す。このようにすれば、自分にも他人にも利益がある。」 判官は続けて、阿玉に教え諭しました。「今の現世の衆生には、因果の観念がひどく欠けている。子どもはまだ生まれていないのだから、何も分からないと思っているのだ。実際には、一つの命は受胎した後、すでに人と同じである。ただ、その命がまだとても弱いというだけで、記憶もあり、苦痛も感じることができる。特に、すでに人の形になった嬰霊は、受胎からまだ1か月のものよりも、痛みを感じる度合いが強く、その後も同じように強まっていく。阿玉、『枉死哭城』の嬰霊たちの訴えを聞けば分かるだろう。現世で堕胎した母親たちの婦人科の病気、腰痛、頭痛、長く治療しても治らないさまざまな身体の頑固な病気は、いずれも、これらの嬰霊と関わりがあるのだ。」 この「枉死哭城」を見渡すと、本当に比べようもないほど巨大で、私の力では、その果てが見えません。中では泣き声が絶え間なく続き、耳が聞こえなくなりそうなほど響いています。本当に、哀れでなりません! 帰る前に、もう一度、まもなく生まれ変わるあの女の嬰霊に会いに行きましょう。私は言いました。「阿弥陀仏! 小さなお嬢さん、もう泣かないで。生まれた後は、父母に孝行することを忘れないでね。お母さんも、十か月の間お腹に宿すのは、とても大変なのです。それに、恨みを恨みで返していては、いつ終わりが来るのでしょう。閻王が令牌まで授けてくださり、今回はもう堕胎の苦しみに遭わずに済むのですから、それでよしとしましょう。」女の嬰霊はすぐに、そんなことはできない、絶対にあの人たちを許さないと、怒って答えました。 私は言いました。「では、こう考えてみてはどうでしょう。閻王の令牌がなければ、あなたは生まれ変われるまで、あとどれほど待たなければならなかったか分かりません。閻王に感謝しなければいけませんね!」彼女はこの言葉を聞くと泣きやみ始め、閻王に感謝すべきだということには、同意したようでした。私は、閻王のご恩に感謝すべきだと言いました。彼女は、閻王には感謝しなければならないけれど、それでも父母は許さないと答えました。 「分かりました。小さなお嬢さん、阿玉はもう帰ります。阿弥陀仏! これからは、つらい出来事が二度と起こらないことを願っています。どうか、体を大切にしてね。」 判官に合掌します! 判官、ありがとうございます! 阿玉は今日はこれで失礼します。白い蓮の花に乗って帰ります! 22/堕胎を行う医師の現世と来世の報い――砕裂地獄で十万年間の刑に服す 私が暮らすこの街では、少女が堕胎後に自宅で倒れ、救急車で病院へ運ばれて治療を受けたという記事が、新聞によく載ります。また、生まれたばかりの赤子を殺して捨てたり、殺さずにそのまま20~30階から投げ捨てたりする例もあり、まったくもって道理に反しています。その原因は、今の社会の風潮が悪く、よくない意識を植えつける広告が至るところにあることです。腕時計を売る広告でさえ、胸元の大きく開いた服を着た女の子が登場し、「永遠に続くかどうかは気にしない、一度でも手にしたことだけを大切にする」などと言っています。下着や痩身など、ほかの広告は、さらに目も当てられません。男女の情事など、人の意識を麻痺させるさまざまな画像や動画広告が、あまりにも多いのです。それに加えて、メディアがアイドルやスターの淫らな私生活、性の氾濫、不倫の出来事などを絶えず流すことで、道徳観念が低下し、今の青少年に、これが時代の最先端を行くことなのだと誤解させています。そのため、青少年は性についての知識が不足しているのに、性行動は大胆で開放的になっています。実際には、それは霊性の堕落なのです。 こうしたメディアの否定的な報道の影響によって、堕胎の状況は日増しに深刻になり、さらに多くの社会問題も引き起こしています。ただ、人々が知らないために、重視されていないだけなのです。聞くところによると、日本には嬰霊を供養するための寺院が少なくとも2000か所以上あり、日本の堕胎件数の驚くべき多さがうかがえます。また台湾では、1997年の時点で年間の堕胎件数は30万件と推定され、1999年には40万件、2000年には50万件でした。これらの数字は、あくまで標本調査による推計であり、具体的な実数は公表されていません。 米国ミネソタ州の研究では、堕胎した少女が半年以内に自殺する割合は、堕胎していない少女の10倍であると示されています。ほかの関連研究も、堕胎歴が複数回ある少女は、堕胎後半年以内に自殺する危険性と精神に変調を来す危険性が、さらに高くなると指摘しています。 次に、仏典で殺生の果報がどのように説かれているかを見てみましょう。それを説く経典は、本当に数多くあります。まず『優婆塞戒経』には、こう説かれています。「一切の衆生は、殺生をしたことによって、現世で醜い容貌、弱い力、悪い評判、短命を得て、財物が減り、眷属と離れ離れになり、賢者や聖者から叱責され、人から信用されず、他人が罪を犯したために、思いがけずその災いを被る。これを現世における悪業の果という。この身を捨てた後は地獄に堕ち、多くの苦悩を受け、飢え渇きながら長く生き、醜い容貌、弱い力、悪い評判などを得る。これを後世における悪業の果という。もし人の身を得ても、また醜い容貌、短命、貧困を受ける。この一人の悪人の因縁の力によって、外界のあらゆる五穀や、木になる果実、つる草になる果実が、ことごとく減少する。この者の災いは、一天下にまで広がる。」 さらに、仏が『梵網経』で説かれたことを見てみましょう。「すべての男子は私の父であり、すべての女子は私の母である。私は生まれ変わるたびに、必ず彼らから生を受けてきた。」仏は言われました。「仏の子らよ。自ら殺すこと、人に殺させること、手段を講じて殺すこと、殺すことを褒めたたえること、殺すのを見て喜ぶこと、さらには呪いによって殺すこと。殺生の因、殺生の縁、殺生の方法、殺生の業。およそ命あるものは、いかなるものも故意に殺してはならない。菩薩は、絶えることのない慈悲の心と孝順の心を起こし、さまざまな手立てで一切の衆生を救い、守るべきである。それなのに、心の赴くままに、喜んで殺生をするならば、それは菩薩の波羅夷罪である。」仏は多くの経典で、殺生によって受ける地獄の果報について、すでに詳しく説かれています。 これから地獄へ行き、他人に堕胎を施す医師がどのような果報を受けるのか、判官に伺います。 仏力のご加護を祈り願います!白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏!私、阿玉は判官に合掌して礼をしました! 今日は判官に、他人に堕胎を施す医師がどのような果報を受けるのか、伺いたいと思います。 判官は言いました。「70年前ならば、堕胎を施す医師は、嚎叫地獄に1000年、剣葉地獄に1000年、誅心地獄に1000年、寒氷地獄に1000年、射眼地獄に1000年入ればよかった。傷つけられたすべての嬰霊が無事に人間界へ生まれ変わるのを待って、ようやく地獄の苦しみから抜け出すことができたのだ。その医師の霊性がどの程度回復したかを見てから、いつ人間界へ転生させるかを決める。人間界に転生すると、短命で病気がちになる。一般に、肩、首、手足などの麻痺、神経質、頭痛、腰や背中の痛み、てんかん、慢性鼻炎、さまざまな婦人科の病気、夫婦で性交ができないこと、乳がん、子宮がん、夜尿症などが生じる。すべての症状を一度に説明し尽くすことはできない。要するに、堕胎を施す医師がその時に嬰霊に味わわせた苦しみは、人間界へ転生して人となった時、必ず病気という形で自らも味わうことになる。人間界の薬では治すことができず、この業の力が消えない限り治らない。業の力が消えれば、病気もよくなる。これが、70年前に他人に堕胎を施した医師の果報だ。 今、人間界で堕胎を施す医師の果報は、生きているうちから、あらゆる面で福を削られ、寿命を縮められ、家庭運、仕事運、金運がすべて減じられるというものだ。最初に現れるのは、頭痛、腰や背中の痛み、肩や手の痛みだ。寿命を終えた後は、まず砕裂地獄に入り、10万年の報いを受けなければならない。その後、先ほど述べたそれぞれの地獄へ送られ、罰を受ける。今、他人に堕胎を施す医師は、毎日殺生する数が多く、関わる命の数も多い。しかも、今使われている堕胎の器具は、嬰霊に与える傷害や後遺症も以前より大きい。そのため、今の堕胎を施す医師が作る悪業も重いのだ。 実際、親となるはずだった人々が堕胎をした後、嬰霊に恨みを抱かせ、そのために霊障が起きる例もかなり多い。以前、お前が見た黄色い令牌を手にした嬰霊たちは、皆、親となるはずだった者を捜して恨みを晴らすために出ていくところだった。これが、いわゆる霊障の問題だ。起こる災いの範囲は広く、軽い場合でも憑依されて長期間病気になり、薬を飲み続け、重い場合には命に危険が及ぶことなどもある。また、もともと自分たちの祖先が生まれ変わってきた子供も多いのだ。 阿玉、今から『砕裂地獄』を見学してきなさい!戻ったら詳しく書いて、世の人々に警告するのだ!」 はい!判官、ありがとうございます!すぐに『砕裂地獄』に着きました。 どの地獄にも、一つの特徴があることに気づきました。門に入る前から、耳をつんざくような苦痛の叫び声やうめき声が聞こえてくるのです。これは地獄で永遠に変わることのない特徴です。ですから、最も苦しいところは地獄だというのは、少しも間違っていません。決して地獄に来てはいけません。その時、何人かの女の霊が、大勢の夜叉に追い立てられ、とても小さな、丸く赤い、生臭い悪臭に満ちた鉄の穴へ入れられようとしているのが見えました。一人につき一つの鉄の穴です。その鉄の穴はとても小さく、あのように無理やり押し込んでも、女の霊の体はとても入りません!女の霊たちは背を向けて逃げましたが、無駄でした。夜叉はとても凶暴です!大声で怒鳴りながら、手にした先のとがった叉で女の霊を突き上げ、そのまま鉄の穴へ無理やり押し込みました。女の霊は全身から血を流し、手足も折れ、最後にはようやく体がすべて入りました。その後、夜叉が鉄の穴に向けて扇でひとあおぎすると、女の霊たちは何事もなかったかのように、すっかり元に戻りました。すると夜叉は、今度は鋭い刃物のような鉤を取り出し、女の霊を引っ掛けて引きずり出そうとしました。女の霊は痛みでわあわあと悲鳴を上げましたが、到底出られるはずがありません。夜叉はまた、はさみを取り出し、女の霊の体を一片ずつ切り取り、地面は血でいっぱいになりました。体のすべての部分が外に出ると、夜叉は吸盤を使い、それぞれの部分を吸い寄せて一つにし、再び生き返らせました。このように繰り返し、同じ苦しい刑罰が続けられるのです。ああ!あまりにも惨たらしく、もう見続けたくありません。本当に苦しすぎます!阿弥陀仏!決して人を害することをしてはいけません。出産の苦しみの百千倍とも知れないほどです! 判官、お手数をおかけしました。私、阿玉は判官に合掌しました!白い蓮の花に乗って帰ります。 23/子よ、泣かないで――判官が堕胎の償い方を詳しく説明する 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に頂礼しました! 今日は判官に、こう伺いたいと思います。「堕胎を償う方法と、皆様がその償いをどのように見ておられるのかを、お聞かせください。」 判官は言いました。「人間界で、どのような理由から父母が堕胎をしたのであれ、堕胎が成功すれば、殺生の業はすでに成立している。地獄の生死簿には、何年何月に、まだ生まれていない嬰霊を一体殺したと記録され、寿命を終えれば地獄の冥府大殿に入り、裁きを受けて罪を処断される。もし、嬰霊自身に人間界へ生まれるだけの福報が備わっていなかったためであれば、そのような父母は地獄に入って罰を受ける必要はない。しかし、自らの業と福報の浅さゆえに、赤子を無事に人間界へ迎えられなかったことを懺悔しなければならない。懺悔して回向し、嬰霊が一日も早く超昇して善道へ生まれ変われるよう願うのだ。すべてには因果によるつながりがある。嬰霊が胎内に入ることができるのは、親となるはずの者たちとの間に、過去世からの善悪の業による無数の因果のつながりがあるからだ。途中で命が絶たれるのは、陰律に定められた定業が変えられないためであり、嬰霊と親となるはずの者たちが、いずれも過去世で殺生の業や、盗み、邪淫の業を犯したことによって生じるのだ。 堕胎は嬰霊にとって苦痛だ。ほとんどの場合、嬰霊がどれほどの苦痛を受けたかに応じて、親となるはずだった者たちも将来、同じ苦痛をもう一度受けなければならない。さらに、罰を受ける期間を倍にしなければならない要因が二つある。第一に、長い時間が隔たっている場合は、倍にしなければならない。時間が隔たっているというのは、堕胎した時から数えてのことだ。親となるはずだった側が、何事もなかったかのように、いつまでも懺悔せず、因果応報の巡りを信じない一方で、嬰霊だけが地獄の『枉死哭城』で苦しみ、涙を流し、恨み続けていると、その苦しみは延々と長引き、恨みの結びつきもますます深くなる。人間界にいる、親となるはずだった者たちの福報が大きいため、すぐには報いを受けず、福報を使い果たすまで待ってから報いを受ける場合もある。次の生まで報いを受けないこともあり、そのような場合、時間はさらに長くなる。しかし、冥府の陰律における因果は、時代や年月、容姿が変わったからといって、決して狂うことはない。報いがないのではなく、まだその時が来ていないだけだ。因果の法則には、わずかな間違いもない。この時間の経過に伴う因果の業は、すべて堕胎をした父母に返される。だから、堕胎をしたことのある、親となるはずだった者は、必ずできるだけ早く真心を起こして懺悔し、この問題に向き合って解決しなければならない。そうしなければ、必ず嬰霊が負債を取り立てに来る業の力に遭い、陰律の無情な果報からも逃れ難いのだ。 第二に、とりわけ執着の強い嬰霊に当たった場合も、罰を受ける期間を倍にしなければならない。堕胎をした人間界の父母では、特に母親の側の罪が重くなる。最終的に堕胎を決めるのは母親だからだ。人間界には、最後の瞬間になって堕胎をしないと決める母親も多い。そのような母親は、命を救う功徳と善行の功を積むことができる。しかし、執着の強い嬰霊に当たった場合、その多くは負債を取り立てるために生まれてこようとした赤子であり、不幸にも再び堕胎される運命に遭ったため、この悪縁は非常に深く結ばれる。つまり、もともと生まれ変わろうとした時から恨みはすでに深く、そこに堕胎された苦痛と恨みが加わる。この悪縁があまりにも深く結ばれるため、報いを受ける時には倍になるのだ。 堕胎を償う方法は二つある。一つは内なる力に頼ること、すなわち心から真摯に懺悔する力で解きほぐすことだ。もう一つは外からの力に頼ること、すなわち福を積み、善を行うことで、嬰霊がその出来事に抱く恨みを少しずつ和らげることだ。償うことができるのは、この二つの方法だけだ。それぞれの事例でどれほどの時間が必要かは、一概には言えない。もちろん、堕胎の回数が多いほど、必要な時間もそれに応じて長くなる。一度堕胎をするたびに、嬰霊と悪縁を結ぶからだ。その悪縁がどれほど深いかは、親となるはずだった者たちと、その嬰霊との過去世の業がどうであったかによる。善縁であれば、まだよい。その嬰霊は恩を返すために来たのだから、その後の厄介事は自然と少なくなる。しかし、堕胎によって嬰霊に苦痛を与えるため、もともとの善縁が悪縁に変わる。悪縁で来たのであれば、堕胎によってさらに災いが重なり、恨みの結びつきはいっそう深くなる。堕胎は、そのたびに嬰霊に大きな苦痛を与える。苦痛の程度も事例ごとに異なるが、基本的には胎児の大きさに伴って次第に増す。胎児が大きいほど苦痛も大きく、恨みも強くなるのだ。 堕胎による業の力は、さまざまな面から生じる。現在、堕胎された嬰霊の大多数は、人々が邪淫を犯したことによって生じており、ここに深刻な問題がある。堕胎の業に関わる者、すなわち親となるはずだった者たち、医師、他人をそそのかして実際に堕胎させた者は、皆、地獄の果報を受けなければならない。一体の嬰霊を堕胎した場合、その嬰霊の恨みと執着がどれほど強いかを見る必要がある。しかし、その深さにかかわらず、悪縁はすでに結ばれている。鈴を解くには、それを結んだ者が解かなければならない。どのような理由で堕胎したのであれ、人間界の、親となるはずだった者たちは、必ず深い慚愧の心を起こさなければならない。堕胎した後は、毎日、至誠の心を持って嬰霊に許しを請い、それによって嬰霊の恨みを和らげる必要がある。嬰霊は霊なので、他心通を持ち、人間界の父母の心を知ることができる。そのため、必ず真心でなければならない。ただ形だけの決まりきった対応で、心から懺悔していないのであれば、何の役にも立たない。至誠の心で、十分に誠実かつ切実な気持ちを込め、必ず毎日行うのだ。始めたばかりの頃は、さまざまな不調を感じることがある。最もよくあるのは、頭痛、胸の痛み、手足の痛み、腰や背中の痛み、気持ちの緊張などで、挙げ尽くすことはできず、人によって異なる。人間界の、親となるはずだった者の中には、少数ながら、体に特別な痛みを受けなければならない者もいる。これは嬰霊との間の業による。今述べたのは、基本的に、親となるはずだった者の誰にでも生じる痛みの感覚だ。今挙げた痛みがすべて現れる者もいる。一方、堕胎の業がそれほど重くない者もいる。故意に堕胎したのではなく、胎児自身に人間界へ生まれるだけの福報が備わっていなかったために堕胎となった場合、そのような父母は比較的軽く済むが、それでも懺悔し、嬰霊が早く超昇できるようにしなければならない。地獄の嬰霊たちは、堕胎されてからずっと『枉死哭城』におり、悲しみと怒りを抱きながら、閻王が一日も早く裁きを下し、冥府の黄色い令牌の発給を認めるのを待っている。この令牌が発給されれば、人間界へ来て復讐できるのだ。その時、人間界の、親となるはずだった者たちは、必ずあらゆる面で運勢が下がり、仕事、事業、健康、人間関係などのすべてに、さまざまな障害が現れる。人間界で毎日、あまりにも多くの、親となるはずだった者たちが堕胎するために、多くの病気が現れているのも、そのためだ。例えば、何度治療しても治らない片頭痛、さまざまな厄介な婦人科の病気、性病、精神面の思考や知覚の失調などは、いずれも堕胎によって引き起こされたものだ。この種の病気は、真心から懺悔する力と、善を行って徳を積むことによってしか解決できない。そうしなければ、金銭と時間、そして人間界の医薬を浪費するばかりで、一生かけても解決できず、次の生にまで持ち越し、終わっていない業が続くこともある。これは必ず、心のあり方から償わなければならない。人がどのような思いを起こすかは、非常に重要だ。人の一つの思いは、時空を越え、善悪の出来事を成し遂げるほどの力を持つ。堕胎した後は、自ら懺悔しなければならず、お金を払って他人に自分の代わりに懺悔や読経を頼むのではないことを、肝に銘じなさい。人間界には嬰霊を祭る場所が数多くあるが、実際にはその大部分に効き目がなく、いたずらにお金を浪費するだけだ。 堕胎をした、親となるはずだった者たちは、毎日至誠の心で嬰霊に懺悔して許しを請うとともに、自ら『地蔵経』やほかの仏教経典を読誦し、力の許す限り多く放生をして、嬰霊に回向するべきだ。堕胎は殺生の行為であり、悪業を積み重ね、苦痛を招く。堕胎をした、母親となるはずだった女性は、誰もが心に、何とも言いようのない罪悪感を抱く。この罪悪感は堕胎の業によって生じるものであり、心から懺悔する力に頼り、嬰霊の許しを得ることで取り除き、解決しなければならない。母親となるはずだった女性の中には、そんな感覚はないと言う者もいるだろう。しかし、実際にはないのではなく、その習気と煩悩があまりにも粗く重い、すなわち業障が重すぎるため、感覚が覆い隠されているだけだ。放生は命を救い、吉祥を招く。放生された命は、その時、喜びと感謝を抱くので、善縁を結ぶこともできる。放生をして嬰霊に回向し、一日も早く苦しみを離れて安楽を得、浄土へ超昇できるようにするべきだ。 冥府も、堕胎を償う方法を重視している。今、人間界はすでに邪淫に惑い乱れる時代に至り、邪淫がもたらす後遺症である堕胎は、若者にとって日常茶飯事となっている。まさにこの邪淫の邪気と、堕胎による恨みの気が人間界に満ちているために、自然界の均衡が深刻な影響を受け、必ず天災や人災を招くことになるのだ。 冥府の冥王は、次のように裁定された。堕胎したことに真心から懺悔して対処する人間界のすべての衆生のうち、今後は自らの堕胎行為を永久に断つと誓うだけでなく、この知らせを次々と人に伝え、他人の堕胎を思いとどまらせる者は、その功によって罪を償うことができる。冥府にあるその者の生死簿に大きな善行の功が一つ記され、事情に応じて、堕胎による地獄の業報の刑罰を軽減、免除することもできる。詳しくは、個々の具体的な事例を見て、最終的に判断する。」 「では、阿玉、今日はここまでだ。帰って早く文章を書きなさい!」 阿弥陀仏!私、阿玉は判官に頂礼し、感謝を捧げました!白い蓮の花に乗って帰ります! 24/わが子よ、お母さんはあなたを愛しています――判官が心を込めて、世のすべての母親を諭す! 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌して礼をしました! 判官は言いました。「阿玉!しばらく来なかったな!」 「はい、判官!お恥ずかしいことに、このところ俗事に追われておりました。昼も夜も衆生のために尽くしておられる判官に、私、阿玉も学ばなければなりません。これからは、もっと伺うようにいたします。」 今日、私、阿玉は判官に、堕胎された嬰霊について、いくつか伺いたいと思います。 「判官、伺います。人間界で堕胎をした母親が読経や放生をした功徳は、枉死哭城にいる嬰霊に届くのでしょうか。どのお経を読誦するのが最もよいのでしょうか。どれほど読誦すれば効果があるのでしょうか。嬰霊は功徳を受け取った後、どこへ行くのでしょうか。人間界の者は、自宅や仏堂に嬰霊の位牌を置き、香の供養を受けさせ、お経を聞かせる必要があるのでしょうか。そうすることは役に立つのでしょうか。嬰霊は枉死哭城の中で成長するのでしょうか。何によって生を保っているのでしょうか。」 判官は答えました。「届いている。私たちは、人間界の父母や親族が行ったすべての善行について、回向先の指定に従い、嬰霊に功徳を分け与える。例えば、放生、読経、仏への供養、布施、橋を架けること、道を敷くことなどだ。功徳が大きければ、嬰霊に分け与えられる分もそれに応じて多くなり、功徳が小さければ、嬰霊に分け与えられる分も少なくなる。一つひとつの善行の功徳の大きさは、善を行う者の動機による。つまり、善を行う時に、衆生が苦しみを離れて安楽を得られるよう助け、苦しみや災難から救うために行い、相手から見返りを得ようという思いが少しもなく、善を行った後も心にとらわれがなければ、功徳は求めずともおのずと得られ、限りなく広大な功徳を得ることができる。この限りなく広大な功徳を枉死哭城の嬰霊に回向すれば、嬰霊は必ず堕胎されてから49日以内に、善趣へ超昇することができる。功徳の配分について言えば、功徳を七つに分けるなら、人間界で善を行った者が六つ分を占め、冥府の嬰霊は一つ分を得ることができる。」 「読経については、亡霊を済度するには『地蔵経』を読誦するのが最も適している。地蔵菩薩は大慈大悲によって、『地獄が空にならぬ限り、決して仏にはならないと誓う』と誓願を立てられた。地蔵菩薩は地獄の衆生と最も深い縁を持つ。少なくとも49回は全巻を読誦しなければならない。私たちの冥府の記録の中で、最も速く超昇できた事例がある。人間界で堕胎したある母親は、『地蔵経』を全巻49回読誦し、そのうえ絶えず大きな誓願を立てて善を行った。今、その母親の嬰霊はすでに超昇している。その人間界の母親も、その後、本当の意味で自他ともに利益をもたらす、清浄な修行者となった。堕胎した日を一日目として数え、49日目に超昇したのだ。しかし、人間界で堕胎した母親に、このような者は非常に少なく、万人に一人もいないと言ってよい。現在、冥府へ来る嬰霊は、ほとんどすべて、誰も自分の子として名乗り出る者がいない。人間界で堕胎した父母のうち、本当に懺悔しようと発心する者は、あまりにも少ないのだ!見えなければ何事もないと思っている人が多いが、それは間違いだ。冥府の枉死哭城にいる嬰霊たちは、毎日を苦しみの中で過ごしている。人間界の父母が、この恨みと結び目を解こうといつまでも発心しなければ、恨みの結び目は時が流れるにつれて増すばかりだ。人間界の父母の福報が尽きる時が、因縁の集まる時であり、嬰霊は必ず戸口まで来て恨みを晴らす。また、冥府の陰律においても、同じく法の網から逃れることはできない。その時にはまさに、甘い日々が尽きて苦しみが訪れるのだ。どのような苦の報いを受けるかは、とても一言では言い尽くせない。頭から足まで、あらゆる病気が起こり得るし、さらには一家が崩壊し、家族が命を落とすことなどもある。」 「それぞれの嬰霊が必要とする功徳の量は異なる。事例ごとに恩と恨みが違うので、解きほぐすのにかかる時間も当然異なる。恩を返すために来たのであれば、まだよいが、それでも堕胎されたことによって新たな恨みが生じる。だから、恩と恨みが複雑に絡み合い、ほどくのが難しくなるのだ。私たちはいつでも、新たな恩や恨みを作り出しているかもしれない。恨みを晴らすために来たのであれば、災いがさらに重なり、苦しみは耐え難いものとなる。」 「嬰霊が功徳を受け取ると、自らの業に従って上昇し、冥府の枉死哭城を離れる。超昇する場合は、おおよそ三つに分けられる。第一に、十分な福報を備えていれば、この功徳によって西方浄土へ超昇できる。ただし、このように浄土へ超昇する嬰霊は、ごくごく少ない。第二に、天界へ超昇して天人となる者がいる。第三に、人間界へ超昇する者がいる。西方浄土、天界、人間界のいずれへ超昇するにしても、嬰霊自身の福報に応じて、高低の違いが生じる。西方浄土には九品の蓮華の違いがあり、天界にも欲界天、色界天、無色界天の違いがあり、人間界にも富貴と貧賤の違いがある。嬰霊が功徳を受け取った後にどこへ行くかは、人間界で堕胎した父母の功徳がどれほどあるか、嬰霊に分け与えて超昇させるだけの功徳が十分にあるかによる。嬰霊が早く超昇するほど、人間界で堕胎した父母の災難も早く解決する。人間界でかつて堕胎したことのある、親となるはずだったすべての者たちが、一日も早く発心し、堕胎によって地獄に至る悪業を懺悔し、数多くの善を行って徳を積み、枉死哭城にいる、気の毒な血を分けたわが子を済度するよう願う。」 「嬰霊の位牌を置くことについてだが、人間界の、親となるはずだった者たちは、自宅に位牌を置く必要はない。そうすることは嬰霊の超昇を遅らせるばかりで、ほかの霊を招き、位牌に住みつかせることさえある。仏堂に位牌を置き、香の供養を受けさせ、お経を聞かせることには、確かに効き目がある。ただし、その仏堂が清浄で、道理と仏法にかなっていなければ、超昇の効き目は生じない。今、人間界には何々仏堂と名乗り、高い智慧と霊妙な力を持つ法師が控えていて、専門に嬰霊を済度するなどとうたう場所が数多くある。しかし、その行いを見れば、実際には金をだまし取る行為にすぎない。依頼した者は、お金と時間、精神力や気力を浪費するばかりで、妖魔を招いて憑依されることさえある。堕胎された嬰霊が恨んでいるのは、ほかでもない、人間界の、親となるはずだった者たちだからだ。鈴を解くには、それを結んだ者が解かなければならない。他人にお金を払って、自分の代わりに嬰霊へ懺悔してもらうより、自ら心から懺悔するほうが、効き目も早く、よいのだ。」 「嬰霊が堕胎されて枉死哭城へ来ると、その大部分は人間界の生後六か月ほどの赤子の姿を現し、生まれ変わるか超昇するまで、ずっとその姿のままでいる。嬰霊は枉死哭城では触食によって生きている。人間界の、親となるはずだった者たちが嬰霊に供物を捧げて供養すれば、嬰霊は食物の精華を吸い取ることができる。だが残念なことに、捨てられたこれらの嬰霊には、供養してくれる者がまったくいない。寄り添うのは苦しみだけであり、そのため毎日、苦しんで大声で泣いている。嬰霊の恨みの心は、その父母の福徳を陰で絶えず消耗させる。人間界の父母が寿命を終えた後にも、また苦しい恩讐のもつれが続く。だから人間界のすべての衆生に、決して堕胎しないよう忠告する。かつて堕胎した者は、必ず善を行い、徳を積み、広く善い功徳を積んで、功徳によって罪を償わなければならない。この陰律についての知らせを人から人へと伝え、罪を犯した者が心から悔い改めるようになれば、冥府も、これを広めた者の罪を軽くすることができる。」 私、阿玉は合掌して判官に感謝しました!白い蓮の花に乗って帰りました! 25/陰律における女性の貞潔と婚前の性行為 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌して礼をしました! 今日は私、阿玉から判官に、冥府では女性の貞潔と婚前の性行為の問題をどのように捉えているのか、お尋ねしたいです。 判官は言いました。「女性は当然、三従四徳49を重んじるべきだ。この徳が指すのは、貞潔である。配偶者との死別や離婚の後、一人の相手に対する貞節を生涯守り、独身を貫くという信念を固く抱き、命を終えるまで貞潔を守る女性がいれば、冥府はその者の生死簿に、貞潔を守った善行を一つ記す。人間界でほかに大きな過失がなければ、寿命を終えた後に天界へ上昇したり、女身から男身へ転じる善い報いなどを得たりすることができる。貞潔を守らなければ、生前に福が削られ、寿命が縮まり、次の世代にも悪い手本を示すことになる。だが、現代の女性は、もはや貞潔を重んじなくなっている! 今の社会には、因果の教育と昔の道徳教育が著しく欠けている。昔の女性は三従四徳を守らなければならず、婦徳、婦言、婦功、婦容を重んじなければならなかった。以前の女性には、歩き方や身なり、話す声の調子にまで決まりがあった。しかし今日の女性は、かつてのように家の門から三歩も出ないというわけではない。今の女性は大半が社会へ出て働き、高い学歴と、能率よく仕事をこなす能力を備えている。仕事の能力では、あらゆる面で男性に勝る者さえいる。もはや昔のように、女性は才がないことこそ徳である、という時代ではない。だからこそ今の女性には、徳を重んじる考え方を育てる教育が心の内に欠けているため、この科学技術の発達した時代の流れに従い、テレビやインターネットのメディアに汚染され、貞潔を軽んじる者が多いのだ。 女性である以上、必ず身を慎まなければならない。自分の恋愛感情に変化が生じたときには、とりわけ自分を省みることに注意を払い、道を踏み外す行動をしてはならない。さもなければ、貞潔を失うことは、そのまま邪淫を犯すことになる。邪淫を犯すとは、量り知れず果てしない地獄の苦しみをもたらす悪因をつくることである。ここに、天下のすべての女性が貞潔を守ることを願う。 婚前の性行為については、それは私たち人間の光明ある霊性を著しく損なうものだ。誰もが生まれたとき、まだ性的な交わりを経験していない時期には、自らの霊性は明るく輝いている。ただ、その光明の程度は人によって異なる。その後、人間界で汚染されるにつれて、この光明は徐々に弱まり、ついにはくすんで暗くなることさえある。くすんで暗くなると、その人には災難が生じ始める。もちろん、修行によって、暗くなった霊性を今生のうちに光明ある状態へ戻せる者もいる。 結婚とは実のところ、私たち人間に、子孫を残して家系を受け継ぐ機会を与えるものだ。人倫にかなう性行為は、子孫を残して家系を受け継ぐために行うものであり、日頃も度を越してはならない。さもなければ、私たちの福報と寿命が削られる。陰律から言えば、人は婚前の性行為を禁じる規約を厳しく守り、自らの徳行を守らなければならない。必ず結婚の日を迎えてからでなければ、性行為をしてはならない。結婚前に性行為をすれば、邪淫を犯したことになる。後でその同じ相手と結婚したとしても、違反に当たり、福報と寿命が損なわれる。結婚前に一人だけでなく複数の異性と性行為をしていれば、削られる福報はさらに多く、地獄へ至る悪因もつくることになる。詳しくは個々の事例を見て、具体的にどのような邪淫を犯したかを確かめたうえで判断しなければならない。 私たち人間が結婚前に初めて性行為をすると、すなわち、まだ性的な交わりを経験していない身を失ったその瞬間から、自らの霊性の光明は薄暗くなる。この暗さによって、ほかの面でも低下が生じ、福報や金運、寿命も減っていく。だから皆、この問題に注意しなければならない。一時の恋愛感情の衝動から、したいと思うままに行動し、人間界に生まれた貴重な人の身を無駄にしてはならない。若いうちにこそ成し遂げなければならないことが、数多くあるのだ。 私たちの精神力や気力は、何か意義のあることに使うべきであり、自分の恋愛への執着の中で消耗させてはならない。それは意義がないばかりか、地獄へ至る悪因まで植えつけることになる。」 「さて、阿玉、今日はここまでにしよう。ひとまず帰って、また次に来なさい。」 「阿弥陀仏!判官のお教えに感謝いたします!」 私、阿玉は合掌し、お辞儀をして感謝しました!白い蓮の花に乗って帰りました! 26/陰律における、雷がこの世の人を撃ち殺す謎 阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌して判官に礼をしました! 今日は判官にこうお尋ねしたいです。「昔、邪淫を犯して雷に打たれて死んだ例がありますが、なぜそのようになるのでしょうか。重い病気にかかるなど、ほかの方法で報いを受けるのではないのは、なぜですか?」 判官は言いました。「昔、邪淫を犯して雷に打たれて死んだ事例には、二つの理由がある。第一に、冥府が雷で打つという方法によって邪淫を犯した衆生を罰するのは、邪淫によって、今生でまともな死に方ができない果報を受けることを、人間界の衆生に知らせるためだ。形があり、目に見える、実際の懲戒の方法として、有情の衆生が互いに戒め合えるようにするのである。第二に、邪淫を犯す者自身の悪念があまりに重く、悔い改めることを知らず、つくった邪淫やほかの悪業があまりに重いためである。そのため雷に打たれる報いを招き寄せ、寿命を終えると地獄へ入り、さらに万劫にわたるさまざまな苦しみを受け、出られる時はない。 雷神は実際には天界の正統な神であり、雨の降るときや天候の悪いときに雷鳴をとどろかせることを専門に司っている。一度に何回雷を鳴らすかについても、決まりがある。雷に打たれて死ぬことがあれば、それは決して偶然ではない。必ず雷神が冥府から、ある日のある時刻、ある住所のある家の誰それに、屋外で雷に打たれて死ぬ報いを受けさせるという、陰律に基づく裁可の文書を受け取っているのだ。通常、雷に打たれて死ぬ報いを受ける者については、雷神はまず雷鳴をとどろかせ、その後、間違えることなくその罪霊をつかみ出し、屋外で撃ち殺す。なぜ罪霊をつかみ出して、屋外で撃ち殺すのか。雷は火光を発し、罪のない者を傷つけたくないからである。そのため通常は罪霊をつかみ出し、屋外で罰を与えるのだ。 昔、雷に打たれた多くの事例では、この罰が行われていた。昔は邪淫を行う者が現代ほど多くはなく、一度雷で打つだけで、多くの衆生に衝撃を与え、心を修め、性を養わせることができた。しかし今の人の心には、もはや昔の人の心の素朴さはない。 万悪の首は淫であり、あらゆる行いの先は孝である。邪淫を行う者は、自らの福と寿命を減らすだけでなく、社会の風紀をも著しく損ない、他人も自分も害する。それは親不孝な行為でもある。古今東西、どれほど多くの英雄豪傑が、邪淫によって輝かしい前途を断たれてきたことか。 邪淫は人を堕落させ、本来の心を見失わせ、溺れた者を死に至らせることさえある。冥府の陰律の法則では、親孝行な者を最も厚く遇し、邪淫を行う者を厳しく罰する。ここに皆に、仁・義・礼・智・信を厳しく守り、多くの善を行って徳を積み、一人ひとりが生まれながらに持つ霊性の輝きを守り、地獄へ至る悪因をつくらないよう忠告する。」 私、阿玉は合掌して判官に感謝しました!白い蓮の花に乗って帰りました! 27/同性愛の行き着く先――連想大地獄 仏菩薩の慈悲深い救済に感謝いたします!仏菩薩は、一念一念、衆生のことを思っておられます。人間界ではすでに二十四時間が過ぎ、私、阿玉は白い蓮の花に乗って再び地獄へ来ました。地蔵菩薩はまだ地獄で衆生を救済しておられました。昨日の因果の法会は、まだ終わっていなかったのです! また地蔵菩薩にお会いできて、とても嬉しいです。私、阿玉は虚空法界の一切の衆生に代わり、地蔵菩薩に頂礼しました!菩薩の仏光は虚空に満ち、なんと清浄で、なんと清らかに涼しく、なんと慈悲深いことでしょう。『華厳経』の中で仏が説かれた言葉が思い起こされました。「世間において妨げのない清浄な慈。大光明を放ち、あまねく平等に照らすからである。虚空に満ちる清浄な慈。衆生を救い守るにあたり、至らぬところがないからである。法を縁とする清浄な慈。如如たる真実の法を証するからである。無縁の清浄な慈。菩薩の離生性に入るからである。利益をもたらす清浄な慈。何をなすにも、すべてを喜ばせるからである。疲れることも厭うこともない清浄な悲。一切の衆生に代わって苦しみを受け、それを労苦としないからである。困難な境遇に生まれる清浄な悲。衆生を済度するためである。善趣に生まれる清浄な悲。無常を示し現すからである。誤った道に定まった衆生のための清浄な悲。幾劫を経ても広大な誓願を捨てないからである。菩薩の行を絶え間なく修め、大悲の心をもって衆生を摂め取る。」 地蔵菩薩は、まさしく無縁の大慈、同体の大悲を備えておられます。菩薩の清浄で慈悲深い仏光の中には、無量の法音があります。私、阿玉も地蔵菩薩の大慈悲心を学び、衆生のために尽くしたいです。地蔵菩薩の清浄で慈悲深い光の加持によって、地獄は清らかに涼しくなっていました。 私、阿玉から皆さんに少し説明しておきたいです。地獄は非常に広大で、いくつもの種類に分かれています。現在、私が見学しているのは邪淫地獄です。この邪淫地獄とは総称であり、地獄全体の中にある大地獄の一つです。邪淫地獄の下には、さらに十八の小地獄があります。この十八の小地獄は、犯した邪淫の性質の違いによって、それぞれ異なる罪の報いを受ける場所です。ある人は、一生のうちに、非時(すなわち、旧暦の一日、十五日、六斎日、仏菩薩の誕生日、諸天の神々が人間界の善悪を見回る日、昼間、親族の祝いの日や命日、あるいは男女双方の体に病があるとき50に性行為をすること)、非地(夫婦の寝床の中心点を離れた場所。すなわち、男性が寝床のそばの床に立ち、女性が寝床の端に横たわっている場合も非地に当たり、ほかの場所はなおさらである)、非器(女性の産道以外の部位は、すべて非器に当たる)の罪だけを犯したのかもしれません。その場合は、鉄の丸を呑む報いを受けるだけで済みます。しかし実際には、どの地獄で受ける刑罰も、相当に苦しいものです。 私、阿玉は判官に礼をしました!今日は、同性愛の問題について判官に教えを請いたいです。判官は言いました。「同性愛も邪淫の罪に当たり、寿命を終えると邪淫地獄のうちの連想地獄へ入り、五百年間、罰を受ける。ほかの邪淫も犯していれば、さらにほかの邪淫地獄を次々と巡って報いを受ける。」 すると判官は、すぐに私を連想地獄へ連れていきました。ここでは、すべての男女の霊が同じ果報を受けていました。見ていると、これらの男女の霊が人の形をした木の刑罰を受ける間隔には、少し違いがありました。このまま見ていれば、わかるかもしれません。その中に、私の知っている男性の霊がいました。あれはBLXではありませんか。彼はとても有名な大歌手で、生前には男女ともに多くのファンがおり、数多くのコンサートを開いていました。今は何かを考えているようでした。そこへ、歩くことのできる人の形をした木が一本やって来ました。彼はそれを見ると、嬉しそうにその木と手をつなぎ、さらに抱きしめて親密に触れ合おうとしました。木はすぐに枝葉で彼を縛り上げ、枝で彼の頭を打ち続けました。頭を打たれて傷を負い、血が流れて気を失うと、木の葉が彼に向かって吹きつけ、彼は徐々に元の姿に戻り始めました。すると、その人の形をした木は去っていきました。 ここまで見て、私は判官に尋ねました。「木が去った後は、刑罰を受け終えたということなのでしょうか?」判官は言いました。「そうではない!同性愛は、思考における誤った愛恋の一種だからだ。今、そなたが見た霊たちは皆、まず思いを寄せ、その後で人の形をした木を招き寄せていた。そうした思いを抱く間隔がやや長い者は、その愛欲が比較的軽いことを示している。すぐに思いを抱く者ほど、受ける報いは重くなる。」 判官に尋ねました。「では、罪霊がそうしたことを考えなければ、報いを受けないのでしょうか?」 判官は言いました。「まったく考えなくなれば、この地獄を離れることができる。一切の業力はすべて、顛倒した妄想から生じるのだ。また、同性愛者の中には、地獄に至る業が少し軽い者もいる。例えば、その体は男性であっても、過去の幾度もの生で女性だったため、今生で男性の体に生まれ変わった後も、潜在意識にはなお女性の思考のあり方が残り、切り替えられない。そのため女性を好きにならず、過去と同じように男性を好きになる。反対に女性の体である場合も、道理は同じだ。これが、人間界で同性同士が恋愛して邪淫を犯す主な原因である。この種の同性愛者が、ほかの邪淫を犯さず、ただ共同生活をする同伴者を必要としているだけであっても、夫婦と称していれば、連想地獄へ入って五十地獄年の報いを受ける刑罰となる。ここで罰を受ける五十年の間に、罪霊の持つ同性愛の邪淫の種子をすべて取り除くことができれば、早くこの地獄を離れることができる。なお取り除けなければ、さらに三十年の刑罰を加えなければならない。」 連想地獄の隣には大きな地獄があったが、中には何もありませんでした。私はとても不思議に思いました。どの地獄も苦しむ衆生でいっぱいで、誰もいない地獄など見たことがなかったからです。そこで判官に尋ねました。「なぜこの地獄は空っぽなのですか?」判官は言いました。「この地獄については、今、人間界ですでに、ある種の媚薬を研究している衆生がいる。現在はまだ研究開発の段階だが、成功すれば市場に出して販売する。この地獄は、その媚薬の研究に関わるすべての衆生が、将来刑罰を受けるために用意されているのだ。」 さらに判官に尋ねました。「では、思念の中で邪淫の戒を破ることも、犯したと見なされるのですね?」 判官は言いました。「そのとおりだ!思いを起こして考えるたびに、すでに人体の真気を動かしており、正気はすでに損なわれているのだ!」 今日もまた、多くを学ばせていただきました。私、阿玉は判官に感謝しました! 判官に頂礼しました!白い蓮の花に乗って帰りました。 28/冥光初転堂で地蔵菩薩に参礼する 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 「判官!地蔵菩薩は地獄で、どのように衆生を救済しておられるのでしょうか。見学に行かせていただけますか?」 判官は言いました。「地蔵菩薩は絶えず地獄におられ、苦難の衆生を救い、苦海から離れさせておられる。一分一秒たりとも、おやめになったことはない。われわれの冥府には、『冥光初転』という法会堂があり、地蔵菩薩はずっと『冥光初転』堂で説法し、冥府の衆生に教えを示しておられる。」 私は不思議に思って尋ねました。「地獄では、一瞬一瞬、苦しみを受け続けているのではありませんか。いったいどこに法を聞きに来る時間があるのでしょう!すでに報いを受け終えたのなら、すぐに地獄を離れ、また輪廻を続けるのではありませんか?」 判官は言いました。「実際には、地獄の衆生も人間界の衆生と同じで、皆、六道を輪廻して堕ちてきた者たちだ。上は天界、阿修羅、人間界から来た者もいれば、下三途の鬼道や畜生道から転生して来た者もいる。その心の本性は同じで、皆、本性にそなわる生来の光明を十分に備えている。ただ、顛倒した妄想によって本来の心を見失い、さまざまな殺生や命を害する戒律違反の行いをして、自らを堕落させたのだ。どの霊体にも、自性の光明へ帰る日がある。しかし、それにかかる時間には、天地ほどの隔たりがある。地獄へ来たすべての衆生が、生来の霊性の光明を取り戻すには、とても、とても長い時間が必要だ。地獄の霊体は汚染された習気があまりに深く、悪業も重いため、極めてまれに一念の懺悔の心を起こしても、すぐにまた苦しみと悪業に振り回されてしまう。地蔵菩薩は、まさにこの大願を立てて誓われた。『地獄が空にならぬうちは、誓って仏とはならない。衆生をすべて済度して、初めて菩提を証する!』菩薩は慈悲をもって閻王にこう告げられた。『冥府で刑罰を受けている霊体ならば誰であれ、一刹那でも一念の懺悔を心に起こせば、冥光初転堂へ来て法を聞き、しばらく刑罰を受けずにいられるように。』」 私は言いました。「それは本当に素晴らしいことです!それなら、多くの地獄の衆生が超昇できたのではありませんか。」 判官は言いました。「地獄で罪の報いを受けている衆生の数は、まことに限りがない。阿玉、そなたは以前にも邪淫地獄を見学しただろう。邪淫地獄の一つである『鞭杖地獄』だけでも、見渡す限り果てしないほどの衆生がいる。そなたがまだ行ったことのない地獄も、非常に多い。それに比べれば、一念の懺悔の心を起こせる者は、実に少ない、あまりにも少ないのだ。仏菩薩は慈悲深く、常に一念一念、苦難の衆生を救済するために、それぞれの機根に応じて教えを施し、さらにさまざまな巧みな計らいもしておられる。衆生は、それを心から感じ取ったことがあるだろうか。阿玉、そなたが地獄に来て行う仕事も、すべて仏の憐れみによるお計らいだ。冥府もこの機会によって、人々の心を清め、衆生が因果を深く信じ、地獄に至る悪業をつくらないようにできることを願っている。」 地獄の冥光初転堂に着きました。地蔵菩薩に頂礼しました!地蔵菩薩にお会いすると、熱い涙が目にあふれ、感謝の思いが自然に湧き上がってきます!さらに、すべての衆生に代わって地蔵菩薩に頂礼しました!すべての衆生が苦しみを離れて安楽を得ますように。すべての衆生が喜び、楽しく過ごせますように。すべての衆生が精進して修行し、一日も早く菩提の仏果を証しますように。 このとき、地蔵菩薩は皆に五戒について教えを示しておられました。見ると、冥光初転堂の中には法師がたくさんいました!そう思った途端、判官がすぐに説明してくださいました。 判官は言いました。「これらの法師には、邪淫戒や不偸盗戒を破った者が多い。ここへ法を聞きに来た者は皆、すでに地獄で刑罰を受けたことがあり、中にはまだ刑罰を受けている最中の者もいる。ただ一念の懺悔の心を起こしたために、ここへ法を聞きに来ることができたのだ。霊体が懺悔の心を起こすと、その心の光にわずかな変化が生じる。すると冥府の鬼卒が罪霊への刑罰を一時中断し、霊体を冥光初転堂へ連れて来て法を聞かせる。冥光初転堂へ法を聞きに来るすべての霊体には、一つ共通点がある。それは、ここでは刑罰を受けずにすむと知っていることだ。そのため皆、この機会を非常に大切にし、ほとんどの者が地蔵菩薩の慈悲によって摂受されている。」 ここにいる霊体を見ると、その体の光は大部分が暗い灰色で、暗い青色や暗い赤色、黒色のものもあり、皆ふわふわと漂っていました。そのとき、一つの霊体が涙を流して激しく泣き、深い慚愧の心を起こしているのが見えました。すると、その体の光が暗い灰色から淡い灰色へと変わり始め、その霊体自身が少し軽くなったと感じているのが、明らかに分かりました。 判官は説明しました。「この罪霊は前世では、精気を盗む鬼だった。精気を盗む鬼になる前は修行者で、布施の心はあったが、戒律を守らなかった。戒律を守らなかったために鬼道へ堕ち、精気を盗む鬼になったのだ。鬼道へ堕ちた後は、生きている人々や、戒律を守らない修行者の精気を盗み続けて生きていた。そうして、ほどなく地獄へ堕ちて来たのだ。」 そのとき罪霊は涙を流して激しく泣き、ひざまずいて地蔵菩薩に懺悔を願い出て、誓願を立てました。「慈悲深い地蔵菩薩!弟子である私は間違っていました!私は生まれ変わるたびに、正法を修行し、正法を護持します。永遠に地蔵菩薩の法を護持します。」地蔵菩薩は、この霊体の懺悔を喜んで受け入れられました。霊体は鬼卒に連れられて外へ出ていきました。判官は、彼はまもなく人間界へ生まれ変わるのだとおっしゃいました。 この冥光初転堂は、地獄の中で唯一、陰気で薄気味悪い感じのしない場所で、いわば地獄の中の暖炉のようでした。普段、地獄に長くいすぎると、私の体温はいつもとても低くなるが、今日はなかなか具合がよいです。地蔵菩薩の慈悲深い加持の力に、心から感謝いたします! 地蔵菩薩の威神力をお借りして、引き続きここにいる霊体を見ていると、多くの霊体の心の光が高まっていることに気づきました。彼らは皆、上へと漂っていきました。 判官は言いました。「心の光が高まった霊体は皆、人間界へ生まれ変わることができる。心の本性を磨く機会が、再び与えられるのだ。」 なんと嬉しいことでしょう!私、阿玉は、彼らが皆、喜びに満ちて楽しく過ごし、苦しみを離れて安楽を得て、正法の修行に精進することを祈りました。 再び入り口のほうを見ると、また新たな霊体が大勢やって来ていました。地蔵菩薩はお休みになれそうもありません。まだこれほど多くの衆生がいるうえ、地獄は果てしなく広大です。いつになればすべてを済度し、空にすることができるのか、本当にわかりません。 私、阿玉は判官にお尋ねしました。「先ほど鬼卒に連れられていった霊体は、次の生ではどうなるのでしょうか?」 判官は言いました。「連れていって、見せてあげよう!」 私たちはすぐに冥府の大法廷へ着きました。あの涙を流して激しく泣いていた霊体が、地面にひざまずき、閻王の裁定に感謝しているのが見えました。霊体がこう言うのが聞こえました。「閻王の裁定に感謝いたします!地蔵菩薩の慈悲に感謝いたします!これからは必ず心を入れ替え、真に正法を修行します。」その後、霊体は孟婆湯を飲んで生まれ変わるために連れていかれました。 私は判官に尋ねました。「この霊体は、これからどうなるのでしょうか?」すると判官は生死簿を開き、目を通して言いました。「この霊体は、正しい理解と見解を持たない家庭に生まれるよう裁定された。暮らしは裕福だが、一生体が弱く、大病こそないものの、小さな病気が絶えず、人に繰り返しだまされる運命にある。三十歳から修行を始め、この世に現れている地蔵菩薩の応化身に出会い、導きを受けることになる。この生涯では修行に魔障が多く、最期を看取る子供もいない。これは精気を盗む鬼であったことの余報である。裕福に暮らせるのは、修行者だったときに布施をした果報であり、体が弱く修行に魔障が多いのは、他人の精・気・神を吸い取った果報である。この一生は、彼にとって大きな鍛錬、大きな試練、すなわち心の試練となる。暮らしは裕福でも、たびたび盗みの心が起こるだろう。これは彼の業力によるものだ。もし自分の本分を守り、しっかりと戒律を守って、体が弱くても不平を言わず、だまされても仕返しをせず、魔障があっても心穏やかに受け止め、盗みの念が起こればすぐに懺悔できるなら、この生涯の後も霊性を高め続けることができる。反対にそうできなければ、また地獄で会うことになるかもしれない。」 私は言いました。「そんな!また地獄に来るのですか?」 判官は言いました。「こうしたことには、私たちもすっかり慣れている。地蔵菩薩に救われて地獄を離れ、無事に人間界へ生まれた衆生が、ほどなくしてまた戻ってくる。そのため地蔵菩薩は、ここで絶えず衆生を救い出しておられる。先ほどの霊体は、正法を護持しようという大きな志を起こしたので、地蔵菩薩はわざわざ一つの化身を現して人間界に遣わし、彼を導くことにされたのだ。だから、自分が一念に起こす大菩提心を軽く見てはならない。その一念の心だけで、仏菩薩が感応して救いに来てくださる。ただ、仏菩薩がそばにいても、衆生はそれに気づかないのだ。」 「判官、本当にありがとうございます。今日も阿玉は多くの道理を学ぶことができました!」 阿玉は合掌して判官に感謝し、白い蓮の花に乗って帰りました。 29/宝珠と神呪、その威力は無限――南方三聖が地獄の大苦を救う姿をこの目で見る 阿玉は『陰律無情』を書くと決めて以来、ずっと多くの障害に遭ってきました。人の心を清め、善へと勧め導く仕事をしようと発心するとき、私たちは必ずさまざまな試練に遭います。しかし、ひたすら真実で純粋に善を求める心は、どのような試練や障害も決して恐れません。揺るぎなく、真実で純粋な持戒の心を保てば、仏菩薩は必ず加持を与え、障害を打ち破らせてくださると、阿玉は信じています。さまざまな障害は、どれも私に『陰律無情』を書くのをやめさせようとするものでした。 書き始めたころは、特に魔障が多かったです。もともと睡眠時間は少なかったのに、人ならぬ者たちがいつも私の眠っている間を狙って激しく妨害し、私の気力を消耗させました。その後、彼らの目的が分かり、夢の中でも、もう相手にしなくなりました。気力を無駄にし、執筆に支障を来すからです。『陰律無情』を書くには、最もよい状態でなければなりません。 最近は肉体の苦痛にも遭い、自ら心の力を強め始めなければならなくなりました。今日、阿玉はあらゆる障害と肉体の苦痛を、修行の原動力に変えようと思います。天下のすべての衆生の障害と苦難を、私一人が代わりに受け、すべてを阿玉の修行の原動力に変えられますように。 心を尽くして私を教え導いてくださる恩師に頂礼いたします!正法を修行し、大いなる成就を得られたすべての祖師、大徳に頂礼いたします! 十方の諸仏菩薩に頂礼いたします!地蔵大菩薩に頂礼いたします! 今日、阿玉は地蔵菩薩の神威と加持力を頼みとして障害を打ち破り、地獄の現場へ赴き、地蔵菩薩が地獄の衆生を救済される実際の姿を見学します! 南無地蔵菩薩!南無地蔵菩薩!南無地蔵菩薩!南無大願地蔵菩薩!南無大願地蔵菩薩!南無大願地蔵菩薩! 阿玉も地蔵菩薩に倣い、苦しむ衆生を救って苦海から離れさせたいです。『陰律無情』を必ず一日も早く出版し、人間界で迷い過ちを犯す衆生が引き返して救いの岸へと向かい、悪を捨てて善に従い、生まれながらの霊性の光明を早く取り戻せるようにしなければなりません。 地蔵菩薩の仏力による加被に感謝いたします!白い蓮の花に乗って出発! 地獄に着きました!地蔵菩薩に頂礼いたします!地蔵菩薩は慈悲深く微笑んでおられます!菩薩はいつも、あれほど慈悲深く大いなる光明を放っておられます!地蔵菩薩は慈悲深い出家者のお姿を現し、結跏趺坐をしておられました。今回、地蔵菩薩がお座りになっている蓮の花は青色でした。菩薩が青い蓮の花に座っておられるのは、初めて見ました。菩薩は左手に桃色の宝珠を一つ、右手に金色の錫杖を持ち、そばにはお乗りになる獣、諦聴もいました。菩薩の左側には道明法師、右側には護法の閔公が侍立していました。阿玉は法師と護法に頂礼しました! 今回は地蔵菩薩の神威と加持力を頼みとして、地獄の中のほかの道を通らずに、直接地獄へ入りました。私たちは空中から下を見下ろしていました。私の立っている位置は地蔵菩薩より下で、つまり私のほうが地獄に少し近かったです。すでに悲痛な叫び声が聞こえ、地蔵菩薩が地獄に光を放ち、加持を施しておられるのが見えました。 道明法師は、この地獄の名は「叫喚地獄」だと教えてくださいました。今日、地蔵菩薩は一人の罪ある霊を救い、上の境涯へ引き上げるためにこの地獄へ来られました。地蔵菩薩の慈悲と憐れみを受けられるとは、なんと大きな福報なのでしょう! 道明法師によると、この罪ある霊の子孫が昼も夜も『地蔵経』を読誦し、それに菩薩が感応して来られたのだといいます。この罪ある霊は過去世のある一生で、出家して修行する者でした。しかし、出家して修行していたその生涯では戒律の守り方があまり清浄ではなく、解脱を得られませんでした。その後、人間界の富貴な家庭に生まれ、堕落し始め、邪淫の戒めを破ってからは堕落を重ね、地獄にまで落ちてきたのでした。 そのとき、地蔵菩薩は閔公に下へ行くよう合図されました。閔公は下りていき、二人の鬼卒に言いました。「地蔵菩薩が、罪ある男の霊XXXにお会いになる。」しばらくすると鬼卒が、血を流し、全身を震わせて苦しんでいる男の霊を連れ出してきました。彼は苦痛のあまり、まったく言葉を発することができませんでした。とにかく、鬼ともつかず、まして人の姿からはかけ離れた、弱々しい霊体でした。今、強い風に吹かれたら、どこまで飛ばされてしまうか分からないように感じられました。 地蔵菩薩は男の霊に教えを説かれました。「今日、生者である阿玉が地獄へ見学に来たのは、冥府が指定した『陰律無情』という善書を書くためです。この本によってこの世の衆生を救い、五戒と十善を守り、心を清め、善を行い徳を積むように導き、寿命を終えた後に苦しい地獄の果報を受けずに済むようにするのです。今、阿玉に話してください。あなたはどうして地獄へ来たのですか?今はどのように感じていますか?」 男の霊はうなずきましたが、言葉を発することができませんでした。すると道明法師は、地蔵菩薩の手から桃色の宝珠を受け取り、罪ある霊のそばへ降りていきました。法師は地蔵菩薩の法身印呪を素早く唱えました。「唵。钵啰末邻陀宁。娑婆诃。」宝珠はたちまち大いなる光明を放ち、叫喚地獄全体を照らしました。この地獄の苦痛はその瞬間、一時止んで和らぎ、罪ある霊たちは皆、すぐに心身の安らぎを感じました。男の霊もたちまち苦痛がなくなり、体に強い温かな流れが通ったかのようで、ようやく話せるようになりました。私まで、その熱による加持を感じました。51 男の霊は、生前に邪淫を犯したうえ、正法を修行するある在家の修行者を妬んでいたと話しました。その修行者が各地で正法を広め、人々の敬意を受けていることが気に入らず、その人の戒律は清浄ではないと誹謗したのです。その誹謗によって多くの信者が離れ、人々の修行の慧命を断ってしまいました。自分も普段は仏法を修行していたが、それでも寿命を終えると地獄に堕ちて報いを受け、一分一秒、極度の苦痛を味わっているといいます。今は幸い、この世にいる息子が成長して仏法を学び始め、非常に精進し、毎日『地蔵経』を読誦して自分に回向してくれているのだと話しました。 そのとき男の霊は地面にひざまずき、大声で泣きながら言いました。「大悲の地蔵菩薩、どうか私をここから救い出してください。ここは本当に、耐えられないほど苦しいのです!私は必ず心を入れ替え、功徳を積んで罪を償います。生まれ変わるたびに正法を修行し、正法を護持すると誓います。どうかここから救い出してください。今では私の子供さえ孝行を心得て、毎日『地蔵経』を読誦し、私に回向してくれているのに、私は地獄の悪果を招いてしまいました。私も生まれ変わるたびに人間界に生まれ、清浄な戒律を守り、人間界で善い人となって、社会に貢献したいのです。」 罪ある霊は地蔵菩薩の加持を受けたことで、自分が以前、地蔵菩薩の聖号を唱えたことがあったと思い出しました。そのとき、彼は心の中で絶えず南無地蔵菩薩と念じ、その心の光も明るくなりました。男の霊は体が軽くなり始めたことにも気づき、さらに絶え間なく南無地蔵菩薩と唱えると、体が上へ浮かび始めました。阿玉は地蔵菩薩に尋ねました。「なぜこの男の霊は、これほど早く上の境涯へ上がれるのでしょうか?」 地蔵菩薩は教えを説かれました。「男の霊は過去世で出家していたとき、戒の守り方はあまり清浄ではありませんでしたが、清浄に比丘戒を守ったこともありました。まさにその福報によって人間界に生まれ、七生にわたっていずれも富貴な家庭に生まれ、孝行な子供にも恵まれたのです。しかし七生目に、邪淫の戒めを破り、誹謗を行ったため、地獄に堕ちて刑罰を受けることになりました。今回、上の境涯へ上がれるのは、孝行な息子が人間界で彼のために善を行い徳を積み、大菩提心を起こして回向した、その大きな力によるものです。それに加え、男の霊自身も心から懺悔しています。仏菩薩は、救うことのできる衆生を一人も見捨てません。」 地蔵菩薩はさらに、この男の霊は人間界に生まれた後も、邪淫と誹謗の余報を受け続けなければならないと説かれました。女性の身に生まれ、離婚の果報を受け、真実を語っても誰にも信じてもらえないといいます。しかし、この男の霊は女性に生まれた後、必ず仏法を修行します。もし彼女が堅い信心を持って修行し、正法を護持して、地獄での約束を実行できれば、その霊体は徐々に光明を取り戻していくといいます。 次に、この地獄で二人目に会う霊である、女の霊を見ました。鬼卒が女の霊を連れ出すと、道明法師が呪を唱え、宝珠は再び光を放って女の霊に加持を施しました。この女の霊の霊体はやや状態が悪く、法師は少し長く唱える必要がありました。法力による加持を受け、女の霊は話す力を取り戻し始めました。 彼女は、生前は普段から誰に対しても辛辣で意地悪な言い方をしていたと話しました。特に夫の前妻が産んだ子を妬み、しょっちゅう殴ったり罵ったりして、傷を負わせ、血を流させていました。その子を飢えで気絶させた後、さらに殴り殺しました。夫の母親にも不孝で、ひどい仕打ちをするだけでなく、その頭を殴り、ときには頭に傷を負わせ、血まみれにしました。夫の母親は家庭の和を保とうとして、嫁に殴られたことを言い出せず、ついには嫁の仕打ちによる怒りと苦しみのあまり、命を落としました。老人と子供は閻王の審判の大法廷に訴えました。彼女は寿命を終えると、叫喚地獄に入って刑を受けるよう裁定されただけでなく、ほかの地獄の刑罰も受けるよう裁定されました。今はまだ叫喚地獄に来たばかりなのに、すでに極度の苦痛を味わっています。これからの日々をどう過ごせばよいのか、と嘆きました。 女の霊も地面にひざまずき、地蔵菩薩に地獄から救い出してほしいと懇願しました。地蔵菩薩は彼女に教えを説かれました。「今のこうした有様を知っていたなら、初めからあのようなことをする必要があったでしょうか。これは閻王の裁定です。あらゆる行いの中で孝行が第一であり、閻王はこの世の孝行な人を最も敬重されます。一生親孝行をして父母を養っても、育ててくれた恩には報いきれないのに、どうして乱暴な仕打ちができるでしょうか。不孝は陰律では赦されない罪です。あなたは深く懺悔すべきです。天には命を慈しむ徳があります。夫の前妻の子は生みの母を失い、すでに心に大きな欠落を抱えていたのです。自分が産んだ子と同じように大切にし、心を尽くして世話をして、その子の心の欠落を埋めるべきでした。それなのに、あなたは元夫の子を殴り罵り、飢えで気絶させたうえ、殴り殺したのです。何の武器も持たない幼い子供を殴り殺すとは、まことに邪悪で残忍な心です。そのような因には、そのような果が伴います。深く懺悔しなければなりません。あなたを助けられるのは、あなた自身だけです。」52 女の霊は苦しみながら地面にひざまずいて赦しを乞い、こう言いました。「菩薩、私を救ってください!頭を地につけてお願い申し上げます。生前は誰にも、自分の欠点を指摘させませんでした。誰かが一言でも私の非を指摘すると、すぐにひどい言葉を浴びせ、殴ることさえありました。私は人の頭を殴るのが何より好きでした。頭を殴れば相手を気絶させられ、私の勝ちになるからです。私は勝つことが好きで、決して負けを認めませんでした。今日、菩薩のお言葉を聞き、自分が重大な過ちを犯したことに気づきました。自分の過ちが分かりました。どうか菩薩、私を救ってください!地獄から出たいのです。」すると鬼卒は、女の霊を連れ戻していきました。 女の霊の心の光は、前ほど暗くはなくなっていたが、それでもあまり明るいとはいえませんでした。私は地蔵菩薩に尋ねました。「あの女の霊は、必ず地獄の報いをすべて受け終えてからでなければ、地獄を離れられないのですか?」 地蔵菩薩は教えを説かれました。「今日の因縁によって、彼女は将来、人間界に生まれたとき、正法に出会って修行できるでしょう。しかし、それははるか遠い先のことです。今はまず、善い縁の種をまいておきましょう。」 地蔵菩薩のお教えに感謝いたします。醍醐や甘露のように、心身へまっすぐ注ぎ込まれるお言葉でした! 阿玉は菩薩を拝して感謝し、お先に失礼しました! 頂礼、南無地蔵菩薩! 道明法師に頂礼いたします! 護法の閔公に頂礼いたします! 白い蓮の花に乗って帰ります! 30/判官が明かす『玉暦』の真相――『玉暦宝鈔』と『陰律無情』を全力で護持する 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 阿玉は判官に尋ねました。「この世で長く流布している『玉暦宝鈔』という本は、真実なのでしょうか?」判官は答えました。「『玉暦宝鈔』は真実であり、冥府の酆都大帝、冥君閻王が大いなる慈悲の心を起こし、特に人間界へ伝え広められた宝典でもある。『玉暦宝鈔』は、淡痴という修道者が、あるとき禅定の中で冥府を巡り、その後、それを手稿にまとめたものだ。さらにその手稿を弟子の勿迷道人に伝え、勿迷道人の手から人間界へ流布するようになった。淡痴道人は当時、地獄を巡った後、すぐに本を出して人間界に流布させたのではない。臨終を迎えて上の境涯へ上がる前に、初めて弟子の勿迷道人に、人間界へ流布させるよう託したのだ。 昔の地獄は、今よりずっと小さかった。地獄の酆都大帝、冥君閻王はただお一人で、冥府の最高統領である。その下には十殿の閻王がおり、第二位の統領として、酆都大帝、冥君閻王の命を受けていた。この十殿の閻王が、さらにそれぞれの殿に属する大小の地獄を管理していた。今も冥府の最高統領は一人の冥君閻王だが、その下の閻王は以前の十人から二人増え、合わせて十二殿の閻王となった。しかし、閻王が二人増えたからといって仕事量が減ったわけではない。特に邪淫地獄を担当する閻王の仕事量は、処理できる限度を大幅に超えている。 今の地獄は、従来の十殿だけを見ても、すでに面積が大きく広がっている。阿玉、お前が先日見学した邪淫地獄は、地獄の西側と北側にある。邪淫地獄のほうには今、清平王という閻王もいて、その区域内にある大小の邪淫地獄を専門に管理している。現在、邪淫地獄は私たちの冥府で最も広い面積を占める地獄だ。冥府では、その中に新しい地獄を増設するのに合わせ、内部の一部の地獄の位置を変更したことがある。また冥府には海山王という閻王がおり、南側の霊性地獄を管理している。この霊性地獄には八つの地獄が含まれ、その中には、お前が以前見学した大型の『枉死哭城地獄』もある。さらに、食べ物を無駄にした者が入る大型の『五穀豊穣地獄』、大型の『邪見誹謗地獄』、『金剛乗地獄』などもあり、現代人はこれらの地獄に入る者が多い。海山王は南側に新しく造られたこれらの地獄を管理しているが、淡痴はこれらの新しい地獄を一つも見学していない。昔は人の心がまだ比較的純朴で善良であり、罰するためにこれほど多くの邪淫地獄を必要とするまでには至っていなかった。昔も悪を行う者はもちろんいたが、今ほど好き勝手に、あからさまに行うことはなかった。以前は十殿の地獄だけで、人間界で堕落して十悪を行ったさまざまな衆生を罰するのに十分だった。今は人間界で悪を行う者が多く、善を行う者はごく少ない。五百人の中に、善を行い戒を守る者は一人もいないほどで、悪を行い戒を破る者は至るところにいる。 『玉暦宝鈔』と『陰律無情』の二書は、いずれも人の心を善へと導くために冥府から伝えられた重要な典籍である。そして『陰律無情』は、さらに明確で詳しい描写によって、現在の冥府の最もありのままの状況を伝えることになる。また、今のお前には重大な責任がある。天帝も冥府の冥君閻王も、『陰律無情』が一日も早く人間界に流布し、人の心を立ち直らせ、人間界を清める力を一日も早く発揮して、日々絶えず地獄へ堕ちてくる、この世の人々の膨大な数を減らすことを望んでおられる。今日はここまでにしよう。質問があれば、また来なさい。」 阿弥陀仏! 判官に感謝します! 私、阿玉は判官に合掌して礼をしました! 白い蓮の花に乗って帰ります! 31/見るに堪えない阿鼻大地獄の刑罰、神獣諦聴が説く利他行の修習 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌して礼をしました! 私は判官に尋ねました。「今日は、地蔵菩薩が地獄でどのように苦しみを救っておられるのか、見学できますか?」 判官は言いました。「地蔵菩薩には多くの分身があり、さまざまな大小の地獄で苦しみを救っておられる。阿玉はどの地獄を見学したいのかな?」 「私は人間界で、地蔵菩薩には三尊の化身があり、地獄に一尊、人間界に一尊、天界に一尊おられると聞きました。そうなのでしょうか?」 判官は言いました。「地蔵菩薩は、『地獄が空にならないうちは、決して仏にはならない』という弘大な誓願を立てられた大菩薩である。今も地獄は空になってはいないが、実はその功徳はすでに成就している。菩薩は地獄、人間界、天界を救済されるだけでなく、ほかの世界の地獄にも分身して赴き、苦しむ衆生を救われる。ほかの世界の地獄も同じように、衆生を救い尽くして空にされるのであり、ほかの時空の衆生のもとへも、菩薩は分身して救いに行かれる。菩薩の分身は三尊だけではない。千百万億もの分身があり、それぞれの分身が異なる世界に赴き、あらゆる有情を救われる。地蔵菩薩は人間界の衆生と、特に深い縁を持っておられる。地獄へ堕ちる者は人間界の衆生が多いからであり、私たちは菩薩の慈悲深い教化に感謝しなければならない。 人間界には地蔵菩薩の化身がたくさんおられる。生まれてまだ三歳にもならない方もいれば、今はまだ学校で学んでいる方も、すでに成人した方もいる。その方々は将来、仏の慧命を受け継ぐ仕事を黙々と行い、縁に応じてあらゆる有情を教え導かれる。地蔵菩薩の化身の中には、生涯ひっそりと衆生を救い、誰にも知られない方もいれば、道場を構えて正法を広める方もいる。いずれも菩薩の目に見えない采配によるものだ。 私たちの身近にも、地蔵菩薩の化身がおられ、身をもって手本を示し、知らず知らずのうちに私たちを感化して、誤った性質を改めるよう静かに教えてくださっているかもしれない。ただ、私たちは菩薩と見分けることができず、普通の人だと思っているのであり、菩薩も正体を明かされない。私たちは地蔵菩薩に倣い、広大な願いを持たなければならない。菩薩は衆生を救う願いを立て、その願いに基づいて行を起こされる。そのため、菩薩の心は十方に遍く及び、その願いも十方の虚空法界に遍く及んでいる。菩薩の願いは、虚空に尽きるときがあっても尽きることがない。例えば私たちが、物乞いに布施をすると一度願を立てたとする。願を立てたのは一度だが、布施の行いは数えきれないほど繰り返し、生まれ変わるたびに続けるものだ。そうすれば心の中には、生まれ変わるたびに、物乞いに布施をする種があり続ける。願は一つで、行いは多い。もし一度でも物乞いを見かけて布施をしなければ、その願力に背くことになる。私たちは地蔵菩薩に倣って衆生を救う善い願を立てなければならない。菩薩は一念ごとに願を実践しておられる。一念ごとに願を実践すれば、成就を重ねる。成就を重ねれば、神力が生まれる。救う衆生が多くなれば、神力も大きくなり、福徳の力も大きくなる。一念ごとに絶えず衆生を救えば、神力もまた無量無辺となる。無量無辺の神通力によって、無量無辺の身に分かれ、無量無辺の世界へ赴いて衆生を救うことができるのだ。 私たちの地獄には、地蔵菩薩の化身がさらに多くおられる。お前は前回、冥光初転法会堂を見学した。地蔵菩薩は毎日、朝、昼、晩の三回、地獄で法を説かれる。罪ある霊は法を聞くと善根が芽生え、その善根の芽生えによって心に懺悔の念が起こる。ひとたび懺悔すれば、地蔵菩薩はその霊を地獄から送り出される。罪ある霊に十分な福報があれば、地蔵菩薩が一つの分身を現し、その霊のそばで教え導かれる場合もある。これは地蔵菩薩が地獄で衆生を救われる方法の一つであり、毎日、無数の罪ある霊を地獄から救い出しておられる。地獄で苦しむ衆生が、もし地蔵菩薩の救済を受けられなかったなら、その数はさらに何倍に増えるか分からないほどだろう。 もう一つは、地蔵菩薩が子孫の孝行の度合いに応じて、その亡き親や親族を救い出す手はずを整えられることだ。つまり、子孫がこの世で『地蔵経』を読誦し、地蔵菩薩の名号を唱え、仏を礼拝し、仏に供養し、放生し、仏典や善書を印刷して世の人々を教え導き、身寄りのない人や伴侶を失った人、貧しい人々を救うなど、人を善へと導き、善を行って徳を積むあらゆる行いをし、その功徳の力を地獄にいる先祖へ回向すれば、菩薩はこうした罪ある霊を地獄から救い出す手はずを整えてくださる。 地蔵菩薩はまた、罪ある霊自身に救済を受ける因縁が十分に備わっているかどうかも観察される。罪ある霊の中には、親族や子孫が善行をして供養してくれなくても、過去世に善根や福徳の因縁を幾らか持つ者がいる。例えば、戒を破って地獄に堕ちた多くの出家者にも、清らかに戒を守り、善を行っていたときがある。また、過去世にほんの一念でも地蔵菩薩を仰ぎ見たことのある者、何気なく、ひととき心を静めて耳を傾けたことのある者、地蔵菩薩の聖なる名号を唱えたことのある者もいる。菩薩はこうした衆生を、請われなくても自ら訪れて教え導かれるのだ。」 私は言いました。「では今日は、誰もがその名を聞くだけで恐れる阿鼻地獄を見学させてください! 今日、地蔵菩薩は阿鼻地獄にいらっしゃるのでしょうか?」 判官は言いました。「地蔵菩薩は、どの地獄にもお越しになる。阿玉はまだ阿鼻地獄を見学していないな。それでは、ついてきなさい!」 阿鼻地獄へ行くには、幾つかの通路を通らなければなりません。その途中で、すでにさまざまな苦痛の泣き叫びが絶え間なく聞こえてきました。地獄は、極度の悲しみと恐怖と苦痛に満ちています。『陰律無情』を書き始める前に、菩薩がなぜ私に真剣に修行に励むよう求められたのか、今になって分かりました。禅定の力が少しでも足りない人は、地獄の強烈な負の磁場にのみ込まれてしまうからです。ここは本当に、人が来るような場所ではありません。地獄で苦しむ衆生が、一日も早くここを離れ、よりよい境涯へ昇れますように! 仏の力に包まれ、その加護によってのみ込まれずに済んでいるのでなければ、元気の大半を消耗してしまうでしょう。仏のご加護に感謝いたします! 必ずこの仕事を立派に成し遂げ、仏のご恩に報いなければなりません! そのとき、私の鼓動が速くなり始めました! ものすごく恐ろしい音が聞こえてきたのです。ここは見たところ人影もなく、ひどく簡素で、比較的近代化されている邪淫地獄とは様子が違います。この地獄は、幾重もの扉が固く閉ざされているといえます。うわっ、温度が高いです! ものすごく暑いです! 判官は言いました。「ここにいる罪ある霊は、入ったら出ることはない。この地獄へ来るのは、悪事を重ね、その罪が極みに達した霊ばかりだ。中の地下にあるマグマの温度は千度を超えている。我々の地獄の中でも、極刑といえるものだ!」 えっ、千度? あまりにも恐ろしいです! 『陰律無情』を書くためです。勇気を振り絞って見てみよう! 仏のご加護によって、私は阿鼻地獄の小さな鉄格子の窓から中を見ることができました。この地獄はそれほど大きくなく、外形は少し人の鼻に似ており、中には暗い穴がありました。その暗い穴は地下のマグマへ通じています。マグマは煙を上げ、見るからにこの上なく灼熱していました。罪ある霊は、その煙を上げるマグマで隅々まで煮られてから、再び上へ放り上げられます。上へ放り上げられるといっても、ほかの場所へ投げられるのではありません。マグマから立ち上る煮えたぎるような熱い煙の中へ放り上げられ、いぶられ焼かれるのです。霊体がまだ元に戻らず、極度の苦痛の中で泣きわめき、悲鳴を上げているうちに、また熱いマグマへ吸い込まれて刑を受けます。そのとき、霊体はまた一声、凄惨な叫びを上げます。阿鼻地獄では、このように途切れることなく、同じ責め苦が繰り返されます。本当に、あまりにもむごたらしいです! さっきまで暗くて暑かったのに、どうして突然、この上なく涼やかに感じられるようになったのでしょう? 顔を上げて見ると、尊い地蔵菩薩が慈悲をもってお越しになっていました。地蔵菩薩に頂礼いたします! 今日、地蔵菩薩が現されたのは慈悲のお姿ではなく、立った忿怒の地蔵菩薩のお姿でした。地蔵菩薩の後光は、金黄色の大きな円い光輪となり、お足元には青蓮華がありました。その青蓮華の下では、激しい炎が燃え盛っていたが、この炎には蒸し暑さがまったくなく、かえって妄念を取り除いてくれるように感じられました。地蔵菩薩が左手に持たれる宝珠は燃えるような赤色で、右手に持たれる金の錫杖の先にも、紅蓮華が一輪加わっていました。今日の地蔵菩薩には、魔を降伏させる威神力がひときわ感じられ、一目拝するだけで、どんな妄念も起こすことができず、おのずと敬意が湧き、畏れを覚えました。これほど厳しい地蔵菩薩のお姿を拝するのは初めてでした。道明法師と護法の閔公には、それほど大きな違いはありませんでした。道明法師は荘厳な比丘のお姿で、両手を交差させて降魔の印を結んでおられ、護法の閔公は合掌して菩薩のおそばに立っておられました。お乗り物である諦聴は、今日は体が大きくなり、やはり忿怒の相を現していました。 突然、冥府の役人が一人やって来て、裁判の大広間に判官が出向いて処理しなければならない用事があると報告しました。そこで判官は、私に一人で見学するようにと言い、分からないことがあれば地蔵菩薩にお尋ねしてよいと告げました。私は合掌して礼拝し、判官に感謝しました! そのとき、地蔵菩薩は私に上へ飛ぶよう合図されました。間もなく阿鼻地獄の扉を開けるため、灼熱のマグマで私が傷つくことを案じてくださったのです。そこで地蔵菩薩の威神力にすがり、私も菩薩の下方まで昇って、空中に立ちました。そのとき、護法の閔公は阿鼻地獄の幾重もの鉄の扉の前に降り立たれました。二人の鬼卒が扉を開けて出てきたが、すぐに注意深く扉を閉めました。マグマが護法の閔公のお体にはねかかるのを心配しているのだといいます。護法の閔公は、冥王の命により、阿玉が参考とする事例を提供するため、罪ある霊を何人か外へ出してよいと告げられました。地蔵菩薩は、罪ある霊を三人連れてくるようお命じになりました。普段は阿鼻地獄から罪ある霊を一人も出すことはできないのだが、鬼卒は再び中へ入り、三人を連れ出してきました。出てきたのは、二人の男の霊と一人の女の霊でした。三人とも苦痛のあまり立つこともできず、何一つ言葉を発することもできませんでした。全身が泥にまみれ、ただれて形も定かではなく、あまりにも哀れで、見ている私まで泣き出しそうになりました!53 そのとき、道明法師が地蔵菩薩のお手から赤い宝珠を受け取り、呪を唱え始めました。菩薩の宝珠が大いなる光明を放ち、阿鼻地獄を隅々まで照らすと、阿鼻地獄全体がたちまちこの上なく涼やかで静かになり、苦痛の声も消え、マグマも熱くなくなりました。私の緊張もすべて消え、代わりに、心が安らぎ、親しみを感じる穏やかさが訪れました。よく耳を澄ますと、それは地蔵菩薩陀羅尼でした。私はこの呪が大好きです。法師がしばらく唱えられると、三人の罪ある霊は徐々に感覚を取り戻し、意識がはっきりしてきました。男の霊は、地面にひざまずけるようになりました。 地蔵菩薩は言われました。「この世の人である上官玉華は、冥府から指定された善書『陰律無情』を書き、世の人々を諭して邪を改め、正しい道へ戻るよう導こうとしています。今、あなたがどのようにして阿鼻地獄へ来たのか、生前に何を犯したのか、阿玉に話しなさい。」男の霊は泣きじゃくりながら、生前は邪淫のための媚薬の研究開発を専門に行い、自分でも邪淫の書物や自慰のディスクを幾らか制作していたと語りました。生前は多くの金を稼ぎ、一生のうちで間違ったことをしたのはこれらだけだったが、今では過ちが分かったので、どうか命をお救いくださいと菩薩に願いました。地蔵菩薩は男の霊に教えを説かれました。「邪淫のための媚薬や、邪淫の書物、ディスクは、人の美しい心を損ないます。とりわけ自慰のディスクは、純陽の身体を持つ男の子の心を揺るがします。この悪習に染まれば、それ以後は体を傷つけ、命を損ない、智慧の命を断つ地獄への道を歩むことになります。それは陰律が許さないことです。この世であなたが制作した邪淫の品々が完全になくなるまで待って、初めてあなたは地獄を離れることができます。」菩薩が教えを説き終えられると、罪ある男の霊はすぐにまた中へ押し戻されました。 女の霊の番になりました。女の霊は言いました。「生前、私は美しく、高学歴で、口も達者でした。けれど、欲深く、ひどく傲慢で、嫉妬心も強かったのです。結婚していましたが夫を見下し、夫の年老いた両親にも孝行せず、いつも悪口を浴びせ、辛辣で冷酷な言葉を口にしていました。私は自分の美貌を使い、ひそかに何人もの相手と不倫関係を結びました。巧みな言葉で相手に金をすべて渡させ、その後、相手に劣等感を抱かせ、怒りのあまり死ぬところまで追い込みました。自分は賢く、誰にも知られていないと思っていたのです。私のせいで憤死した三人の男は、命を終えると閻王のもとへ訴え出ました。閻王は三人に、人間界へ上がり、私の魂魄を捕らえて地獄へ連れてきて刑罰を受けさせるよう命じられました。阿鼻地獄へ来る前に、私はすでにほかの地獄でさまざまな刑罰を受けました。菩薩、どうか私を救い出してください。外へ出たら、必ず心を入れ替え、もう人をだましたりしません。」 地蔵菩薩は言われました。「あなたの顔立ちが整っているのは、過去世に仏前で真心を込めて花を供えた果報です。口が達者で智慧があるのは、過去世に経を読み、法を聞いた果報です。ところが、あなたは傲慢さのために、自らの生命を一直線に堕落させてしまいました。懺悔し、四重の恩徳がどれほど広大であるかを深く考えなさい。この阿鼻地獄で、よくよく懺悔するのです!」地蔵菩薩が言い終えられるやいなや、女の霊は鬼卒の叉で突かれて中へ入れられ、凄惨な悲鳴が一声聞こえました。 続いて、もう一人の男の霊の番になりました。この男の霊が語るには、生前、偽物の薬材を作って自分で売り、偽の酒も売り、ひそかに武器を密売していたといいます。大金を稼いだ後、会社はますます大きくなり、自分の会社の知名度を上げるために他人の評判を中傷しました。地獄へ来てからは過ちに気づいたものの、もう遅すぎたといいます! 男の霊は言いました。「菩薩、どうか私を救い出してください。お願いします。ここは本当に苦しすぎます! あなたのおそばにいる、もう一匹の犬になっても構いません。この犬の後についていき、どんな苦労にも不満を言わずにお仕えする小さな犬になります。菩薩、どうか私をここから救い出してください!」 地蔵菩薩は教えを説かれました。「偽物の薬材を売り、武器を密売することは、人の命を甚だしく損ないます。この世の法でも厳しく禁じられていることであり、陰律ではさらに重く罰せられます。命が尽きれば阿鼻地獄に落とされ、永遠にそこを離れて上へ昇ることはできません。あなたは阿鼻地獄で、よくよく懺悔しなければなりません! 私のそばにいるこれは犬ではなく、諦聴といいます。この諦聴も修行をしています。私の心性から現れたもので、六道輪廻から来た動物ではありません。」 「地蔵菩薩に申し上げます。阿玉は諦聴と少しお話ししてもよろしいでしょうか?」 地蔵菩薩は言われました。「阿玉、話してごらんなさい!」 私は言いました。「阿弥陀仏! 諦聴! あなたも修行をしておられたのですね! 諦聴は毎日、ただ菩薩についていくだけなのかと思っていました。本当にうらやましいです! 昼も夜も地蔵菩薩について、あちこちで衆生を教え導くことができるのですから。阿玉は諦聴の功徳を随喜いたします!」 諦聴は言いました。「阿玉、もったいないお言葉です! 私たちは皆、修行をしているのです。まさしく、その立場にあれば、その立場にふさわしいことを行う、ということです。一切の有情の衆生は、それぞれ自分の力を精いっぱい発揮し、本分をしっかり果たすべきです。自分の本分をすべて、何一つ誤りなく果たしながら、併せて他者を助ける、つまり利他の行いもするのです。他者を助けることは、実は自分の功徳を積むことなのです。仏果を証するまでは、私たちが行う、いわゆる利他の行いはすべて自利でもあります。私たち自身の福徳が、まだ円満ではないからです。福徳が円満になるまでは、自分の福徳の資糧を積み重ねなければなりません。ですから、人を助け、他者を利することは、自分の修行の資糧を積むことなのです。福徳が円満なのは仏だけです。そのため、完全に他者を利しているといえるのは仏だけなのです。私、諦聴は幸いにも、菩薩に慈悲をもってお守りいただき、少しずつ学ぶ機会を頂いているのです。」 私は言いました。「諦聴のお言葉に感謝いたします! さすがは大菩薩のおそばにおられる護法です。おっしゃることも並外れています。本当に随喜、随喜です!」 阿玉は地蔵菩薩にお尋ねしました。「先ほどの女の霊について、菩薩は過去世に仏法を学んだことがあるとおっしゃいました。でも今は、阿鼻地獄に落とされ、永遠にそこを離れて上へ昇れないのですから、もう何の望みもないということなのでしょうか?」 地蔵菩薩は教えを説かれました。「先ほど、私は彼女に懺悔するよう言いました。口では過ちを改めると言っていても、その心はまだ、真心から懺悔するところまでは至っていません。ただ阿鼻地獄があまりにも苦しいので、すぐに離れたいと思っているだけなのです。もうしばらくして、彼女の心がもっと清らかになれば、私は再びここへ救いに来ます。今はまだ、阿鼻地獄で引き続き心を練り磨く必要があります。」 私は言いました。「地蔵菩薩は、『地獄が空にならない限り、決して仏にはならない』という誓いを、本当に実践しておられるのですね。菩薩について学びたいと、心から思います!」 阿玉は、地蔵菩薩のお教えとお導きに、限りない感謝を捧げます! 弟子阿玉は、大いなる恩ある怙主、十輪によって苦を抜き、冥界とこの世の双方を利し、大聖・大慈・大誓願を具えた地蔵菩薩摩訶薩に、至心に叩頭礼拝いたします! 白い蓮の花に乗って帰ります。 32/判官は言った。「聖母マリアは観世音菩薩の化身である」――観世音菩薩が地獄を巡り、苦しみを救う 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 「判官! 阿玉はお尋ねしたいのですが、いつも地獄におられる地蔵菩薩のほかにも、地獄で苦しみを救っておられる聖者はいらっしゃいますか?」 判官は言いました。「おられるとも! ほかにも観世音菩薩、文殊菩薩、阿弥陀仏、薬師仏などがおられる。観世音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩などは、菩薩のお姿を現しておられるが、実際にはすでに仏の功徳を十分に具えておられ、仏と何ら違いはない。まさしく、『一仏が世に出れば、千仏が擁護する』ということだ。 観世音菩薩は久遠の劫よりも前に、すでに仏となられ、その名を正法明如来といわれる。文殊菩薩は七仏の母である。仏や菩薩には、誰が一番で誰が二番ということはなく、皆が平等で、その光は互いに照らし合い、呼応し合っている。仏は宇宙の中で最も清らかな高度の智慧であり、高次の光体である。仏は大神力を具え、できないことはなく、知らないこともない。すべての仏は等しく、無縁の大慈と同体の大悲を具えておられる。無縁の大慈、同体の大悲とは、仏の智慧と感情の両方が、常に最も高い均衡を保ち、しかも互いに溶け合って同時に働くこと、すなわち悲と智が共に働くことで表れる慈愛をいう。それは平等であり、敵と親しい者、種族、教派を区別せず、命が短く弱々しい動植物に至るまで、一様に平等に慈悲と救済を施す。これが仏と人との違いだ。人は智慧と感情の両方を高度に釣り合わせることができない。そのため、人は地獄へ来て衆生を救うことができないが、仏はいつでも地獄へ来ることがおできになる。 仏や菩薩が地獄へ来て衆生を救われるときは、因果の法則に従われ、因果を破ることはない。地獄には、この世から堕ちてきた衆生のうち、生前、修行には励んだものの戒律を守らなかったため、地獄の悪業による重い果報を受ける者たちがいる。彼らが冥府の裁判の大広間へ来ると、取り調べや判決を受ける際に、仏や菩薩の呪を暗唱する者がいる。仏や菩薩の呪を唱えると、強大な威神力が生じ、その罪ある霊を守ることができる。そのとき閻王は鬼卒に命じ、その霊を引き立てて孟婆亭へ連れていき、孟婆湯を飲ませ、すぐに人間界の胎内へ転生させて、そこで死なせるのだ。すべての霊体は胎に宿ると、十か月の胎内の獄の苦しみを受けなければならず、母親の狭い子宮の中で、七か月から十か月、身をかがめて暮らす。霊体が母体に宿る期間は、それぞれ異なり、業力によって決まる。この狭い牢獄にいるだけですでにつらいのに、昼夜を問わず母体の感情の変化にも耐えなければならず、母体が取る食べ物の冷たさや熱さも、胎児に寒地獄や熱地獄のような苦しみを与える。このような胎内の獄でのさまざまな苦しみの中で、霊体は前世の修行で唱えた呪を忘れやすくなる。ただし、大いなる修行者であれば、母胎にいるときも胎内の獄の苦しみを受けずに済む。大いなる修行者は、胎に宿った後でも自由に出入りできる。しばらくは胎に入らず、体の外から母体内の肉体に加持を施し、正常に発育し成長するようにして、生まれるときになって初めて正式に胎へ入るのだ。普通の霊体はすべて、胎に入った後はもう出ることができず、生まれるまで必ず胎内の獄の苦しみを受けなければならない。 罪ある霊は胎内で死に、それによって呪を忘れた後、再び地獄へ入って罪を裁かれる。まだ呪を忘れていなければ、完全に忘れるまで、このように胎内で死ぬ過程を何度も経てから、地獄の報いを受ける。仏や菩薩が地獄へ来て衆生を救われるのは、いずれも罪ある霊が地獄の報いを受けた後、心に懺悔の念を起こした場合に、その心性が回復する因縁を見定められてからのことなのだ。 観世音菩薩は、よく地獄で苦しみを救っておられる。最近も邪淫地獄へ衆生を救いに来られたので、お前を見学に連れていこう。邪淫地獄にいる若者たちのために、この世で功徳を積んで回向し、観世音菩薩が地獄へ救いに来られるよう感応を招く親は、非常に少ない。仏は『普門品』でこう説かれている。『仏は無尽意菩薩に告げられた。善男子よ! もし無量百千万億の衆生が、さまざまな苦悩を受け、この観世音菩薩のことを聞いて、一心にその名を称えるならば、観世音菩薩はただちにその声を観じ、彼らは皆、解脱を得る。』」 着きました! ここには仏の光が降り注いでいると感じられ、たちまち涼やかで静かになりました。とても清らかで、心も体もすがすがしいです! 判官は、観世音菩薩が電眼鉄丸地獄の一人の少年を救っておられると言いました! 弟子上官玉華は、五体投地して観世音菩薩に頂礼いたします! 私が見た菩薩のお姿は、カトリックの聖母マリアの慈悲深いお姿でした。判官は、聖母マリアは実は観世音菩薩が現される化身の一つなのだと言いました。 仏は『普門品』でこう説かれています。「無尽意菩薩は仏に申し上げた。世尊よ! 観世音菩薩は、どのようにこの娑婆世界を巡られるのでしょうか。どのように衆生のために法を説かれるのでしょうか。その方便の力は、どのように働くのでしょうか。仏は無尽意菩薩に告げられた。善男子よ! ある国土の衆生が、仏の身によって救われるべき者であれば、観世音菩薩はただちに仏の身を現し、その者のために法を説かれる。辟支仏の身によって救われるべき者であれば、ただちに辟支仏の身を現し、その者のために法を説かれる。」観世音菩薩は縁に応じて衆生を救い、縁に応じてふさわしいお姿を現されるのです。 電眼鉄丸地獄にいるあの少年をよく見ると、見覚えがありました。あっ、思い出しました! 一年前、葬儀場の霊堂で、あの子の遺影を見たのです。あの子の霊堂は、私の親戚の霊堂の隣にありました。そのとき両親はカトリックの儀式で葬儀を行い、線香を供えず、仏式の法要もせず、ただ祈りの文句を唱えて祈っていました。前回、判官は、この男の子は十二歳で命を終えたと説明してくれました。両親にとって、この少年はたった一人の息子でした。二人は毎日泣き暮らし、まだ悲しみから立ち直れていません。カトリックを信仰する二人に分かるのは、毎日聖母マリアに祈り、善を行って貧しい人々を助けることだけでした。そうした行いが感応を招き、慈悲深い観世音菩薩が男の子を教え導くために来られたのです。54 今、聖母マリアのお体から、再び白く清らかな慈悲の光が放たれるのが見えました。その光は地獄全体を照らし、地獄はすでに涼やかになり、すべての刑罰が一時停止していました。昨年、電眼鉄丸地獄を見学したとき、この少年は本当に悲惨な状態で、血が地面いっぱいに流れ、とても見るに堪えなかったのを覚えています。少年は自分の体の前で手を動かして十字を切り、神聖なる聖母マリアに感謝を述べ、聖母に直接お会いできるとは夢にも思わなかったと言いました。 そのとき、聖母マリアは慈悲深く柔らかな声で教えを説かれました。「体も髪も皮膚も、父母から授かったものです。子よ、あなたはこの世での寿命がまだ尽きていないのに、魂はすでに冥府へ帰ってきました。この世にいるご両親が、無数の矢で心を刺されるような思いをしていることを、分かっていますか?」 少年はもう涙を抑えられず、顔中を涙でぬらして泣きながら言いました。「もし時を戻せるなら、二度とどんなポルノ刊行物も見ません。今日、僕は神聖なる聖母マリアの前で、徹底して懺悔します。両親にも心から懺悔したいのに、もう二度と気持ちを伝え合うことができません。僕は親不孝です! 死んで当然です! 両親は僕をこの上なくかわいがってくれました。何か欲しい物があれば、必ず願いをかなえてくれました。物にはすでにとても恵まれ、大きな家に住み、二人の家事使用人が昼も夜も世話をしてくれました。両親の愛情も深く感じていました。それなのに今では、来世で育ててくれた恩に報いることだけを願うしかありません。」 [非逐語のあらすじ] 「六歳の頃、好奇心からコンピューターで大人向けのものに触れたのをきっかけに、自分では抑えにくい習慣を身につけてしまいました。その習慣は学校でも続いていました。両親は仕事で忙しく、毎日朝早く出かけて夜遅く帰り、普段、放課後は二人の家事使用人が僕に付き添っていました。両親が家にいないと、彼女たちはよく友達と電話で話していました。僕が部屋にいるのを見ると、よい子にしているのだと思い、邪魔をしませんでした。」 「こうして十歳になると、僕は腰が痛くなり、全身がとても疲れ、力が入らず、いつも寝足りないように感じるようになりました。歩くのにも杖が必要で、まるで小さなおじいさんのようでした。母は僕を大勢の医師に診せましたが、治りませんでした。後に中医師から、重い腎虚で、年を取る前に衰えていると判断されました。このとき初めて、両親は僕が自慰をしていたことを知りました。叱られはしましたが、やはり両親は息子を心から愛していたので、引き続き僕を連れて各地の名医を探しました。僕も自慰の害を感じ始め、しばらくやめました。両親は僕がよい子になったと思い、見守りを緩め始めました。」 [非逐語のあらすじ] 「治療を受けている間も、以前に見聞きしたものが頭から離れず、抑えられないまま習慣を繰り返しました。心身がつらくなり、十二歳のとき、牛頭と馬面に大きな鉄の鎖で地獄へ引きずられてきて、刑罰を受けました。ずっと隠していたことを打ち明けると、胸のつかえが少し軽くなりました。同じようなものに触れている友達が多く、その親たちは事情を知りません。友達のことが心配です。聖母マリア様、どうか僕を救ってください。天国へ行って、友達に気をつけるよう伝えたいのです。」 聖母マリアは諭されました。「現世のご両親は、今も毎日あなたを思っていますよ!」少年は言いました。「神聖なる聖母様! どうか僕をここから救い出してください。やはり天国へは行かず、同級生たちを助けたいです。すべての男の子に、ポルノサイトを見ないよう、自慰をしないよう説きたいです。もしそれができなければ、僕の両手はちぎれ、口はただれるでしょう。」 聖母マリアは諭されました。「徹底して過ちを改めようとする心があるのは、よいことです! すべての過ちは心に由来し、ただ心によって生み出されます。思いが起こるところから努め、常に正念を保てば、おのずと邪念に汚されなくなります。多くの有情たちに邪淫の悪習を断つよう説くという誓願は、善い願いです。誓ったことができなければ両手がちぎれ、口がただれるというのは、悪い願いです。悪い願いを立てれば、正念を失います。願いを立てることはできますが、善い願いを立て、悪い願いは立ててはいけません。善い願いも悪い願いも、一つの因です。因があれば果があり、願いを立てれば、いつかそれが成就する日が来ます。願いは目に見えない力であり、その力は、生まれ変わるたびに私たちを突き動かす働きをします。善い願いは何度でも立ててよく、私たちの霊性の光明を成就させ、高めてくれます。悪い願いは決して立ててはいけません。悪い願いを立てれば、悪循環が生じ、自らその報いを受けることになります。さらにひどい場合には、人やほかの生き物を害し、他人も自分も損ないます。悪い願いは堕落の因であり、善い願いは命の光明へと歩むための礎なのです。」 菩薩の加持と教化を受けるうちに、少年の心の光は、初めの暗い赤色から、今では淡い白色に変わっていました。彼の霊体は、すでに上へと救い上げられつつありました。私は判官に、少年は地獄へ堕ちてまだ間もなく、刑罰も受け終えていないのに、なぜこれほど早く救い上げられるのかと尋ねました。 判官は言いました。「少年は、もともとの心根がそれほど悪かったわけではない。ただ、両親が忙しすぎて、時を逃さずに健全でよい教育を与えられなかったため、正知正見の欠けた環境の中で道を誤り、地獄へ堕ちたのだ。今、観世音菩薩の救いに巡り会い、菩薩の威神力にすがって救済されることができた。それに少年の心からの懺悔が加わり、この二つがそろって初めて、これほど速やかに救い上げられたのだ。」 今日もまた、たくさんのことを学びました! 判官、ご苦労をおかけして説明してくださり、ありがとうございました! 私、阿玉は判官に合掌しました! 白い蓮の花に乗って帰ります。 跋 陰律は無情なれど、仏には情けあり あるネット利用者から、なぜ陰律は「無情」なのかという問いがあった。陰律は因果とも言える。因果は変わることのない、宇宙の法則である。「無情」とは因果の必然性を指し、何によっても変わらず、このような因をまけば、このような果を得るということである。因果は三世にわたるため、必ずしも今生ですぐに見られるとは限らない。しかし、因果は真実であって偽りはなく、身分、地位、財産、名声、男女、老若、肌の色など、さまざまな違いによって、特例や相違が生じることはない。因果の前では衆生は平等であり、そのため無情とも言えるのである。 だが、陰律は無情なれど、仏には情けがある。因果の法則は変わらないが、善悪の果報がまだ形になっていない段階では、その間にあるものを縁と呼び、過ちを改めて善へ向かうことで転じることができる。諸仏菩薩は大慈大悲をもって、いついかなるときも倦むことなく、一切衆生に利益をもたらしておられる。それぞれの資質に応じて教え、縁に随って示し導き、絶えず正法の輪を転じておられる。それによって衆生は、苦を離れて楽を得るためのよりどころ、究極の解脱への道、速やかに彼岸へ至るための明かりを得られるのである。 今日の時代には、善行をなす人もいるが、因果を知らずに悪業をなす勢いのほうがいっそう強く、災難、戦争、疾病が頻発している。威神力、功徳力、慈悲力、善業力、回向力が合わさって働いても、それはなお対症的な対処にとどまる。根本から治めるには、一人ひとりが因果を理解し、邪を改めて正に帰り、悪を捨てて善に従うべきである。境遇は心に随って転じるため、諸仏は絶えず法輪を転じておられるのである。 『陰律無情』という書物が時と情勢に応じて世に出たのは、仏菩薩が衆生を憐れみ、慈悲をもってお取り計らいくださったからである。上官玉華先輩もまた、労苦をいとわず、勇んで重責を担い、心も力も尽くして人々のために働いてこられた。人々の中には、因果を知らずに業をつくり、何度諭されても聞き入れない者もいる。それでも仏菩薩は、衆生が苦しむのを見て忍びなく思われる。そのため、衆生に地獄の真相を見せ、心から懺悔して過ちを改める気持ちを起こさせ、まだ悪業をつくっていない人も、それを知ってつくらずに済むようにしてくださる。それは地獄の手前に最後の防衛線を設けたかのようであり、いわば地獄の門のところで、あなたが苦しみを受けに行かないよう、ここで引き止めようとするものである。いつでも、どこでも救い護ってくださる仏菩薩の恩を、いつ語り尽くすことができようか。あなたが『陰律無情』を読んで本当に懺悔し、過ちを改め、その後は二度と犯さず、広く伝え流布して、他人が改めるのを助けるなら、地獄の門はおのずと閉じられる。しかし、なおも聞かず、信じず、思うままに悪業をつくるなら、地獄の大門は自分の手で開かれ、誰にも止めることはできない。けれども、知っておいてほしい。そのとき、地蔵菩薩が地獄であなたに会われるとすれば、菩薩が望んでおられるのは、あなたが菩薩道を行じ、衆生を救うために地獄へ入ってくることであり、悪業をつくって報いを受けるために、再びあなたに会うことではないのだ! 皆さん、どうかご自愛を! 阿弥陀仏! 道嵐 謹んで合掌 国を護り民を愛し、因果を明らかに理解する 人はこの世に生きて、いったい何をなすのか。苦しむ者はなすすべなく苦しみを受け、楽しむ者は福に頼って業をつくり、また苦しみを受ける。これを繰り返して定まることがない。因を知り、果を理解しなければ、せっかくの人の身を、むなしく過ごしてしまうのではないか。 印光大師はかつて護国息災法会で、国を護り民を愛するうえで肝要なのは、因果を深く信じること、菜食と放生、持戒と念仏などであると説かれた。印光大師はこう言われている。「今、世界が災厄に見舞われ、私たちがさまざまな災難を受けているのは、すべて過去の悪業が招いたものであり、それによって今の苦果を受けているのである。苦果を免れようとするなら、苦の因を取り除かなければならない。苦の因とは何か。貪・瞋・痴の三毒である。善い因とは何か。生き物を救い、人を利することである。一人ひとりが因果の道理を明らかに理解するなら、もろもろの悪をなさず、すべての善を行うので、災害はおのずと起こりようがなくなる。ただ、今の人は因果の道理を知らず、私欲が胸に満ち、あらゆる悪をなし、自分のことしか知らず、他人がいることを顧みない。因果とは、聖人が天下を治め、如来が衆生を救うための大本である。仏は言われた。『前世の因を知りたければ、今生で受けているものがそれである。来世の果を知りたければ、今生でなしていることがそれである。』また、『易』には、『善を積む家には、必ず子孫にまで及ぶ慶びがある。不善を積む家には、必ず子孫にまで及ぶ災いがある』とある。『書』には、『善をなせば、百の吉祥が降る。不善をなせば、百の災いが降る』とある。その道理は、わが仏の説かれた因果とまったく同じである。」国を護り民を愛する大師の真心と切なる思いは、紙面に生き生きと現れており、一句一句が真理を説き、一字一字に慈悲が込められている。55 『陰律無情』は、悪業による苦しい報いを、世の人々に正式に示した書物である。人は言う。「見渡しても悪い報いは今生に現れていないのだから、因果の道理は信じるに足りない」と。そうして自分の欲望を放任し、やりたい放題に振る舞い、人も自分も害している。法の網は広大で、目が粗いようでも何一つ漏らさず、三世の因果は古今を貫いている。報いがないのではなく、まだその時が来ていないのだということを知らないのである。特にこの方便の門を開いたのは、人々に苦果を知らせて苦の因を取り除かせ、悪を断って善を行うよう願うためである。 たとえば、苦の因の一つである邪淫について、印光大師はこう言われている。「これは天理に逆らい、人倫を乱すものである。生きては衣冠を着けた禽獣となり、死んでは三途の悪道に堕ち、千万億劫を経ても抜け出せない」。国の未来は人材にかかっており、人材で大切なのは資質、資質の核心は徳と才である。世の人々が多く邪淫を犯せば、徳が失われ、才能が損なわれ、災いは尽きない。現世では体が虚弱になり、早く老いて病気がちになり、治りにくい婦人科の病気にかかりやすく、さらには子を産めなくなることさえある。邪淫を重ねれば、家庭が崩壊し、不和が多くなり、妻子が離散して多くの恨みが積もり、仕事で挫折し、名誉が地に落ち、福と財が減り、寿命が短くなる。青少年がポルノを見て、自慰や邪淫を行えば、かけがえのない青春を損ない、徳を失い、身を壊してしまう。国の未来を担うのは、まさに青少年である。どうして痛惜せずにいられようか。これはまさしく、国も人も誤らせる隠し武器である! 人を目に見えないうちに壊し、目に見えないうちに害するのだ! 問:おっしゃることはもっともですが、道理を説いて人の心を諭し、導くこともできるはずです。なぜわざわざこれほど多くの地獄の刑罰や血なまぐさい場面を書き、人を怖がらせ、気を重くさせ、不安や苦痛を感じさせなければならないのでしょうか。しかも、多くの人は地獄があるとは信じていません。かえって自分で道を塞いでしまうのではありませんか。 答:病に合ってこそ、よい薬です。今日ではすでに多くの人が因果を信じず、三世の因果については、なおさら目で確かめることが難しいと言っています。この特別な方便を開くのは、悪業には必ず悪果の報いがあることを示し、この世にいるうちに過去の過ちを改め、これからを修めて、悪道への転落を免れるようにするためです。さらに本書には、因果の法則についての教えも多くあります。これは道理と具体的な事象の両方を重んじ、互いに補い、通じ合わせるものです。人が恐れることを知って悪をやめ、やめることを知って改めれば、地獄の門は破られ、菩提の道が開かれるのです。 問:『陰律無情』という本に書かれていることは、本当なのですか。信じればあり、信じなければないのですから、読まないほうが気楽です。 答:信じればあり、信じなければない。誰もが同じです。『陰律無情』に書かれていることが真実かどうかは、仏の説かれた因果の法則を基準にすべきです。本書は、地獄で受ける悪い報いのごく一部を、今日、詳しく語って善へと導くものであり、自分が見たことがあるかどうかを根拠にするものではありません。たとえば宇宙空間の天体は、かつての科学の限界によって私たちがまだ発見していなかったからといって、存在しなかったわけではありません。一時的に見えないことが、存在しないということになるのでしょうか。ですから厳密に言えば、人は一時的にまだ見ていないことはあっても、絶対に存在しないとは言えないのです。56 あらゆる場面で人としての本分を守れば、心身は穏やかに整い、家庭は和やかで楽しく、社会も調和する。国の本は人であり、人の根は徳にある。まさに、国は徳なくして栄えず、人は徳なくして立たないのである! 道嵐 謹んで合掌 陰律無情 第二集 目次 0/自序 1/生死簿 2/実は、すべてはとうに書かれていた!――人類の運命の暗号と寿命の増減、生死簿を見て天機を知る! 3/ついに、長く語り伝えられてきた孽鏡を見る――孽鏡台の前に善人はいない! 4/冥府の最高統帥、冥君閻王大帝 5/『冥府霊体通牒』――牛頭と馬面が、現世の者の寿命が尽きた際の取り扱いの全過程を詳しく語る 6/正と邪は古来、氷と炭のように相容れず、非難と称賛の真偽を今こそ見定める!――一代の民族の英雄、岳飛将軍を訪ね、当時の出来事を詳しく伺う 7/孟婆の湯を一杯飲めば、恩も恨みもすべて忘れる!――醧忘台を実際に見学する 8/食べ物を無駄にした惨痛な報い――五穀豊穣地獄 9/仏陀自らのお示し――飲食物を無駄にすれば、必ず地獄に堕ちて苦しみを受ける! 10/仏のお言葉――美食に貪り執着し、食べ過ぎて満腹になれば、悪道に堕ちやすい! 11/苦労して積み重ねた福と寿命が、たばこによってむなしく失われてしまう! 12/東岳大帝の昇進と南贍部洲の災難 13/福徳正神・土地公 14/一言の嘘にも大小がある――寒氷抜舌砕身地獄を訪ねて 15/綺語の痛ましい罰――棘のある蛇に舌を巻き切られるガラスコンピューター地獄 16/飛ぶ釘で舌を切る――両舌地獄の刑罰を初めて探訪する 17/悪口の報い――極度の苦痛を伴う毒蛇釘腸地獄 18/決して釣りをしてはならない――孤魂独釣剣海魚地獄 19/阿玉、城隍に拝謁する 付録 冥罰淫律 『関帝聖君戒淫経』注解 文昌帝君の淫行を戒める宝訓 印光大師増訂『寿康宝鑑』――身を守り命を保つために戒めを守るべき時期、および天・地・人に関する忌みの表 私と『陰律無情』の物語 0/自序 阿弥陀仏! 皆さん、こんにちは! 未熟な私に『陰律無情』を執筆する神聖な機会を授けてくださった仏に、感謝いたします。未熟な私、阿玉は、自らの業力によるさまざまな障りのために、仏意と天意に応えて一刻も早く本書を完成させることができず、まことに恥じ入っております。この場を借りて、皆さんに深く懺悔いたします。私は、衆生に対する大乗菩薩の無縁の大慈と同体の大悲の精神を学び、『陰律無情』の残りの執筆を引き続き進め、完成させてまいります。 『陰律無情』を書き始めてから、見聞が広がった一方で、私、阿玉は、これまでの人生で一度も起きたことのない、さまざまな出来事にも遭遇しました。それは心の力を大いに試すもので、精神も気力も著しく消耗しました。私の精神や気力が十分でないときは、地獄へ行けず、文章を書くのが遅れてしまいます。それが直接の原因となって、『陰律無情』はなかなか完成に至りませんでした。 『陰律無情』の執筆を通して、私が最も強く感じたのは、戒律を守ることの大切さでした。戒律を守ることなど自分には縁遠く、出家した修行者のすることで、私たち凡夫には関係がないと思う人は大勢います。しかし、このような考えは因果に合わず、陰律の法則にもかないません。実のところ、大いなる成就を得た方々は皆、まだ凡夫として修行の因を積む段階から、道理と法にかなうよう、さまざまな戒律を注意深く守ることが必要だったのです。 戒律を守ることは、人として生きる根本です。誰でも五戒を守れば、さまざまな功徳を備えることができます。誰であれ戒めを破れば、福と寿命を削る無情な陰律の法則から逃れることはできません。戒律を守る仏教徒が戒めを破った場合には、ここにさらに戒を破った罪が一つ加わり、将来、すべての苦果を自ら受けることになります。57 私がもう一つ深く実感したのは、仏の大いなる慈悲の力です。この無上の大慈悲の力は、苦しむ私たち衆生を導き、苦を離れて楽を得られるようにすることができます。私たちはただ感謝の心を抱き、心から念仏し、懺悔すれば、それによって暗い地獄での苦しみをもたらす罪業を消し去ることができるのです。 私たちは皆、凡夫ですから、当然、これまでにさまざまな誤った考えや行いがあったことでしょう。自分の誤った、不適切な行いに気づいたら、すぐに正し、それからは二度と犯さないようにすべきです。生きている間、寿命が尽きるまでしっかりと戒律を守り、善を行って徳を積み、念仏し、放生を行えば、万一、浄土に往生できなかったとしても、冥君閻王は必ず処分を軽くし、私たちの罪業を赦してくださるでしょう。 以上は、未熟な私、阿玉の、恥ずかしながらささやかな所感です。信徒の皆さんと分かち合いたく、書き記しました! ここに、私たちの南贍部洲のすべての有情衆生が、清らかな生活を送り、生涯にわたり邪淫を犯さず、夫婦で清らかに共に修行し、善い縁を十分に備えられるよう、心からお祈りいたします! また、虚空法界のすべての有情衆生が、清浄な戒律を守って成就し、大いなる菩提心を起こし、もろもろの悪をなさず、すべての善を行い、精進して念仏と修行に励み、心身が清らかになり、蓮華から化生できますよう、お祈りいたします! 慚愧する末学 上官玉華 謹んで記す 1/生死簿 私、阿玉が見たところ、生死簿の色は薄い黄色で、表紙には線で描かれた模様がいくつかあり、その上に「生死簿」の三文字が書かれていました。造りや装丁は、昔の糸綴じ本の様式でした。 薄い黄色の一冊には、霊体の生前のあらゆる吉凶禍福が記録されています。判官の手元には、もう一冊、暗い赤色の生死簿があり、そちらには冥府の霊体に関する詳しい情報が記録されています。造りや装丁は薄い黄色のものと同じで、色だけが違っていました。 2/実は、すべてはとうに書かれていた!――人類の運命の暗号と寿命の増減、生死簿を見て天機を知る! 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌して判官に礼をしました! 「判官! 今日は、いくつかお尋ねしたいことがあります。現世に生きている人でも、冥府の生死簿を調べられる人がいると伝えられていますが、本当ですか。生死簿は実在するのでしょうか。また、どのような本なのでしょうか。現世の人は、占いによって生死簿に記されたことを知ることができると聞きましたが、本当でしょうか。どれだけ食べ、どれだけ着るかは、生まれる前から決まっているのですか。生まれたときに寿命がどれだけあるか決まっているとしたら、たとえば健康に気を配る、生活を規則正しくする、飲食を節制する、よく運動するなどによって、あらかじめ定められた寿命は延びるのでしょうか。それとも、決められたものはまったく変えられないのでしょうか。運命は変えられますか。寿命を延ばしてほしいという願いは、かなえられますか。寿命を増やしたり減らしたりする量に、限度はありますか。よろしくお願いします、判官!」 判官は答えました。「現世には確かに、冥府へ来て生死簿を調べられる者がいる。冥府へ来て生死簿を調べられる生者は、もちろん普通の凡人ではなく、必ず特別な因縁を持っている。寿命を終えていない生者は、冥府へ来ることができない。冥府へ来るのは、主に二種類の者である。一つは、業力に随って来る者だ。すなわち、生前に地獄へ至るさまざまな悪業を犯し、その業に随って報いを受けに来る者で、自分の意志ではどうにもならない。総じて言えば、身業・口業・意業という三種類の業を犯した者たちである。身業には、殺生・偸盗・邪淫という三つの大きな種類が含まれる。口業には、妄語・綺語・悪口・両舌という四つの大きな種類が含まれる。意業には、貪・瞋・痴という三つの大きな種類が含まれる。58 今述べた身の三業、口の四業、意の三業を犯した現世の衆生は、寿命を終えると魂が冥府へ帰ってくる。ここでは簡単に概略を述べただけで、詳しくはほかにも多くの分類があるが、ここでは細かく述べない。また、生前の行いがよくも悪くもなく、善悪が半々だった衆生は、寿命を終えると鬼道の平民地区に生まれ変わるが、これも第一の種類に属する。 第二の種類は、仏力・願力・福徳力に随って来る者である。このような生者は、必ず人間界で特別な使命を担っている修行者だ。このような修行者は、清浄な戒律を厳しく守り、縁に随って各地で苦難にある者を救い、有情衆生に苦を離れて楽を得させる。衆生を救うために、各地で正法を弘めているのだ。このような修行者であれば、衆生を救うために冥府へ来て生死簿を調べることができる。ただし、このようなことは極めてまれである。 生死簿は、冥府では判官の管理下にあり、普段は判官が手に持っている。生死簿には、一人ひとりの福の報いの大小、すなわち、どれだけ食べ、どれだけ着るか、田畑や家屋、家の財産、父母や兄弟姉妹などの親族、疾病や災難、厄難、そして寿命がどれだけあるかまで、詳しく記録されている。 たとえば、ある者が何年何月何日の何時何分に、どこそこで寿命を終えるかということは、すべて人間界に生まれる前に生死簿に書かれており、勝手に変更することはできない。変更するには、それぞれの衆生のそばにいる倶生神から提供された資料が必要であり、さらに冥府の最高位の閻君の承認を経て、初めて変更できる。 現世の者は、運命を占うことによって、生死簿に記録された事柄を知ることができる。占い師は、その人の正確な生辰八字59さえあれば、一生の吉凶禍福を割り出せるが、割り出すことができるだけで、変えることはできない。現世では至る所で、運命や金運、結婚、仕事などを変えられると称しているが、その大半は、金をかき集めようとする商売の手口の一つだ。多くの人は、占い師が相談者の過去の出来事や家族の人数などを正確に言い当てると、驚き、優れた力を持つ人に出会ったと思ってしまう。術数に精通していて割り出せる占い師も一部にはいるが、実際には、占い師に霊体が憑いている場合が多い。 霊体には他心通などの神通力があり、占われる者の心の思いや考え、過去の出来事の一部を知ることができる。ところが、現世の者にはまったく見分けがつかず、それどころか優れた力を持つ人に出会えたと喜び、占い師の言いなりになってしまう。その後、運勢の改善、人間関係の向上、仕事運・縁結びの運・健康運の向上、風水の陣を組むことなど、いわゆる運命全体を向上させるための一連の施策が始まる。大金を使い、時間もずいぶん無駄にしたのに、実のところ、定まっていた運命は少しも変わっていないとは、思いもしないのだ。災難は同じように訪れ、病気にもなり、最後にはやはり死ななければならない。 運命を変えるには、占い師に頼んで変えてもらうのではなく、本当に運命を書き換えようとするなら、自分自身を頼りにしなければならない。善行を多く積み、自ら福を求めれば、占ってもらう必要はなくなる。福があれば、おのずと力を貸してくれる人に恵まれ、健康、家庭、仕事、結婚なども望みどおりになる。他人にできることは、せいぜい傍らから気づきを促すことだけだ。善を行うには、自分自身が確実に実行し、常に心に留め、朝夕休むことなく続けなければならない。そうすれば、定まっていた運命も変わり、その人の生死簿も、そこから書き換えられるのだ! 阿玉、よく知っておきなさい。一生、体の健康に気を配り、規則正しい生活を送り、食事を節制し、十分な睡眠を取り、よく運動する人がいても、こうしたことによって、もともと定められていた寿命が延びることはない。定まった寿命そのものは変えられないのだ。もちろん、日頃からよく養生していれば、病気による体の苦しみは、おのずといくらか少なくなる。 実のところ、大多数の衆生は運命を大きく変えることができず、一生を通じて特に変わったこともないまま死へと歩み、業に従って、再びそれに応じた道へ流転していく。もちろん、どのような衆生であっても善を行い、たとえそれがごく小さく、取るに足りないように見える善行であっても、本心から他人のためを思って行うなら、将来得られる善い報いが非常に大きくなり、それによって自分の運命を変えることもありうる。定まった運命の軌道に影響を及ぼせるのは、大悪をなす者と、大善をなす者の二種類だ。大悪をなす者は、死後、真っすぐに落ちて地獄へ直行し、報いを受ける。一方、大善をなす者は、孝行によって天をも感動させ、人知れず広く徳を積み、苦しみや災難にある者を救う。その福報は限りなく増し、もともと定まっていた運命をも突き破って、少しずつ上へと進み、死後は天界に生まれ、幸福と安楽を享受することができる。 おまえが尋ねた、寿命を延ばしたいという願いについては、かなえることができる。ただし、延ばせる寿命には限りがあり、道理と正しい法にかなう形で求めなければならない。道理と正しい法にかなうとは、たとえば体の具合が悪く、肉体を養うために食べ物を補う必要があるときでも、自分の肉体を養うために、決して動物の命を傷つけてはならないということだ。天には、命を大切にする徳がある。衆生の命を傷つけて自分の命を養うことは、陰律が厳しく禁じ、排除している行為であり、寿命を延ばせないばかりか、命の借りを一つ負い、将来、悪い果報を招くことになる。寿命を延ばしたいと願う者は、まず必ず菜食を守るべきことを、肝に銘じなければならない。他の命を傷つけておいて、どうして長寿を得られようか。命を奪われれば、相手は必ず憤り、納得がいかず、必ず報復の機会をうかがう。だからこそ、菜食は寿命を延ばすための礎なのだ。さらに、大いなる慈悲心を起こし、すべての衆生を救い、苦しみから離れ、安楽を得られるようにしなければならない。大いなる菩提心を起こして、広くすべての衆生を救い導き、一生、菜食と放生を実践するのだ。本当にそれができれば、生死簿に記された寿命は必ず延びる。どれほど延びるかは、起こした志の大きさと、積んだ功徳の多さによって決まる。 私の手元にある生死簿にも、願わずして寿命を延ばされた人が一部いる。中には、衆生を救うという大きな志を起こしたわけではない、普通の人もいる。ただ、ひとすじの真心、人を助けたいという心から、道で不正な仕打ちを見かけたり、危機に直面したりしたときに憐れみを抱き、苦難にある衆生の命を一つ救ったのだ。このような者はみな、倶生神の定期的な報告によって、寿命を延ばされることになる。しかし、本人たちは自分の寿命が延びたことを知らない。このような場合、延びる寿命は通常6年から12年だ。陰徳をとりわけ厚く積んだ衆生は、一生ではその報いを享受しきれないことがある。その場合は、幾度もの生に分けて、長寿の報いを受けることになる。人間の寿命には定めがあり、陰律の賞罰が自然の法則を壊すことはない。」 そこで、私、阿玉は判官にもう一つ尋ねました。「仏陀は経典の中で、食事や睡眠を少なくし、さらには眠らずに修行するよう、人々を教え導いていますが、これは健康や寿命に影響するのでしょうか?」 判官は言いました。「仏は、宇宙の中で大いなる智慧を備えた修行者であり、私たちが歩む修行の道を、かつて一歩一歩歩まれた方だ。仏は自ら経験しているのだから、どのように人々を導いて、この修行の道を歩ませればよいか、おのずとご存じなのだ。仏がこのように人々を教え導いて修行させることは、健康や寿命に影響しない。寿命に影響するのは、身・口・意の三業で罪を犯すことや、生まれてから自分の体を大切にせず、むやみに暴飲暴食し、昼夜が逆転した生活を送り、感情を抑えられなくなるなどの原因だけだ。 食事や睡眠を少なくすることは、体を養ううえでとてもよい。実は、人は食べず、眠らずにいることもできるのだ。一念ごとの呼吸を大自然と響き合わせ、天人合一の境地に達することができれば、おのずと健康で長寿となり、食べず、眠らずにいられるようになって、生まれ変わる前の光明へと戻ることができる。ただし、普通の人にはできない。だから仏は、人々に順序を踏んで少しずつ進むよう教え、まず食事を少なくさせる。食事が少なくなれば、おのずと睡眠も少なくなり、さらに進んで眠らずに精進して修行するのだ。 先ほども言ったとおり、人がどれほど食べるかは、生まれ変わる前にすでに定められている。今、食事を少なくすることは、今生にもともとあった福報を蓄えておくことに当たる。こうして長く、食事や睡眠を少なくし、さらには眠らずに精進して修行を続ければ、日々積み重なって、必ずいっそう大きな福報と善果を得られる。それがどうして寿命に悪い影響を及ぼすというのか。さて、阿玉、分かったかね?」私はうなずき、分かったことを示しました。 判官は言いました。「今日はここまでだ。質問があれば、また来るがよい!」 「はい!阿弥陀仏!判官、ありがとうございます!」 私、阿玉は判官に合掌して礼をしました!白い蓮の花に乗って帰ります! 3/ついに、長く語り伝えられてきた孽鏡を見る――孽鏡台の前に善人はいない! 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌して判官に礼をしました! 「今日は判官にお尋ねしたいのですが、伝説にある孽鏡台とは、どのようなものなのでしょうか。幼い頃、家の年長者たちが、人は亡くなると冥府へ行き、孽鏡台に姿を映さなければならないと、よく話していました。それは本当なのでしょうか。ぜひ一度、見学してみたいのです。」 判官は説明しました。「孽鏡台は、悪業をなした者のために特別に造られたものだ。一人ひとりの心の奥には、いわば孽鏡の記録装置がある。現世の者が毎日行う、あらゆる善いことも悪いことも、その孽鏡の記録装置によって記録、撮影されており、倶生神によっても、ひそかに一つひとつ書き留められている。 孽鏡台の材料は、現世の神木と玻璃宝から取り、そこに天地の陰陽の霊気を集めて凝結させたものだ。天地の陰陽の霊気のうち、陽は光明と善業を表している。現世で一生善業を行った者は、霊性が明るく、孽鏡台に来ても一面の光明となり、何の映像も映し出されない。だから、善人は孽鏡に姿を映す必要がない。陰は暗闇や影、すなわち悪業を表す。現世の者が生前に何らかの悪業を行えば、それがどれほど秘密のことであっても、自分の心でははっきり分かっている。そのすべては阿頼耶識に収められ、心の奥にある心の鏡に収められて、内心に影となって現れるのだ。 孽鏡台は、もともと陰陽の二つの気を集めて造られているため、罪ある霊の悪業による陰性の霊気に触れると、たちまち互いに通じ合い、その霊が一生の間に行った悪業を、すぐさま映し出す。罪ある霊の正体は、何一つ隠すことなく暴かれ、隠れようもなくなる。これは『華厳経』にいう、『もし三世の一切の仏を明らかに知りたいと願うなら、法界の本性を観ずるべきである。一切はただ心の造るものである』ということであり、すなわち心の投影なのだ。 罪ある霊が孽鏡台の前に立つだけで、その一生における大小すべての隠された罪悪が、一つひとつ映し出される。孽鏡台が映像を映すと、その周りに立っている衆生はみな、その霊のあらゆる罪や悪行を同時に見ることができる。多くの罪ある霊は恥じ入り、後悔し、恐れおののく。しかし、もはや後悔してもどうにもならず、凶暴な鬼卒に引きずられていき、長く苦しい地獄の刑罰を受け続けるほかない。 人が一生、善を行い、徳を積み、正々堂々として、心に少しも隠し事がなければ、その身にはこのうえなく善い純陽の気が備わっており、孽鏡台の前に来ても、そこには何も映らない。一生善を行った人は、孽鏡台に姿を映しに来る必要がなく、寿命が尽きると、その霊性の明るさに応じて、そのまま上の境地へ昇る。霊性が明るい者ほど、より高く昇るのだ。縁のある他方の仏国土へ昇る者もいれば、福徳を備えた善神に導かれて天界に往生する者もいる。善くも悪くもない霊体は、十殿での審理を経て、人間界への生まれ変わりを命じられ、その福報の厚薄に応じて、男性か女性か、富貴か貧困か、長寿か夭折かなどが定まる。悪業を行った者は、孽鏡台の前に来なければならず、一生に行った悪業のすべてを目の当たりにした後、恥じ入りながら、なすすべもなく鬼卒に連れていかれる。」60 「阿玉、私についてきて、冥府の業鏡大殿を見学しなさい。」 「承知しました、判官!」 前方に、たくさんの人が見えてきました。幅の広い楕円形の大きな鏡があり、判官は、これが孽鏡台だと言いました。鏡のいちばん上には「孽鏡台の前に善人はいない」と書かれていました。判官は私に、大きさを測るよう言いました。 その孽鏡台は、高さが約3.3メートル、幅が1.8メートルで、青緑色の長方形の木製台座に支えられており、台座には浮き彫りの模様が刻まれているように見えました。鏡の表面は玻璃宝で、その縁を、青緑色の浮き彫り模様のある木枠が囲んでいます。この玻璃宝が、罪ある霊の一生の罪深い行いを映し出す大きなスクリーンなのです。孽鏡台の青緑色の木の浮き彫りは、かすかな光をちらちらと放ち、その傍らにいる凶暴で恐ろしい顔の鬼卒と相まって、実に恐ろしく感じられました!さらに、孽鏡台には、罪ある霊たちが生前、人知れず犯した密かな悪業が映し出され、本人と罪の証拠が目の前にそろいます。それを見ると、本当に肝が冷え、恐ろしさはいっそう増すのでした! ここにいる罪ある霊はみな、寿命が尽きたばかりの者たちで、すでに冥府の雰囲気を感じ取り、大半が浮かない顔をしています。ちょうど、一人の男が「俺は一生、人殺しも放火もしたことがないのに、なぜここへ引きずってくるんだ?外へ出せ!」と言うのが聞こえました。凶暴な鬼卒二人が男を引きずり、孽鏡台の前へ力いっぱい突き飛ばすと、男はひどく苦しみながら、無理やりひざまずかされました。幅広い孽鏡には、すぐに男の生涯の邪淫の場面が浮かび上がりました。相手の女性は一人どころではなく、まったく見るに堪えません。これは度を越した邪淫というものです。男は正妻を怒りと悲しみで病床につかせ、憂鬱のうちに死に至らせていました。幸い、こうしたものは私に影響を及ぼしません。そうでなければ、見終えた後、目を洗わなければならないほどでした!このとき、男の霊はすでに両脚を震わせており、鬼卒に引きずられていきました。 次に、一人の女の罪ある霊を見ました。この女の霊は、上品そうな、整った顔立ちをしていました。どんな罪を犯したのでしょうか。孽鏡に映し出されたのは、厳しく戒を守り、仏法を広めていた一人の男性在家信者を、彼女が友人と一緒に誹謗した様子でした。この女の霊は、自身も仏教を学び、その知識もたいへん豊かでした。残念なことに、嫉妬心を起こし、厳しく戒を守って仏法を広めるその男性在家信者を故意に誹謗し、彼がある人を強姦したことがあると中傷したのです。その中傷は功を奏し、誰も法話を聞かなくなったため、男性は隠棲して修行するしかなくなりました。 この女の霊による男性在家信者への誹謗は、友人のそれよりも激しかったです。友人は、彼女ほど仏法の知識がなく、智慧に乏しく、人の言うことをそのまま繰り返す類いの人で、ただ他人について誹謗していただけでした。ところが、この女の霊は、あらゆる方法を尽くして男性在家信者を誹謗しようと、心ひそかに企て続け、ついには男性を隠棲して修行するに至らせたのです。 女の霊は、その誹謗によって喉の癌になり、同時に合併症も起こしていました。口と鼻から長く膿が流れ、病院のベッドで静脈点滴を受け続け、苦しみのうちに寿命が尽きました。このとき、女の霊はすでに、大変な災いが迫っていることを悟り、すぐに地面にひざまずいて許しを乞いました。鬼卒は、荒々しく叉で彼女の口を突き、言いました。「これからも正法を誹謗し、人の慧命を断つつもりか?今から閻王のもとへ行くぞ!」 女の霊は、本当に哀れでした!こうなると分かっていれば、初めからあんなことをしなければよかったのに。正法を広めることを妨げるのは、有情の衆生が解脱する道を断つことであり、地獄で重い報いを受ける悪業なのです。陰律には、誹謗する者を罰するさまざまな刑罰があります。しかし、これらの地獄の果報をすべて受け終わる頃、世の中が何年何月になっているかは、もはや知れません! その後ろにも、長い列が続いていました。罪ある霊はみな列に並び、その数は、見渡しても果てが分からないほどでした。全員が孽鏡台に姿を映しに来なければなりません。人間界には、悪業をなす者が何と多いことでしょう! 今日は時間の都合で、見た事例は多くありませんでした。実際、この「孽鏡台」を見るのは、少々つらいものがあります。映し出されるのは、戒を犯す行為ばかりだからです。子どもには見せられないものだけでなく、殺人の流血場面や、人を傷つけ苦しめるさまざまな場面、互いに陥れ合う策略など、恐ろしい血なまぐさい事件も多いです。ああ!!!短い時間では、罪ある霊の一人ひとりに話を聞くこともできないし、私も、あまり詳しく描写したくはありません。詳しく描写したら、この『陰律無情』は、きっと、とてつもなく恐ろしく、人を震え上がらせる本になってしまうでしょう。 結局のところ、皆さんには、このかけがえのない人の身を大切にし、五戒を守り、十善を行い、多くの福徳を積んでいただきたいです。最低限、人として生まれる道だけは守り、決して地獄へ落ちないでほしいです。地獄は、本当にあまりにも、あまりにも苦しいです。30秒そこにとどまるだけでも、耐えがたいほどなのです! 判官は言いました。「今日はここまでにしよう。阿玉、まずは戻って文章を書き、世の人々に、よく身を修め、心を養い、善業を力強く実践するよう戒めなさい。誰にも知られず、天にも分からないと思って、地獄へ落ちる悪業を行ってはならない。孽鏡台の前では、大小を問わず、すべての悪業が一つ残らず姿を現すことを知るがよい。世の人々が、陰律の無情な報いを自ら招かぬよう願っている!」 「阿弥陀仏!判官、ありがとうございます!」 私、阿玉は判官に合掌して礼をしました!白い蓮の花に乗って帰ります! 4/冥府の最高統帥、冥君閻王大帝 酆都大帝のお姿について、今から私、阿玉が、見たとおりに皆さんへ報告します。 冥府の最高統帥である冥君閻王大帝、すなわち酆都大帝は、体格がたくましくがっしりとして、背が高く、威風堂々としており、見る者に、とても厳粛な印象を与えます。大帝のお顔は丸く、目鼻立ちが整っています。大きな目はにらむように見開かれ、眉と目のどちらにも、非常な威厳が感じられます。 大帝は、善を行う人にはほほえみかけます。ほほえんでいるときのお顔は穏やかに見えるが、罪ある霊たちに対しては、このうえなく厳しく怒りを示し、眉と目がともにつり上がるため、見る者は畏れを抱きます。 大帝が罪ある霊たちを叱りつけるとき、その声は耳をつんざきます。もともと小さくない目が、怒るとさらに大きく見開かれ、口も大きく開きます。そして机を強くたたき、罪ある霊たちをすっかり震え上がらせるのです!大帝には、常に人を容易に近づけないような雰囲気があります。 大帝の冠には長方形の部分があり、その前後にすだれ状のものが垂れています。長方形の部分は黒く、垂れている部分は白いです。冠は、古代の官人の冠の様式で、人間界の山河や大地の模様があしらわれ、実に堂々として見えます。全部で五つの色が使われています。中央には一つのルビーがあり、その両側には、波の形をした青い海があります。海の上には黄土色の大地があり、その上には緑の林や高い山々があります。模様全体の組み合わせがたいへん雄大で、人間界の山河や大地のすべてを、冠に集めたようでした。 大帝が身にまとう朝服には、鮮やかな七色の六道輪廻図が描かれています。その図は円形で、均等に五つの部分に分かれています。いちばん上は天道と阿修羅道で、男女の天人が飛び、阿修羅が争い、天の軍勢と戦っています。天道と人道に対する位置には地獄道があり、その中には、油の釜で煮られる罪ある霊や、鬼卒に打たれる霊、銅の柱に抱きつく霊などがいます。天界に隣接する、時計回りの方向には人道があり、人は富貴な者、労働者、貧しい農夫の三種類に分かれています。人道の下、時計回りの方向には鬼道があり、腹の大きな餓鬼、飢えた鬼、ひどくやせて小さな鬼、煙火鬼などがいます。鬼道に向かい合う方向には、さまざまな畜生、家禽、野生動物などがいます。61 5/『冥府霊体通牒』――牛頭と馬面が、現世の者の寿命が尽きた際の取り扱いの全過程を詳しく語る 最近、人間界の多くの都市では、毎日の天候が瞬く間に変わっているように感じます。特に沿岸部ではそうです。つい先ほどまで日が照り、燃えるような大きな太陽に照りつけられて、背中まで汗びっしょりになっていたかと思うと、たちまち風が吹き、土砂降りになります。外出中、少し小さめの傘を差していれば、風にあおられて裏返り、全身ずぶぬれになることもあります。最近は、こうしたことが、ほぼ毎日、一日に何度も起きています。沿岸部に住んでいれば、風や波、天候の変化はいっそう激しく、体の抵抗力が少し弱いだけでも、風邪をひきやすいです。周りの多くの人が、天気が悪い、蒸し暑い、空気が悪いと、不満をこぼしています。 大小の商業施設やオフィスビルに入ると、中はまた冷房がひどく冷たいです。暑くなったかと思えば寒くなり、この急な寒暖の変化に体はつらく、誰もが天気がよくなり、もう少し安定してほしいと願っています。けれども、皆が希望を抱いていても、現実の天候は相変わらずです。人はいつも、自分の身の回りのすべてがよい状態であってほしいと願います。しかし、大半の人は、普段、自分が大自然をどのように扱っているかを顧みていません。 私たちは毎日、箸やティッシュ、さまざまな凝った包装など、多くの使い捨て製品を使い、環境を汚染するものを大量に生み出しています。日々、とても美しい日用品や家電、家具、本革のソファー、革の服、絹の服、目を見張るようなさまざまな装飾品を消費するとき、考えたことがあるでしょうか。私たちは、いくらかのお金を払って、それらを買うだけです。しかし、それらが美しい製品になるまでには、その陰で、人知れず多くの哀れな命が犠牲になっています。あるいは、膨大な人手や資材を費やして、ようやく一つの精巧な製品が出来上がります。その陰で、無情にも犠牲にされ、道連れに命を奪われる生き物たちは、心から進んで、人間の豪華な食事となり、皮をはがされ、人間の身に着けられたいと思っているのでしょうか。あの小さな動物たちに尋ねれば、きっと望んでいないはずです。これは、環境を深く傷つけ、汚染をもたらす一因なのです。 二つ目は、人の思念です。毎日、公共交通機関に乗ったり、街を歩いたりすると、多くの人を見かけます。その表情には、疲れ、不幸せな気持ち、いら立ち、心配、恐れが表れています。実際、多くの人には霊体が憑いており、楽しく、思いどおりに暮らすことは、たいへん難しいのです。 私たち人間のさまざまな負の思念は、絶えず周囲へと放たれています。殺された動物たちも同じように、自らの生死にまつわるさまざまな怨みの念を放ち、それが周囲の空間に響き渡っています。彼らはみな報復の機会をうかがい、いつでも人類にさまざまな災難をもたらそうとしています。実は、私たちの思念は、大自然全体の気候変動に直接影響しています。今日、私たちが招いている自然の気候変動は、まさに毎日心から放っている念の果報なのです。それゆえ、経典には「法界の本性を観ずるべきである。一切はただ心の造るものである」と説かれています。 南無阿弥陀仏!仏の力の加護に感謝します!白い蓮の花に乗って出発! ちょうど前方に、牛頭と馬面が見えました。どこへ行くのでしょう。近づいて挨拶してみよう! 「阿弥陀仏!牛頭さん、馬面さん、お二人はこれからどちらへいらっしゃるのですか?」 牛頭さんが言いました。「おお!阿玉、来たのですね。『陰律無情』は書き上がりましたか?」 「お恥ずかしい限りです!もっと努力しなければいけませんね。できるだけ早く完成させます。お二人のお心遣いに感謝します! お二人は、会うたびにお忙しそうですが、普段、お仕事で重圧を感じることはありますか。万一、連れていく人を間違えたら、冥君閻王に解職されるのでしょうか。いつもそんなに怖いお顔をしていらっしゃいますが、どうして少し笑わないのですか。専門家によると、いつも明るい気持ちでいると、体が健康になり、ストレスも和らぐそうですよ!」 牛頭さんが言いました。「私たち牛頭と馬面は、冥府の現場で働く者です。毎日、冥府から、現世の者の寿命が尽きることを知らせる通知書を大量に受け取ります。それが『冥府霊体通牒』で、略して冥牒と呼びます。 『冥府霊体通牒』には二種類の色があり、一つは淡い黄色、もう一つは暗い赤色です。淡い黄色の冥牒は、冥府の官人である賞善司と罰悪司が手にして現世へ行き、死者の霊を迎えて冥府へ導くためのものです。私たち牛頭と馬面が持つのは、暗い赤色の冥牒だけです。 淡い黄色の冥牒は、寿命を終えた現世の者に善業が多いことを示します。暗い赤色の冥牒は悪業が多いことを示し、その者は、さまざまな地獄へ落ちて刑罰を受けることになるのです。 『冥府霊体通牒』には、現世の誰それが、どこそこで、XX年XX月XX日X時X分X秒に寿命を終えること、また、どのような出来事によって命を終えるのかが詳しく記されています。私たちは、その正確な時刻と場所で霊体を捕らえ、そのまま冥府へ連れ帰って刑罰を受けさせます。頑固な霊体に出会ったときには、厳しい態度で接し、冥府へ押し込みます。寿命を終える場所や出来事は人それぞれですが、多くは病気になり、最期は病院のベッドで亡くなります。そのため、病院は現世の多くの人が寿命を終える場所であり、私たちもよく病院へ行って霊体を捕らえ、連れ帰るのです。 私たちは、基本的には人を間違えて捕らえることはありません。『冥府霊体通牒』には現世の人が亡くなる過程があらかじめ映し出されるので、冥牒を受け取ったときに一度目を通しておくからです。現世の人は皆、寿命を終える前には、体からある種の光を放っています。ただ、その明るさは人によって違います。体の光が明るいほど、大いに善を行う人であり、ときには清らかな修行者でもあります。現世の人の体から光が完全に消え、さらに黒い地獄の光に包まれていたら、それは私たち牛頭と馬面が冥府へ連れ帰るべき霊体です。この二つの特徴が現れるので、基本的には間違えません。万一、本当に間違えて捕らえてしまった場合には、すぐに霊体を人間界へ送り返します。冥君閻王も、その出来事の原因を詳しく調べたうえで対処なさいます。 冥君閻王は、戒めを犯した衆生には確かに厳しい罰をお与えになります。しかし、私たちが故意に過ちを犯したのでなければ、改心して出直す機会をくださいます。あらゆる物事には、それを成り立たせるさまざまな原因と結果があるのです。もちろん、私たちは物事をとても慎重に扱います。そうでなければ、たびたび霊体を捕らえ間違え、個人のいいかげんな仕事ぶりのために、人間界の家庭に悲劇をもたらしてしまうではありませんか。たとえ冥君閻王から罰を受けなくても、私たち自身が重い因果の負債を背負うことになります。通常は、その霊体が寿命を終える前に現場へ到着し、周囲の状況を調べ、身元の情報を照合して、人違いを防いでいます。 今、私たちが毎日捕らえている、寿命を終えた霊体は、ほとんどすべて邪淫の戒めを犯した現世の人たちです。私たちに捕らえられて冥府へ連れ帰られる霊体は、生前、必ず地獄に至るさまざまな悪業を行っています。今の人間界では、数えきれないほどの人々の多くが邪淫の罪を犯し、その霊体には邪淫の磁場の気配が濃く漂っています。それを目にして、どうして私たちが笑えるでしょうか。 このような邪淫の悪業を負った罪の霊の中には、寿命を終えてなお邪淫の念を放ち続けている者もいます。習慣が身についてしまった結果です。私たちは厳しい態度を取ってこそ、罪の霊たちの意識を引き戻し、人間界での福報はもう使い果たしたのだから、しっかり懺悔して地獄の刑罰を受けなければならない、と分からせることができるのです。 本当は私たちも笑いたいのですが、どうしても笑えません。『陰律無情』が人間界で広く行き渡り、誰もが読んで人の道を守り、地獄に至る悪業を犯さなくなり、すべての地獄が空になったなら、そのときこそ私たちもきっと笑うでしょう。 今は地獄へ堕ちる現世の人があまりにも多く、私たちの仕事はますます増えています。阿玉さん、本当に一刻も早く『陰律無情』を書き上げてください。この善を勧める書によって人々の心が善へと変わり、人間界にこれから起こるさまざまな災難を食い止められるよう願っています。 阿弥陀仏! 私たちには仕事がありますので、また機会があればお話ししましょう。どうぞ見学を続けてください。私たちは先に行きます。それでは、また!」 阿弥陀仏! 牛頭と馬面は、本当に移動が速いですね! もう姿が見えなくなりました。冥府で働く方々は、誰もがとても怖そうに見えますが、皆、正義感に満ち、責任感も強いのです。私も戻って、急いで文章を書き上げなければなりません。 南無阿弥陀仏! 白い蓮の花に乗って帰ります! 6/正と邪は古来、氷と炭のように相容れず、非難と称賛の真偽を今こそ見定める!――一代の民族の英雄、岳飛将軍を訪ね、当時の出来事を詳しく伺う 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌して判官に礼をしました! 「判官様! 今日は岳飛将軍のもとへお連れいただきたいのです。人間界には将軍にまつわるさまざまな言い伝えがあり、幼いころには学校で、先生が岳飛将軍を称賛するお話を聞いたこともあります。」 判官は言いました。「岳飛は冥府の将軍です。阿玉さん、私について来てください。将軍の屋敷へお連れしますから、ご自身で岳飛将軍にお話を伺ってください。」 着きました! 緊張と喜びが入り交じります! 前方には寺院のような古風な建物があり、その正面中央に「岳飛将軍府」と書かれています。赤い門の前には武器を手にした四人の夜叉が立っており、そのうちの一人が判官を見ると、礼をしました。 判官は夜叉に、将軍へ取り次ぐよう言いつけました。現世の在家仏教徒、上官玉華が、冥府から指定された『陰律無情』という本を執筆し、人間社会の風潮を清め、戒めを犯すことに迷い込み苦しんでいる現世の衆生を救うため、冥府で取材して資料を集める必要がある、今、上官玉華が将軍にお目にかかり、お話を伺いたいと参上しているので、お伝えしてほしい、ということでした。 夜叉はすぐに先に屋敷へ入り、取り次ぎに向かいました。もう一人の夜叉も私たちを将軍府の前の広間へ案内し、座ってお茶を飲みながら、しばらく待つようにしてくれました。この広間には奥へ直接通じる扉があり、私たちは座って待ちました。 ここの様子は地獄らしくなく、官吏の屋敷らしい雰囲気が強く感じられます。当番の夜叉が見回っています。先ほど門にいた夜叉が出てきて、将軍はまもなく会議に出るが、その前に少し時間があるのでお会いくださる、と伝えてくれました。そこで、夜叉に案内されて奥の広間へ入りました。 この奥の広間は、前の広間よりはるかに大きく、正面中央には「尽忠報国」という四つの大きな文字が書かれています。行書のようなその四文字からは、正義を守ろうとする気配の磁場が放たれています。見ると、文字が躍るように生き生きとして、正義感に満ちており、心を打たれます! 広間の中央には執務用の机があり、将軍がその真ん中に座っています。私は合掌して岳飛将軍にご挨拶しました! 平民の女、上官玉華、将軍に拝謁いたします! 岳飛将軍:「礼はよい。上官玉華、遠慮はいらぬ、立ちなさい。話したいことは、率直に話してかまわない。」 岳飛将軍の顔色は黒みがかっており、顔つきは非常に厳格ですが、冥府の多くの閻王ほど怖くは見えません。厳格でありながら正義感に満ちているという印象です。将軍は冥府の官吏の服を着ており、その色は灰色です。 岳飛将軍:「上官玉華、この『陰律無情』をしっかり書き上げなさい。地獄に至る悪業を犯せば、必ずそこに堕ち、限りなく果てしない苦しみの報いを受けることを、人間界の衆生に知らせるのだ。堕ちるのは容易だが、出るのは非常に、非常に難しい。私に尋ねたいことはあるかね?」 阿玉:「将軍! はい。人間界には、将軍についてさまざまな言い伝えが残っています。例えば、将軍は誰に命を奪われたのでしょうか。結局、秦檜に殺されたのでしょうか、それとも皇帝に殺されたのでしょうか。また、今は当時ご自身が殺されたことをどのように受け止め、どうお考えなのでしょうか。広く人々に親しまれ、長い年月にわたって歌い継がれる詞『満江紅』は、本当に将軍がお書きになったものですか。将軍は三国時代の張飛の生まれ変わりだという言い伝えもありますが、本当でしょうか。こうしたことをお伺いしたいのです。それから、将軍は今、冥府で将軍を務めておられますが、秦檜はどこにいるのでしょうか。どうか、この平民の女の疑問をお解きください。」 岳飛将軍:「私は生前、確かに秦檜によって命を奪われた。当時、秦檜はずっと私を妬んでいたが、初めのうちは、ただ妬んでいるだけだった。彼は、陛下が私の国を愛する心を評価してくださることを妬んでいた。それで、しばしば陛下の御前で何かを言ったり行ったりして、私の戦闘計画を妨げていた。戦いが始まる直前に、私の戦闘計画に反対する意見を出したことも何度もあったが、そうした企ては何度もうまくいかなかった。 当時、私は彼が殺意を抱くとは思っていなかった。ただ、秦檜は妬みを抱いており、私とは物事の進め方が少し違うだけだ、と私は考えていた。仕事をするときは、個人の見解の違いから摩擦が生じるものだ。実際、彼も何か成果を上げて、陛下に一目置かれたいと願っているだけなのだと思っていた。 今から見れば、当時の私は秦檜について、確かに判断を誤っていた。物事の進め方が私と少し違うだけだと、いつも思っていた。その結果、秦檜への用心にはほとんど注意を払わず、ただひたすら、真心から忠義を尽くして国に報いることばかりを考えていた。 やり方が違っていても、互いに忍耐し、少しずつ譲り合えば、物事はいずれ収まるものだ。私は、もっと大きな局面、いかに家と国を守るかということを重視していた。個人的な恨みや争いなど、そもそも心に留めるほどのことではなく、些細なことで彼と言い争う必要もなかった。私にはひたすら誠実な心があるのだから、何も説明する必要はない。男たるもの、実際の行動で自らの潔白を証明すべきなのだ。 当時、命を奪われたことについて、私の心には何の恨みもない。勝敗は武人にとって常のことだ。今日勝っていても、明日敗れれば、必ず死に直面する。それはいつ起きてもおかしくない。そのときがいつ来るかは重要ではない。最も大切なのは、私の犠牲に価値があり、私の死が国の恥とならないことだ。当時、私は無実の罪を着せられて殺されたが、心の中では命令に従って死を受け入れていた。死は私にとって、まったく恐ろしいものではなかった。 最期を迎える前も、私の心には、忠義を尽くして国に報いよという母の教えが残っていた。このことを思うと、どれほど嘆かわしかったことか。子として、母に育ててもらった恩にもまだ報いておらず、国に忠義を尽くして報いる自らの責任も果たしていない。そして国は、真心から家と国を守ろうとする戦士を、また一人失おうとしている。最後に心に浮かんだのは、もし来世があるなら、忠義を尽くして国に報いる責任を、必ずもっと立派に果たそうという思いだった。その後、私は勅命によって死に処されたのだ。私は誰も恨まなかった。秦檜が讒言を重ね、私を陥れる計画を立てたことも恨まず、陛下が道理を見失って忠義ある善良な者に死を命じたことも恨まなかった。私にとって、それらはもはや重要ではなかった。 死後、私が冥府の裁きの大殿へ来たとき、冥君閻王は、私が殺されても何の恨みも復讐の念も抱かず、最期まで家と国を守ろうと心に思っていたことをご覧になり、私を冥府の将軍に任じられた。今、私は冥府で軍事全般をつかさどっている。人間界で戦争が起ころうとするとき、私たち冥府は三か月前から戦いの手配をする。 人間界の戦争は、一つ一つが実は、人類が過去の殺生によって作った共業であり、定業でもあるからだ。定業は通常、変えることができない。本当に変えようとするなら、非常に強大な善業によって転じる必要がある。一般には、仏の力に加えて、強大な善業の力があってこそ、定業を変える機会が生まれる。この変化も、定業がもたらす害を最小限にするにすぎない。今の人々の心は善良でなく、定業はなかなか変えられない。そのため、『陰律無情』という本が出版されるのはよいことだ。人々の心に善を勧め、感化する効果を期待できる。 人間界で戦争が起きるとき、冥府の軍隊は、戦争のさまざまな細部をあらかじめ手配しておかなければならない。例えば、誰が勝ち、誰が負けるのか、死傷者は何人になるのか。私たちはすべて前世の因果に従って手配し、処理しておく。つまり、人間界でまだ戦いが始まる前に、冥府ではすでに結果を手配し、知らせを出しているのだ。そして私は、軍隊を配置し、戦争の際に生じるさまざまな仕事を処理する責任を負っている。 冥府の戦争は人間界の戦争とは違う。人間界で戦争が起きれば、人は生身の体だから、負傷すると一生障害が残り、命を失うことさえある。冥府の戦争は、法力と心の力による戦いであり、まったく異なるのだ。 秦檜は、忠義ある善良な者を殺害し、汚職を働いたことなどの罪により、今は泰山地獄で刑罰を受けている。泰山地獄での刑期を終えた後も、抜舌地獄や射眼地獄などへ行って、さらに刑罰を受けなければならない。秦檜が生前に犯した悪業は重く、地獄を出て自由になれるのは、思うに、はるか遠い先のことだろう。 それでも私は、彼が一日も早く地獄の苦しみから抜け出せるよう願っている。結局、生前、私たちは同じ時代に同じ君主に忠誠を尽くし、同じ国土の上で暮らしていた。ただ、二人の務めや役職が違っていたにすぎず、私から見れば、そもそも違いはない。それぞれ自分の務めをしっかり果たし、国を守り、民が安定して暮らせるようにすればよい。個人の生死や幸福、安楽などは、そもそも重要ではない。食事といっても一日三食、眠る場所といっても寝床一つにすぎない。あまり多くを追い求める必要はなく、広く民のためになれば、それでよいのだ。 人の心に抱く念は、何と大切なものだろう。今、私と秦檜はともに冥府にいるが、その境遇には天と地ほどの隔たりがある。私は今も毎日、さまざまな軍事上の手配に忙しくしている。かつて人間界で私に従っていた部下の一部も、寿命を終えた後、今なお冥府で私に従い続けている。一方、秦檜も同じ冥府にいるとはいえ、地獄で、限りなく果てしない、長い劫にわたる苦痛の刑罰に耐えなければならない。 私は世の人々に忠告する。官職にある者は、決して賄賂を受け取って法を曲げ、公の立場を利用して私利を図ってはならない。忠実に職務を果たさず、国を欺き、民の財をむさぼり、庶民を草芥のように扱い、同胞の幸福を図らないなら、生前、たとえ国法を逃れられても、死後は陰律の容赦なさから逃れることは難しい。忠義を尽くして国のために働き、民を赤子のように慈しみ、どこでも民の幸福を第一にし、国土の平和と安定という重責を担い、君主を欺かず、人目のないところでも偽らず、力を尽くして善を実践するなら、この身の命を終えた後、一筋の忠義の魂は必ずまっすぐ天へ昇り、幾千万年もの喜びを享受するであろう! 尋ねられた詞『満江紅』は、まさしく当時、私が胸にこみ上げる思いを詠んだものだ。私が三国時代の張飛の生まれ変わりだという話については、それは言い伝えにすぎず、事実ではない。私にどうして張飛ほどの武勇があろうか。 あなたに言っておこう。冥府の陰律の法則は、絶対に公正明晰で、わずかな誤りや漏れもない。人間界のように、真相がはっきりしない冤罪やでっち上げ、誤った裁きが数多くあるわけではない。また、冥府には人間界のような汚職を取り締まる機関もない。冥府の官吏は皆、公のために尽くして法を守り、汚職をする官吏は一人もいない。冥府に来れば、誰もが平等であり、人間界のあらゆる冤罪は、冥府の孽鏡台の前ですべて一つ一つ、ありのままに示される。容赦のない陰律の法則が固く縛りつけるのは悪を犯した人だけであり、大いに善を行う人を縛ることはできないのだ。 上官玉華! 『陰律無情』を丹念に書き上げなさい。今、地獄へ堕ちる衆生は、本当にあまりにも、あまりにも多いのだ。この本が一刻も早く刊行され、民が読んで悪を改めて善に向かい、自らを修め、その善を他者にも及ぼすことを願っている。そうすれば風雨は順調となり、国に戦いもなくなるだろう。 さて、今日はここまでにしよう。私にはまだ公務がある。質問があれば、また訪ねて来るとよい。」 阿玉は合掌して岳飛将軍に感謝しました! 判官に感謝します! 夜叉の護衛の皆さんに感謝します! 白い蓮の花に乗って帰ります! 付録: 岳侯の石像を見て――(宋)劉仙倫 かつて太鼓を打ち鳴らして国境で戦い、国の重臣として、その一身に国の命運を担った。62 天下に、武穆をしのぶ人はどれほどいるだろう。百年を経た今日、そのお姿にまみえる。 筆先には風月を詠む三千字、口もとには十万の兵を率いる氷霜の威厳。 天も、人の心に晴れぬ恨みがあると知っている。きっと、国を再興する務めを託すはずだ。 岳武穆の伝記を読んで――(元)潘音 万里に広がる浮雲が、見渡す景色を暗くする。千の山々に落日は沈み、あたりは深く暮れてゆく。 朝廷は、自ら国の再興への志をくじき、国境へ出陣した大将の思いは、むなしく費やされた。 臣たる者は、死に至るまで仇を討てなかった。奸邪な者たちが仕掛けた罠、そのたくらみはあまりにも深い。 ただ、精忠を記した伝記が、一つの文箱に残るだけ。涙をぬぐいながら繰り返し読み、思いを抑えられない。 『満江紅』――宋の思陵63が岳武穆に与えた親筆の勅書の拓本に題す(明)文征明 欠け残った碑をぬぐえば、岳飛に下した勅書の文字が、かすかながら読み取れる。 嘆かわしい。初めには、どれほど岳飛を頼りにしたことか。それなのに後には、何とむごく扱ったことか! 果たして、功を成した身は死すべきだったというのか。悲しいかな、事が過ぎては、言葉では償いきれない。 何の罪もない者への、恨まずにはいられず、なおさら哀れを誘う、風波の獄! 中原が追い詰められていることを、思わなかったのか。徽宗・欽宗の受けた辱めを、痛ましく思わなかったのか。 だが、徽宗・欽宗が帰ってきたなら、この身の置き場はどこにあるのか! 千年の後まで、南へ渡ったのが誤りだったなどと言うのはよそう。当時、みずから恐れていたのは、中原が回復されることだった。 笑うべきことだ、取るに足らぬ秦檜一人に、いったい何ができたというのか。ただ、主君の望みに迎合したのだ。 岳武穆の祠に参拝して思う――(清)八指頭陀 南へ渡り、一隅の安泰に甘んじた国は、すでに滅びた。祠堂や墓の木々は、今もなお青々としている。 士は、並外れた節義がなければ、名を世にとどめがたい。忠義の魂が宿る地では、草さえも芳しい。 風雨にさらされる湖や山も、今なお恨みを感じている。行き交うきこりや牧人たちも、もの寂しさに包まれる。 もし二人の皇帝が、生あるうちに帰っていたなら、夕日に向かって血の涙を流す者が、誰かいただろうか。 岳将軍を悼む三つの絶句――妙証 国に報いる赤誠の心、九尺の槍。かつての戦場で、戦袍は血に染まった。 一人の将軍が功を成し、千古に涙を残した。十二枚の金牌が、忠良の士を葬った。 背には鮮やかな赤で「尽忠」と刻み、柳の葉を射抜くほどの弓の技を、周桐に学んだ。64 忠義と孝行をともに全うし、小さな自我を捨てる。男たる者、ここまで至れば英雄である。 国土を取り戻して二帝を迎え、胸に抱く大志を明かして、万の人々を驚かせる。 降りしきっていた雨がやみ、目を上げて遠くを望む。今このときの私の思いを、誰が知ってくれようか。 7/孟婆の湯を一杯飲めば、恩も恨みもすべて忘れる!――醧忘台を実際に見学する 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌して判官に礼をしました! 判官に尋ねました。「冥府の衆生は皆、生まれ変わる前に孟婆湯を飲まなければならないのでしょうか?」 判官は言いました。「孟婆湯は冥府にしかありません。天界にも西方極楽世界にも、ほかのどの仏国土にも、孟婆湯というものはありません。魂が冥府に帰ってきた衆生は皆、生まれ変わる前に孟婆湯を飲まなければなりません。その働きは、前世を忘れさせ、自らの業力に従って、新たな家族と再び暮らすようにすることです。人は本来聡明で、物事を深く見通して分析するさまざまな力を備えています。孟婆湯を飲んで過去のすべてを忘れることがなければ、輪廻して生まれ変わり、業力に隔てられて胎内に入る際の迷いが生じたとしても、ある特定の状況や因縁が働くことで、前世の断片を思い出すことがあります。孟婆神が冥府で働くようになる前は、冥府には孟婆湯はありませんでした。 古代の人々は、生まれつき心が善良でした。初めて人間界に来た人類の祖先は、色界の光音天の天人で、神通力を使って地球へ遊びに飛んできたのです。当時の地球は山も水も美しく、空気も清らかで、今のように至る所に大気汚染や工業による化学汚染があるわけではありませんでした。そして、人の心の本性を最も損なうのは、さまざまなメディアの誤った情報や好ましくない情報による汚染です。 当時、地上には地肥というものが生えていて、とても新鮮で果物の香りが辺りに広がる、果実のような形をしていました。この地肥は、天界の果物にも少し似ていました。天人たちはこうした果物に引きつけられましたが、当時の地球にはまだ人類は一人もいませんでした。天人は五戒を守り、盗みの戒めを犯しません。地肥は誰の所有物でもなく、つまり大地に属するものだったので、天人たちは地肥を味わい始めました。食べてみると、とてもおいしく感じられ、皆、続けてたくさん食べました。 地肥を満腹になるまで食べた天人たちは、地球の粗い物質を口にしたために、生まれながらの霊性の光が皆、薄暗くなっていることに気づきました。体は重く感じられ、自在に飛ぶ神通力を完全に失い、とうとう光音天へ飛んで帰れなくなってしまいました。やがて天人たちは、地球で耕作を始め、子孫を増やし、落ち着いて暮らし、仕事に励むほかなくなり、人類の祖先となったのです。 地肥は大地に属するものです。天人たちは大地に生える物質を食べて、大地と断ち切れない縁を結びました。そのため、足を地面につけて歩かなければならなくなり、飛べなくなったのです。天人たちは自在に飛ぶ神通力を失い、天界へ飛んで帰れなくなりましたが、神通力そのものはまだ持っていました。ただ、飛ぶ能力を失ったのです。 天人は皆、五戒と十善を守って天界へ昇った者たちです。当時、地球に来て暮らしていた天人たちも、戒めを守る心を保ち、因果を信じ、善良で純真でした。皆が仲よく暮らして穏やかな空気に包まれ、悪業や戒めを犯す行為は一切ありませんでした。しかし、この様子は長くは続きませんでした。天人たちの子孫は、地球で暮らす時間が長くなるにつれ、霊性の光がさらに少しずつ弱まっていきました。地球も汚染によって、最初の美しい山や水、清らかな空気を失い始めました。それでも、当時の地球の人類は、今の私たちよりはるかによかったのです。人類が代々子孫を増やし続け、生まれながらの霊性の光が衰えていくにつれ、人類の福報は下がり続けました。皆が戒律を守らなくなり、次第に身勝手になって、小さな災難や病気も次々と起こり始めました。地獄もまた、悪業に伴って少しずつ現れ始めたのです。 昔は地獄も小さく、そこに堕ちる人もごくわずかでした。たとえ刑罰を言い渡されても、わずか数年でした。地獄で数年間罰を受けた後、人間界に生まれ変わり、過ちを改めて心を入れ替える者もいました。その後、地獄に堕ちる現世の人々はますます増え、今では地獄は満員になっています。今、地獄に堕ちて刑罰を言い渡されると、たいてい百年以上で、数年の刑を言い渡される者はもういません。これは、人々の行動や考えが正しくなく、因果に対する認識が著しく欠けているためです。」 判官は続けて言いました。「先ほど、光音天の天人たちが地球へ降りてきて、地肥を食べたために神通力を失い、天界へ飛んで帰れなくなったと話しました。仏は『首楞厳経』で、『人が百穀を食べると、足が地面を離れないようなものである』と説いています。このことからも、私たち一人ひとりが、普段の行動や思いにいつも注意を払い、慎まなければならないと分かります。一念でも気づきを失えば、外の虚妄な境界に振り回されてしまうのです。神通力で自在に振る舞っていた光音天の天人たちは、できたばかりの地球が美しいのを見て(色)、遊びに飛んできました。そして、地肥が果物のようにみずみずしく潤いに満ち、さまざまな自然の香りまで放っていると感じ、その香りに引きつけられ(香)、食べ(味)、取り込みました(触)。そのとき、天人たちの心には食べたいという思いが起こりました。その思いが起こった時点で、それはすでに、美しい心性を妨げる妄念(法)だったのです。この妄念から、さまざまな外への振る舞いが生じ、実際の行動へと移されていきます。65 天人たちは盗みの戒めを犯したわけではありませんが、大地との断ち切れない縁は、ある程度の時間をかけて返していかなければなりません。しかし、この返していく期間にも、さまざまな出来事が次々と起こり続けます。一念一念に正念を保つことができなければ、生命の質はさらに低下し、地獄のさまざまな苦しみをもたらす悪業の種までまくことになります。 もともと光音天の天人は光の塊であり、神通力で空を飛び、自在に姿を変え、現世の人々のような重い血肉の体を持っていませんでした。これはすでに、過去に精進して修行し、清浄な戒律を守ってきたことによって感得した天界の福報だったのです。それなのに、地肥を味わってみたいという一念が起こっただけで、生命の霊性の光は衰え、自分の妄想や執着が増すにつれて、神通力も次第に消えていきました。 当時の天人たちの子孫、つまり最初の人類は、過去世のさまざまな恩や恨み、恋愛にまつわる生活などを覚えていたために、人間界の普通の暮らしに影響を与え、その秩序を乱すことがありました。しかし、孟婆湯を飲むと、業に従って流転し、前世の人も出来事もすべて忘れ、改めて心性を鍛え直すことができるのです。 孟婆湯には、人間の暮らしにある五つの味、甘味、酸味、苦味、辛味、塩味がそろっています。この五つの味は、人間界に生まれた後の運命も表しており、甘さも酸っぱさも苦さも辛さも、すべて備わっています。孟婆湯はどの杯も同じに見えますが、実は入っている材料の分量には多い少ないの違いがあり、材料そのものは同じなのです。例えば、運命に恵まれ、福報が大きく、高貴な生まれで、富があり、人から尊敬され、体も健康であるなどの衆生は、甘味の強い孟婆湯を飲みます。福報に恵まれない者は、とても苦く、酸っぱく感じます。福報が普通の者は五つの味が入り混じり、飲むと喉の渇きが癒やされるようにも感じます。業力が異なるため、孟婆湯を飲んだときの感じ方も、衆生一人ひとりで違うのです。孟婆神も人間界から来た方ですが、地獄に堕ちたのではなく、天帝から冥府に派遣され、職務に就いたのです。 孟婆神は、人間界では仏の教えを学ぶ修行者で、生涯、貞潔を守り、清浄な梵行を修めていました。在世中の俗名も孟婆といい、生まれつき心が善良で、身近な貧しい人々を熱心に助けていました。孟婆は、人間界の衆生が情や愛、家族の間の対立などによって苦しい暮らしを送っているのを見ていました。当時はとりわけ、多くの女性がつらい生活を送っていました。昔は『女子は才がないことこそ徳である』とされ、女性の立場は、家系を継ぎ、子を産み育て、夫を助け、子を教えることだけに限られていました。そのため、多くの女性が苦しみとやるせなさの中で暮らし、一人で悲しんで涙を流していました。孟婆はそのすべてを心に留め、自分と縁のある苦しむ女性たちを精いっぱい助けました。そうしたことから、すべての衆生が苦しみを忘れ、過去を忘れて新しい暮らしを始められるように助けたい、という願いを起こしたのです。当時、孟婆の勧めによって教化された衆生は非常に多くいました。彼女は各地で人々に、殺生を戒め、菜食をし、経を唱え、念仏するよう勧めていました。 孟婆は当時、将来、人の体を少しも傷つけず、飲めばすべての苦しみを忘れられるような湯があったら、どれほどよいだろう、と願っていました。寿命を終えると、生前に困難の中にある有情を助け導いた福徳の力によって天界へ昇りました。天帝は孟婆に神の位を授け、彼女は天界に自分の宮殿を持ち、さまざまな天の福を享受していました。 その後、天帝は、人間界の衆生の心性も悪くなり始めたのを見ました。人によっては、輪廻して生まれ変わった後も、前世の人や出来事、物事を覚えているために、人間界の暮らしの倫理や秩序を乱すことなどが、時折起こっていたのです。ちょうど孟婆は、生前、衆生が苦しみを忘れられるように助けるという善い願いを立てていました。この因縁によって、また孟婆の善願をかなえるために、冥府に特別に『醧忘台』を建て、孟婆神をその管理に任命したのです。醧忘台では、これから生まれ変わる衆生に飲ませる孟婆湯を専門に調合しています。そこには、孟婆の指図に従う鬼卒や夜叉などがいます。阿玉、特別な通路を通って案内しましょう。そのほうがずっと近いのです。醧忘台は冥府の第十殿の後ろにあります。」 私は感謝して言いました。「判官、お手数をおかけします!」 この特別な通路は、本当に特別です。地獄で苦しむ叫び声がまったく聞こえません。防音設備がとてもよいようです。今、一つの建物が見えてきました。中には机や腰掛けがありますが、どうして誰もいないのでしょう? 判官は言いました。「ここは会議室です。今は皆、外で忙しく働いていて、ここ数日は会議がありません。会議があれば、この近道を通って案内することはできません。ここにある物は、私たちが会議のときに使うものです。あなたに『陰律無情』の執筆を委ねる前にも、ここで会議を開きました。私もここで、冥府から出された冥牒の公文書を受け取りました。阿玉、あなたを迎えて冥府の見学を案内し、天機を広く明かす役目を担うよう命じられたのです。あなたが現世へ戻って、冥府で見聞きしたことを書き、人々に善を行い、徳を積むよう勧めるためです。」 ああ、そういうことだったのですね! 前方にもまだ通路が続いていて、私たちは素早くそこを通り抜けました。 『醧忘台』の三つの大きな文字が見えました。醧忘台もとても広い所です! 人間界の、とてつもなく大きな涼茶の店に少し似ている気がします。ここには三種類の、色の違う桶があります。判官によると、透明な桶に入っているのは甘味が強いもので、最も大きな福報を持つ衆生のためのものです。白い桶に入っているのは福報が普通の衆生、黒い桶に入っているのは福報が最も乏しい衆生に飲ませるものです。孟婆湯を配る三種類の鬼卒の服の色まで、それに合わせてあります。透明な桶から配る鬼卒は透明な服を着ており、白い桶から配る者は白い服、黒い桶から配る者は黒い服を着ています。 非常に多くの鬼卒が、忙しく孟婆湯を杯に注いでいます。杯は丸く、下に一本の脚があって杯の本体を支えています。色も大きさも形も、みな同じに見えます。さらによく見てみると、同じようでいて、実は少しずつ違っています。すべての杯は透明で、大きさもそろっていますが、違いは脚に浮き出た模様にあります。一種類目の透明な杯は脚が滑らかで模様がなく、霊体が手に取って孟婆湯を飲むとき、心地よい手触りがします。別の透明な杯の脚には、少しだけ浮き出た模様があり、手に取るとその模様があるのを感じます。最後の種類の透明な杯には、脚に三角形の突き出た模様があり、霊体が手に取って孟婆湯を飲むと、手が少しちくちくして、あまり心地よくありません。 醧忘台の中には小さな部屋がたくさんあり、左右に分かれています。左側は福報が大きく、甘味の強い孟婆湯を飲む衆生のための部屋です。まず左側の小部屋を一つずつ見ると、どの部屋にも机と腰掛けがあります。机の上には甘味の強い孟婆湯が一杯置かれ、二人の女性の給仕が霊体に差し出して飲ませています。つまり、福報のよい者は部屋に座って飲むことができ、人間界の貴賓室に少し似た特別な待遇を受けられるのです。次に右側の小部屋を一つずつ見ると、ここも各部屋に机と腰掛けがあります。机の上には五つの味がすべて備わった孟婆湯が一杯置かれていますが、霊体に差し出して飲ませる女性の給仕は一人だけです。つまり、福報が普通の者も、部屋の中に座って飲むことができます。 さらに先へ進むと孟婆亭がありました。孟婆神は孟婆亭にいたのです。 「孟婆神、阿玉が合掌いたします!」 孟婆神は私にほほえみかけました。判官によると、孟婆神はたいてい孟婆亭にいるそうです。最も多くの出来事が起こるのも孟婆亭です。ここでは時折、孟婆湯を飲もうとしない霊体に出会います。孟婆亭へ孟婆湯を飲みに来る衆生は皆、福報が比較的乏しい者、つまり業障が重い者たちです。そのため、ここには鬼卒もずっと多くいて、皆、先のとがった叉を手に持っています。 大勢の霊体が列を作って孟婆亭へ来るのが見えました。皆、とても疲れきり、ひどく喉が渇いているようです。すでに全身の力が抜けている者もいます。歩ける霊体は自分で歩き、順番が来ると自分で杯を取って飲みます。全身に力のない者は、鬼卒に支えられて孟婆亭まで来て、鬼卒に飲ませてもらいます。 そのとき、鋭い叫び声が聞こえました。一人の女の霊が飲むのを拒み、二人の鬼卒に打たれていたのです。ああ、女の霊は何とひどい目に遭っているのでしょう! 一人の鬼卒が叉で足を打つと、彼女は地面に倒れ、足から血を流しました。それを見たもう一人の鬼卒は、すぐに叉で彼女を突いて持ち上げ、無理やり三杯飲ませました。判官は、この女の霊は後に人間界で足を痛め、喉にも問題が出ると言いました。孟婆湯を飲もうとしない霊体は、鬼卒に打たれるだけでなく、その後さらに、罰として苦い孟婆湯を二杯多く飲まされるのです。その後遺症として、肉体の苦しみを余分に受けなければなりません。孟婆湯を飲み終えた霊体は皆、ぼうっとした状態になり、鬼卒に支えられて生まれ変わりに向かいます。 孟婆亭の前に大きな川があるのが見えました。霊体たちは川へ落ちると、そのまま再び人間界に生まれ変わるのです。 判官は言いました。「今日はもう時間です。阿玉、また次に来てください!」 阿玉は判官に合掌し、頂礼しました! 白い蓮の花に乗って帰ります! 8/食べ物を無駄にした惨痛な報い――五穀豊穣地獄 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました! 「判官! 今日は、食べ物を無駄にするとどのような果報があるのか、お聞きしたいのです。」 判官は言いました。「食べ物を無駄にすると、地獄に堕ち、その果報を受けることになります。どんな食べ物でも、一口いただくたびに、感謝の心と慚愧の心を持って食べなければなりません。食べ物を育んだ天地に感謝し、農夫の苦労に感謝し、育ててくれた父母に感謝し、自分が過去世に積んできた、食べ物に恵まれる福報に感謝するのです。人が生きていくには、食べ物、空気、水、そして太陽の光が必要です。これらは外からの因縁です。こうした外からの因縁がなければ、人間界によい食べ物はありません。ですから、まず天地に感謝しなければなりません。大自然の太陽の光や空気、土地の育みがなければ、五穀や食べ物はどこから来るのでしょう? もととなる条件がそろっていても、五穀は農夫が苦労して耕し、種をまき、水をやり、刈り取り、包装するなど、それぞれの手順を経なければなりません。春に種をまき、秋に収穫するまで、春、夏、秋の三つの季節を過ごします。まさに、『日が真上に昇るころ、穀物畑の草を鍬で取り、汗はその根元の土に滴る。誰が知ろう、皿の中の食事の一粒一粒すべてが、辛苦の結晶であることを!』というとおりです。農夫は照りつける日にさらされ、雨に打たれ、どれほど苦労して、食べ物を少しずつ大切に育てていることでしょう。私たちは農夫の苦労に感謝しなければなりません! 誰もが父の精と母の血によって人間界へ来て、人として生まれます。小さいころは皆、服を差し出されれば手を伸ばし、ご飯を差し出されれば口を開けるだけで、世話をしてもらっていました。ですから、父母が育ててくれた恩に感謝しなければなりません。また、自分が過去世に布施をし、戒律を守り、善を行って、少しずつ積み重ねてきた福報を大切にしなければなりません。福報が足りない人々は、アフリカ、エチオピア、コンゴ、中国の遠く離れた人口の少ない未発達な地域や、その他の貧しい国々などで、深刻な食糧不足に直面しています。多くの大人や子どもが餓死し、あるいは飢えのために顔色が黄色くなり、やせ細り、栄養もひどく不足して、他人の救援を待たなければなりません。救援が来るのを待つ間に、餓死してしまうこともあります! 人間界に生まれるとき、食べる量や着る物の量、背の高さや体の太さ、身分の高低、災難、財産、いつ寿命が尽きるかなどは、すでにすべて定まっています。ですから、食べ物を一口食べることは、今生の運命に定められた福報を享受することでもあります。残された生涯のうちで、福報を享受できる機会が、また一つ少なくなったのです。普通の現世の人々は、この定業を打ち破ることができません。ただ二種類の人だけが、この定業に影響を与えることができます。それは、大善の人と大悪の人です。 大善の人には二種類あります。一つは、仏や菩薩が慈悲によって願いに乗じて再び来られ、人間界の有情を導く聖者です。仏や菩薩は自由に来去でき、定業に縛られません。ときには、縁のある人間界の有情をより多く救うため、聖者がわざとさまざまな苦難を示し、自らの姿をもって法を説き、人々を導くこともあります。実際には、そうした苦難は聖者の心をまったく縛ることができません。人間界の五欲や煩悩の境界に惑わされるのは、凡夫だけなのです。もう一種類の大善の人は普通の凡夫ですが、大慈大悲の心を持ち、大きな福報と陰徳を絶えず積んでいます。このような善人もまた、運命の鎖を打ち破り、まっすぐに上昇することができます。もう一方の大悪の人は、悪業が重すぎるため、やはりまっすぐに地獄へ落ちていきます。ですから、さまざまな食べ物をいただくときは、慚愧の心を持たなければなりません。食べ物は、ただ私たちの色身を養うものです。色身は、道を修めるための道具の一つです。食べ物を重く見すぎて、美食の奴隷になり、食べ物に振り回されてはなりません。同時に、食べ物を無駄にして、五穀を粗末にしてもならないのです。 昔、冥府には小さな飢餓地獄がありました。飢餓地獄に堕ちて刑罰を受ける者は皆、以前、現世では比較的よい福報を持つ富裕な家の金持ちや、金持ちの妻、あるいは商売をする人々でした。福報に恵まれていたため、気ままに五穀や食糧を無駄にし、粗末にした結果、寿命を終えた後に飢餓地獄へ堕ちたのです。また、金を持ちながら物乞いや貧しい人々に布施をしようとしなかった者も、寿命を終えると飢餓地獄へ堕ちて刑罰を受けます。罪ある霊に飢えの苦しみを十分に味わわせ、五穀や食糧の貴さを身をもって知ってもらうとともに、貪りや物惜しみを取り除くためです。以前、飢餓地獄で刑罰を受ける期間はどれも短く、三年からで、最も長いものでも五十年でした。しかし、堕ちる者は多くなく、そのほとんどは年配の金持ちでした。 今、冥府の南には霊性地獄の区域があり、その中に『五穀豊穣』という名の大地獄があります。五穀豊穣地獄では若者が大半を占めており、無駄にされたあらゆる食べ物が、果てしなく連なる大山のように積み重なっています。昔、食べ物を無駄にすると、寿命を終えた後、冥府の陰律によって飢えの罰を受けると定められました。今、食べ物を無駄にする衆生は、寿命を終えると五穀豊穣地獄の報いを受けます。現世で無駄にした食べ物は、どれもすべて倶生神によって記録されます。そして、寿命を終えて五穀豊穣地獄に来ると、生前に無駄にした食べ物を、一つ残らず食べ続け、すべて食べ終えなければならないのです。現世には、食べ物をいつも大量に買い、食べきれないと捨てるのが好きな若者がたくさんいます。冥府の陰律は、この罰によって、食べきれない物を買って無駄にしてはならないことを、罪ある霊に身をもって理解させるのです。買った以上、それはあなたの福報に属するものですから、食べきる必要があります。阿玉、ついてきてください。今から見学に連れていきましょう。」 もう酸っぱいにおいや食べ物の腐ったにおい、吐いた物のにおいが漂い、嘔吐する音やせき込む声も聞こえてきました。『五穀豊穣地獄』の大きな文字が見えました。この地獄も、とてつもなく広いのです! 中は本当に五穀豊穣で、食べ物が一目では見渡せないほどあふれ、山のよう、谷のようで、ひどく恐ろしい光景です! 数えきれないご飯やおかず、ビスケットなどが、大きな包みや小さな包みに入っています。ありとあらゆる食べ物があまりにも多く、とても一つひとつ挙げきれません。水や飲料の類もあり、どれも桶に入れられています。 判官によると、罪ある霊にはそれぞれ、自分専用の食べ物の区域があります。その区域にあるのはすべて、その霊が生前に無駄にした食べ物で、少しも取り違えはないそうです。五穀豊穣地獄には若者がたくさんいるのが見えました。判官は、彼らはこの地獄の刑を言い渡されただけでなく、邪淫など、ほかの罪も犯していると言いました。 今、あちらへ行って、一人の若い女の霊に聞いてみましょう! この女の霊の広い区域にある食べ物は、見ただけでもひどく恐ろしく、いったい何年何月になれば食べ終わるのか分かりません。女の霊には、まだいくらかすっきりと整った顔立ちがうかがえます。彼女は苦しそうに吐いていました! 「阿弥陀仏! どのような具合なのですか? どうしてここへ来たのか、教えていただけますか?」 女の霊は言いました。「ひどく、ひどく苦しいんです! 一秒一秒が本当に苦しくて! 吐き続けて、もうだめになりそうです! あなたは誰ですか? お願いです、私をここから助け出してくれませんか?」 「どうしてここへ来たのか、教えていただけますか?」 「話します! 話します! 私は生前、食べ物をたくさん買うのが好きで、とりわけ、いろいろなおいしい物を買ってきました。でも、太って体形や見た目が変わるのが怖くて、自分ではあまりたくさん食べませんでした。それでも毎日、自分の好きな食べ物を買って帰っていたのです。私には、古い食べ物は決して食べず、新鮮な物だけを食べる習慣がありました。新しい商品を見つけると必ず買い、食べきれなければ捨てていました。それが日々積み重なり、今は地獄に来て、全部食べきる罰を受けています。本当に惨めです! 歯を磨いたり顔を洗ったりするときに、蛇口を開けっ放しにして無駄にした水も、たくさんあるんです!」女の霊は声を上げて泣きました。実際、酸っぱくなり、腐ったにおいを放ち、かびが生え、大きな虫がびっしりついた食べ物を見ると、食欲などすっかり失せてしまいます。 次に、隣のもう少し年配の女の霊を見てみました。彼女の食べ物の区域は、先ほどの女の霊の区域より何倍も広く、さらに恐ろしいものでした! 区域が広いだけでなく、食べ物も多いうえに、ひどく酸っぱく腐ったにおいがして、吐き気を催すほどです。どれも腐り、ひどくかびが生え、色が変わり、虫や菌に覆われています。こんな物を、いったいどうやって食べるのでしょう! 見ているだけで心まで震えてきます! 「阿弥陀仏! どうしてここへ来たのか、教えていただけますか?」 「私は生前、専業主婦でした。家事が嫌いで、食材を買いに行く時間を省くために、いつもたくさん買って帰っては、家に置いていました。食材はあまり長く置いておけず、時間がたつと傷んでしまいます。それに、私はよく料理を作りすぎ、食べきれないと捨てていました。置いておくうちに傷んで、捨てた食材もたくさんあります。夫はよく私を注意し、水を無駄にしないように、皿を洗うときは蛇口を全開にしたまま閉めずにいないように、と言っていました。夫に注意されると、私は必ず悪態をつき、夫が何も言わなくなるまで大声で騒いだものです。夫に食べ物を無駄にしないよう言われても、私は聞かないばかりか、わざと余計に買って帰り、腐るのを待って捨てました。その結果、寿命を終えた後、閻王に五穀豊穣地獄の刑を言い渡され、以前に捨てた食べ物をすべて食べさせられています。今は、夫の言うことを聞かなかったのを、とても後悔しています。」そのとき、鬼卒が彼女を捕まえに来て、また食べ続けさせるために連れていきました。 阿玉は判官にお尋ねしました。「それでは、わざと傷ませたのではない食べ物も、食べなければならないのですか?」 判官は言いました。「もし、食べ物がうっかり、あるいは知らないうちに傷んでしまったのなら、食べてはいけません。食べたために病気になったり、ほかの問題が起きたりすれば、得るものより失うもののほうが大きくなります。まず、その故意ではない過ちを懺悔し、これからは注意して繰り返さないようにしなければなりません。再び黒無常に過失を記録され、陰律の罰を招いてはならないのです。その後、傷んだ食べ物のために仏の名や真言を唱え、林や草むらに置いて小動物に布施し、善い縁を結ぶことができます。あるいは海へ入れて、水中の衆生に布施することもできます。」 「今日はここまでです。阿玉、先に帰ってください。聞きたいことがあれば、またいつでも来てください。」 阿弥陀仏! 判官に感謝します! 私、阿玉は判官に合掌して礼をしました! 白い蓮の花に乗って帰ります! 9/仏陀自らのお示し――飲食物を無駄にすれば、必ず地獄に堕ちて苦しみを受ける! 仏は説かれました。「槍で受けた傷の痛みを億億万倍にしても、なお泥犁の苦痛には及ばない。手の中の小石が三百か所の槍傷にたとえられるなら、山は泥犁の苦痛にたとえられる。愚かな者は、心で悪を思い、口で悪を語り、身で悪を行い、死後、泥犁の中に堕ちる。泥犁には獣鬼がおり、人を引き出し、鉤を上の歯茎に掛け、また鉤を顎に掛けて口を大きく開かせ、溶けた銅を口に注ぎ込む。唇も舌も腸も胃も焼けただれ、銅はそのまま下へ流れ通る。その激しい苦痛には耐えられない。その人は、生前、世間で財や利益を求め、飲食物を道に背いて用いたため、溶けた銅を注ぎ込まれるのである。泥犁の苦しみは、このようなものである。泥犁の鬼は人を捕らえ、鉤を上下の顎に掛けて口を大きく開かせ、焼いた鉄の杵を喉に突き入れる。唇も舌も腸も胃も焼けただれ、激しい苦痛には耐えられない。それでも、罪業がまだ尽きていないため、死ぬことができない。泥犁の苦しみは、このようなものである。」(『仏説泥犁経』 東晋・西域の沙門、竺曇無蘭訳) 嘉棟は言いました。「不潔な食事を作って人に食べさせれば、人は必ず怒り、神もまたそれを嫌う。汚れた食物を捨てることも、天の恵みをむやみに損なうことと同じである。水や飲み物を無駄にし、溝や便所に捨てることは、とりわけ業を造る行いである。老秋婆という老女がいた。病気で死んだ後に生き返り、ある所へ行ったと語った。そこには、捨てられた汚い食物が船二艘分あった。一人の鬼が彼女をむち打ち、『お前が生前に無駄にした物だ。食べないことなど許されようか』と言った。老女が無理に数口飲み込むと、すぐに腹がいっぱいになったと感じ、驚いて生き返った。彼女は話し終えると、そのまま死んだ。」(『感応篇注』) おからを捨てたことを責める言葉 天の恵みをむやみに損なう者には、必ず災いが生じる。五穀を軽んじる者は、多く雷に打たれる。犬や豚が人と同じ物を食べることに、孟子は心を痛めた。酒を池とし、肉を林とするぜいたくによって、商の王は国を失った。それに、昔の人は酒かすやぬかさえ飲み込んだ。今、このおからのおいしさは、ぬかの比ではない。大士でさえ草や果実を食された。今、このおからの甘味に、草がかなうだろうか。どうして、富裕な家の放蕩息子のように、思うままにおごり、ぜいたくをするのか。おくるみに包まれた赤子のように、迷い、取り違えている。まずひき臼を封じて懲らしめを示し、その後は必ず鍋を砕いて、永久に禁じなければならない。(『雲棲大師遺稿』巻三) 10/仏のお言葉――美食に貪り執着し、食べ過ぎて満腹になれば、悪道に堕ちやすい! 仏は説かれました。「修行者には、道を滅する十一の因縁がある。これらを制すれば、人は悪道に堕ちない。識るべきでないものとは、万物をいう。第一は大会、すなわち大勢の人々との集まりである。第二は多食、すなわちさまざまな美食を食べること、また、食べ過ぎて満腹になることである。第三は多行、すなわち多くの営みにかかわることである。第四は多喧、すなわち言葉が多く、騒がしいことである。第五は眠り過ぎることである。第六は会聚であり、「禅中」をいう。第七は習行、すなわち多くの用事にかかわることである。第八は自分の身に愛着を抱くことである。第九は軽々しさ、すなわち法にかなわない言葉である。第十は貪り、すなわち欲が多いことである。第十一は善い所に住むことを好まないこと、すなわち悪人の中にいることである。道を修める者は、この十一の因縁を断たなければならない。そうすれば、速やかに道を得る。」(『仏説内身観章句経』)66 11/苦労して積み重ねた福と寿命が、たばこによってむなしく失われてしまう! 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌して判官に礼をしました! 「判官、今日はたばこのことをお聞きしたいのです。多くの都市でたばこの広告を見かけます。少し栄えている都市ではまだよいほうで、広告に、たばこにはニコチンが含まれ、喫煙は健康を害すると明記してあったり、公共の場所で喫煙を禁じたりしています。それに対して、発展の遅れた都市では、飲食店やホテルのテーブルに灰皿が置かれ、どこでもたばこを吸う人を見かけます。陰律から見ると、喫煙は何らかの罪になり、罰を受けるのでしょうか?」 判官は言いました。「喫煙には害があまりにも多く、百害あって一利もありません。大まかに挙げるだけでも、自分の健康を直接損ない、福と寿命を減らし、財産を失い、人から好かれなくなり、口に異臭が生じ、身の光が暗くなり、隠れた病気がたびたび生じ、正気(せいき)67が不足することに加えて、環境を直接汚染し、他人の健康も害します。仏法を学び修める者であれば、護法の神々は離れ、浄土へ往生することができません。 陰律では、喫煙には相応の罰があります。たばこを吸う現世の人は、自分の福報を損ないます。この福報の損失には二種類あります。一つ目は、今生の血肉の体にある、すべての内臓のさまざまな働きを損なうことです。例えば、人にとって特に大切な内臓である肺、肝臓、脳、目、鼻、気管支、体の大小の動脈などは、喫煙によって急速に衰え、さらに、さまざまな内臓の慢性的な病気を引き起こすこともあります。このような喫煙による病気は、たばこをやめさえすれば、徐々によくなります。それまでの喫煙で失った福と寿命も、懺悔して福を積み、他人にも禁煙を勧めるなどして、取り戻すことができます。 二つ目は、一人ひとりの生まれ持った霊性の光を損なうことです。この損失が及ぼす影響は、より広いものです。人は結局、自分の生まれ持った光を絶えず高めていかなければなりません。もし、その光が損なわれれば、誰の生命も必ず暗闇の方向へ進んでいきます。それは苦しいことです。自分が苦しむことを望む人はいません。すべての有情は、自分が幸せであることを望んでいます。たばこを吸う人は体が不健康になり、吸わない人より寿命が短くなります。少年少女の喫煙は不妊をもたらし、とりわけ少女の喫煙は月経の周期を乱します。月経が来ると、さまざまな腹痛、腰や背中の痛み、頭痛、気分の落ち込み、体の冷えや熱感、発熱などが起こります。多くの現世の人は、これを普通のことだと思っていますが、実はすべて喫煙が引き起こしたものです。たばこの毒を断てば、月経の状態は必ずいくらかよくなります。 もちろん、喫煙とはまったく関係のない例もあります。女性の月経は、前世の業力とも関係しています。中には、月経のあり方が特別な女性もいます。たばこは一度も吸ったことがないのに、月経の時期になると、ひどい苦しみに襲われるのです。月経痛が重く、どれほど診察を受けて薬を飲んでも何の効果もなく、毎月の苦しい月経が自然に過ぎるのを待つしかありません。それは、苦しみながら業障をすり減らしているのです。もう一つは、長年にわたってずっと月経が続き、そのさまざまな悩みや不便の中で暮らしている場合です。血が少しずつ絶え間なく流れ、いつまでもよくならず、医者に診てもらっても役に立ちません。 この二種類の女性の今生の月経の病症は、前世の殺業や邪淫が重すぎたことによる余報から生じています。このような女性は、過去世の業力を懺悔する心を起こし、心のあり方を調え、以前の業を消していかなければなりません。まず菜食して念仏し、善を行って徳を積み、さらに、自分の体に合った食べ物で養い、調えることで、ある程度の時間をかけて少しずつ立て直していくことができます。このような病症の女性は、まず過去世の悪業を消そうと心を起こす必要があります。自分が過去に造った悪業を毎日懺悔する力に、毎日の念仏による大きな加持の力、そして善を行い徳を積む善行の功徳の力を加えます。こうして懺悔の力、仏力、功徳の力という三つの力が一つになります。以上のとおりに毎日続けて行えば、この三つの力によって、必ず業障が徐々に消え、正常な状態に戻ることができます。 ただし、正常な状態に戻るまでに必要な時間は、人によっていくらか違います。以前からの業力が一人ひとり異なるため、果報が現れてから、それを受ける期間にもいくらか違いがあります。業力は、やはりある程度の時間をかけて、衆生に体のさまざまな苦難を味わわせながら、少しずつすり減っていくのです。 多くの現世の人は、過去世の自分のさまざまな戒めに背く行いを見ることができず、今生の目の前にある、さまざまな逆境の果報しか見ていません。そのため、身の回りの人や出来事に多くの不満や恨みを抱きます。その大半は、当人が三世の因果を見通せないことから生じるもので、自分の中にさまざまな誤解や誤った見方を起こしてしまうのです。人と人との間の誤解も、このようにして広がっていきます。 人生でさまざまな思いどおりにならないことに出会ったときは、まず胸に手を当て、なぜほかの人は皆普通で、自分だけがこのような不本意なことに出会うのか、と自分に問うてください。これは、自分の業障が現れたものです。まず自分の業力を懺悔し、日々のさまざまな行いを正し、何事も道理と法にかなうように行わなければなりません。たとえ能力が足りなくても、できる限りきちんと行えば、因果の上では、やはり円満で欠けるところがないのです。陰律の因果の法則は、常に公正で厳明です。 妊娠している女性がたばこを吸えば、胎児の生まれ持った免疫力を低下させ、脳の正常な発達に影響し、さまざまな内臓の働きにも直接影響します。喫煙する妊婦から生まれた子どもは免疫力が弱く、病気や風邪、発熱を起こしやすく、気管が弱くてせきが出やすくなります。気性もよくなく、勉強するときの集中力が足りず、気が散りやすくなります。 すべての生命にとって、母胎に宿っている間は、生まれ持った基礎が作られる時期です。つまり、一人の人が次の生で持つ肉体の、生まれ持った基礎が作られる時期なのです。誰もが胎内に入る前に、次の生でどれほどの福報に恵まれるかが、すでに定まっています。それは定まった定業ではありますが、生まれた後の善悪の行いや習性は改めることができ、さらに高めることも、低下させることもできるのです。 母親が十か月胎内で子を育む期間は、とても大切です。妊娠中に母親がたばこを吸えば、その胎児は生まれ持ったものに不足があることになります。不足がどれほどかは、妊婦がたばこを吸う頻度によって決まります。妊婦が胎教においてよい思いや行いを保てば、その子のその後の数十年の人生に、よい生来の基礎を築くことになります。縁あってこの文章を見る衆生には、やはり福報があります。皆さんが次々と伝え、知らせ合ってくださることを願います。 妊婦が十か月の妊娠期間に清浄な梵行を守り、夫婦間の性行為さえも断ち、たばこも酒も口にせず、清浄な菜食をし、念仏して、穏やかな心を保てば、胎児の頭部やさまざまな内臓の発達、その後の性格を調えることにも、非常に大きな利益と助けがあります。今の現世の菜食には農薬があるとはいえ、肉食に伴うさまざまな過失や害よりは、なおましであり、衆生と悪い縁を結ぶことも避けられます。菜食のよさについては、ここではこれ以上述べません。現世には菜食の利益についてのさまざまな本がありますから、参考にしてください。 胎内で菜食によって育つ子どもは、『胎裡素』とも呼ばれます。胎裡素の子どもの智慧は、必ず胎内で肉食によって育つ子どもよりも優れ、体も比較的健康になります。そして、生まれ持ったよい霊性の光を守ることができます。この点は、とても大切です。 誰の生まれ持った光も、人間界に生まれた後、少しずつ汚染されていきます。妊婦の喫煙によって胎児に生来の不足が生じた場合、生まれた後、その不足を補うためには、さらに多くの時間や、さまざまな因縁が必要になるのです。 喫煙者は、自分の福と寿命を損なうだけではありません。長い間、そばにいる一部の非喫煙者に、自分のたばこの煙を直接吸わせ続ければ、その喫煙者は、さらに大きく福報を損なうことになります。他人の体の健康を直接害し、人を損ない、自分のためにもならない、福を減らす行いをしているからです。 誰のそばにも、黒白の善業・悪業を記す倶生神がいます。喫煙者がたばこを一本吸うたびに、黒業の倶生神はすぐに、一人でたばこを一本吸ったと記録します。それが一箱分たまると、福報を一回分損なうと記録されます。この福の損失は、例えば、何かをするときにさまざまな障害に出会う、といった形で現れます。二箱以上なら、障害はさらに重くなります。喫煙者のそばにほかの人が居合わせれば、福の損失はいっそう重くなり、人間関係が悪くなる、突然人にののしられるなどの出来事が起こります。長く喫煙を続ける者は、福を損なうだけでなく、寿命も損ないます。 もし、その喫煙者が、もともと今年は給料が上がる運命にあったのなら、その福報は消されてしまいます。あるいは、商売をする人が、もともとはすべて順調で、まとまった金を得られるはずだったのに、最も大切なときに問題が起こり、取引を成立させられなくなる、といったこともあります。長く喫煙を続ける者の、生まれ持った霊性の光は徐々に失われていきます。寿命を終えるとき、善道へ生まれ変わることができず、ただ堕ちていくしかありません。体の光がすべて煙に覆われているためです。」 私は言いました。「判官! お聞きしたいのですが、私の父方の祖父も長年たばこを吸っていましたが、九十二歳まで生きました! それが、父に禁煙を勧めるときの盾にされて、妨げになっているんです!」 判官は言いました。「阿玉、あなたのお祖父さんは、前世では善人でした。長寿、家族の繁栄、子や孫に囲まれるという福報を、いくらか積んでいたのです。今生では百二歳まで生きられるはずでした。惜しいことに、たばこを吸ったために、すでに十年減らされていたのです。 お祖父さんは、もともと長寿に恵まれた方でした。九十二歳というのは、すでに減らされた寿命です。臨終の際は、肺の機能がひどく衰え、せきと飢えによって息を引き取りました。お祖父さんが早く亡くなったのは、すべてが喫煙によって寿命を損なったためというわけではありません。ほかにも原因があったのです。お祖父さんが九十歳のとき、お祖母さんが亡くなった後、身近で世話をする人がいなくなりました。あなたの父の弟の妻である叔母が、お祖父さんを虐待していたのです。普段から食べ物を与えないことが多く、悪い言葉でののしっていました。叔母は当初、お祖父さんを世話したいと強く求めましたが、それは、お祖父さんの財産をすべて奪い取るためでした。彼女は因果を理解せず、自分は成功したと思っていました。それに対して、お祖父さんは家族の和を守るために、すべてを一人で耐えることを選び、誰にも話さず、孤独に世を去りました。お祖父さんの、もう一つの本当の死因は餓死だったのです。この出来事の中で、お祖父さんは業を消しただけでなく、福もいくらか積みました。そのため、後に、阿玉、あなたが仏法を学び始めて間もないころ、仏の名を少し唱えることで、お祖父さんは済度され、天界へ行くことができたのです。これは、お祖父さんが臨終の前に、一言も恨み言を言わずにすべてを受け入れ、いくらかの業力を消した善い報いです。一方、叔母は非常に大きな悪業をまいてしまいました。68 これほど大きな不孝によって、六年後、彼女のたった一人の、最も愛している聞き分けのよい息子が、彼女のもとを去ることになります。果報はそれで終わりではありません。その後、あなたの叔母の娘が、彼女の財産をすべて奪い、同じように親不孝をします。叔母は苦しみながら病気で亡くなることになるのです。69 いわゆる、善にも悪にも、ついには必ず報いがある。公正な因果は、誰を見逃すというのでしょうか! 私は現世の人々に忠告します。決して良心に背いて物事を行ってはなりません。人が行うことはすべて、冥府の記録に残っています。不義を重ねれば、必ず天の罰を受け、真心から善を行えば、天は必ず福を授けます。皆さん、私の言葉を心に留めてください。」 私は言いました。「判官のお話は、阿玉にとってあまりにも意外で、胸がきゅっと痛み、悲しくなりました。祖父は確かに、肺の機能がひどく衰え、せき込んで息を引き取りました。祖父の財産についても、父と母から、叔母がすべて持っていったと聞いています。父と母も、そのことを少し気にしていました。餓死と聞いて、思い出しました。どうりで、祖父を訪ねるたびに、私が買っていった食べ物を、祖父はいつも待ちきれないように食べきっていたはずです。叔母はそのころ、家の大人から子どもまでの中で、買い物がいちばん上手なのは私だと言い、私の買った食べ物を祖父はいちばん喜ぶ、さすが祖父に育てられただけのことはある、と言うだけでした。そのとき、私はそれを聞いてとてもうれしく思ったのです。本当に智慧がなさすぎました! それから、祖父を訪ねるたびに、叔母がいつも私についていたことも思い出しました。当時の私は、次に祖父を訪ねるときは、祖父の好きな食べ物をもっとたくさん買っていこう、と思っていました。でも、私は遠くで働いていて、半年に一度しか故郷へ帰れませんでした。次に帰ったときには、祖父はもう……。何とも悲しい気持ちです!!!」 判官は言いました。「業力なのです! すべては因果から離れることができません。陰律の法則は、どれほど複雑に入り組み、無数の糸のようにつながった因果であっても、決して誤って裁くことはありません。そのような因には、そのような果があるのです。お祖父さんの喫煙には、喫煙の果報があります。長年の喫煙によって、お祖母さんの肺を悪くしました。お祖母さんは、肺が衰えてせきが出て、痰が喉に詰まって出なくなり、呼吸を妨げ、一息つなげずに亡くなったのです。この出来事については、お祖父さんもいくらかの因果を背負わなければなりません。そして、お祖父さんが忍辱を修めたことには、忍辱の功徳があるのです。 誰であっても、たばこを吸うべきではありません。喫煙は私たちの正常な思考を損ないます。仏弟子であれば、必ずたばこをやめなければなりません。喫煙は、五戒の中の不飲酒戒に属します。仏がかつて在家の居士のために五戒を定めたとき、現在の主な経典によれば、たばこを吸ってはならないとは直接述べず、酒を飲んではならないと説かれました。酒は、さらに私たちの神経系を麻痺させ、正常な思考と修行を損ない、衆生に悪を行わせ、最後には地獄へ堕とします。病気の治療のために外用する場合、あるいは命にかかわる重病で、ほかに代わる物がなく、どうしても酒で薬を調合して服用する必要がある場合を除いて、酒は一滴たりとも口にしてはなりません。飲んでも酔わなければ罪はない、などと考え、自分も人も欺いてはなりません。 したがって、この第五戒である不飲酒戒を守る、本当の目的はこういうことです。私たち人間の正常な思考を麻痺させ、損なう摂取物は、すべて断たなければなりません。酒だけではありません。今の社会では科学技術が絶えず変化しており、これからも人間界では、酒やたばこに似たさまざまな新しい製品が作られるでしょう。麻痺させる性質があり、正常な思考を損なう摂取物であるかぎり、すべて断たなければなりません。皆さんには、この点をしっかり守っていただきたいのです。そうしなければ、陰律に背いて福と寿命を損ない、苦しみを受けるのは、やはり自分なのです! では、阿玉、今日のたばこについての話は、ひとまずここまでにしましょう。先に帰ってください。また来てくださいね!」 私は言いました。「阿玉は合掌し、判官に感謝いたします。今日は、家族の誰も知らなかった因果の出来事を、これほどたくさん教えていただき、本当に多くのことを学びました!」 白い蓮の花に乗って帰ります! 12/東岳大帝の昇進と南贍部洲の災難 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は合掌して判官に礼をしました! 「判官! 今日は、伝えられている東岳大帝を訪ねるために、案内していただきたいのです。」 判官は言いました。「今の東岳大帝は、冥君閻王の統率下にある一人の閻王です。宋の時代より前には、東岳大帝は酆都大帝とも呼ばれ、冥府の最高統治者であり、今の冥君閻王の職に当たりました。しかし、今の東岳大帝は、冥君閻王の下にある十二殿の閻王の一人で、職位が変わっています。地獄が絶えず増築され、宋の時代以後は、その速さが以前を上回りました。さらに、現世の一九九五年からは、地獄の増築はいっそう速まり、今ではほとんど飽和状態になっています。現世で罪を犯す人が、あまりにも多いからです! 信仰を持つ人の中には、『陰律無情』を読んで、冥府でどうして地獄の増築や職位の交代などがあるのか、と感じる方がいることを、私は知っています。現世でも、公的な機関やそこに関わる人員は増えたり減ったりするでしょう。陰陽の二つの世界には、実は同じような道理があるのです。天界でさえ違いはありません。阿玉、ついてきてください!」 判官は言いました。「宋の時代の後、三百五十年目ごろから、人間界では、うやむやのまま終わり、無念が晴らされない大小さまざまな事件が増え続けるようになりました。そのような無念を抱えた霊は、冥府へ帰ると、すべて東岳大帝のもとへ訴え出なければなりませんでした。東岳大帝の裁きの大殿には多くの冤魂が集まり、大帝も非常に忙しくなりました。その後、冥府に、大きく広々とした冥君閻王府が増築され、それに伴って、酆都大帝も冥君閻王と名を変えたのです。新しい冥君閻王府は、冥君閻王の住まいと執務の場所を一つの屋敷にまとめたものです。そのほうが、冥君閻王にとって、冥府を管理するのにいっそう便利でした。阿玉、あなたが前に見学した冥府の最高の裁きの大殿は、その時期に増築されたものです。酆都大帝も冥君閻王府へ移り、住まいと執務の場にしました。70 現在の東岳大帝は、第一殿の秦広王から昇進した方です。第一殿の秦広王は、現世では正義を重んじる仁君であり、寿命を終えたとき、第一殿の閻王に任じられました。東岳大帝の仕事の内容は、冥君閻王のものとほぼ同じです。ただ、一部の霊体は、死んで地獄へ帰ると、どうしても最高の閻王に訴えたいと言います。そのような霊体は、基本的にすべて、冥君閻王の屋敷にある裁きの大殿へ案内され、冥君閻王自身の裁きを受けます。実は、これは人が現世で身につけた習性なのです。誰が冥府に来ても、冥府のどの閻王も公正で厳明です。すべての閻王は、陰律の法則と因果の定めに従って、さまざまな事案を扱います。親戚や友人の誰かに、少しでもえこひいきすることは決してありません。罪ある霊がどの罪を犯したかを見て、どの地獄に入るかを裁き、どのような冤情があるかに応じて、命を取り立てることを合法的に認める、相応の種類の冥府の令牌を発行するのです。」 この丸いアーチの橋を渡ると、その向こうにある役所が東岳大帝府です。官府らしい雰囲気が色濃く漂い、橋のあたりではすでに夜叉が絶えず行き来して見回っています。皆、判官を見ると礼をしました。判官に案内していただけば、自分であちこち道標を探す必要がなく、ずっと簡単で早く着きます。実は、私たちは地獄ではとても速く歩きます。人間界のように、一歩ずつ足を地面につけてゆっくり歩くのではありません。判官が速く歩くときには、私も足を速めなければなりません。私たちは心の力で歩き、足は地面についていないのです。地獄は本当に広すぎます。この道も以前には通ったことがありませんが、私は地獄の道を覚えたいとは思いません。地獄の衆生が一日も早く正法を聞いて修行し、一日も早く全員が上の境地へと救い上げられ、地獄の苦しみから離れることを願います。今、東岳大帝府が見えました。二枚の赤い大きな門扉の前には、大刀などの武器を手にした夜叉がまっすぐ立っています。夜叉は笑顔で判官に礼をすると、門を押し開け、私たちだけで中へ入らせてくれました。 中に入ると、別の鬼卒も笑顔で判官を迎え、小さな庭の回廊を通って、裁きの大殿へと案内してくれました。判官は、大帝府の夜叉たちと皆顔なじみのようです。この裁きの大殿は、冥君閻王のあの最高の裁きの大殿より、明らかにはるかに小さいものでした。ここはさらに古い時代のように感じられます。建物には昔風の赤い大きな鉄の扉があり、中の家具も装飾もすべて古風で趣があります。壁に掛かった絵も昔の人々の姿で、左右の壁の下には、昔の武器もいくつか並べて置かれています。入口の真正面には、『東岳大帝』の四文字を記した額が掛かっています。一人の閻王が座っておられますが、この方が東岳大帝なのでしょう。東岳大帝は閻王の装束をまとい、顔色は灰色で、頭には冠を戴き、目から黒い光を放っています。ああ! この方もまた、非常に厳めしく、少し恐ろしい顔立ちの閻王です。閻王の執務机にも、『東岳大帝』の四文字が記されています。 「平民の女、上官玉華、東岳大帝にひれ伏してご挨拶申し上げます!」 東岳大帝は言われました。「上官玉華、堅苦しい礼はよい。よく来られた! 何か尋ねたいことがあれば、遠慮なくそのまま話しなさい!」 阿玉:「はい、大帝閻王! 私めは、閻王にいくつかお尋ねしたいことがございます。 第一に、地獄はすでに飽和状態だと聞いております。もし現世の人々の邪淫がこのままはびこり続け、地獄が満員で、邪淫を犯しても振り分ける新しい地獄がないとすれば、寿命を終えても、しばらく地獄の刑罰を免れ、空きができてから刑罰を受けるということでしょうか。それとも、今地獄にいる衆生を早めに解放して、新たな罪ある霊が罰を受ける場所を空けるのでしょうか。 第二に、すでに多くの邪淫の罪を犯した人は、陰律の法則によって福も寿命も損なっています。そのような衆生が、寿命を終えた後に地獄へ堕ちる罪を、完全に免れる方法はありますか。 第三に、邪淫の行いを完全になくすには、どのような方法がありますか?」 東岳大帝は言われました。「ああ! 現世の強大な邪淫の気は、すでに雲を突き抜け、天帝の大殿にまで達している。邪淫は、大自然の正しい気の均衡を、すでに深刻に妨げているのだ。人間界で大自然の正しい気の均衡がこのまま失われ続ければ、さまざまな自然の災害が起こるだろう。例えば、気候が不安定になり、ほんの一瞬のうちにさまざまに変わり、急に晴れたり、急に雨が降ったりする。気温も一日のうちに極端に上がり下がりし、まるで一日で春夏秋冬の四季を感じるようになる。人間界の津波、水害、火災、地震、さまざまな大規模な伝染病は、一つの警告なのだ。 阿玉! なぜさまざまな悲しい出来事が、南贍部洲である地球で起こるのか、考えてみなさい。そこには必ず、後天的な人々の行いによる共業の原因がある。だからこそ、私は『陰律無情』が一日も早く現世の迷った人々の心を目覚めさせ、人の心を救い、社会の風潮を救い、多くの衆生が分を守り、五倫の道徳を守るよう促す役割を果たすことを願っている。邪淫の気が人間界にもたらすさまざまな災難を食い止め、混み合った地獄を緩和し、人間界でも短い期間に大きな災害がたびたび起こらずに済むようにしたいのだ。もし今のように、人間界ではびこるさまざまな邪淫がこのまま続けば、近いうちに大きな災難が、天地を覆うように次々と襲ってくるだろう。邪淫や、その他のさまざまな罪を犯した衆生は、必ず、情け容赦なく一人も漏らさない陰律の天の網から逃れられない。大きな災難の中で、その陰律の法則の網に、情け容赦なく一人残らず捕らえられ、地獄に堕ちて、量り知れず果てしない刑罰を受けることになる。71 冥府のこの地獄はすでに飽和しているが、冥府では別の場所を探し、新しい地獄を増築するよう手配する。この地獄がすっかり壊れ果てても、ここにいる衆生の罪業がまだ尽きていなければ、私たちはその罪ある霊を、ほかの地獄へ次々と送り、罰を受け続けさせる。その霊のすべての罪業が完全に消え去って、初めて地獄を離れることができるのだ。地獄の衆生が地獄を離れることのできる理由は、二つしかない。一つ目は、自分の地獄での罪業の期間が満了すること、つまり地獄の悪業の報いを受け尽くすことだ。そのとき初めて、地獄の余報に応じて、相応の境遇へと次々に生まれ変わることができる。 冥府には、地蔵菩薩の慈悲深い教えを聞く法会堂もある。さまざまな大地獄の中に、ほんの一念でも心の底から真に懺悔する霊体があれば、夜叉に連れられて、地蔵菩薩の慈悲深い教えを聞きに行くことができる。そうして仏の加被を受け、善根が呼び起こされ、善趣へと救い上げられるのだ。最も恐ろしいのは、衆生が過去の誤った行いを懺悔しようとせず、いつまでも迷いに執着して悟らず、堕落して苦しむことに沈み込み、そればかりか自分のさまざまな罪業をますます深めていくことだ。 心の底から真実の懺悔の一念を起こすだけで、量り知れず果てしない罪業を溶かして消すことができる。情け容赦のない陰律の法則は、真心から過ちを悔いる有情の衆生を、情け容赦なく拘束することは決してない。地獄を出た者の大半は、畜生道で、比較的下等で小さく、思考の単純な生き物に生まれ変わる。人間界に生まれるとしても、福報が乏しく、五根がそろわないなどの境遇になる。二つ目は、幸いにも、現世の親族から大きな済度の助けを受けることだ。そのような者も地獄を離れられる。現世の親族による済度を受けるとなると、比較的難しい。他者の力という因縁に頼って済度される必要があるからだ。冥府には、現世の親族による済度によって、罪ある霊が善趣へと無事に救い上げられた記録が数多くあり、中には天界や西方浄土にまで救い上げられた者もいる。しかし、それも偶然ではない。地獄にいるその罪ある霊が、過去世、地獄へ堕ちる前に、相応する福報をいくらか積んでいたためなのだ。何の因縁もなく突然に済度されたのではなく、そこには必ず、それをもたらした善い因縁がある。だから、すべての衆生は、五官がそろい、体が健康なうちに、多くの善行をし、公に尽くして法を守り、戒律を守り、功徳を積み、自分のために福報を多く積まなければならない。健康な体を使って、地獄へ堕ちるような、さまざまな戒めに背く行いをしては決してならない。一度地獄に堕ちれば、量り知れず果てしない苦痛があり、出られる日は来ないのだ。72 すでに邪淫の罪を犯した衆生や、地獄に堕ちる悪業を作った衆生には、因があれば果がある。地獄の悪業を作れば、将来、必ず地獄の果報を受けなければならない。この果報を受けずに済ませたいのなら、それが現れる前に、まず、その果報を成り立たせるあらゆる助縁を断たなければならない。今生の邪淫の罪によって地獄へ堕ちることを完全に免れたいのであれば、方法は一つしかない。それは、あらゆる邪淫の行いを完全に取り除くことだ。まず、必ず自分の心の働きを厳しく管理し、抑えなければならない。心に生じるどんな微細な邪淫の思いも、見過ごしてはならない。一念さえもいけない。ごく微細な一念でも生じたなら、すぐに懺悔し、これからは二度とその邪淫の思いを起こさないと、直ちに心を徹底して定めなければならない。そして、現世の人々にも邪淫をしないよう、絶えず次々と勧め合う。この決意を起こすことが、非常に大切なのだ。 縁あってこの文章を目にした衆生で、真に邪淫を完全に断とうと決意しながらも、何度も失敗してしまう者は、旧暦の毎月一日と十五日に天に向かって誓い、これからは生まれ変わるたびに、いつの世も邪淫を犯さないと誓うとよい。そして、『陰律無情』という善書を次々と人に知らせ、その印刷を助け、日頃から邪淫に関わるあらゆる言動を断つことを厳しく実行するのだ。菜食を実行し、欲望を高める食べ物を口にしない。例えば、加熱したネギやニンニクは欲望を増す。また、欲望を高める作用のある生薬も、巴戟などのようなものは、できるだけ使用を控えるのだ。 動物の欲望は人間より強い。だから、動物に関わる食物を摂ってはならない。心を乱すだけでなく、命の借りも負うことになる。酒も心を乱すので、摂ってはならない。心や欲情を動かす、あらゆる色情の刊行物を、目で見たり、耳で聞いたりしてはならない。日頃から絶えず精進して仏法を修め、正法を広め、護持しようと決意し、過去の邪淫の罪業を真心から懺悔するのだ。邪淫の行いを完全に取り除こうと、真に決意することが大切だ。本当に『罪を生む心が滅し、罪が消え、両者とも空となる』ことができれば、地獄の悪業を心配する必要はなくなる。73 南無観世音菩薩の聖号を唱えることによっても、少しずつ邪淫の行いを取り除くことができる。毎日、菩薩の聖号を敬虔に唱えさえすれば、必ず、目には見えない菩薩の慈悲の加被を受け、地獄へ堕ちる邪淫の罪業を減らすことができる。誓いを立てた後、その誓いを厳しく守る衆生は、寿命を終えて地獄に堕ちる悪業を免れ、善趣へ生まれることができる。地獄へ堕ちて受ける刑罰が具体的にどれほど減るかは、その有情の衆生がどれほどの力で懺悔の決意を起こしたかを見て、最終的に決めるのだ。」 「上官玉華! ほかに何か尋ねたいことはあるか?」 「今のところはございません。大帝のお答えに、深く感謝いたします。私めは、頂礼して退かせていただきます!」 阿玉は東岳大帝、判官、そして官員の皆様に頂礼します! 白い蓮の花に乗って帰ります! 13/福徳正神・土地公 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に頂礼しました! 今日は判官にお尋ねしたいと思います。土地廟に祀られ、人々が拝んでいる土地公についてですが、あの方たちは天の神なのでしょうか、それとも地の神なのでしょうか。天から遣わされたのでしょうか。それとも、ただそこに取り憑いている霊や鬼の類なのでしょうか。どのような職務を持ち、どこまでを管理しているのでしょう。また、それぞれの家の中にいる土地公と、入口の土地公には、どのような違いがあるのでしょうか。 判官は言いました。「土地廟の土地公は、福徳を持つ神であり、福徳正神の類に属します。現世の人々が祀って供える香火を受けることができ、天によって任じられた方たちです。このような神には、福徳の大きい方と小さい方がいます。福徳の大きい土地公は、管理する区域も広くなります。例えば、農村の土地公には、村全体の管理を受け持つ方もいますが、都市では、何人かの土地公が分担して管理します。 このような地域を受け持つ大きな土地公のために、現世の人々は小さな土地廟を一つ建てます。地域の土地公の仕事は、その区域の衆生の福徳と、出入りの際の安全を管理することです。誰かが生まれたり亡くなったりすると、必ず冥府から土地公へ知らせが届きます。また、土地公の管轄する区域を移動して離れるときにも、土地公にはその記録が届きます。 土地公の仕事は、有情の衆生が暮らす環境の治安を維持することです。邪霊や神鬼の類が、その管轄区域へ入ろうとすれば、土地公が適切に対処し、現世の人々の安全を守る役割を果たします。土地公は皆、生前、現世で人を助けることを好み、正義感を持っていた人たちです。寿命を終えた後、土地公に任じられ、人間界の香火を受けます。このように比較的大きな福徳を持つ土地公だからこそ、人々からの礼拝や供養を受けることができるのです。 それぞれの家の中や入口にいる土地公は、福徳が比較的小さい福徳正鬼に属します。このような家の中の土地公や入口の土地公は、実際には、現世の人が自分で土地公の位牌を置いて祀り、土地公や入口の土地公と呼んでいるものです。実は彼らは鬼であり、もともとずっとその家に住んでいて、人間より寿命が長いのです。人がその家に住まなければ、鬼には何の供え物もありません。現世の人が供養すれば、鬼も恩に報い、自然と出入りの安全を守るようになります。 今の現世では、人々はよく家を売買しますが、鬼は人について移ることはありません。代わるのは家の現世の持ち主だけであり、その鬼は、天から遣わされた土地公ではありません。天から遣わされるのは、地域の土地公、商業施設の土地公、そして大きな建物の土地公です。大きな建物というのは、今の現世の人々が暮らす、一棟の高層の建物のことです。その入口には、冥府から遣わされた土地公が一人いて、地域の土地公の管理下にあります。商業施設や店の入口にいるのも、冥府から遣わされた土地公です。商業施設や店には人が比較的多く、どちらも、香火を受けるために、福徳の比較的大きい土地公を必要とするからです。では、阿玉、今日はここまでにしましょう。ひとまず帰ってください。」74 阿弥陀仏! 阿玉は判官に頂礼します! 白い蓮の花に乗って帰ります。 家に帰る前に、近くの地域を受け持つ土地公にご挨拶に行きます。 私は言いました。「阿弥陀仏! 土地公のおじい様、こんばんは!」 土地公のおじい様は言われました。「阿玉、もうこんなに遅いのだから、早く家へ帰りなさい。気をつけてな!」 私は言いました。「ありがとうございます、土地公のおじい様。毎日ここに座っていて、退屈ではありませんか?」 土地公のおじい様は言われました。「今は、以前よりずっと忙しいのだよ!」 私は言いました。「少し前に通りかかったときは、ここに座っていらっしゃるのを見かけませんでしたが?」 土地公のおじい様は言われました。「私が言う以前というのは、阿玉、あなたがまだ生まれる前、百五十年前のことだ。そのころは、今ほど忙しくなかった。今の人は、愛情をめぐる人間関係が複雑で問題も多く、病気、死、出生など、さまざまな問題が、以前に比べてずいぶん増えているのだ。」 私は言いました。「土地公のおじい様! 人は病気になれば診察を受け、亡くなれば火葬され、出産なら病院へ行きます。おじい様のお手を煩わせることはないのに、どうしてお忙しくなるのでしょうか?」 土地公のおじい様は言われました。「阿玉、あなたは知らないのだね。私は、現世の衆生の出入りの安全を受け持っている。衆生に何かが起こるときには、起こる前に分かるのだ。出来事の中には福報の増減に関わるものもあり、そういう場合は、起こる前に対処しなければならない。対処するには、時期や関係する人々を手配する必要がある。一人ひとりの体には、その人の光があり、一人ひとりに冤親債主がいる。通りにいる衆生を見てごらん。それぞれ違うかどうか、よく見てみなさい。」 はい! 見てみると、一人ひとりの衆生のそばに、多くの冤親債主が列をなして付き従っています。中には、ひどく怒っている者もいます! 現世の人の頭をずっと殴っている者もいて、殴られている人は、頭がずっと痛むと感じています。人の体に取り憑いている者もたくさんいます。拳をこすり、手ぐすねを引いて、今にも人を殴ったり、つねったりしようとしている者もいます。 そのとき、少し白い光を持つ男性が見えました。その人は、比較的正しい気75を備えていました。灯りのない暗い路地へ入っていくと、鬼たちは皆、その人を通すために道を空けました。その人が通り過ぎてから、鬼たちはまた路地へ戻りました。こうして見ると、本当に違いがあるのですね。 土地公のおじい様は言われました。「最近、このあたりに、邪淫と欺きを行った未婚の男性がいる。ある女性の気持ちをもてあそび、金もだまし取り、何度か堕胎するようにそそのかしたのだ。その女性も、善良で敬虔な人ではない。すでに殺意を抱き、その男性を道連れにして死のうと考えている。しかし、その男性は福報がまだ尽きておらず、命を終える時ではない。前世では、戒を清らかに守っていなかった修行者で、邪淫を犯しており、今生でもまた邪淫を犯している。私は今、その人を助け、注意を促すために、いくつかの方法を用いている。この数日、本人も、何かをする際に少し順調にいかないことに、すでに気づいている。例えば数日前、現金自動預払機で金を引き出そうとしたとき、金が出てこなかった。その後、引き出すことはできたが、順調ではなかったのだ。すべて正しい手順で行っているのに、人の理屈では説明できない問題が起きる。今回の私の助けによって、少しずつ自分を省みることができるだろう。 これは、たった一人の衆生のことだ。毎日、さまざまな種類の衆生がいて、出来事も多いのだから、自然と大変忙しくなる。先ほど、ある衆生には鬼が道を譲るのを見ただろう。実は、私もそのような衆生を助けるのだ。本当に転びそうになったときには、手を添えて支えたり、できるだけ転ばないように助けたりする。しかし、現世の人は私の存在を感じることはない。ただ、転ばなくてよかった、危うく転ぶところだった、本当に運がよかった、と思うだけだ。実は、この『危うく』というところに、その人自身の福報があるのだよ。」 私は言いました。「土地公のおじい様、お疲れ様でございます! いつも陰で、黙って私たちを助けてくださっていたのですね。阿玉は今日、初めて知りました。本当にありがとうございます! さようなら、土地公のおじい様!」 阿玉は合掌します! 14/一言の嘘にも大小がある――寒氷抜舌砕身地獄を訪ねて 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 「阿弥陀仏! 阿玉は合掌し、判官に頂礼いたします! 判官にお尋ねします。現世の人が妄語を犯したら、どのような地獄の果報があるのでしょうか。子どものころ、父方の祖母から、妄語をすれば地獄へ落ちて鬼に打たれるなどと聞きました。今日は、判官に案内していただいて、少し見学したいのです。」 判官は言いました。「妄語について話すと長くなりますが、今日は私が大まかに説明しましょう。実は妄語の影響は、とても広い範囲に及びます。一言の妄語が、一人の命だけでなく、無数の人の命を傷つけることもあります。妄語は、貪り、怒り、愚かさの仲間です。現世の人が妄語を犯せば、地獄の果報を招きます。 妄語で最も大切なのは、それを口にする現世の人が、その瞬間に起こした思いが、貪り、怒り、愚かさという三つの毒の、どの方向により強く向かっていたかを見ることです。三毒のうち、一つだけを備えている場合もあります。例えば、貪りだけで、ほかの要素はない場合です。怒りだけの場合も、愚かさだけの場合もあり、二つ、あるいは三つすべての要素がある場合もあります。 妄語は全体として、『真の妄語』と『仮の妄語』の二種類に分かれます。真の妄語は、さまざまな程度の地獄の果報を招きます。もちろん、その妄語を犯したことで、ほかの人にどれほど大きな害を与えたかによって、地獄の果報の深さが決まります。一方、仮の妄語は、地獄の果報を受ける必要がなく、中には功徳のあるものさえあります。 仮の妄語とは何でしょうか。衆生を救済するために、少しの私心も利己心もなく、ひたすら衆生を救うために口にする妄語を、仮の妄語といいます。ほかに、仮の妄語に比較的近いものがあり、多くの現世の人がよく用いています。例を挙げましょう。阿玉、あなたがもう食事をしたかと尋ねられたとき、ただ相手に食事を作る苦労をさせたくない、また相手に借りを作りたくないと思って、もう食べたと嘘をつくなら、それは方便の妄語と呼ばれます。この方便の妄語には、自分のためを思う心が含まれています。どんな妄語でも、自分のためを思う心があれば、仮の妄語とは呼べません。方便の妄語を口にしたことがあるなら、寿命を終える前に、真心から懺悔して清めることができます。必ず懺悔しなければなりません。方便の妄語は、真の妄語の前段階だからです。方便の妄語をしばしば口にすれば、私たちの生まれ持った霊性を汚し、少しずつ真の妄語を口にする習慣が身についてしまいます。76 方便の妄語を懺悔するには、仏の前で、いつ、どこで、何のために方便の妄語を口にしたのかを申し上げ、今、真実の心を起こして、その方便の妄語を懺悔するとお伝えすればよいのです。出来事を忘れてしまった場合には、真心を起こし、以前の過ちを深く悔い改め、二度と犯さないと誓うことができます。覚えておいてください。陰律は、情け容赦なく悪事を懲らしめ、悪を罰しますが、天は、真心から過ちを悔いる有情の衆生を、いつも哀れんでいます。必ず一段の足場を残し、真心から改める有情の衆生が、少しずつ光へ向かって歩み、人間界に最初に降りてきたときの生まれ持った光を取り戻せるようにしています。そして、さらに仏力の加被を仰ぎ願い、業障が消えるようにし、これからは念仏して浄土への往生を求めると決意するのです。家に仏像がなければ、空に向かって語り、申し上げることができます。真心から懺悔するならば、仏も菩薩も、どこにでもおられます。すでに誰のそばにも、黒無常と白無常の二人がいて、人々の毎日の善悪を記録しているのです。 因となる心が真実でなければ、果は曲折したものとなります。方便の妄語を口にしても、妄語の果報を招くのです。だから、方便の妄語は必ず懺悔して清め、その真実でない因を、真心から懺悔する心の力と、念仏による仏力によって、完全に清めなければなりません。そうしなければ、必ず曲折した果報を受けます。どのような思いで方便の妄語を口にしたかに応じて、そのときの思いに相応する果報を招くのです。妄語を犯した者が行く地獄は、数多くあります。比較的新しい妄語の地獄を一つ、案内しましょう。阿玉、ついてきてください!」 判官、お手数をおかけします! 判官について出発し、私たちはあっという間に一つの地獄の区域に着きました。 判官が説明します。「ここは冥府の北側です。この区域はすべて、妄語に関わる地獄です。」 うわあ! ここもまた、とてつもなく広い区域です! 私の能力では果てが見えません。しかも、これが増設された部分だというのですから、信じられません! 判官は言いました。「阿玉、今日はまず、この中の一つの妄語地獄を見学しましょう。ほかの地獄は、後日、都合のよい時に見学できるようにします。」 判官、ありがとうございます! ここは気温が低すぎます。とても寒いです! なかなか慣れることができません。人間界では、南と北で冬の気温に大きな差があっても、どちらにも適応できるのに、この地獄は本当に気温が低すぎます。ああ、寒い! すぐに念仏を唱えて心の力を整え、この極寒の地獄の環境に適応しなければなりません! 判官は言いました。「ここの気温は氷点下150度です。人間界の時間で2000年から、新たに増設が始まった妄語地獄の区域です。今いるのは、妄語の区域で最も重い罰を科す寒氷抜舌砕身地獄で、極度の寒さと苦痛があります。冥府の南側にある十殿の旧区域にも、昔からの妄語地獄がありますが、そこで受ける罰の苦痛は、ここより一段軽いものです。ああ、今は世の道が衰え、人の心は無情になっています。ここには、生前に妄語を口にして、人々に身を修め心を養う清らかな暮らしを捨てさせた者が大勢います。その妄語を信じた人々は、あちこちを追い求め、五欲に溺れて、ただ酔いしれたように生きる暮らしに堕ちました。妄語を口にした者たちは、こうして他人の慧命を断ったため、命を終えた後、寒氷抜舌砕身地獄に堕ちる報いを招いたのです。阿玉、今日はまず、この寒氷抜舌砕身地獄を見学しましょう。」 私が説明しなくても、皆さんは地獄の特徴をご存じでしょう。泣き叫ぶ声、苦痛のうめき声、恐ろしい悲鳴が、いつまでも絶えないことです。しかし、ここの苦しみは、寒さで時空までも引き延ばされたかのようで、何もかもがとてもゆっくりしているように感じられます。 「寒氷抜舌砕身地獄」という古銅色の大きな文字が目に入りました。この地獄の入口は、とても近代的な造りです。入口にいる夜叉たちは私たちが来たのを見ると、判官に頂礼し、門を開けて中に通してくれました。 この地獄は、とてつもなく広く、中では数え切れないほどの人々が苦しみながら刑罰を受けています。左側には、ほぼ同じ報いを受けている罪を負った霊たちがいます。地獄の中には、刑具として使われるコンピューターがたくさんあります。どれも自動化されていて、中から刑具を射出し、罪を負った霊たちを追いかけます。その狙いは絶対に100パーセント正確で、一人の霊も決して取り逃がしません。壁や天井にも仕掛けがあり、そこからも刑具が飛び出します。ここは近代的な地獄なのです。夜叉たちは逃れようとする霊たちに怒りをあらわにするだけでなく、多数のコンピューターを操作して罰を与えるのにも忙しくしています。ここの霊たちは、まさに果てしない苦しみの中にいます。極めて凶暴な夜叉に向き合ううえに、情け容赦のないコンピューターの刑具にも向き合わなければならないのです。この地獄では、罪を負った霊とコンピューターの刑具が多く、夜叉は少数です。まず、壁際にいる二人の霊を見てみましょう。男性と女性が一人ずつで、受けている報いは同じです。 女性の霊は、寒さでかすかに震え始めました。ひどく苦しみながら、極めてゆっくりと地面から這い起き、ようやく普通の人の姿に戻りました。するとすぐ、凶暴な夜叉が長い槍で彼女の背中を突き刺しました。女性の霊は苦痛に叫びながら、その槍で脇のデスクトップ型コンピューターのところへ運ばれます。画面から、瞬時に二匹の蛇が飛び出しました。一匹は黒く、もう一匹は赤い蛇です。二匹は凶暴に彼女の口へ飛びかかり、赤い蛇が口を噛み破ると、黒い蛇が舌を噛んで引き出し、引きちぎって地面に捨てました。その後、なんと、血と肉で見る影もなくなった彼女の口の中へ、正確に飛び戻るのです。77 コンピューターの中からは、先の尖った、とても鋭い刃物のようにも釘のようにも見える物体が、さらに数多く飛び出し、霊の体に襲いかかります。私は人間界で、このような物を見たことがありません。こうした刑具が体に突き刺さると、女性の霊は、すさまじい苦痛に地面へ倒れ、意識を失いました。意識を失った後も、たくさんの虫がやって来て、彼女の体を食べてしまいます。女性の霊の血はあちこちに飛び散り、地面に流れた血も、最後には虫にすっかり吸い尽くされます。それでも業の力によって、やがて霊は再び目覚め、こうした責め苦を際限なく繰り返し受けるのです。 男性の霊が受ける報いも同じです。ある霊たちは、釘の付いた鉄の棒で、夜叉に左右から口を殴られています。数回殴られるだけで口は裂け、血が流れます。その後、別の種類のコンピューター台へ引きずられていきます。その台には、黒いムカデのような恐ろしい虫がいて、霊の口の血を吸い尽くすと同時に、舌をゆっくり食べていきます。続いて針が飛び出し、霊の口を縫い閉じます。また、夜叉に口と頭を鉤で引っかけられ、コンピューター台のところへ引きずられていく霊もいて、大量の血が止めどなく流れ続けています。 今、鉤で引っかけられた女性の霊が、苦痛に大声で叫んでいるのが見えます。このコンピューターは壁に吊り下げられています。そこから恐ろしく耳障りな音が響き、火のように赤い、小さく尖った物体が飛び出します。それが霊の口に触れた途端、「ジュッ、ジュッ、ジュッ」という音とともに、口はたちまち溶けてしまいます。ああ、何と恐ろしく、何と大きな苦痛なのでしょう! あまりにも悲惨です! この時、判官は刑罰の執行を担当する夜叉の一人に、こちらへ来て、この地獄の霊たちがどのような罪を犯し、寒氷抜舌砕身地獄に堕ちて罰を受けているのか、説明するよう命じました。 夜叉は凶悪な表情を収め、私に言いました。「阿玉、先ほどご覧になった女性の霊は、生前、嫉妬心から妄語を口にして、清らかな戒律を守る一人の修行者を誹謗し、その修行者が正法を広めるのを故意に妨げました。彼女の妄語を信じた人が大勢いたため、仏の教えを学び、善を行い、戒律を守るという根本の信念を失った人もたくさんいました。この妄語によって、命を終えた後、この地獄に堕ちて罰を受けているのです。冥君閻王は激怒し、彼女を一劫78の間、この地獄に落とすことにしました。ここでの刑期が満ちた後も、さらにほかの地獄へ行き、報いを受け続けなければなりません。 一方、あの男性の霊は、生前、医療広告の商売をしていました。妄語を用いて、短期間に多くのあくどい金を稼いだのです。大勢の人が、彼の虚偽の広告を信じたために、内臓のさまざまな機能を損ないました。軽い場合でも、内臓の機能が慢性的に低下する病気を一生抱えることになり、重い場合には、短期間に体の機能が急激に衰え、命を落とす人までいました。しかし、人々は彼の医療広告に惑わされたのだとは、思いもよりませんでした。この男性は冥府によって福と寿命を削られ、交通事故に遭って、予定より早く地獄に堕ち、罰を受けることになりました。 この地獄に堕ちるのは、すべて生前に妄語の罪を犯した者です。正法を広める人を妄語で誹謗した者、悪意ある妄語によって他人の生命や財産を害した者、妄語を使って他人にさまざまな破戒行為をそそのかした者、妄語によって人々の心身を害する品物を売った者、妄語で他人を欺いて財産や貞操などを奪った者などです。ここには、妄語を犯した霊たちの事例があまりにも多く、一つ一つ数え尽くせません。今お話ししたのは、現在、この地獄に堕ちる原因として比較的多い罪にすぎません。」 判官は続けました。「要するに、生前、故意に妄語を口にし、それによって人の心身、生命、健康を害した者は、すべて地獄に堕ち、それに相応する罰を受けることになります。縁あってこの記事を目にした人には、心から過ちを悔い、徹底して改めてほしいのです。そして、人から人へと念仏を勧めてください。仏力の加被に頼り、過去にすでに作ってしまった妄語の黒い業力を除くためです。常に身心の思いを清らかに保ち、決して妄語を口にしてはならないと、皆に教えてください。一度妄語を口にするたびに、私たちが生まれながらに持つ光明は少しずつ暗くなります。人間のこの光明が暗くなると、思いどおりにならない出来事が起こりやすくなり、さまざまな病を招き、さらには、いろいろな災難が次々と降りかかることもあるのです。 では、阿玉、今日の見学はいったんここまでにしましょう。私はこの後、会議があります。明日、機縁が整えば、また来てください。」「阿弥陀仏! 判官、ありがとうございます! すぐに家へ戻って記事を書きます。この一篇を書き終えたら、またお邪魔させていただきます。」 白い蓮の花に乗って家へ帰ります! 15/綺語の痛ましい罰――棘のある蛇に舌を巻き切られるガラスコンピューター地獄 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 「阿弥陀仏! 阿玉、合掌して判官に頂礼いたします!」 「判官! 今日、あるウェブサイトで健康的な食事についての記事を見ました。その食の専門家は、食事と健康についてかなりの持論を持ち、さまざまな科学的データを備え、健康的な食事を深く理解している方でした。食材を、心が喜ぶ健康的な料理へと変える方法を、たとえを用いて説明した文章で、言葉遣いは簡潔で要点を押さえ、描写は生き生きとしていて、よく工夫されていました。健康的な食生活に気を配るよう教えることは、本来、とてもよい題材です。ところが、その人は一連の過程を、健康的な性行為の過程にたとえていたのです。表現は露骨で、読む人にさまざまな空想を抱かせ、正念を失わせるものでした。その文章を読んで、作者のことが本当に惜しく思われました。健康的な食事についてさまざまな理論を研究するのに、あれほどの時間を費やしながら、ウェブサイトにこのような文章を書いてしまうなんて。」 阿玉は判官にお尋ねしました。「人間がこのような言葉を使い、他人に邪な考えや行いを起こさせた場合、地獄に堕ちて罰を受けるのでしょうか。そのような地獄があるのなら、私も見学したいです。」 判官は言いました。「人間が誇張した、うわべだけの言葉を使い、他人に邪な考えや行いを起こさせる場合があります。また、霊性の汚れを増す言葉、あるいは、巧みな甘言や、笑顔の裏に刃を隠すような偽りの言葉を使う場合があります。また、人を喜ばせるための、実のない、もっともらしい戯論や、人をからかう言葉など、心を乱す無益な言葉もあります。日常の中で猥談をして人の心を惑わせ、情欲を誘い、情欲への愛着を起こさせることもそうです。さらに、欲望を増す歌、恋愛小説、映画、テレビ番組、歌舞、音楽、絵画などを作り、その内容や言葉が下品で、大勢の青少年の貪り・怒り・愚かさ、殺生・盗み・邪淫・妄語を増長させ、正念を失わせることもあります。これらはすべて、綺語を犯すことに当たります。 綺語を犯した人間は、命を終えると、ガラスコンピューター地獄に堕ちて罰を受けます。ガラスコンピューター地獄は、妄語地獄の区域にある地獄の一つです。綺語は、貪り・怒り・愚かさ・慢心の仲間であり、知らず知らずのうちに人の霊性を汚します。時間の都合もあるので、今から見学に行きましょう。」 分かりました! 私たちは地獄の中央部を素早く越えていきました。妄語地獄の区域にいる二匹の大蛇がぼんやりと見えてきました。あっ、あれは悪口地獄の二匹の大蛇です! その時、私たちはゆっくりと地上へ降り始めました。降りていく途中、光を反射するガラスで造られた、とても近代的な地獄の建物が、はっきりと見えました。ずいぶん流行を取り入れた造りに感じられます。しかし、その眺めを台無しにしているのは、耳を刺すガラスの音と、苦痛に泣き叫ぶ声です。本当に騒がしくてたまりません! この地獄の入口の装飾には、見事で華やかな美しさが感じられます。文字や色のさまざまな組み合わせも、恐怖を感じさせるものではありません。耳障りな苦痛の声と、地獄そのものが持つ陰気な気配さえなければ、この入口に立っていても、地獄にいるとはあまり思えないほどです。私たちは夜叉について中へ入り、見学を始めました。 地獄の中には、透明なガラスでできた小部屋がたくさんあり、罪を負った霊たちは、一人一人、自分のガラスの部屋で責め苦を受けています。責め苦が進む速さには、多少の違いがあります。左側では、赤いタイプのコンピューターが大半を占めており、霊たちが罰を受ける速さも、やや速くなっています。右側のコンピューターはすべて黒く、速さはやや遅くなっています。 まず左側の霊を見てみましょう。透明なガラスの部屋の中で、ある女性の霊が、たった今、普通の健康な人の姿に戻り、立ち上がりました。彼女は、火のように赤い水晶のコンピューターが発するほのかな緑の光と、「チン――チン―――チュン―チュン――リン―――リン―――」というような音に引き寄せられました。彼女が近づくと、画面からすぐに、口先が尖り、全身に棘の生えた小さな赤い蛇が飛び出して、彼女の舌に噛みつきます。霊は驚き、恐怖に叫びます! 舌に噛みつくと、小さな赤い蛇は、棘のある体でその舌に巻きつきます。やがて舌が巻き切られて地面に落ち、霊の口は血でいっぱいになります。その時、水晶のコンピューター全体が突然砕け散り、ガラスが破裂して割れるような音を立てます。砕けた部品はすべて霊の体に当たり、彼女は恐怖に駆られて避けようとしますが、ガラスの部屋は狭すぎて、どうしても逃れられません。霊はただ、なすすべもなく苦しみながら、この罰を際限なく繰り返し受けるほかないのです。一方、右側に見える黒いコンピューターから発せられる光は灰黒色で、飛び出してくるのは黒いムカデです。それ以外の罰は同じで、進む速さだけが少し遅いのです。 判官は、私がその女性の霊に話を聞けるよう、夜叉に彼女をこちらへ連れて来るよう命じました。女性の霊は泣きながら、生前、会社や友人たちの前で、もっともらしく聞こえる猥談をするのが好きで、それが習慣になっていたこと、自分の美しい体つきを皆にうらやましがらせようと、わざとそうしていたことを語りました。 彼女は言いました。「私の家は、四方の壁に鏡があって、どの角度からでも自分の体を見ることができました。それに私は、家の中をいつも一糸まとわぬ姿で歩き回る癖がありました。時には親しい女友達を家の集まりに招き、私の裸を見て楽しんでもらうこともありました。普段から、いろいろな物事を大げさに飾り立てて話すのも好きでした。もともとはそれほど恐ろしくない出来事でも、私の口を通ると、誇張されて恐ろしさのある話になってしまうのです。相手がおびえきっているのを見ると、『ただ面白半分に話してみただけよ。そんなに怖がりでは、ちっとも面白くないわ』と言っていました。 私は自分の頭のよさを使って、周りの人をからかい、面白がるのが好きでした。命を終えると、牛頭と馬面に地獄へ引きずられて来ました。閻王は激怒し、私が日頃、会社でしていた猥談や振る舞いによって、学校を出て働き始めたばかりの若者たちの心が揺らぎ、その後、重い邪淫を犯すようになったのだと言いました。そして、私が生前に綺語を犯したとして、この綺語の地獄、ガラスコンピューター地獄で500年間罰を受けるよう言い渡したのです。ううう……! あの時は、ただ皆を楽しませたいと思っただけなのに、こんなに重大な結果になり、地獄に堕ちて罰を受けるとは思いませんでした。あなたは本を書くのですね。どうか世の人々に、決して猥談をせず、大げさに飾り立てた言葉を口にせず、まして人をからかって面白がったりしないよう、伝えてください。ううう……! もう二度としません。判官様、どうか私を助けてください。ここから出してください。ここを離れたいのです。」 判官は言いました。「生前にどのような悪業を作ったかに応じて、地獄でも、それに相応する報いを招きます。自分のさまざまな考えや行いを、よく省みなさい。時間の都合があるので、今日はここまでにしましょう。」 私は判官に尋ねました。「なぜ地獄の右側のコンピューターでは、霊たちが責め苦を受ける速さが、少し遅いのでしょうか。」 判官は説明しました。「綺語を犯した者の言葉にも、比較的すぐに衆生を傷つけるものと、衆生が生まれながらに持つ善良な心を、ゆっくりと揺るがしていくものがあるからです。万事万物は因果を離れません。ですから、私たちは普段から自分の言動に気を配り、とりわけ一人きりの時には、心を律する戒めをいっそう大切にし、決して陰律を犯してはなりません。今日は冥府で大きな会議があります。阿玉、また別の日に来てください。」 阿弥陀仏! 阿玉、合掌して判官に感謝いたします! 白い蓮の花に乗って家へ帰ります! 16/飛ぶ釘で舌を切る――両舌地獄の刑罰を初めて探訪する 仏力の加被に感謝し、白い蓮の花に乗って出発します! 「阿弥陀仏! 阿玉、合掌して判官にご挨拶いたします! 判官! 今日は、人間が両舌を犯した場合、地獄に堕ちて罰を受けるのか、お尋ねしたいのです。」 判官は言いました。「人間が両舌を犯した場合、それが重大であれば、地獄に堕ちて罰を受けることになります。両舌とは、一人の人が、二人以上の相手に、それぞれ反対の筋立てで出来事を語り、悪意をもって人々の間を引き裂き、その関係を壊し、双方を口論や悪意ある争いへと駆り立てることです。 陰律における因果の法則は、何よりもまず心の思いを重んじます。つまり、まだ行動に移す前の考えのことで、それがすべての言葉や体の動きを促します。どうすれば悪意ある両舌を行えるかと考えている時点で、すでに地獄へとつながる浅い因縁を植えているのです。両舌は、貪り・怒り・愚かさという三毒と、妄語の仲間です。 両舌の罪にも、重いものと軽いものがあります。重い両舌とは、人々の心身に関わるさまざまな利益を、すでに傷つけ、損なってしまった場合で、必ず地獄に堕ちて報いを受けます。一方、軽い両舌というのは、例えば、双方の利益だけを考え、自分個人には何の利益もなく、ただ他人を助けたいという心から、双方の性格や気質に合わせて、それぞれに異なる内容を伝える場合です。人々を和合させようという思いを出発点として、両舌の役割を担う者は、軽い両舌を犯した者に当たります。軽い両舌を犯した者は、生きている間に懺悔して清らかになれば、地獄に堕ちて罰を受けずに済みます。懺悔の内容は、前の文章で説明した方便の妄語の懺悔と同じです。ただ『方便の妄語』を『両舌』に書き換えるだけで、それ以外の懺悔の内容はすべて同じです。 今は多くの人間が両舌を犯し、小さな子供までもが親に倣って、両舌や妄語を犯しています。これが社会の風潮を悪くしている、重要な要因の一つなのです。言葉は集団で暮らすうえで大切な意思疎通の道具ですが、言葉で教えることは、身をもって示すことには及びません。親は言行を一致させ、よい手本となるべきです。そうすれば、子供も自然にそれに倣い、少しずつ善い方向へ変わっていくでしょう。 人は生まれた時には、本来、その性は善なのです。よい行いを身をもって示すことは、私たち一人一人から始めなければなりません。誰もが公の務めを守り、法に従い、陰律の因果の法則を犯さなければ、人類は必ず救われ、災難も必ずしばらく猶予されます。天には生命を大切にする徳があるので、心から懺悔する衆生が、少しずつ過ちを改めていけるよう、必ず希望への足がかりを残してくださいます。心配なのは、あなたが懺悔の心を起こさないことだけです。 阿玉! では、生前に両舌を犯した者が行く地獄を見学するために、お連れしましょう。」時間の都合もあり、私たちは妄語地獄の区域の最北部へと素早く飛び、地図の案内板の前に降りました。左右奔騰地獄は左、黒針刺舌封口地獄は右と示されています。左右のどちらへ行けばよいでしょうか。仏力の加持を受けた心眼を借りて、二つの地獄にどんな違いがあるか、見てみます。左の地獄のほうが広く、苦しむ衆生も多いのですが、右の地獄のほうが悲惨です。では、左へ行くことにしましょう! ちょうど判官も、私に左右奔騰地獄を見学してほしいと思っていたところでした。私たちはすぐに左右奔騰地獄に到着し、判官が入口の夜叉に、私の仕事の内容を説明しました。門が開くと、うわあ! ここもまた、とてつもなく大きな地獄です。まずは目の前を見てみましょう。視界に入る範囲は、左右の二つの部分に分かれています。左側では、多くの霊が苦しみながら、なすすべもなく左右へ走り回っています。男性も女性も、その口からは血が流れています。どのように走っても、舌を奪おうと追跡してくるコンピューターから逃れられません。 地獄の中では、大勢の凶暴な夜叉が、鉄の槌、長剣、長い槍を手に、罪を負った霊たちの秩序を保ち、罰を与えるコンピューターの区域から出ないようにしています。実は、一人一人の霊の舌が、コンピューターから射出される刑具によって、正確に追跡されているのです。それぞれのコンピューターは、一定の区域内にいる霊への処罰を、自動で担当しています。どの霊であっても、そのコンピューターの区域に入ると、コンピューターは釘の形をした刃を五つ射出し、舌を切り落とします。その際には、まず釘で舌を引き出すのです。 たった今ここへ連れて来られた、苦しむ女性の霊を見てみましょう。顔には恐怖が浮かび、両足には歩く力もなく、凶暴な夜叉の長い槍に突き刺されたまま、責め苦を受ける区域へ入れられます。ああ! 彼女の背中はひどく痛み、まだ血が流れています。コンピューターはすぐに「ピッ、ピッ」と二度音を鳴らし、霊の名前を告げると、続けざまに釘の形をした刃を射出し、女性の霊の口を狙います。彼女はそれを見て、背中の痛みをこらえながら叫び、左右へ逃げ回ります。 私には、コンピューターが罪ある霊に「名前はxxxか」と尋ねているように感じられました。女の霊が答えようとして口を開くと、釘が口の中へ飛び込み、舌を引き出しました。女の霊は痛みのあまり、手で釘を取り除こうとしました。不思議なことに釘は突然柔らかくなり、彼女の手を傷つけませんでした。そこで彼女は手を放し、左右に逃げ回りました。しかし左へ逃げても右へ逃げても、一歩進むたびに五つの釘が舌を引き伸ばし、伸びた部分は釘の末端にある刃で切り落とされ、地面に落ちました。この苦痛に、女の霊は必死でコンピューターの範囲から逃れようとし、ついに顔を上げて左へ逃げ出しました。 ああ、左右にいる凶悪な夜叉たちは、決して彼女を逃がしません。左側では、怒号を上げる鉄槌夜叉が怒りに任せ、手にした鉄槌で女の霊の頭を殴りました。一撃で彼女は気を失いました。しかし夜叉は気絶したままにはさせず、鉄の釘で乱暴に彼女の口を引っかけ、さらに平手打ちしました。また血が流れ、女の霊は頭がくらくらする中で意識を取り戻すと、起き上がって右へ逃げました。右側にも、幽緑色の冷たい夜叉がいました。その夜叉はすぐに冷気と、人を打つ氷の塊を放ちました。女の霊はたちまち足が言うことをきかなくなり、恐怖に後ずさりしてコンピューターのそばへ戻り、再び責め苦を受けました。見ているだけでも目がくらむ、逃げ場のない苦しみでした。 私は夜叉を見つめて尋ねました。「鉄槌夜叉さま、どうか手加減していただけませんか。この女の霊は前の傷もまだ治っていないのに、また殴られてしまいました。ほんとうに気の毒です。少し休む機会さえありません。」 鉄槌夜叉は言いました。「この罪ある霊は、生前とりわけ両舌を好んでいた。どんな出来事でも耳に入れば、ことさらに話を膨らませて誇張し、双方を傷つける話にしてしまった。人間関係は極めて悪く、どこへ行っても人と恨みを結び、嫌われていた。最も深刻なのは、姑を傷つけたことだ。 夫のA氏は、この女と結婚する前は母親にとても孝行していた。母親はA氏が三歳になってから夫に先立たれ、再婚せずにA氏を育てた。母と息子はずっと支え合って暮らし、平穏な生活を送っていた。ところがこの罪ある霊が嫁いでくると、姑をねたむようになり、絶えず両舌を犯して、悪意をもって母子の関係を壊した。さらに姑が男と関係を持っていると、故意に中傷した。A氏も仕事が忙しく、妻が寝床でささやく言葉を信じたため、母子の関係は破綻した。ついには、息子を愛する老母が悲しみを抱いたまま亡くなった。 姑の魂は冥府に帰ると、この罪ある霊が両舌で自分を誣告したと訴え出た。女の霊は人間界で両舌を犯したので、今はこの両舌左右奔騰地獄に来て責め苦を受け、われわれに打たれなければならない。ここは彼女が地獄で罰を受ける最初の場所であり、ここでの刑期が終われば、さらにほかの地獄へ行って罰を受けるのだ。」 そのとき、ひときわ濃い幽緑色に見える凶悪な夜叉が、こちらの方を見ました。 判官は言いました。「鉄槌夜叉は先に仕事に戻るがよい。勾魂鬼王には、急いで処理しなければならない用事がある。」 鉄槌夜叉は判官に礼をして言いました。「判官さま、どうぞ引き続きご見学ください。鉄槌夜叉はこれにて失礼いたします。」 判官は言いました。「阿玉、今日は人間界で起こる幾つかの災難事故を急いで処理しなければならず、皆ひどく忙しい。また別の日に、続きを見学に来るがよい。」 「阿弥陀仏。阿玉、判官さまに合掌いたします。判官さま、お疲れさまです。どうぞお仕事をお進めください。ありがとうございます。」 白い蓮の花に乗って家へ帰ります! 17/悪口の報い――極度の苦痛を伴う毒蛇釘腸地獄 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 「阿弥陀仏。阿玉、判官さまに合掌いたします。」 「判官さま、お尋ねします。人間界の人がひどく度を越した言葉遣いをし、人の自尊心を傷つけるさまざまな言葉で、怒りに任せて罵倒した場合はどうなるのでしょうか。親が子どもを殴って叱ったり、夫婦が口論したりする中で、言葉で相手を少しも容赦せず、悪意に満ちた言葉でののしる。このような行為をすれば、地獄に堕ちて罰を受けるのでしょうか。」 判官は答えました。「いつも悪い言葉を口にし、怒りを抱き、何事にも人を容赦せず、悪意に満ちた言葉で人を傷つけ、罵倒することは、いずれも悪口に当たる。例えば人を畜生とののしること、『死ね』と言うこと、『息子も孫も絶えてしまえ』と言うこと、『死んでも葬られる場所などない』と言うこと、さらには相手が心の中で最も大切にしていることを持ち出してののしることだ。例えば、ある人が息子を授かることを強く望んでいるのに、今生では妻がすでに子どもを産めない体となり、娘が五人いるだけだとする。悪口を犯す者は、『息子も孫も絶えてしまえ』『金や家があっても住む者がおらず、鬼が住むことになる』などと、悪意に満ちた言葉をわざと浴びせてその人を攻撃する。その結果、軽ければ気分を害する程度で済むが、重ければ家庭不和を招き、さらには婚外の関係を持って、息子を産んでもらうために別の相手を探すことにもなる。どの家庭も仲よく暮らせなくなれば、社会の動揺につながる。今、人間界には、悪口によって他人がいたたまれなくなり、人生を恥じ、果ては自ら命を絶つに至る例さえ数多くある。人の体、心、霊を傷つける粗暴で悪意ある言葉は、すべて悪口を犯すことに当たり、とりわけ極めて悪辣な言葉がそうである。 悪口を犯せば、地獄に堕ちて刑罰を受けなければならない。悪口は悪い習性による悪循環である。悪口は貪欲、怒り、愚痴と連れ立っており、悪口を犯すすべての者には怒りという共通点がある。ただし、それぞれの悪心と業力の深さは異なる。修行によって聖果を得た聖者に一言でも悪口を浴びせれば、それだけで人間界の人が地獄に堕ち、無量無辺のさまざまな苦痛を受けるに足る。地獄での報いを受け終えても、畜生道を流転して畜生としてのあらゆる苦難を味わい、さらに人として生まれても卑しい身分となり、悪口の残りの報いが完全に消えるまで続く。この悪口の業報が熟す長い期間には、苦難があまりにも甚だしいため、また新たな業を生み出しやすく、苦難はいよいよ果てしなくなる。真の善知識79の導きに出会い、自分のさまざまな誤った行いを正そうと発心し、善を行って徳を積んでこそ、救われて苦海を離れる善い因縁が得られる。そうでなければ、まことに苦海に果てはなく、万劫にわたって沈み続けるのだ。 地獄に堕ちて刑罰を受ける者には、生前、夫婦、友人、同僚、親子、兄弟姉妹の間で、互いに接する際に悪口を犯した者が数多くいる。中でも夫婦の間が最も多く、また最も悪口を犯しやすく、女性の占める割合がやや高い。ここで本官は、女性たちに、自分の口業をよく守るよう勧める。多くの女性は自らの黒業が重く、過去の黒業に引かれて、人生で心身のさまざまな困難に遭う。また毎月、生理による不調があると、必ずさまざまな悪口を犯して身近な人を傷つける者もいる。 人は習性として、自分にとって都合のよい立場から物事を見ることに慣れている。少しでも思いどおりにならなければ、周囲のあらゆる人や物、天地や環境が自分に合わせてくれないと不満を抱きやすい。間違っているのはいつも自分ではないとして、悪い気分が一瞬一瞬移り変わるのに任せ、さまざまな悪口を犯して人を傷つける。 悪口を防ぐには、まず心を穏やかで安定した状態に保たなければならない。そのためには、先に自らを省み、自分に誤った行いや言葉遣いがなかったか、常に考えなければならない。今、人間界の社会風潮が悪く、動揺している時期に、心を穏やかで安定した状態に保つのは確かに難しい。外からの誘惑やさまざまな障りがあまりにも多いからだ。しかし、困難であっても障りを突破しなければならない。突破できずにさまざまな悪口を犯し、寿命が尽きて地獄に堕ちれば、苦しむのはほかの誰でもなく、自分自身なのだ。 慈悲深い仏はこの世におられたとき、末法の時代に衆生が苦海を離れる際のさまざまな障りを見通しておられた。人々が正念を起こして道を修め、修行することは難しいため、特に念仏という一つの方法を伝え、人々が救われやすいようにされた。ただ素直に念仏し、日々絶えず念仏して菜食を続け、仏力の加被に頼れば、知らず知らずのうちに感化され、私たちの心身は徐々に清められる。毎日の心の平静を保ち、普段の否定的な妄念を、その瞬間に念仏という善い念へと変える。その善い念によってよい習慣を身につけ、さらにその習慣で過去のさまざまな悪習を置き換えていく。そうすれば、私たちの運命も徐々に書き換えられ、前途は少しずつ光明へと向かい、本来備わっていた霊性の光明を取り戻せるのだ。 悪口を犯す者は、少なくとも身から放つ光が赤くなる。重い場合は赤から暗赤色になり、それでも悔い改めずに悪口を犯し続ければ、暗赤色から徐々に黒へ変わる。黒はすでに極めて深刻な状態で、さまざまな思いどおりにならない出来事を招く。身光が赤い者は、すでに人間関係がよくなく、気がふさぎ、怒りっぽくなっている。身光が暗赤色の衆生は、最も鬼道の衆生を引き寄せやすい。鬼道の衆生は瞋恚の心が強く、極めて怒りやすい。人間界の人が怒ると、たちまち怒り好きの鬼が呼び寄せられるように飛んでくる。それに加え、身近には霊界の冤親債主もいる。誰のそばにも多少はおり、数が多いか少ないかの違いにすぎない。彼らは怒っている人のそばで火に油を注ぐ。人が怒ると、その怒り好きの鬼がそばで、もっと怒れ、もっとひどく、もっと辛辣な言い方をしろとあおる。すると人は思わず無明の怒りを三千丈も燃え上がらせ、悪口の業力はもはや収拾がつかなくなるのだ。」 「判官さま、ありがとうございます。とてもよく分かりました。私が仏法を学ぶ前、家族とうまくいかず、いつも訳も分からず叱られ、支配されていたことが、ようやく腑に落ちました。しかも毎回、家族は突然ひどく凶暴になり、私はとても怖かったのです。この恐れは、仏法を学ぶようになってから、ようやく少しずつ消えていきました。」 判官は言いました。「うむ、阿玉、そなたの場合には、そのような事情による部分もある。また一方では、その家族が魔道から生まれ変わってきたためでもある。今生の彼女の目的はただ一つ、そなたの修行を妨げ、正法を守る仕事に従事させないことだ。そなたは必ず怨みに徳をもって報い、精進して修行し、清浄な戒律を守って、少しずつ彼女を感化しなければならない。行動があまりに激しいときは、適切に身を引いてもよい。彼女のさまざまな激しい行動があったからこそ、知らず知らずのうちに、阿玉には普通の人とは異なる強い性格が培われたのだ。修行に励むそなたの堅固な心を絶えず鍛えてくれたことにも、感謝しなければならない。困難の中で、生死を解脱しようとするこの堅固な菩提心を、果たして保てるかが試されているのだ。」 「分かりました。判官さま、お教えをありがとうございます。阿玉は、判官さまから教わった解決の方法を必ず覚えておきます。怨みに徳をもって報い、精進して修行し、戒律を守り、少しずつ家族を感化していきます。必ず行動に移します。」 「引き続き励むのだ、阿玉。では本官が悪口地獄の見学に連れていこう。『寒氷抜舌砕身地獄』の近くにも、幾つかの妄語地獄がある。気温は少し高く、それほど寒くはないが、苦痛が甚だしいことに変わりはない。今日は妄語地獄区域の第二部分へ案内しよう。そこの気温は寒くない。」 私たちは飛ぶような速さで着きました。着地しようとしたとき、判官は指さして、あそこだと言いました。下を見ると、なんと、頭の大きな恐ろしい蛇が二匹、とぐろを巻いていました。頭があまりに大きく、とても怖かったです。幸い動きませんでしたが、こんなに頭の大きな蛇は見たことがありません。一匹は暗赤色、もう一匹は黒色の、並外れて頭の大きな蛇で、どちらも口を大きく開けていました。実は、あの赤い恐ろしい大頭蛇の口が、この地獄の門でした。門のそばには、それよりやや小さい恐ろしい蛇も数多くいました。実際には小さいわけではなく、先ほどの二匹が大きかったので、門辺の蛇がずっと小さく感じられるのです。赤いものも、黒いものも、緑のものもいました。この地獄は蛇の姿をかたどって造られていました。 門には『毒蛇釘腸地獄』と書かれていました。なんと、毒にやられた後、さらに釘を打たれるのです。夜叉は判官に礼をすると、門を開けて私たちを中へ案内しました。まだ入る前から、何かをかみ切るような『シューシュー、ああ、ガリッ』という、ひどく恐ろしい音が聞こえていました。長く尾を引く、恨み嘆くような風の音もしました。ここから響く恐ろしい音は多く、入り乱れており、すべてが混じり合って極めて騒々しく、耳がつらくなるほどでした。私たちは恐ろしい大頭蛇の大きな口の中へ入りました。夜叉の一人が、奥には仕掛けがたくさんあるので、あまり近づかず、脇に立って見学するよう私に言いました。この地獄にもコンピューターが数多くあり、凶悪な夜叉たちは忙しく働き、多くのコンピューターを素早く操作して罪ある霊たちを罰していました。ここは明らかに人手が足りないようで、夜叉たちは素早く慣れた手つきで操作していました。コンピューターの助けがなければ、きっともっと忙しいに違いありません。判官が先ほど言ったとおり、この悪口地獄では女の罪霊が多数を占めていました。この地獄に来ると、頭にも心にも特に強い圧迫を感じました。頭痛がし、心の中には言い表せないつらさがありました。それでも見学を続けよう。苦難にある罪霊たちを見ると、私のこの程度のつらさなど、まったく取るに足りませんでした。 ここには罪ある霊が大勢おり、コンピューターの中から飛び出す暗赤色の毒蛇に、口や舌をかまれていました。どのコンピューターも恐ろしい音を発し、耳にするのもつらいほどでした。罪霊は口や舌を毒蛇にかまれると、全身に毒が回って黒や紫に変わり、苦しみながら地面に倒れました。大声を上げる者もいれば、声も出さずに倒れ、気を失う者もいました。そのとき毒蛇は罪霊の耳元でさまざまな恐ろしい音を立て、目を覚まさせました。罪霊が目を覚ますと、すぐに地面から先のとがった真っ赤に焼けた鉤が幾つも飛び出し、両耳を引っかけました。『シュー、シュー、シュー』という音とともに、耳はたちまち溶けてしまいました。同時に毒蛇は、罪霊の舌と腸を引きずり出して地面に投げました。その後、コンピューターから湯気の立つ熱湯があふれ出し、舌と腸がとても小さくなるまで、煮えるほどにゆでました。また、コンピューターによっては硬い氷の塊が飛び出し、罪霊の舌や腸を粉々に砕いて、血しぶきを辺りに散らしました。 罪霊の舌と腸が熱湯で煮られ、硬い氷の塊で砕かれると、今度はコンピューターから両端のとがった小さな鉄の釘が飛び出し、舌と腸に隙間なく打ち込まれました。すると毒蛇がそれらをくわえ、すべて罪霊の口へ押し戻しました。罪霊たちは苦痛に大声を上げ、地面を転がってうめきました。このように、休むことなく何度も繰り返し責め苦を受けていました。 この悪口地獄の刑罰は、目がくらむほど極めて高速で行われます。文字で説明できることには、やはり相当な限りがあります。ともかく阿玉は、できるだけ多くを書き表して皆さんに知らせたいです。実際に見学した現場には、ほかにも刑罰があまりに多く、時間の関係ですべてを一つずつ描写することはできません。 そのとき、一人の女の罪霊が、突然私の方へ向かってひざまずき、激しく頭を地につけて拝みました。もちろん夜叉が見逃すはずもなく、彼女は凶暴に蹴られてコンピューターのそばへ戻されました。ああ、地獄はなんと非情なところでしょう。女の罪霊が本当に気の毒でした。すると判官は、私がその女の罪霊に話を聞き、文章に書けるよう、夜叉に彼女を連れてくるよう命じました。夜叉は女の罪霊をつかんで連れてきました。 女の罪霊は私の前にひざまずいて言いました。「小玉子、助けて。小玉子、助けて。小玉子、助けて。あなたはきっと小玉子でしょう。」小玉子という幼名は、私が幼いころ祖母の家で暮らしていたとき、皆がいつも呼んでいた名です。私はその町を離れて、もう二十年以上になります。目の前のこの女性は誰でしょう。きっと子どものころの隣人に違いありません。 私はその場でぼうぜんとして言いました。「すみません。以前、きっとお会いしていますね。祖母のお友達ですか。年長の方にそう呼ばれるのを聞くのは、本当に久しぶりです。どうしてここへ来られたのですか。」 祖母が往生するとともに、この幼名もすっかり聞かれなくなっていました。まさか今日、地獄で再びそう呼ぶ声を聞くとは思いませんでした。昔の出来事の面影が、時を逆にたどるかのようによみがえり、一瞬にして悲しみが胸に込み上げました。 女の罪霊は言いました。「小玉子、私を覚えていなくても当然よ。あなたのおばあさんとはあまり付き合いがなかったから。家はそう遠くなかったけれど、うちは皆が必ず通る道沿いにあったの。あなたは小さいころ、いつも跳びはねるように歩いていたでしょう。通りかかると、足音を聞くだけで分かったわ。あなたがよく家の前を通ったとき、私は居間で用事をしていて、あなたの横顔が見えたの。そのころ、うちの二人の娘はいつも、『どうして小玉子は毎日遊べるのに、私たちは毎日休まずたくさん家事をしなければならないの』と尋ねたわ。ところが私は、悪口で娘たちをののしったの。『おまえたちは生まれつき下賤な性根で、卑しい運命なんだから仕方がないだろう。貧乏な家に生まれ、小さな家に住む、みんな早死にするやつらだ。そのうえ、ふがいなく女の子に生まれてきて。男の子だったら、毎日外へ遊びに行かせてやるのに。さっさと働きなさい。何をうらやましがることがある。小玉子の家なんて、少しばかり金を余計に持っているだけじゃないか。家が大きくたって、住む人もいないのに何の役に立つ。毎日遊んでいるからって、それが何だというんだ。おまえたちと同じ早死にするやつで、男の子になれるわけでもないのに。』」 「あなたのおばあさんは、あの辺りでは有名な実直な人で、人助けが好きだったわ。持っているものなら必ず皆に貸してくれて、返さなくてもよかったの。でも、お嫁さんたちが次々に家へ来てからは、皆に物を貸すにも、お嫁さんたちに隠れて貸さなければならなかった。そうしなければ怒鳴られたのよ。おばあさんは、お嫁さんたちからあらゆるいじめを受けたわ。そのころ私は、あの人は実直だからこそ、家の何人もの嫁にずっといじめられるのだ、だから私はもっと気を荒くして、誰にもいじめられないようにしなければ、といつも考えていたの。あなたのおばあさんは、あなたが生まれてから、ずいぶん楽しくなったと言っていたわ。あなたが気丈で、とても男の子らしい性格だという話も、よく皆にしていた。さっきあなたの横顔を見て、急に小玉子だと感じたのよ。二十年前、故郷で嫁が姑の指をかみ切った事件があったのを、まだ覚えているかしら。」 阿玉:「ああ、思い出しました。あのときのおばさんだったのですね。あの事件はとても有名で、聞いたことはありましたが、誰のことかは知りませんでした。そのころ私はまだ幼く、大人の事情が分からなかったのです。祖母からは、おばさんとお姑さんは仲が悪く、お姑さんは男の孫を抱きたがっていたのに、おばさんは二人続けて娘を産んだらしいと聞きました。お二人がよく口論していたとも聞いたように思います。でも、おばさんはそれほど年を取ってもいないのに、どうしてこんなに早く地獄へ来られたのですか。」 女の罪霊は悲しそうに泣きながら言いました。「私は生前、とても短気で、毎日悪口を吐いて人をののしっていたの。相手が誰であってもののしり、少しでも気に入らないことがあれば、必ず大声で、辛辣で意地の悪い言葉を浴びせたわ。天気が悪くて予定していたことに支障が出るだけでも、『くたばれ、このいまいましい空め。こんな縁起でもない雨を降らせて、うんざりだ』とののしったの。姑や娘たちは、なおさら毎日のように怒鳴られていたわ。あなたが故郷にいたころは、私が嫁いでからまだ間もなく、姑もまだ若かったのに、私はその指をかみ切った。その後、私はもう子どもを産めなくなり、気分も気性もいっそう悪くなった。姑が私にかなうはずもなく、毎日『くたばりぞこない』とののしったわ。出かけようとすると、『この年寄り売春婦、鬼婆め。男をあさりに行くんだろう。外で死んだって、私は遺体を引き取りになんか行かないよ』とののしったの。姑はいつも腹を立て、幾言か言い返してから出かけたけれど、毎回私に負け、必ず私が勝ったわ。時には頭に傷を負い、血を流すほど殴ったこともある。指をかみ切ったのは、嫁いできたばかりのころ、最初に威勢を見せつけるためだったの。 私は肝炎で、家で病死したの。牛頭と馬面に地獄へ引きずられてきた。閻王は大いに怒り、生前、悪口で人を傷つけ、姑を殴ってののしり、天地に怒りの言葉を浴びせた私は、不孝、不義、不廉、不恥、不礼、不敬を犯したと言って、毒蛇釘腸地獄で四百年の責め苦を受けるよう判決を下したの。ここではもう、とてもとても長い時間が過ぎたように感じるわ。ここは本当に、比べようもないほど苦痛に満ちている。生前は、大声を出して凶暴に振る舞えば、周りの人を押さえつけられるとずっと思っていた。今になってようやく、間違っていたと分かったの。『ううう……』、本当につらくてたまらない。 小玉子、あなたはどうして地獄へ来たの。お願い、私をここから助け出して。」 そのとき、夜叉が凶暴な声で怒鳴りました。「これ以上、無駄口をたたくな。すぐに戻って刑を受けろ。阿玉は地獄を見学し、本を書いて世の人々を救い導くために忙しくしているのだ。おまえの無駄話を聞く暇はない。さっさと立ち去れ。」夜叉の叉が、すぐに振り下ろされました。 私は胸が痛みました。判官は私の悲しげな表情を見ると、夜叉を呼び止め、罪霊にもう少し話を続けさせ、ほかに何を言いたいのか聞いてみようと言いました。 女の罪霊は体を震わせ、ひどく苦しそうに泣きながら言いました。「小玉子、私も一緒に本を書く仲間にしてもらえないかしら。故郷では皆、あなたが幼いころからおばあさんの薫陶を受け、人助けの好きな性格に育ったことを知っているわ。小玉子ならきっと助けてくれる、見殺しにはしないと信じているの。付き合いは少なかったけれど、かつては隣人だったでしょう。私も一緒に本を書かせて、世の人に悪口を言わないよう勧めさせて。私がどんな悪口を犯し、地獄に堕ちて苦しんでいるか、必ず証人になるわ。皆に悪口を言わないよう説くお手伝いをするから、お願い、ここから助け出して。」 「おばさん、阿弥陀仏。地獄に堕ちておられるのを見るのは、本当につらいことです。私も一刻も早く助け出したいのですが、お連れする力はありません。私は仏の加持力に頼って地獄を見学し、『陰律無情』という本を書いています。本を書く人を選んだのは仏であり、私にも勝手に人を決める権限はありません。私は五戒を守り、念仏し、清浄な菜食を続ける仏弟子です。おばさんも発心して、念仏と懺悔を始めてください。私は必ず、本を書く功徳を回向し、おばさんが一日も早く苦しみを離れて安楽を得て、浄土へ昇り、蓮華から化生できるよう願います。この判官さまにお願いしてみます。何かお役に立てればと思います。」 すると女の罪霊は言いました。「判官さま、お願いします。判官さま、お願いします。頭を地につけてお頼みします。私は死んで当然でした。死んで当然でした。生前は何一つ善いことをしていません。今は小玉子のように、皆のために何か善いことをしたいのです。お願いします。本当に、自分が間違っていたと分かったのです。」 判官は言いました。「おまえは生前、悪口で人を傷つけ、姑を殴り、怒鳴り、侮辱した。それは陰法における大不孝を犯す行いだ。陰律は奸悪を懲らしめるものであり、地獄に堕ちる悪業をなした以上、地獄の陰法はおまえを固く拘束する。悪業がすべて消え去って初めて、地獄を出られるのだ。冥府の陰律の法規は、ここの職員の誰かと知り合いだからといって、人情で刑罰を軽くするものではない。父子という至親であっても、肉親の情が入り込む余地は一切ない。冥府の陰律の法規に触れた者は、誰でも必ず罰を受ける。傷つけられた被害者がおまえを許し、姑がおまえの責任を一切追及せず、不孝を許したとしても、公平公正な陰律がおまえを見逃すことはない。冥府の陰律の因果法則は、人間界での寿命と福報が尽きるのを待ち、牛頭と馬面がおまえを容赦なく地獄へ連れてきて罰を受けさせるのだ。今、おまえにひとまず悔い改める心が生じたことは、本官も分かっている。今日はよく協力したことも考慮し、協力して悔い改めたことを一回、冥府で法を聞いたこと一回に相当する記録として残すよう、夜叉に命じよう。生前に親孝行をしなかったため、今は子孫が理と法にかなったやり方で善を行い、徳を積んでおまえに回向しないという結果を招いている。おまえと阿玉は過去に遠縁の親戚だった因縁が熟し、今日、一時の出会いを得たのだ。この移ろいやすい善縁を、よく大切にするがよい。 冥府にも、心から悔い改めた者に、法を聞いて解脱する機会を与える仕組みはある。ただし前提として、おまえ自身の懺悔の心念によって、ある程度の光が生じなければならない。夜叉はそれを見れば、自然に地蔵菩薩の説法を聞きに連れていく。この法を聞く殊勝な因縁も、誰にとっても平等だ。真心から懺悔して一定の日数がたてば、おのずと夜叉が来て刑罰を一時中断し、法を聞きに連れていくようになる。法を聞くたびに、冥府の夜叉は記録を残す。一度聞くごとに、おまえの霊性も地蔵菩薩の慈悲深い法音によって洗い清められ、善へと導かれ、加持を受ける。今のおまえの懺悔の心の光は、まだ十分ではない。ひとまず戻り、よく業力を消してくるがよい。」 夜叉はまた、女の罪霊に凶暴に言いました。「今日は得をしたな。判官に会って、あんなにたくさん道理を説明してもらえたのだ。さっさと戻って罰を受けろ。」そして、また一蹴り浴びせました。ああ、夜叉よ、夜叉よ。いつもあんなに凶暴で、乱暴なのです。ここの夜叉は一人残らず恐ろしいです。ああ、決して地獄へ堕ちて責め苦を受けてはなりません。どこもかしこも悲惨さに満ちています。 そのとき判官は続けて言いました。「人間界の人で、かつて悪口を犯し、この文章を読んで地獄に堕ちる苦しみを免れたいと思う者は、生きているうちにその悪口の業力を懺悔できる。もちろん、その業力がどれほど重いか、人の命を損なったかどうかなどによる。しかし重い場合でも、懺悔によって大きく改善する。普通の悪口の業力であれば、寿命が尽きる前に懺悔して清めることができる。懺悔の方法は、昨日話した妄語を犯した場合と同じで、ただ『妄語を犯した』を『悪口を犯した』に変えればよい。例えば、『私、誰それは、いつ、どこで、どのような件について悪口を言いました』というように、妄語を悪口に置き換えればよいのだ。 覚えておきなさい。必ず真心から懺悔すること。これは非常に大切だ。真心の一念は三世に通じ、真心の一念は無量の悪業を消すに足り、真心の一念は天地の陰律の法則へまっすぐに届く。この『陰律無情』に記された真心からの懺悔の方法を転載して人に知らせれば、必ず過去の悪業を消せる。冥府には、人間界の一人ひとりのさまざまな善悪が詳しく記録されている。善が小さいからといって行わないでいてはならない。大きな福報は、実は小さな善行と、細部にまで厳しく戒律を守ることから生まれる。よく覚えておきなさい。この文章を読んで懺悔し終えた後、この懺悔法があるから好き勝手にしてよいと思い、また悪事を行い、また懺悔し、それを繰り返して、悪いと知りながら犯してよいということではない。知りながら犯す者は、罪が一等重くなる。 阿玉、今日の悪口地獄の見学はここまでにしよう。また時間を設けて来るがよい。本官も先に公務へ戻らねばならない。」 「阿玉、判官さまにご挨拶いたします。今日はあのおばさんを助けてくださり、本当にありがとうございました。」 判官は言いました。「礼には及ばない。われわれの心では、どの罪霊も平等なのだ。冥府のわれわれは、すべての罪霊が一日も早く地獄を離れることを願っている。また、そなたが本を書くのを助けることも、本官の責任である。目的は、さらに多くの人が寿命を終えて地獄に堕ち、苦しむのを防ぐことだ。それは実際には冥府の仕事を減らすことでもあり、本官こそ阿玉に感謝しなければならない。できればもっと頻繁に来て、早く本を出し、地獄のさまざまな苦難を人間界に示してほしい。人々を感化し、戒を守り、念仏し、善を行うよう導くのだ。仏の恩、そして玉帝と諸閻王がこのたび天機を余さず明かしてくださった恩に、決して背いてはならない。人間界の衆生を救うため、冥府の陰曹と地獄のさまざまな刑罰の真相を公開されたのだ。今、人間界の衆生は悪をなし、因果を信じず、好き勝手に振る舞い、邪淫や殺生、盗みや妄語を犯し、ほとんど収拾のつかないところまで来ている。天に甚だしく逆らい、天地の正気80の均衡を乱している。『陰律無情』という本が現れたのは、悪をなしたことはあっても、なお良心を失っていない一部の人々を苦海から救い出すことを願ってのことなのだ。」 「よし、早く戻って文章を書くがよい。本官は先に仕事に戻る。」 「阿弥陀仏。慈悲深い判官さまがご多忙の中、助けてくださったことに感謝いたします。阿玉、合掌して感謝申し上げます。」 白い蓮の花に乗って家へ帰ります! 18/決して釣りをしてはならない――孤魂独釣剣海魚地獄 南無阿弥陀仏。判官さまに頂礼いたします。 阿玉:「今日は判官さまに、釣りを好む衆生にはどのような果報があるのか、お尋ねしたいと思います。人間界の釣り愛好者の中には、釣りを娯楽としている人がいます。都市の海水が汚染され、重金属の害があることも知っていて、魚を岸へ釣り上げてひとしきり遊ぶのです。中には、うろこの一部を削り落とし、さらには目をえぐったり、ひれや内臓などを切り取ったりした後、また魚を海へ投げ戻す人もいます。このような行為をすれば、地獄に堕ちるのでしょうか。もしそのような地獄があるなら、阿玉も見学してみたいのです。」 判官:「釣りは殺生の行為だ。娯楽のためであれ、食べるために釣るのであれ、どちらも殺生の黒業を犯すことに当たり、地獄に堕ちて罰を受ける。違いを言えば、娯楽のために釣った魚が、体を損なわれず、海へ泳いで戻って普通に暮らせるなら、業報はそれに応じてやや軽い。しかしそれでも、魚の心念、すなわち魚の神識を傷つけ、恐れおののかせ、釣った魚との間に悪縁を結ぶことになる。」 「遊ぶつもりで、殺す気がまったくない場合でも、一度釣りをするたびに、一か月分の福報が削られる。その中には、一か月分の食糧や、さまざまなものを享受する福報が含まれる。例えば、その釣り人は本来、来月昇給するはずだったとしても、今、釣りの黒業力によって昇給できなくなり、上司に理不尽に叱られ、同僚に排斥され、人に好かれなくなる。体にも、魚を傷つけた業力が反映し、おのずと何の前触れもない痛みが生じる。商売をしている人なら、来月、大口の顧客との契約がまとまろうとしており、例えば本来百万の利益が得られるところ、それが削られる。前世からの福報が大きい者であっても、幾重もの障りの中で苦労して、三十万を得るにとどまる。」 「遊び半分に弄んで、釣った魚を負傷させたり、体を損なわせたりした場合は、一か月分の福報を失い、体にさまざまな病や痛みを受けなければならない。具体的にどのような病苦の報いを受けるかといえば、傷ついた魚が受けた苦痛が、業力として釣り人の身にも反映するのだ。釣り人には頭痛、めまい、口の中のさまざまな病気、精神の不調などの症状が現れる。生まれつきの口唇裂も、前世で釣りをした果報によるものである。ほかの身体のさまざまな痛みも、傷ついた魚が受けたものと同じだ。食べるために釣る場合は、そのたびに最低でも七日間寿命が削られ、三か月分の福報が失われる。多くの魚を釣ることと、卵を抱えた魚を釣ることについては、冥府の陰律の法則は、倶生神の詳しい記録に従って、その釣り人への罰を重くする。」81 「頻繁に釣りをする人は、身光が赤色から徐々に灰色へ変わる。身光が暗くなると、物事が何かとうまくいかず、眠りが不安定になり、疑い深く、怒りやすくなる。」 「人は誰でも、生まれたばかりのとき、身光が円形をしている。色の濃淡は人によって異なり、その人の福報と善悪の業力を表している。身光が欠けることなく明るく、覆う範囲が広く、遠くまで届くほど、その人の善業と福報が大きく、徳行がよいことを示す。大いなる智慧を持つ諸仏や諸大菩薩の身光が、最も円満である。」 「すでに話したとおり、人は誰でも生まれると同時に、二柱の倶生神がそばに付き、昼夜ずっと後を追う。人間界の人がどこへ行こうと、便所へ行くときも、入浴するときも、眠るときも、その寿命が尽きるまで付き従う。二柱の倶生神は、男と女の姿をしている。男の倶生神は人の左側にいて、身光は淡い白色であり、日々のさまざまな善念と善行を記録する。女の倶生神は身光が淡い黒色で、人の右側にいて、日々のさまざまな悪念と悪行を記録する。」 「人間界の人があまりに多くの黒業をなすと、女の倶生神は怒って知らせ、注意を促す。しかし、かすかな知らせを受け取れる人はごくわずかで、大多数は何も感じない。二柱の倶生神は、毎月その人の善悪の記録を冥府へ報告する。」 「大悪をなし、人間界に害を及ぼす者であれば、人間界での寿命がまだ尽きていなくても、冥府は緊急に手配し、災難をその身に降りかからせて、速やかに魂を地獄へ帰らせ、罰を受けさせる。人は自らの定業に加え、今生のさまざまな言動によっても新しい業力を生み出す。福報と業力は、私たちの日々の善悪の行いの中で、増減していくのだ。」 阿玉:「判官さま、こんなに詳しく説明してくださり、ありがとうございます。お尋ねしたいのですが、ただ少し遊びで釣りをするだけでも、これほど福報が削られるのなら、福報に乏しい人が頻繁に釣りをすれば、とてもひどいことになるのではありませんか。」 判官:「そのとおりだ。一匹の魚も一つの命である。釣り人はごく短い時間のうちに魚の命を終わらせる。この戒を犯して殺生する業力は、速やかに自分の身に返り、自ら受けることになる。『私は何の宗教も信じておらず、戒律を守る必要もないから、とても自由だ。人を殺したり火をつけたりするわけではなく、暇なときにちょっと釣りをするだけだ』と言う人もいる。だが、その考えは間違っている。陰律の法規は、有情である衆生の一人ひとりを厳密に捉えている。宗教を信じるかどうかにかかわらず、悪をなす者は最後には必ず陰律の制裁を受ける。戒を守る有情の衆生が戒を犯せば、罪は一等重くなる。悪いと知りながら犯す者には、必ず罰が加重される。地獄のさまざまな罰から離れる方法はただ一つ、五戒十善を守ることである。五戒を守れば人身を保つことができ、十善を行えば自らの福報をしっかり守り、堕落せずにいられる。しかし人間界の人は、毎日の言動の中で、いとも簡単にさまざまな十悪を犯してしまう。自らの福報が削られないよう確かに守るには、戒を守り、念仏することが最も有効だ。念仏を絶やさず、根気よく続ければ、必ず業は尽き、情執は空となり、私たちが本来備えていた光明を取り戻せる。」 「誰のそばにも多くの冤親債主がおり、報復の機会をうかがっている。陰律に反する行いをすれば、それだけ身近な冤親債主に報復の機会を与えることになる。護法の正神であっても、陰律の因果法則には干渉せず、まして戒を犯す行為を放任することはない。陰律を執行する護法の正神は、悲愍の心によって、すべての有情の衆生を公平に賞罰する。」 「誰もが生まれるとき、前世のさまざまな善悪の業力を帯びてくる。五戒十善を守り続け、戒を犯さなければ、たとえ周囲に多くの冤親債主がいても、彼らは付き従うことしかできず、報復の機会を一切得られない。それなのに、妄語や邪淫、酒色にふけることなど、戒を破る行いを数多くし、陰律に反する生活を送っていながら、なお富貴を享受している人がいるのはなぜか。それは、過去の生で大きな善業を積み、その福報がまだ尽きていないからだ。」 「善業が重ければ、人はさまざまな善業の福報を招き、物事は順調に運び、楽しく喜びの中で暮らせる。だが、人間界の人が戒を犯し続け、善を行って福を積まなければ、善業の福報は使い続けることで失われ、甘い時が尽きて苦しみが来る。釣り人に、ほかに何の善業も善行もなければ、今生で殺生を犯し続けることにより、黒業が重くなる。そこへ過去の生の悪業も加わると、周囲の非人の冤親債主は、取り憑く形で大いに妨害し、さまざまな思いがけない災いを起こし、さらには命を奪うことさえできる。」 「今は時間の都合もあるので、ひとまずここまでにしよう。阿玉、本官について来るがよい。」 阿玉:「はい、判官さま。」 判官:「この地獄は、人間界の時間で1995年に増設された。中にいる罪霊は、東洋人が多数を占める。」 私たちは素早く、広大な区域に降り立ちました。人間界の大きな工業地帯に少し似ているように感じました。道標をよく確かめなければ、迷いやすそうでした。ここには数多くの門があり、門口に夜叉はいませんでした。どの門にも地獄の名が書かれ、幾重もの扉が固く閉ざされていました。なんと、ここもまた地獄の新しい一帯なのです。目がくらむ思いがしました。人間界ではただでさえさまざまな物事が刻々と変化しているのに、今や地獄までこんなに増設されています。いったいいつになれば見学し終えられるのでしょう。 判官は言いました。「今日は第七棟の七番目の部屋、孤魂独釣剣海魚地獄だけを見学する。冥府は人手が不足していて、ここには一切門番がいない。直接、呼び鈴を押しに行こう。」 阿玉:「分かりました、判官さま。」 探してみよう。ここが第一棟、第二、第三、第四、第五、第六、第七棟。一、二、三、四、五、六、七番目の部屋。見つかりました。現代の繁体字が暗緑色の光を放ち、『孤魂独釣剣海魚地獄』と記されていました。私は前へ進み、呼び鈴を押しました。 夜叉が門を開け、判官を拝礼し、私たちは中へ入りました。この地獄は大きな海で、海中には大小さまざまな、鋭く凶悪な剣魚が数多くいました。ここは左右の二つに分かれ、左側では罪霊が一人ずつ責め苦を受け、右側では三人、五人と群れになって一緒に責め苦を受けていました。この地獄で特に変わっているのは、夜叉が四人しかおらず、左右に二人ずついることでした。やはり人手が足りません。四人の夜叉たちも、さぞ大変でしょう。 この地獄も小さくはありませんでした。人間界の海辺では、一つの岩には一人か二人しか乗れませんが、ここは違います。普通、人間界の一つの砂浜に五百人を超える人がいれば、すでに混雑していると言われます。この地獄では、海中の鉄の剣魚が人を食らいます。最大の鉄の剣魚は一匹が約十メートルもあり、口を開ければ十二人の罪霊を一度に食べられます。やや小さいものは、一口ずつ食べていきます。 ここでは、一つの岩の上に、驚くほど多くの罪霊が乗っていました。私のそばのごく小さな岩だけでも四十五人がおり、ほかの岩にはさらに多くの罪霊がいました。左側の罪霊たちは、一人ずつ海辺の岩に立ったり座ったりして、生と死の苦痛を伴う重い責め苦を絶えず繰り返していました。では、そばにいるこの男の罪霊を見てみよう。彼はちょうど感覚を取り戻し、意識がはっきりし始めたところで、起き上がって岩に座りました。釣りという悪業の果報に引かれ、この罪霊は今、先ほどの苦痛をすっかり忘れてしまったかのようでした。 彼の頭の中に、さまざまな魚が海を泳ぐ姿が浮かぶのが見えました。彼は、あの珍しい海の魚を必ず釣り上げ、釣ったらすぐに船上で焼き、景色を眺めながら食べようと考えていました。楽しそうな目で海中の剣魚を見つめ、そばには長い電動の釣り竿がありました。彼の手が釣り竿に触れると、竿はすぐ自動的に持ち上がり、素早く正確に罪霊の頭を引っかけました。よく見ると、釣り竿には鋭い半円状の鉄の鉤があり、口から入り込んで頭を引っかけたようでした。そのとき罪霊の頭の中は一面真っ黒になり、苦しくても声を上げられず、口から血が流れ始めました。手足をばたつかせてもがくほど、鉤はさらに深く食い込みました。 釣り竿は素早く罪霊を海中の小さな鉄の剣魚の口へ投げ込みました。この小さな鉄の剣魚の体長は二メートルでした。罪霊が海へ投げ込まれると、ちょうど鉄の剣魚の口のそばにある、とがった鉄柱の上へ落ちました。恐れおののく罪霊は串刺しになり、全身から鮮血が噴き出しました。鉄の剣魚は恐ろしい怒号を発して罪霊の頭をかみちぎり、まず鼻と目を食べました。二口目には頭の下半分から喉にかけてを食べ、罪霊は苦痛に手足を縮め、震わせました。鉄の剣魚はとがった口で罪霊の腹を切り開き、それから内臓を少しずつ食べ尽くし、ついには体をすべて食べてしまいました。食べ終えると、砕け散り、血まみれになった罪霊を、残らず先ほどの岩へ吐き戻しました。罪霊が岩へ吐き戻されると、孤魂独釣剣海魚地獄には、罪霊を元に戻して目覚めさせる業風が吹きました。その業力の風に吹かれると、罪霊は自動的に元の姿へ戻って意識を取り戻し、再び同じ責め苦を受け続けました。ああ、これは比べようもないほど甚だしい苦痛です。 判官は、阿玉がこの罪霊に話を聞けるよう、夜叉に彼を連れてくるよう命じました。罪霊はまだ意識を失っており、夜叉につかまれて連れてこられても、ぼんやりしていました。私は困った顔になりました。意識がないのに、どうやって話を聞けばよいのでしょう。夜叉はすぐ説明しました。今から冥府の回魂生姜湯を一杯飲ませ、体温を少し上げ、話せる程度まで回復させれば、聞き取りができるといいます。聞き取りが終われば、再び業風を吹かせて責め苦を受けさせるのです。 罪霊は夜叉に冷水を浴びせられて目を覚まし、回魂生姜湯を飲むと、普通の状態に戻り始めました。それでも、まだとても疲れ、苦しそうに見えました。夜叉は、なぜこの地獄に堕ちて苦しんでいるのか、ありのままに話すよう命じました。 罪ある霊:「私は生前、東方のある都市で海産物の乾物の卸売業を営み、大金を稼いでいました。でも、心を許せる友人はほとんどいませんでした。周りには本心で接してくれる人がいないように感じ、孤独なほうでした。商売上の飲み食い仲間なら大勢いましたが、みなうわべだけの友人で、互いに利用し合っていたのでしょう。それでも毎日、笑顔で向き合わなければならず、少しも面白くありませんでした。海産物の卸売業など、とうにやめたいと思っていたのです。ただ、ずっと商売が好調で、金を稼ぐためだけに続けていました。私は子どもの頃から、釣りがとりわけ好きでした。私がこの地獄へ堕ちた最大の原因は、こうです。当時、まだこんなに若いのに、すでに十分な資産があるのだから、自分の好きな商売を試してみよう、損をしても大した問題ではない、と考えました。そこで、世界各地でとりわけ専門性の高い釣り道具を探し始め、さまざまな良質の探検や登山の装備、衣服、道具などの商品も探しました。そして、釣り道具の専門販売を主力とし、探検や登山の商品もいくらか扱う店を開いたのです。」 「試してみて、損をすればそれまでだ、という気持ちでこの店を始めました。ところが、釣具店の商売がとても好調で、自信が大いに増しました。志を同じくする釣り仲間とも知り合い、そこで、釣りの技術を広めて会社の売上を伸ばそうと思い付いたのです。」 「宣伝を始めると、会社の商売は短期間でさらに伸びました。私も自分には投資の才があると感じ、さまざまな会社や個人、団体に、いっそう力を入れて宣伝しました。船で川を巡りながら釣りを楽しむ誕生日会や、すべてを手配するパッケージ企画などの催しを開いたのです。また、関心を持つ同好の人々を助けて、釣りのできるレストランや釣具店などを開業させました。その後は、いっそ力を集中し、釣りの会社をさらに発展させるための明るい構想を練ろうと思ったのです。」 「財産が増え続けたので、住環境も次々に向上させ、裕福な人々が暮らす地域へ移りました。こうして私たち親子三人は、広さが数千『尺』に及ぶ大きな邸宅に引っ越し、家には何人かの使用人もいました。しかし、よい時は長く続きませんでした。邸宅へ移って三か月もたたないうちに、息子は過敏になり、とても臆病になりました。一日中おびえ、誰かに殴られると言うのです。でも家には、息子を殴ろうとする人など一人もいませんでした。妻は腰痛とうつ病になり、毎日のようにひどく怒っては、私が浮気しているのではないかなどと疑いました。家の使用人も、絶えず入れ替わっていました。」82 「妻も息子も心の治療をする医師にかかり、薬を飲み、注射も受けました。しかし状態はよくなるどころか、いっそう深刻になりました。その後、家の中で少しでも不意に音がすると、息子は怖がって隠れるようになりました。以前は無邪気で活発だった息子が、強い光を見るととてもおびえ、暗い場所を好むようになったのです。家の中に日光が直接差し込まないよう、すべてのカーテンを閉めておかなければなりませんでした。私は夫婦仲が悪く、家にいれば叱られるので、気分が晴れませんでした。毎日友人を誘って酒を飲み、カラオケで歌って憂さを晴らすようになり、さらにカラオケで知り合った若い女性と不倫関係になりました。相手を二度妊娠させ、堕胎するようそそのかしたのです。」 「私は酒色にふける暮らしを始め、家にさえ帰らないこともありましたが、心の中ではまだ息子を気に掛けていました。ある時、酒に酔い、熱を出して倒れたため、救急車で病院へ運ばれました。入院すると、そのまま検査で末期の肝臓がんが見つかったのです。三か月にわたってさまざまな痛みと苦しみにさいなまれた末、どうすることもできず、苦しみながらこの世を去りました。うう~うう~うう……。いったい何が起きたのかも分からないうちに、ぼんやりしたまま、牛頭と馬面に鉄の鎖で地獄まで引きずられて来たのです。」 冥君閻王は机をたたき、激怒して言いました。「xxx、自分の罪が分かるか。厚い福報を携えて人間界に生まれながら、それを善用して善行を続け、福を培おうとせず、あろうことか福報を乱用し、生き物を殺して命を害する商売に従事した。そのうえ、他人までその商売へそそのかし、人々の考え方をひどく損ない、慈悲の心を断ち切ったのだ。」 「お前が今生で積んだ最も重い悪業は、釣りによる殺生である。まずは孤魂独釣剣海魚地獄へ連れて行き、10000年間、罰を受けさせよ。人間界でお前が原因となって開かれたすべての釣具店が閉業してから、初めてここを出て本王に会うことができる。その時に、ほかの罪も裁くことにする。」 罪ある霊はその時、恐怖のあまり大声で助けを求め、ひざまずいて冥君閻王に尋ねました。「私が釣具店を経営していたのは、わずか8年間です。それなのに、どうして10000年も地獄の罰を受けなければならないのですか。そのうえ、すべての釣具店が営業をやめるまで待たなければならないとは。ほかの釣具店と私に、何の関係があるのでしょう。私はそこの株主でもないのに。」 冥君閻王は、なお怒りを込めて言いました。「今、人間界にある釣具店のうち、お前の広告や宣伝を受けて開業した店については、陰律における因果の勘定として、お前がその業力の五割を負担し、開業した店主も同じく五割を負担する。その店主が続けて二軒目の支店を開けば、お前が業力の三割を負担し、店主が七割を負担する。お前の広告の影響がなければ、こうした殺生の業を積む店は開かれなかった。お前の広告に引かれて開業したのでなければ、冥府がでたらめにお前の責任として記録することもない。」 「冥府の重要な職員は、みな戒を守ることを基礎としている。戒を守る者の身には光があり、戒の徳が清浄であるほど、地位も高くなる。本来、今のお前は人間界で、大きな富と地位に恵まれ、身体も健康で、家業も栄える者となっているはずだった。お前は、ある過去世では大いなる善人であり、布施によって大きな福報を積んだ。その善い果報が今生に実る縁が熟したのである。だから今生では、どの業種に従事しても栄え、人との縁も集まり、財産は今の二倍になっていたはずだ。それなのに、お前は今生に生まれてからずっと釣りをし、あろうことか学校を出てからも、海産物の卸売業に従事した。その卸売業で稼いだ金は、すべて福報を削ることで得たものなのだ。」 「海産物の卸売業によって、お前の今生の福報は急速に半分も損なわれた。冥府はすでに何度も夢で知らせを送り、お前が海の生き物に食べられたり、殺そうと追いかけられたりする夢を見せた。その夢こそが知らせであり、もう手を引き、正当な仕事に就いて、殺生の悪業のためにこれ以上福報を無駄にするな、という警告だった。しかしお前は何も気付かず、省みもせず、懺悔の心も持たなかった。かえって慢心と貪欲の毒を増し続け、善行で徳を積もうともせず、さらに殺生をする釣具店を絶えず宣伝し、展開して、人間界の釣りレストラン業の発展まで間接的に推し進めた。この陰律上の因果の負債は、お前が冥府の地獄で、ゆっくり苦しみを受けて返さなければならないのだ。」 「お前が人間界で何か正当な仕事に就いていれば、大きな悪事さえ犯さなければ、特別に善を行い、道を修め、福を積むことをしなかったとしても、お前の福報によって、今も人間界で幸せで楽しい生活を送っていたはずだ。今のように地獄へ堕ちて、量り知れず果てしない苦しみを受けることにもならなかっただろう。」 冥君閻王:「孤魂夜叉!」 孤魂夜叉:「ここに!」 冥君閻王:「直ちにこの者を孤魂独釣剣海魚地獄へ連れて行って罰を受けさせ、業の負債をすべて償わせよ!」 罪ある霊:「うう~うう~うう……。今は本当に、当時の自分が欲張り過ぎていたことを後悔しています。ずっと財産を増やし続けたいと考えていましたが、その方法が間違っていました。そちらのお嬢さん、どうか私の話をすべて書いてください。友人たちがそれを読んで、すぐに改め、もう釣りをせず、釣具店の経営も続けないようになってほしいのです。」 「そちらのお嬢さん、どうか、お願いします! 先ほど私が話したことを書いてくだされば、友人たちは読んですぐ、地獄へ堕ちて苦しんでいるのが私だと分かるはずです。当時、みな私の家庭の事情や、私がどんなことを考えていたかを知っていました。きっと、あなたの書いたことが真実だと信じるでしょう。読めば必ず改めてくれるはずです。友人たちが一日も早く改め、釣りで殺生する悪業に携わらなくなれば、私が地獄で苦しむ時間も短くすることができるのです! うう~うう~うう……。誰だって、将来、量り知れず果てしない地獄の苦しみを受けたいとは思いません。うう~うう~うう……。私は本当に、ここを出たいのです。一万年とは、どれほど長いことでしょう! うう~うう~うう……。」 阿玉:「そちらの方、あなたがおっしゃった都市は知っています。あの都市は殺生の業がとても重いのですが、あなたにもそれほど重い黒業を背負う事情があったのですね。『陰律無情』という本をきちんと書き上げることは、私の仕事です。今お話しくださった内容は、必ずすべて、欠かさず書きます。あなたも念仏を唱えるべきです。仏の力が慈悲深く、あなたを加護してくださいます。私も『陰律無情』を書く功徳を、あなたが一日も早く苦しみを離れ、安楽を得られるように回向します。」 罪ある霊:「うう~うう~うう……。今のように話している間は、身体は苦しくても、何とか苦痛をこらえて念仏を唱えられます。でも、まもなくまた罰が始まると、苦しみが途切れることなく激しくなり、めまいがして意識もはっきりせず、まったく唱えられなくなるのです。うう~うう~うう……。世のすべての人が、永遠に釣りをせず、地獄に堕ちて罰を受けることのないよう願います。決して私のように、これほど苦しむことにならないでください。死んだ後も、終わりの見えない地獄の刑罰を受けなければならないのです! うう~うう~うう……。」 判官:「よし。時間も限られている。お前は今日、阿玉が『陰律無情』を書くために、とても協力的に資料を提供し、さらに善い願いを起こして、世のすべての人が永遠に釣りをせず、地獄に堕ちて罰を受けることのないよう願った。それを本官は認めよう。よいだろう。今、お前に一つの善功を記し、地蔵菩薩の法話を一度聞きに行くことを許す。しばらく苦しみを休むがよい。」 孤魂夜叉:「承知しました、判官。今すぐ連れて行きます。」 阿玉:「判官、伺います。なぜ、あの方はすぐに地蔵菩薩の法話を聞きに行けるのですか。以前にお話を聞いた罪ある霊たちは、あの方よりもっとひどく苦しみ、もっとおびえていました。どうして判官は、その人たちに一つの善功を記してくださらなかったのでしょうか。」 判官:「阿玉。地獄は実のところ、人が戒を破った後に生じる黒業によって形作られる。人が地獄へ堕ちるのは、自分自身の行いに引かれて来るからなのだ。あの者は、ある過去世で、熱心とはいえないながらも念仏の法門を修めたことがあった。その生ではさまざまな布施を行ったが、道理と仏法にかなった回向はしなかった。それでも、行ってきたさまざまな善業の果報が熟し、今生の富貴となった。ところが、福報を大切にせず、早々に使い尽くして地獄へ堕ちたのだ。」 「あなたたち二人にも縁がある。先ほどあなたが話を聞いた時、あの者の出離の心が呼び起こされ、心を動かされて善い願いを発した。その善い思いが、あの者自身に一つの善功を記させたのであって、私が特別にひいきしたわけではない。もし人が、過去・現在・未来の一切の仏を知ろうとするならば、法界の本性を観ずるべきである。一切は、ただ心が造るのである。」83 判官:「よし、阿玉。今日はもう遅くなった。人間界では、また一晩が過ぎてしまった。ひとまず帰りなさい。また早いうちに来てくれるのを歓迎する。」 阿玉:「阿玉は合掌し、判官に礼をいたします。判官、ありがとうございます。阿玉は必ず、できるだけ早くまた参ります!」 19/阿玉、城隍に拝謁する 仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します! 南無阿弥陀仏! 阿玉は合掌し、判官に礼をします! 阿玉:「判官、今日は伺いたいことがあります。私は人間界で城隍廟を見たことがあり、土地公公84をまつる小さな廟も数え切れないほど見ました。この二つは、いったいどこが違うのでしょうか。城隍がおられるのなら、阿玉を城隍のもとへ連れて行ってください。」 判官:「城隍と土地公公は、形こそ異なれ、同じような職務を担っている。主に、生きている人々が出入りする際の安全を守るのだ。『土地公公』という呼び名は、特にこの1000年ほどの間、人間界の人々に好まれ、今日まで伝わってきた。人間界の土地公の職務については、以前におおよそ紹介した。冥府も、人間界の現在の事物の変化に応じて土地公を増やし、生きている人々を管理し、守っている。 冥府には城隍府が一つあり、城隍府の最高の地位にあるのが城隍である。その下には、冥府の職員の一部として土地公がおり、すべての土地公は城隍の命を受け、城隍を補佐している。城隍は、南贍部洲85のすべての人々の輪廻に関する、さまざまな資料を担当する。城隍府には陰徳宮があり、人々の大きな善行を専門に記録している。陰徳宮はまた、生きている人々の輪廻の資料を扱う、もう一つの地区本部でもある。 阿玉が、自分は前世でどこに暮らしていたのか、どのような身分だったのか、男性だったのか女性だったのか、大きな善行があったのか、と尋ねたいなら、あなたが生々世々、ずっと南贍部洲に生まれていた限り、城隍はあなたが輪廻を重ねる中でのさまざまな身分や業力を、はっきり語ることができる。もちろん、南贍部洲に生まれなければ、城隍には分からないと言っているのではない。ただ、ほかの国土に生まれた場合は、城隍が管轄し、記録する範囲に入らないというだけである。 冥府の城隍は、冥府が初めて築かれた時に、天から任命されて来たのだ。まもなく阿玉も自ら城隍に話を聞き、心の中のいくつかの疑問を解くことができる。今から城隍府を見学するために連れて行こう。城隍府は、冥府のいちばん東にある。」 阿玉:「判官、ありがとうございます。ご案内をお願いいたします。」 本当にうれしい! まもなく、伝説に語られる古くからの城隍に会えるのです。お目にかかった時、何を尋ねようかと考えました。本当に恥ずかしいことに、私は徳も修行もない、取るに足りない凡夫で、何を聞けばよいか思い付きません。それなら、冥府の最高統治者である冥君閻王について尋ねましょう。冥君閻王は、なぜ地獄で閻王を務めているのでしょうか。誰もが閻王を見ると怖がります。もうすぐ、心の疑問が解けるのです。そろそろ着きます! 前方の古風な大きな建物が、次第に目に入ってきました。私たちは、ゆっくり平らな地面へ降り立ちました。 古風で趣のある褐色の城隍府が、目の前に現れました。城隍府の門を守っていたのは夜叉ではなく、武器を手にした昔の装束の二人の戦士でした。二人は判官を見ると、ほほえんで礼をし、迎えました。 二人は判官にお辞儀をしながら言いました。「左門神、判官に拝謁いたします! 右門神、判官に拝謁いたします!」 左門神が言いました。「城隍様から言い付かっております。判官は、冥府の令牌を身につけた『陰律無情』の著者で、人間界に生きる上官玉華という方を、城隍様への訪問にお連れになるとのことでした。判官のお隣のこちらの方が、人間界の上官玉華様でいらっしゃいますね。」二人の門神は同時に、私の身に掛けられた令牌へ目を向けました。 判官が言いました。「礼はよい。この方こそ、『陰律無情』の著者、在家の修行者である上官玉華、阿玉だ。左門神よ、城隍様に拝謁するため、案内を頼む。」 二人の門神は、それほど怖い顔つきではなく、むしろがっしりした体格で、昔の背の高い戦士のようでした。この城隍府はとても大きく、ここもまた、冥府の官吏にふさわしい屋敷でした。周囲には土地公の装束を着た職員が何人か歩いており、判官を見ると、みなほほえんで礼をしました。 阿玉が見た時、真正面の左右に二つの大きな牌坊があり、左には「陰徳は末永い福」、右には「陽徳は刹那の福」と書かれていました。前方の建物の中央には、「福徳宮」の大きな三文字がありました。 左門神が言いました。「判官、在家の修行者である阿玉様、どうぞお入りください。城隍様は大殿で執務中です。」 城隍は、慈しみ深い古風な年長者の姿で、重厚な古代の衣装を着ていました。私たちを見ると、顔にほほえみを浮かべました。 「平民の女、上官玉華、城隍に拝謁いたします。本日、城隍をお訪ねしたのは、冥府の最高統帥である冥君閻王が、どのような因縁によって冥府の最高の地位に就かれたのか、教えていただきたいからです。 私は幼い頃から、公正に物事を処理する閻王がおられると知っていました。今生で初めて閻王のことを聞いたのは、祖母からでした。幼い頃、祖母が嫁たちにいじめられ、打たれたり罵られたりするのを、よく目にしたことを思い出します。祖母はそのたびに耐えて事を収め、父や叔父たちに苦しみを訴えることはありませんでした。祖母は冥界に恐ろしい閻王がおられることを深く信じ、人と付き合う時は、何事も忍耐を基本とするよう、よく私に教えました。私の心にたびたび浮かぶのは、祖母が教えてくれた、次の言葉です。『おばかな子、覚えておくんだよ。損をしたり、ぬれぎぬを着せられたり、誤解されたりすることを心配しなくていい。私たちの行いは、天が見ている。人はみな死ぬのだから、冥界の閻王が、おのずとすべてを公平に扱ってくださる。私たちの行いが人を裏切るものでなければ、どうして損をしたり、ぬれぎぬを着せられたり、誤解されたりすることを気にする必要があるのかい。家族で暮らすには、いつも誰かがさまざまな重圧を引き受けて、和らげなければならない。お前の叔父さんたちの奥さんは、行動も言葉も行き過ぎているけれど、私は年長者だから、一人で受け止めて、家族の和を保てればそれで十分だよ。でもね、おばかさん、決してあの人たちのように、人を打ったり罵ったりする悪い行いをまねしてはいけない。そうしないと、大きくなって嫁ぎ先へ行った時、嫌われ、疎まれることになる。女であるからには、必ず耐えられなければならない。私たちは、決して人を傷つけることをしない。人に裏切られることがあっても、私が人を裏切らなければ、それでよいのだよ。人が私を裏切っても、そんな小さなことにこだわらず、心に留めず、忘れてしまおう。天も閻王も、分かってくださるから。』 阿玉はごく幼い頃から、閻王がどれほど公正で、何もかもご存じであるかを、ずっと祖母から聞いていました。阿玉がお尋ねしたいのは、冥府の最高統治者である冥君閻王についてです。なぜ冥君閻王は、地獄で閻王を務めておられるのでしょうか。」 城隍:「阿玉、冥府への取材を歓迎します。私たち冥府の者は上から下まで、『陰律無情』の出版を力を尽くして支持しています。あらゆる事物は、因縁と果報を離れません。あなたのお祖母さんは、ある過去世ではあなたと母娘の関係にありました。その生で、お祖母さんはあなたが仏を礼拝することを嘲笑しました。幸い、嘲笑しただけで、ほかに妨げる行為はありませんでした。阿玉の礼仏を嘲笑した業力が熟したため、今生では背が曲がり、家族にいじめられ、打たれたり罵られたりすることになったのです。ただ、お祖母さんは今生で、家庭生活のさまざまな逆境や重圧に向き合いながらも、怒りの心を起こして黒業を重くすることはありませんでした。この点がよかったのです。また、逆境を受け入れて耐えたため、縁に従って古い業を消すとともに、後に天界へと昇る福報も積み重ねました。 心を持つすべての衆生は、それぞれ自分で、自分の未来の生命を造っています。あらゆる人は、善業、悪業、無記業という三種の業を離れません。例えば三人が、同時に同じ型の黒い服を買うとします。甲は、貧しい隣人に贈るために買います。黒なら汚れが目立たず、しょっちゅう洗わなくてもよいので便利だからです。甲は善業を行っており、将来、善い報いを招きます。乙は、この黒い服なら夜に盗みをする時に都合がよいと考えて買います。乙は悪業を行っており、将来、悪い報いを招きます。丙は、何をするでもなく、買っても買わなくても構わないと思い、店主に買うよう言われたので買います。丙は無記業を行っており、将来、無記の業報を招きます。善業が重ければ、人界や天界の果報を受けます。悪業が重ければ、地獄・餓鬼・畜生の道に堕ちます。無記業が重ければ、多くは人の道や鬼道に入り、つまり三界86を離れてはいません。三界を離れ、生死を脱して永遠の大いなる解脱を得るには、必ず戒を守って念仏を唱え、さまざまな陰徳となる善い行いを実践し、大いなる菩提心と善い願いを起こさなければなりません。すなわち、上には無上の仏道を求め、下にはすべての苦難の中にある衆生を教化するのです。そこには清浄な善い願いだけがあり、私心や雑念が少しもあってはなりません。もし発した善い願いに、ごくわずかでも私心や雑念が混じっていれば、将来、自らそのごくわずかな私心や雑念の果報も受けなければならないのです。 冥君閻王が、なぜ冥府の最高統治者となったのかというと、それは、ある過去世で、人間界の正義に満ちた凛々しい大将軍であったためです。大将軍は、いくつもの大部隊を率いていました。しかし、ある大きな戦いで、敵が奸悪で狡猾な計略を用いたため、当時の正義に満ちた大将軍はかなわず、大敗しました。その時、大将軍は悲しみのあまり、天に向かってこう誓いました。『私は今、どうすることもできず大敗した。将来、機会があれば必ず復讐し、法を破り、奸悪で狡猾なことをするすべての罪人を厳しく罰する。彼らを心から改心させ、もう一度、善い人間にしたい。』 その時、大将軍に従っていた戦士たちも賛同し、大将軍と共に、法を破り、奸悪で狡猾なことをするすべての罪人を厳しく罰すると願いました。当時、大将軍が深い悲しみの中でこの誓願を立てた時には、自分の備えが足りず、配下の戦士たちを巻き添えにして軍勢を大敗させてしまったという、自分への恨みを抱いていました。自分を恨むことも、怒りの煩悩の一種であり、善い願いの中に復讐という悪い願いを交えた一種に当たります。そして、この誓願を立てたことによって、大将軍は冥府の冥君閻王となったのです。 今、冥君閻王は、冥府で毎日、朝、昼、晩の三度、それぞれ十五分間、熱い砂を喉に注ぎ込まれる苦しみを受けています。毎日その時刻になると、冥君閻王を罰する二人の夜叉が、一緒に王を捕らえます。一人が頭を押さえ、もう一人が熱した鉄の砂を取り出し、喉へ注ぎ続けるのです。冥君閻王はそれによって気を失い、倒れますが、業風に吹かれて目を覚まします。目覚めると、二人の夜叉は再び王を捕らえ、また熱した鉄の砂を注ぎます。このような責め苦を十五分間繰り返します。十五分が過ぎると、冥君閻王は自然に意識を取り戻し、すべてが正常な状態に戻ります。 冥君閻王が熱した鉄の砂を喉に注ぎ込まれる苦しみを受けるのは、過去に復讐を誓ったことの果報です。人間界では毎日、大なり小なり悪い願を立てる者がいます。誰でも悪い願を立てると、その身光はすぐに暗くなり、悪願の負の磁場が、その者を生々世々、固く縛りつけます。 本来備わる身光が損なわれれば、生活には幾重もの障りが生じ、苦労が増えます。それを避けるには、時を移さず誠実に懺悔して清め、以後、決して繰り返さないことが必要です。悪願を立てた者が、その果報が熟す前に、善業が悪業よりも軽く、しかも善知識の導きによって懺悔する縁にずっと恵まれなければ、その生命は悪願の負の磁場に縛られ続けます。やがて悪果が熟せば、無量の苦痛を受けることになります。 阿玉には、一刻も早くこの文章を書き上げ、いかなるときにも悪願を立ててはならず、以前に立てた者は速やかに懺悔するよう、皆に知らせてほしいのです。善い願であれば、いくらでも立ててよいのです。そして行動に移し、力を尽くしてその善願を成し遂げてください。 今、人間界には戒を犯す者があまりに多く、戒を守る者は極めて少ないのです。全体を包む大きな磁場がよくないことも、人の思念が邪へ傾きやすくなる大きな要因の一つです。 黒業が重すぎるため、今は戒を守るさまざまな因縁が整っていない有情の衆生がいても、心配したり、落胆したりする必要はありません。業が重くなければ、娑婆世界には生まれないのです。まず過去の黒業を懺悔しようと発心し、次に、生々世々、戒を守る堅い心を備えられるよう願を立てます。そこに念仏と菜食を加え、さまざまな善行に力を尽くせば、今後の生命のあり方は、必ず徐々に向上していきます。また、この方法によってこそ、悪業を本当に残らず消し、永遠に苦痛を離れて、前途を一歩ずつ光明へ向けられるのです。 縁あってこの文章に出会った有情の衆生は、皆、過去に幾らかの福報を積み重ねています。転載して人に知らせる者には、冥府で二つの善功が記録されます。自分だけでも過ちを改める者には、やはり一つの善功が記録されます。 さて、今夜、本城隍は悪願を立てることに関する道理を説明し終えました。もう遅い時刻で、人間界も間もなく夜が明けます。阿玉も早く戻って、この文章を書き上げてください。今後、必要があればいつでもまたお越しください。」 阿玉:「はい。城隍さまに頂礼いたします。ありがとうございます。判官さまに頂礼いたします。ありがとうございます。阿玉は先に戻ります。南無阿弥陀仏。」 白い蓮の花に乗って家へ帰ります! 冥罰淫律 古来、悪しき罪業の中でも、淫の罪が最も大きい。人間界での罪も甚だ重く、冥府の罰はさらに厳しい。罰の種類は極めて多いので、ここにその要点を取りまとめる。この篇を読む者は、それぞれ戒めとして励むべきである。 近親相姦を行う者は、永く地獄に閉じ込められる。人命を害した者は、雷に打たれて死ぬ。遺体をもてあそぶ者も、これと同じ罪となる。すでに人間界で罰を受けた者は、いずれも雷の災厄を免れる。忠義や孝行の事績があれば、「四分」を相殺することが認められる。大善千五、すなわち千五百の善も、同じく「四分」を相殺する。87 寡婦を強姦する者は、その生で跡継ぎが絶え、地獄で五百劫の苦しみを受ける。虫や蟻に生まれ変わって、さらに五百劫、鳥獣に生まれ変わって、さらに五百劫を経る。その後、人に生まれ変われば、娼妓の身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、百劫を免れる。人命を害した者は、罪が五等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、半分を相殺することが認められる。五百の大善も、同じく半分を相殺する。 寡婦を誘い欺いて関係を結ぶ者は、二世にわたり跡継ぎが絶える。上述の劫は、それぞれ四百、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ四百劫である。その後、人に生まれ変われば、障害のある身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、八十劫を免れる。人命を害した者は、罪が四等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、「七分」を相殺することが認められる。五百の中善も、同じく「七分」を相殺する。 寡婦を口説いて関係を結ぶ者は、三世にわたり跡継ぎが絶える。上述の劫は、それぞれ三百、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ三百劫である。その後、人に生まれ変われば、貧しく卑しい身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、六十劫を免れる。人命を害した者は、罪が三等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、「九分」を相殺することが認められる。五百の小善も、同じく「九分」を相殺する。 処女を強姦する者は、その息子や娘が淫佚にふけるようになる。上述の劫は、それぞれ四百、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ四百劫である。その後、人に生まれ変われば、下僕の身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、百劫を免れる。人命を害した者は、罪が四等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、半分を相殺することが認められる。四百の大善も、同じく半分を相殺する。 処女を誘い欺いて関係を結ぶ者は、二世にわたり跡継ぎが絶える。上述の劫は、それぞれ二百五十、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ二百五十劫である。その後、人に生まれ変われば、病のある身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、七十劫を免れる。人命を害した者は、罪が三等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、「七分」を相殺することが認められる。四百の中善も、同じく「七分」を相殺する。 処女を口説いて関係を結ぶ者は、妻と娘がその報いを償う。上述の劫は、それぞれ百、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ百劫である。その後、人に生まれ変われば、中程度に貧しい身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、四十劫を免れる。人命を害した者は、罪が二等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、「九分」を相殺することが認められる。四百の小善も、同じく「九分」を相殺する。 人妻を強姦する者は、妻と娘がその報いを償う。上述の劫は、それぞれ三百五十、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ三百五十劫である。その後、人に生まれ変われば、役所の下役の身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、百劫を免れる。人命を害した者は、罪が三等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、半分を相殺することが認められる。三百の大善も、同じく半分を相殺する。 人妻を誘い欺いて関係を結ぶ者は、寿命が二紀削られる。一紀とは十二年である。上述の劫は、それぞれ百年、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ百劫である。その後、人に生まれ変われば、孤独な身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、三十劫を免れる。人命を害した者は、罪が二等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、「七分」を相殺することが認められる。三百の中善も、同じく「七分」を相殺する。88 人妻を口説いて関係を結ぶ者は、寿命が一紀削られる。上述の劫は、それぞれ七十、すなわち地獄で苦しみ、虫や蟻となり、鳥獣となる期間が、それぞれ七十劫である。その後、人に生まれ変われば、中程度に貧しい身となる。すでに人間界で罰を受けた者は、二十劫を免れる。人命を害した者は、罪が一等重くなる。忠義や孝行の事績があれば、「九分」を相殺することが認められる。三百の小善も、同じく「九分」を相殺する。 以上の三条、すなわち寡婦、処女、人妻については、いずれも異姓の者を対象としている。親戚に当たる場合は、罪を倍にして処罰する。喪に服す関係にある親族の場合は、近親相姦に次ぐ罪となる。喪中であれば、罪が三等重くなる。女中であれ、下婢であれ、奸淫の罪はすべて上記に従って裁かれる。奸淫に至らなかった場合は、寿命を半紀削る。ただし人命を害した場合は、奸淫を遂げたものとして裁く。 一人の娼妓と関係を持つと、寿命が半年削られる。悪い病に感染した場合は、寿命が一年削られる。悔い改めれば、寿命の減少を免れる。子どもを一人残した場合は、一世、獣となる。悔い改めれば、獣になることを免れる。 男色を求めあさる者(これは同性愛者を指す)には、女性の場合と同じ規定を適用する。十六歳以上は処女の条に、十六歳以下は人妻の条に従って裁く。幼い子どもを囲い込む者は、娼妓と関係を持つ条に従って裁く。89 淫書を作る者は、寿命が二紀削られる。その本を読んだことによって淫の害が生じれば、罪は作者自身に帰する。本がなくならない限り、いつまでも生まれ変わることができない。淫らな芝居や春画を撮影することも、同じ罪となる。 一つの淫事を言い広めると、寿命が半紀削られる。人命を害した場合は、一紀削られる。閨房の内のことを話す者も、同じ罪となる。悔い改めれば、いずれも罪が軽減される。 陸判官の淫律補篇(判官の名は之道、宋代の人である) 奸淫に関わる事柄で、薬を使って堕胎させ、一つの命を失わせた者は、罪を倍にして処罰する。 十二歳以上の処女と奸淫を行う場合、誘い欺いたのであれ、口説いたのであれ、すべて強姦として裁く。人命を害した場合は、罪を倍にして処罰する。 すでに子がいるのに、さらに妾を置く者は、一人につき寿命が二年削られる。功名のある者は、功名を「八分」削られ、寿命は削られない。 再婚する意思のない寡婦を、策略によって誘う者は、寿命が三年削られる。寡婦に再婚の意思がある場合は、寿命の減少を免れる。 寡婦を一人娶り、その前夫の家に子どもを一人残させる者は、寿命が二年削られる。その子どもが死に至った場合は、一紀削られる。 友人同士が会って淫佚の事柄を話すと、三回で寿命が一か月削られる。それによって人に淫事を行わせた場合は、寿命が三年削られる。功名のある者には、功名を停止、延期する罰が科される。 道で美しい人に出会い、目で迎えて見送ることを三回すると、寿命が半月削られる。親切を装いながら、実際には悪意を抱いている場合は、一回につき寿命が一算削られる。原注:一算とは三か月である。 淫らな芝居を好んで聞く者は、一回につき寿命が三か月削られる。功名のある者には、功名を停止、延期する罰が科される。淫らな芝居を所望する者は、一回につき寿命が一算削られる。それによって害が生じた場合は、一世、獣に生まれ変わる。 淫書を好んで読む者は、三回で寿命が半月削られる。それによって病気を生じた場合は、寿命が三年削られる。 人を誘って淫事を行わせる者は、その人が犯した罪より二等軽い罪で裁かれる。父や兄が子弟の淫行を放任する場合も、使用人たちの同様の行為を放任する場合も、同じである。 陸判官は言う。この冥罰に照らせば、淫の諸罪はもとより少しも寛大には扱いがたく、中でも近親相姦の罪は特に重い。目下の者が目上を辱めたのであれ、年長者が年少者を欺いたのであれ、死後はすべて無間地獄に入る。今日、世の風潮は大いに乱れ、この罪を犯す者はしばしば官吏の家や、学問を修める者の中から出る。互いに染まり合うことが長く続いて当たり前となり、迷って恥を知らず、その行き着く先も分からなくなる。諸神仙はやむを得ず玉帝に奏上し、冥罰を人間界に明らかに伝え、隠す必要はないとした。この冥罰を見て悔い改める者は、罪を減じられる。忠義と孝行を行う者は、罪を減じられる。功徳を積む者は、罪を減じられる。この篇を見てもなお悔い改めず、かえって誹謗する者は、必ず悪報や雷撃に遭う。一方、この篇を見て信じ従い、広く伝える者については、百人に伝えれば寿命が一紀増す。二百人に伝えれば、子のない者に子が授かる。三百人に伝えれば、寿命が二紀増す。四百人に伝えれば、子孫が栄える。五百人に伝えれば、功名が連綿と続く。千人に伝えれば、名が赤籙に載る。天下に広く行き渡らせれば、死後に仙人となる。十人の富豪に伝えることは、二百人に伝えることに相当する。一人の官吏に伝えることは、百人に伝えることに相当する。これらはすべて、孚佑帝君が玉帝に奏上し、裁可を得て施行されるものである。 謹んで考察するに、地獄で劫を経るとは、一劫ごとに一つの地獄で刑罰の苦しみを一度受けることである。陰司で罪を受けることは、人間界の場合とは異なる。一度の刑罰でその身が死んでも、必ず再び人の形に戻され、前と同じように刑戮を受ける。定められた劫を経終えて初めて、その罪が終わる。さらにほかの罪があれば、その罪に従い、また地獄の刑罰を受けさせられる。かつて『洞冥記』で、淫の罪業を犯した者について詳しい記述を見た。生前に悔い改めて善に向かえば、死後にはおのずと相殺、減罪されるが、死ぬまで改めなければ、死後、一つの殿から各殿へ護送され、誅心獄、銅人獄、割腎獄、鼠噛み、油釜、車崩など、大小の地獄で刑を受けなければならない。近親相姦の場合は、さらにそのための地獄などへ入る。あるいは永く地獄に閉じ込められ、さまざまな刑罰を受ける。淫の罪業に対する刑罰の中でも、近親相姦の罪が特に重いからである。以上の地獄では、それぞれ所定の劫を受け、満了して初めて転劫できる。転劫とは、一度生まれ変わることを一劫とするものである。また『金科輯要』『輪科輯要』の二書にも、善を賞し悪を罰する各条が詳しく列挙されている。この冥律の諸条にも、軽減、免除、加重、相殺の差があり、善悪の区別が明らかで、微塵も違わないことが分かる。『金』『輪』の二科と『洞冥記』を併せて参照すれば、因果応報はますます信じられ、確かな裏づけを持つものとなる。90 謹んで考察するに、『金科輯要』は、清の咸豊六年、文昌帝君が湖南省醴陵県の擂鼓橋誠尽林に降臨された際のものである。この科はもともと上帝が定め、玉の箱に秘蔵されていたが、文帝が玉旨を懇願し、人の世に頒布され、天律を明らかにした。これは陽律とも呼ばれ、民の悪を罰し、災厄を下してその心を懲らしめる。清の光緒三年、文武二帝が懇願して玉帝の許可を得た後、『輪科』を頒布し、陰律を明らかにした。人の罪を調べ、地獄によってその魂を懲らしめるものである。さらに諸仙が述べ、取りまとめ、『金科』に尽くされていないことについては、この書がその旨を続けて伝えた。飛鸞によって原稿が整えられ、広く人間界に示された。 関聖帝君戒淫経注解 自序 社会の潮流は日ごとに異常な方向へ進み、中でも淫の風潮が盛んである。男女の交際が公然となり、家庭を持つ男性はとかく浮気を好み、自ら風流を気取る。女性も婚外の関係を持ち、自分を高尚だと誇る。若い男女は西洋の風潮に染まり、色情の書刊を好んで読んでは心が揺れ、愛欲を描く映画や芝居を好んで見ては心を奪われる。情を抑えられず、一線を越えた話が相次ぎ、結ばれなくなると悲劇が繰り返される。なんと不幸なことか。神聖な人倫が、獣の欲望へと落ちぶれている。さらに多くの不心得者が女性を辱め、無実の者を性的に侵害しており、その罪は許されない。地獄には色欲にふける鬼が最も多い。犯した者は、厳しく自省して立ち返らずにいられようか。 また街路や繁華街を見れば、さまざまな色情産業が林立し、公然と営業するものもあれば、陰で人を欲楽に溺れさせるものもある。官が厳禁しても、業者はさらに悪知恵を働かせ、利欲に心を曇らせて、あえて法を犯す。好色の徒はまた、群れをなしてそこへ向かい、入り浸って帰ることを忘れ、金を費やし、体を傷つけることもいとわない。不幸にも悪い病をうつされて後々まで災いを残し、子孫まで巻き添えにして、そのため夫婦の仲が乱れ、家庭が壊れる例は多い。報道は絶えず、醜聞が次々に続き、風紀を乱す事件は数えきれない。さらには人命に関わる事件を招き、あるいは常軌を逸した恋愛によって殺されることさえある。淫欲が人に及ぼす害は、洪水や猛獣よりも甚だしい。その一端は、これらからも分かる。古くから『万悪の筆頭は淫、死へ向かう道を歩んではならぬ』と言われる。信じずにいられようか。 帝君曰く。 帝君は言う。 淫は万悪の首なり。 娼妓を買い、ともに泊まることは淫であり、他家の女性と不義の関係を結ぶことも淫である。『万悪』とは、あらゆる悪事を指す。『首』は第一と見る。世の悪事はさまざまであっても、人の妻や娘と淫事を行い、その名誉と貞節を損なうことが、第一の大悪だという意味である。 孝は百行に先立つ。 父母によく仕えることを孝という。孝は従順の徳であり、親に仕え、親に従い、すべてにおいてその意を承け、喜ばせることをいう。『百行』とは、さまざまな善事を行うことを指す。『先』とは、まずこれを行うべきだということである。人としてこの世に生きる以上、まず孝順を行って父母の労苦に報い、そのほかのなすべき善事は、すべて孝の後に置いてよいという意味だ。孔子の『孝経』には、五刑に属する罪は三千あっても、不孝より大きな罪はないとある。これにより、孝を行えば功徳が極めて大きく、不孝であれば罪悪が極めて大きいと分かる。『論語』の学而第一篇でも、孝悌が人としての根本であると述べる。仙仏の教訓も、第一条は孝悌を厚くして人倫を重んずることである。いずれも、千の経、万の典が孝悌を第一とすることの明証である。 人を淫する者は、その三代を殺す。91 妻や娘が人から性的に侵害されることは、人間界で第一の不名誉な事柄とされる。原文の「三世」とは三代の人々を指す。他人を性的に侵害する者は、上にはその先祖を冥府で恥じ入らせ、中には父や兄、夫を人に顔向けできなくさせ、下には息子や娘の身を立てる道を閉ざす。このように人の名誉と貞節を損ない、その祖父から子孫、宗族まで一斉に侮辱と恥辱を受けさせることは、罪悪が極まり、実に殺人の罪よりも甚だしいというのである。 ひとたび露見すれば、醜態はあまねく伝わる。 『露見』とは、密通の事実が人に調べられて明るみに出ることである。『醜態』は悪い評判をいう。『あまねく伝わる』とは、例えば新聞に載ると、各地、各郷で人々がそのことを伝え、各県、各市でも人々がそのことを伝えるという意味である。 父は娘と認めず、夫は妻と認めず、子は母と認めず。 女性が淫を犯せば、その父、夫、子はすでに恥辱を受け、人に顔向けできなくなる。隠しきれないことを恐れるばかりで、誰が進んで娘、妻、母だと認めようとするだろうか。 ついには刃が首にかかり、男女ともに亡ぶ。 人の妻や娘と淫事を行い、それが人に知られると、しばしば殺人事件へ発展し、関係を持った男女が、そのために命を落とすこともある。 遺体をさらし、骨をあらわにし、辱めは宗族や親族に及ぶ。 殺人事件が起こり、人が死ねば、必ず官府を呼んで検視を受けなければならない。どうして遺体や骨をさらさずに済もうか。どの一族の者が奸淫を犯して殺されたのか、と他人に尋ねられれば、その宗族や親戚も人に顔向けできなくなる。 いずこの家の女かと問えば、教えをまるで受けていない。いずこの氏の男かと問えば、まさしく馬牛に等しい。 『教えを受けていない』とは、家庭教育がないことである。『馬牛に等しい』とは、牛馬などの畜生と同じで、礼義を知らず、恥を知らないことだ。誰の家の娘か、どの氏の男かと他人に尋ねられれば、一家、一族の誰もが恥じ入る。 あるいは芍薬を贈り、蘭を摘み、二人の情はいよいよ密となる。 芍薬の花を摘み、あるいは蘭の花を採って、ひそかに恋人へ贈る。事をきわめて綿密に運び、人に知られないようにする。 ついには自分の夫を薬で毒し、死罪と裁かれる。 不義を犯す妻が相手の男と長く愛し合おうとすれば、ひそかに毒薬を買って自分の夫を毒殺することになる。ひとたび罪の証拠が告発されれば、官府は必ず定めに従って厳しく処断し、極刑に処して、淫乱の罪を懲らしめる。 極刑の判決が定まり、魂は散り、魄は消える。 人を殺せば命をもって償い、淫の罪は許されない。裁判官が審理して死罪を確定し、判決を下して死刑を宣告すると、そのときには誰もが魂魄を散らし、生まれ変わることも難しくなる。 父と子は悲しみ叫び、母と娘は痛みを抱く。万人が笑いののしる。悔いても、もはや間に合わぬ。 父母が刑場へ来て、自分の息子や娘が厳しい刑によって死ぬのを見れば、悲痛に泣き叫ぶほかない。さらに多くの人々が笑ったりののしったりして、夫の命を狙った不義の男女には当然のことだと言う。悔いる心があっても、もはや間に合わない。 それでも淫を好む者は、平然として恥を知らない。 『恬』とは安らかであること、『恥』とは恥じることである。淫を好む者が、かえって何事もなく安泰だと思い、恥じることを知らないという意味である。 もとは名教の中の人でありながら、進んで常道を損ない、風俗を乱す。 学問を修めて道理を理解する人を、名教の中の人という。『常』は仁、義、礼、智、信の五常、『俗』は風俗である。学問を修めて道理を知る人にも、法を知りながら犯し、他家の女性と奸淫し、進んで風紀を損なうことを行う者がいる、という意味である。 あるいは兄が弟の妻を奪い、弟が兄嫁と奸淫する。 弟の妻を弟媳といい、兄の妻を兄嫂という。強いて奪うことを『占』といい、ひそかに淫事を行うことを『奸』という。兄が弟の妻を無理に奪ったり、弟が兄の妻とひそかに淫事を行ったりするなら、そのような兄弟は、まさしく名教の中の罪人である。 あるいは叔父が甥の妻に貪りの心を起こし、甥が叔父の妻と不義に結ばれる。 近親相姦であれ、礼に背く結びつきであれ、いずれも『苟合』という。叔父が甥の妻の美しさを見て邪念を起こし、奸淫を行う場合も、甥が叔父の妻の美しさを見て、不義に結ばれる方法を考える場合も、皆、衣冠を着た禽獣である。 二人で喜び楽しみ、目先の快楽ばかりを求める。 『歓』は喜び、『娯』は楽しみ、『快活』は安楽を意味する。男女が密通して淫事を遂げ、二人で喜び楽しむものの、目先の安楽しか知らず、その後の破滅をまったく顧みないという意味である。 半生は落ちぶれ、死後の衰亡を知るよしもない。 『半生』は一生の半ば、『潦倒』は物事がうまく運ばないこと、『傾』は破れ、『頽』は落ちることである。淫を好む人は、しばしば身を滅ぼし、名誉を失う。生前の半生がすでに順調でないばかりか、死後には子孫も必ず家を失い、人も亡びるという意味である。 祭祀の香煙が絶えるか、さもなくば乞食に落ちぶれる。 子孫は年長者の香炉を支える脚のようなもので、子孫が絶えることは、祭祀の香煙が絶えることである。食糧や食べ物を乞う者を乞食という。淫を好む者に子孫がいても、その子孫は必ず乞食に落ちぶれる。 妻や娘が償うか、さもなくば子孫が落ちぶれる。 『酬償』とは負債を返すことである。淫を好む人の妻と娘は、必ず本人に代わって淫の負債を返し、他人から奸淫されることを甘んじて受けるという意味である。『落魄』とは、時勢と運が衰え、何事も破綻して、魂を失い、肝をつぶすようになることをいう。 孤独な墓の野鬼に、誰が紙銭を焼こう。 人が死ねば鬼となり、土を盛って墓とする。淫を好む者が他郷で死に、荒れた山に葬られて、孤独な墓の野鬼となったなら、いったい誰が紙銭を焼き、供えの紙を掛けに来るだろうか。 放蕩息子が軽はずみに振る舞えば、誰が菜や飯を供えよう。 軽薄な若者が放蕩して淫を好めば、多くは子孫が絶えてしまう。誕生日や年中行事の折に、誰が菜や飯を供えに来るだろうか、という意味である。 ここに言い及び、思い至れば、悲しまずにいられようか。 『言』は話すこと、『念』は思うことである。帝君もここまで語り、ここまで思いを巡らせると、人々のために大いに悲しまれる。 さらには苦労して働く農家の者までも、身を軽佻にする。 『田家』とは農耕に従事する家である。『佻達』は軽薄で、労苦に耐えられないという意味だ。学問をする者だけでなく、農家の若者も軽薄な習性を身につけ、体を使って苦労しようとしなくなることをいう。 親に孝を尽くし、年長者を敬おうとせず、かえって穴をうがち、塀を越える。 『思わず』とは考えないこと、『親』は父母、『長』は年長者、『穴』は孔を意味する。『穴をうがつ』とは、壁に大きな穴や小さな孔を開け、隣家の女性をのぞき見ることである。『踰』は越えることをいう。さらには塀を乗り越え、他人の家の女性と淫事を行う者もいる。軽薄な若者が孝悌を重んじず、かえって奸淫や盗み、邪淫を行うことをいう。 南の田も東の畑も、枯れ果てる。 『南畝』は南側の田、『東郊』は東側の畑、『変』は変わることである。『枯槁』は、作物の苗が枯れて死ぬことを意味する。どこの苗も、草を取り、肥料を施す人がいなくなるため、初めは盛んに育っていても、やがて乾いて枯死するという意味である。92 秦楼楚館に入り浸り、春秋を問うこともない。 『秦楼』は秦国の楼台、『楚館』は楚国の館舎で、いずれも娼妓が住まう場所である。農家の若者が花街に迷い込み、長く居続けて帰ることを忘れ、春や秋があることさえ分からなくなるという意味である。 祖先伝来の財産を売って色事の負債を返し、父母への扶養をすべて絶やす。 「廃」とは、やめることである。「供給」とは、父母を養うための食事や穀物・米を支給することである。「債」とは借金のこと。「風流債」とは、娼妓と付き合って金銭を費やすために借りた金のことである。借金が増えると、祖先伝来の財産をすべて売り払うほかなくなり、ついには父母を養うための食事や穀物・米の支給も一切途絶えてしまう。 妻の嫁入り道具を質に入れ、朝な夕な酒食にふける。子どもたちのために炊事の火が上がらなくなって久しい。 「当」とは、品物を担保にして金銭を借りることである。「嫁奩」とは、妻が嫁入りの際に持参した衣服や装身具のことである。昼も夜も娼家で酒に酔い、腹いっぱい食べているため、嫁入り道具はとうにすべて質に入れてしまっている。そのため家では炊事の火が絶え、鍋に入れる米もなくなり、子どもたちもそれ以来、寒さと飢えに苦しむことになる。 枕元の金は尽き、悪業による病が身に付きまとう。 「床頭」とは枕元のこと。「金尽」とは、金銭を使い果たすことである。「孽病」とは、娼家で梅毒や淋病に感染したり、色情にふけり過ぎて吐血や、やせ衰える病などを患ったりして、その病が身に付きまとうことをいう。これは自ら作った悪業によるものなので、「孽病」と呼ぶ。 通りに倒れ伏し、親戚や友人は鼻を覆う。 邪淫を好む者が娼妓のもとに泊まって、毒性のあるできものなど、悪業による病を患うと、娼妓は付き合いを拒み、戸外へ追い払う。本人は歩くこともできず、通りに倒れ伏すほかない。耐え難い悪臭が漂い、そこを通りかかった親戚や友人は、誰もが鼻を覆う。 命がわずかに長らえても、旧知の人々は胸を痛める。 「命」とは人の生命。「延」とはとどまることである。「片刻」とは、一時辰の半分にも満たない短い時間のこと。「故旧」とは、長年付き合ってきた親戚や友人のことである。「酸心」とは、悲しみ、心を痛めるという意味である。邪淫を好む者の命がわずかな間だけ長らえて、まだ死んでいなくても、その姿を見た旧知の人々は、誰もがその人のために心を痛めずにはいられない、ということである。 遠く過ぎた日々を思えば、どうして振り返るに忍びようか。 「遥」とは遠いこと。「憶」とは、過ぎたことを思い返すことである。「当年」とは、以前の日々のこと。「何堪」とは忍びないこと。「回首」とは振り返ることである。今の時点から、まだ悪い報いを受けていなかった頃を思い返せば、当時はどれほど楽しかったことか。本当に、振り返って見るに忍びなくなる、ということである。 このような末路をたどっても、嘆くには及ばない。 「如此」とは、このように、ということ。「下落」とは、落ちぶれた末路のこと。「無庸」とは、必要がない、ということである。邪淫を好む者が悪い報いを受け、このような末路をたどるのは、当然のことでもある。その人のためにため息をつき、哀れむ必要はない、ということである。 また、腕のよい職人や巧みな工匠も、守るべき規範を守らなければならない。 「工」も「匠」も、さまざまな工業の技術者など、技術を持つ職人を指す。「良」とは精良なこと。「巧」とは妙なる巧みさのこと。「規模」とは、規則や法度のことである。技術を学び身に付けた者は、当然、師から伝えられた規則や法度を守るべきであり、決して邪淫や色欲にふけってはならない、ということである。 ある者は師の教えに従わず、宿屋に泊まる約束をひそかに交わす。友の言葉にも耳を貸さず、たちまち月下の楽しみを思い描く。 「師訓」とは、技術を教える師匠が、もともと弟子に邪淫や色欲にふけるなと教えていたことをいう。「不遵」とは、従わないこと。「暗許」とは、よその家の女性をひそかに誘い、宿屋や旅館で会って、不義の関係を持つ約束をすることである。友人が邪淫にふけるなと忠告しても耳を貸さず、どうしても月明かりの下へ出かけて、よその家の女性を誘惑しようとする。 どれほど美しい娘であろうと、たおやかな婦人であろうと、鉄の網から逃れられない。花のような顔、月のような容貌であろうと、金属の釣り針を垂らして狙う。 「俊女」とは、容姿の整った女性。「嬌娥」とは、たおやかな婦人。「花容」とは、花のように美しい顔立ち。「月貌」とは、月のように白く美しい容貌のことである。「鉄網」とは、鉄線で作った網で、鳥獣を捕らえれば逃がさないもの。「金鉤」とは、銅や鉄を打って作った釣り針で、魚やスッポンを掛ければ逃がさないものである。貞節を守る女性が、女好きの男の巧妙な計略でからめ取られたり、金銭で誘い込まれたりし、そのわなに落ちて辱めを受け、名誉と貞節を損なうことがしばしばある、ということである。このことを思うと、歯を食いしばるほど憤ろしく、憎まずにはいられない。 若い婦人は恥を抱き、梁に縄を掛けて自ら命を絶とうと思う。若い女性は辱めを受け、水に飛び込み、川に身を投げることもいとわない。 若い婦人を「少婦」といい、顔に紅や白粉をつけた若い女性を「紅顔」という。ひとたび人に辱められ、名誉と貞節を損なうと、人に会わせる顔がないと思い、梁で首をつって死んだり、水に身を投げておぼれ死んだりすることがしばしばある。ただ、人々の嘲笑や罵りを避けようとしてのことである。 憤りが消えず、鬼門へ向かって泣き訴える。無念の魂は消え去らず、ついには地府へ訴状を提出しに来る。 「哭訴」とは、泣きながら訴えることである。「呈詞」とは、訴状を提出すること。「鬼門」とは、冥界の関所。「地府」とは、冥王の役所のことである。女性が人に辱められ、恥を抱いて死んでも、その死を受け入れられない。胸に満ちた無念は、初めは恨みの気となって凝り固まり、やがて激しい憤りへと変わる。そして必ず怨霊となり、加害した男を生きたまま捕らえ、恨みを晴らそうとする。鬼門で泣き訴え、地府へ訴状を提出し、恨みを晴らす許しを冥王に求めなければ、この憤りをどうして鎮められよう。この無念の事情をどうして明らかにできようか。このような怨霊の復讐には、その男を首つりなどの自殺へ追い込んだり、男を打ち殺して、顔の七つの穴から血を流して死なせたりするものがある。こうした事例の記録は、歴代の科挙にまつわる異聞録によく見られる。 第五殿の法は厳しく、猶予を許さない。 「五殿」とは、冥界にある第五の役所である。「森羅」とは、閻羅王の法がきわめて厳格であることを指す。邪淫を犯した者が死んで冥界へ来ると、閻王は直ちに、あらゆる悪の筆頭は邪淫であるとして、その罪を責める。決して情実で扱うことはなく、一刻の猶予も与えられない、ということである。 銅の槌と鉄の押し切り刃で、血肉が滴り散る。剣の樹と刃の山で、肉体も精神も零落する。 銅で作った槌で身体を打ち砕き、鉄で作った押し切り刃で身体を断ち切るのだから、その血肉が滴り散らないはずがない。さらには剣の樹へ放り投げられ、刃の山へ投げ込まれることさえある。その肉体は必ず地獄に散り、精神は必ず苦海に堕ちるであろう。邪淫を好む者がこのような結末を迎えるとは、哀れではないか。 一つの思いを誤れば、生涯をかけても償えない。 「差」とは、誤ることである。「贖」とは、物を買い戻すこと。「終身」とは、一生のことである。初めに一つの誤った思いを起こして邪淫を犯したために、一生をかけても以前の過ちを償い、地獄の悪い報いから逃れることができなくなる、ということである。 そのような者は、この思いにどうして耐えられようか。 「彼其之子」とは、その人を指す。このような色情にふける者がこの時に至って、どうして気持ちの整理をつけられようか。心から悔いたとしても、どうして取り返せようか、ということである。 憎むべきは、各地を渡って商いをし、金を土のように使い散らす者である。 「貿易」とは、商売をすることである。最も憎むべきは、三江五湖の各地で商売をする者が邪淫を好み、不義の関係を持ったり娼妓のもとへ通ったりして、金銀を汚物や土と同じように使い散らすことである、という意味である。 娼妓を抱き寄せてたわむれ、夜が長いか短いかなど気にもしない。 「妓」とは、売春をする女性である。腕で娼妓を抱き寄せ、酒を飲み、笑い楽しむことでみだらな情をかき立てる。昼も夜もそこに入り浸って帰らず、夜の長短を気に掛ける暇もない、ということである。 風に揺れる花に心を奪われて快楽をむさぼり、月が沈み、烏が鳴くこともすっかり忘れる。 「恋」とは、執着して離れられないことである。「風花」とは風の中の花で、その揺れる姿が人を惑わせ、邪淫をむさぼる心を起こさせるもの。月が沈み、烏が鳴くのは、夜が明けようとする頃である。男女の情事にふけることしか知らず、娼妓への執着を楽しみとして、夜が明けようとしていることも忘れ、なお別れようとしない、ということである。 家や近隣の人々と長く別れ、手紙もめったに送らない。遠方に長くとどまり、便りもなかなか届かない。 「魚書」とは、古人が魚の腹に入れて手紙を届けた故事に由来する。「雁信」とは、家への手紙を雁の足に結び付けて故郷へ届けたという、漢代の蘇武にまつわる故事である。遠い異郷で商売をしながら娼妓に迷い、どれほど日月が過ぎたかも気に掛けず、家へ手紙も送らない、ということである。 生来の腎水が衰え、薬を飲んでも薬は効かない。病になってから悔やみ、神に願っても霊験はない。 生まれながらに備わる腎水や精髄が、邪淫や色欲にふけることで使い尽くされれば、必ず姿はやせ衰え、治らない病となり、薬を飲んでも効かなくなる。この時になって初めて悔やんでも、たとえ神に願いをかけ、誓いを立てたところで無駄なのである。 遠い異郷で泣いても、誰が見舞いに来るだろうか。 「天涯」とは、天の果てのように遠い所、というほどの意味である。「顧盼」とは、人が様子を見に来ること。この時にはすでに病を患い、遠い異郷で涙を流して泣いたところで、誰があなたを見舞いに来るだろうか、ということである。 死んでは他郷の亡霊となり、いつまでも異郷の魂としてとどまる。 他郷の見知らぬ土地で死んだ以上、その魂も亡霊も、必ず異郷に長くとどまり、帰って来ない。「域」もまた、土地のことである。 千里の山河を隔て、誰がその枯れ骨を哀れむだろう。荒れ草の茂る塚一つ、親戚も友人も見いだせない。 枯れた一体の骨が千里の彼方に葬られて、誰がそれを哀れみ、故郷へ送り返してくれるだろうか。その墓には青い草がひとむら茂っているだけである。親戚も友人も訪ねて来ないのなら、誰に哀れんでもらい、紙銭を焼き、供えの紙を掛け、牛や馬が墓を踏み荒らすのを防いでもらえるだろうか。「覓」とは、探し求めることである。 報いは明らかに現れ、いささかの違いもない。 「昭彰」とは、明らかなことである。報いは非常にはっきりと現れ、ほんのわずかな間違いもない、ということである。 私は、懇ろに教え戒め、士農工商の人々に切に願う。 「吾」とは私のことで、帝君自身を指す。「叮嚀」とは、懇ろに、心を込めるという意味。「誥誡」とは、教え諭すことである。「四民」とは、士・農・工・商の人々である。あなたたちに、過ちを改めて善へ向かい、決して邪淫を好んではならないと念を押しているのである。 本当に心と性質を養い、邪淫を犯さずにいられるならば、 「果」とは、きっぱりと決断することである。「涵」には、水が染み渡るように潤すという意味がある。もし本当に仁義道徳によって自らの心と性質を養い、色欲に惑わされなければ、自然と悪の筆頭である邪淫を犯さなくなる、ということである。 詩と礼の教えが家に伝わり、倉も箱も実りに満ちて喜びがある。名声を成し、財を得て、長寿と厚い幸いに恵まれる。 さらに、詩書礼楽を家の規範として伝え、子孫に励んで学び、勤勉に耕作するよう教えることもできる。一方では千の倉、万の箱を満たして豊かになり、他方では功績と名声を立て、幸福と長寿を享受する。「寿考」とは長寿のこと。「維祺」とは、幸いが厚いことである。 門のまぐさは彩り輝き、まさしく富貴の家となる。 「門楣」とは、門の上に渡した横木である。「煥彩」とは、金文字の扁額が掛かり、その輝きが見事で、まさに富と地位に恵まれた家の様子を示していることである。 郷里の誉れを高め、国の柱となる器に恥じない。 「閭里」とは、一族や近隣の人々が暮らす家々や路地のことである。「棟梁」とは、高位の官職に就く人で、国家を支える棟や梁のような存在である。郷里にこうした人がいれば、どの家もその誉れにあずかり、この上ない栄光となる。「不愧」とは、それにふさわしいということである。 庭先にはめでたい草が生え、蘭と桂花が芳香を放つ。 「庭前」とは、階段の前のこと。「瑞草」とは、香りのよい草である。蘭や桂花が庭いっぱいに広がり、どれも香りを放っている。このような様子が見られるのは、富貴の家だけである、ということである。 戸外にはめでたい気が立ち、「椿」と萱草がともに茂る。 「祥煙」とは、吉祥の気である。原文の「椿」が栄えることは父が健在であることにたとえ、萱草が茂ることは母が健在であることにたとえる。父母がともにそろって健在であり、戸外にはいつもめでたい気がたなびいている、ということである。 そのわけをたどれば、半ばは戒めを守ることから生じている。 「推」とは、調べることである。その理由を調べれば、多くは邪淫を犯さない人々なのであり、なぜそうなったかは、おのずと推し量れる、ということである。 一方、古来、邪淫を好む者も少なくなかった。 「不乏」とは、少なくないことである。古来、邪淫や色欲にふける者は少なくない、ということである。 夏の桀は道に背き、妹喜を寵愛して国を滅ぼした。商の紂は仁を欠き、妲己を愛して国家を破壊した。 「夏桀」とは、夏王朝の桀王である。妹喜は桀王の妃。「商紂」とは、商王朝の紂王であり、妲己は紂王の妃である。「江山」も「社稷」も、天下の別名である。桀も紂も、女色に迷いふけったために天下を失った、ということである。 斉の荘公は棠姜のために命を失い、その惨めさは言葉にできない。陳の霊公は夏氏のために身を滅ぼし、その醜聞は聞くに堪えない。 荘公は斉国の君主である。棠姜は、斉の臣下である棠公の妻。斉の荘公は棠姜と不義の関係を持ったために殺された。霊公は陳国の君主である。夏氏は、陳の臣下である夏徴舒の母。陳の霊公は夏氏と不義の関係を持ったために殺された。そのありさまは惨めで、残した悪名も醜く、いずれも聞くに堪えない。 ほかにも『新台』『牆茨』、濮水のほとりの桑間がある。それらの詩を読めば、誰もが鳥獣同然だと非難する。 『邶風』の「新台」という詩は、衛の宣公が父でありながら息子の嫁を自分の妻として迎えたことを風刺している。『鄘風』の「牆茨」という詩は、公子頭が国母と不義の関係を持ったことを風刺している。また、衛国の濮水のほとりに桑間という土地があり、その風俗は乱れ、礼義を知らず、実に鳥獣と変わらなかった。そのため、これらの詩を読む者は、誰もがその行いを鳥獣同然だと非難するのである。93 過去の出来事を振り返れば、実にこのようなところにまで至っている。 「往事」とは、先に挙げた桀・紂、斉・陳に関する過去の出来事を指す。邪淫を好むことによって、その行いが鳥獣同然にまでなった様子は、いずれも振り返って思い描ける、ということである。 また、私が漢王朝に仕えていた時の、ささやかなこの心の潔白は明らかにできる。 帝君はこう述べる。「私は漢の臣として、ひたすら漢王朝を支え、助けようとした。私の胸の内は、その一寸一分に至るまで、天下に明らかにできないものは何一つない。」 燭火を手に夜明けを待ち、曹瞞に心を寄せることはなかった。 「旦」とは、夜明けのことである。帝君はこう述べる。「かつて皇嫂を守って同行していた時、曹操の陣営に行く手を阻まれた。曹操は私と主君の仲を裂こうと考え、私と義姉を一つの部屋に閉じ込め、私たちに倫理に背く関係を持たせて、皇叔を裏切らせようとした。そこで私は寝ようとせず、燭火をともして座り、『春秋』を読みながら夜明けを待った。私は曹瞞に心を寄せるつもりなどなかったので、その奸計に陥ることを拒んだのである。」 将を斬り、関を突破し、兄を捜して義姉を守った。 「その後、曹操の陣営に別れを告げ、五つの関を越え、六人の将を斬って、皇嫂を守りながら兄上である皇叔を捜しに行った。これこそが、私が一心に漢のためを思っていた様子である。」 柳下恵は女性を懐に座らせても心を乱さなかった。なんと清く気高いことか。魯仲連は門を閉じて女性を入れなかった。なんと気高い志であろうか。 柳下恵は、諸国が並び立っていた時代の聖人である。かつて一人の女性が駆け込んで来て、その懐に座ったが、彼の心はみだりに動かなかった。その清く気高いあり方は、比べるものがない。魯仲連は、戦国時代の賢人である。かつてある婦人が、夜の雨で家が雨漏りするため、家を借りて雨を避けようとやって来た。しかし彼は門を閉じ、受け入れることを拒んだ。その気概は、比べるものがない。 私は、才知に優れた若者たちに、丹田を大切に守ってほしいと願う。 「英俊」とは、英雄や俊傑のように才能のある人のことである。しかし、このような若者は、色欲にふけって寿命を縮めることが多い。そこで帝君は、才能ある人に、必ず丹田を守って精気と精神を養ってほしいと願っている。丹田とは、精気と精神を蓄える所で、臍の下一寸ほどの位置にある。 色欲によって身を傷めなければ、八十、九十の長寿を望める。美女に惑わされて道を誤らなければ、徳は子や孫に及ぶ。 「色欲」とは、好色の私欲を指す。古人は、生命を損なう事柄は一つではないが、色欲にふける者は必ず身体を損なうと言った。人が色欲によって傷つかなければ、おのずと八十、九十、さらには百年の長寿を望める。八十を「耄」、九十を「耋」といい、いずれも長寿の人である。「裙釵」とは、薄絹の裳を身に着け、金のかんざしを挿した美女を指す。「誤」とは、男性が誤って色欲の穴に入り、その女性に惑わされ、悪の筆頭とされる罪を犯し、子孫が栄えなくなることである。もし美女に惑わされなければ、その陰徳は非常に大きく、必ず後の世代にも及んで、子々孫々をすべて栄えさせることができる。 家に入っても寡婦の悲しみは聞こえず、夫婦は天地のように長く生きる。外へ出ても妻を失った男の惨めさは見えず、白鶴のような髪に、子どものような顔をしている。 人が色欲によって身を損なわなければ、その男女は必ずともに、天地が長く続くように長寿を享受する。自然と、その家の門を入っても、悲しみに沈む寡婦の声は聞こえない。その男性が外へ出ても、妻を失って惨めな思いをしている男は見られない。また、長寿の人は白鶴と同じように髪が白いため、「鶴髪」という。しかし顔色はなお赤みを帯び、子どもの顔のように潤いがあるので、「童顔」というのである。 一家には深い和やかさが満ち、老いが近づくことにも気付かない。 「一室」とは、一家のことである。一家の中で男女がみな病気も痛みもなく、幸いと長寿に恵まれ、和やかな気がめでたさをもたらすことだけを感じている。老人も安らかで楽しく過ごすため、老いが近づいていることにも気付かないのである。 そもそも弟子を知る者は師に及ぶものがなく、息子を知る者は父に及ぶものがない。 「弟」とは生徒、「師」とは教師である。生徒の気性を知るのは、ほかでもない教師である。息子の好むものをはっきり知るのは、ほかでもない父親である。 私が見るところ、人の師となる者は、読書のほかには、決して身を守る学びを教えない。 「保身の学」とは、丹田を大切に守り、女色に迷わないための学びである。私が見るところ、人の師となる者は、生徒に書を読ませるほかには、邪淫を戒めて身を守ることを教えない。実に惜しいことである。 あるいは子弟が聡明だからと、思い上がって軽はずみに振る舞うのを放っておく。 「飛揚浮躁」とは、軽薄で尊大な子弟が、得意げに振る舞い、浮ついた気分から抜けていないことである。このような生徒には、本来、懇ろに教え戒めて、重厚で落ち着いた人柄へ導くべきである。それなのに、子弟が聡明で利発だからと、甘やかして教えず、軽薄なままに任せ、何のしつけもしないのである。 あるいは家長が子をかばうため、蝶や蜂のように色事に戯れるままにする。 「東家」とは、家の主人、家長のことである。「愛惜」には、欠点をかばうという意味がある。蝶が戯れ、蜂が狂うように花を摘みに行くとは、軽薄で尊大な子弟が遊郭へ通うことをいう。家長が子弟をかわいがるため、教師は、その者が傲慢に振る舞い、邪淫を好むままに任せ、真剣に教え戒めようとしないのである。 情欲の芽が初めて開き、天から授かった良心は次第に失われる。 「情竇」とは、情欲が生じる心の穴のことである。「初開」とは、初めて人に誘惑され、色欲を好む思いが起こることである。ひとたびその思いを起こすと、他人の名誉や貞節を損なうことも顧みず、他人の妻や娘と邪淫の関係を持ち、天の道理と良心を失ってしまう。 もとは翰林院にふさわしい人物であったのに、邪道にそれた若者にしてしまう。 「玉堂」とは、翰林院の役所である。「邪僻」とは、邪淫や道を外れた行いのことである。才知に優れた子弟は、本来、翰林の官にふさわしい人柄であったのに、ふと邪淫や色欲にふけったために前途を誤り、女色を追う放蕩者へと変わって、そのまま一生を終える、ということである。 どれほど堂々たるまれな才能を持っていても、功名への道は必ず行き詰まる。 「磊落」とは、心が開かれ、人並み外れているという意味である。「奇才」とは、並外れた才能と学識。「偃蹇」とは、物事が何かと食い違い、計画や行動が思いどおりに進まないという意味である。子弟にまれな才能があっても、ひとたび邪淫を犯せば、事業も功名も必ず順調には進まなくなる、ということである。 凡庸な教師の過ちは、人に浅からぬ害を及ぼす。 「庸」とは、俗なことである。卑俗な師が、身を守る学びを子弟に教えず、子弟が邪淫を好んで功名を誤るままにしておくのは、すべてその凡庸な師の過ちである。その人に及ぼす害が、どうして小さいと言えようか、ということである。 私はまた、父となる者が、分別なく溺愛し、叱責を怠るのを目にする。 「溺愛」とは、甘やかし過ぎることである。「慢」とは、怠って遅れるという意味。「懲責」とは、教え戒め、打ったり叱ったりすることである。帝君はこう述べる。「父となる者が道理をはっきり見分けず、しばしば子弟を甘やかすのを目にする。子弟に過失があれば懲らしめ、責めるべきなのに、かえってぐずぐずして叱らない。これが分別のない溺愛でなくて何であろうか。」 少し生半可な知識があれば、会う人ごとに『よい子だ』と言う。わずかな技術や一つの長所があれば、あちこちで争うように『立派な子だ』と自慢する。 「一知半解」とは、一つ二つをわずかに知っているという意味である。「薄技」とは、浅い技芸。「片長」とは、少しの長所があること。「佳児」も「令子」も、よい子どものことである。子弟に少しでもよい点があれば、外で会う人ごとに褒め、立派な後継ぎを持っていることを見せびらかす、ということである。 家を立てて守る器でもないのに、席上の宝のように扱う。 「器」とは、実際に使う器物である。「席珍」とは、席上に並べた真珠や美しい玉のことである。この息子は、家を守り保つ役に立つ器でもないのに、父はあえて席上の宝のように扱い、溺愛して甘やかす、ということである。 それ以来、行いを慎む規律も過ちを防ぐ枠も踏み越え、礼を破り、人としての分を犯す。 「検」とは、子弟の行動を調べることである。「閑」とは、子女の過ちを防ぐこと。「礼」とは、男女や内外を区別する礼節。「分」とは、人倫の規範における立場と分際である。「蕩」「踰」「越」「犯」の四字は、いずれも規則や礼法に従わないという意味である。 身についた習慣は軽薄さばかりとなり、尼僧や寡婦と気ままに寝る。 「尼姑」とは、出家した女性の僧である。「寡婦」とは、夫を亡くし、再婚せずにいる女性のことである。子弟が身につけた習慣は、軽薄で尊大、冷酷な気風ばかりであり、気ままに尼僧や寡婦を誘惑して、一緒に寝て楽しもうとする、ということである。 でたらめな言葉ばかり並べ立て、遊郭で思うままに楽しむ。 わざと気がふれたふりをしたり、愚か者を装ったりし、口にするのは分別のない言葉ばかりである。どこの遊郭であろうと、自分の心が喜ぶまま、気ままに遊び歩く。 『父上は私に正しい道を教えるが、父上自身も正しい道を歩んではいない』と言う。 「夫子」とは、その者の父親を指す。「正」とは正しい道である。「未出於正」とは、正しい道を歩んでいないこと。父が正しい道を歩むよう教えると、息子はかえって、父自身も正しい道を歩んでいないと言い返し、その教えにまったく耳を貸さない、ということである。 怒りをこらえ、声をのみ込む。この先、どう収めればよいのか。 「結局」とは、事の収まり、末路のことである。父が常に子どもを甘やかし、何事につけても欠点をかばってきたため、子どもの気性を悪く育ててしまった。今になって正しい道を息子に教えると、息子はかえって悪口を言って反抗する。父は怒りをこらえ、黙るほかない。このようなありさまで、どう事を収められようか、ということである。 私が思うに、名山や大河のある所で、高い見識を持つ人のいない土地がどこにあろうか。 「名山」とは、名高い山である。「大川」とは、非常に大きな川のこと。帝君は、『私が思うに、こうした所には、どこにも非常に高い見識を持つ人がいる』と述べている。 それなのに、邪淫を戒めることに話が及ぶと、難しいと思わない者はほとんどいない。なぜなのか。 「鮮」とは、少ないことである。邪淫を戒めるということになると、多くの人は難しいと考え、難しいと思わない者は実に少ない。いったい何がその理由なのか、ということである。 おおむね、意の馬をつなぎ止めることが難しく、長い間、俗世の縁に心を引かれている。心の猿を閉じ込められず、女色の世界に縛られているのである。 「意馬心猿」とは、人の心があれこれ移り、取り留めなく思い巡らすことを、馬が走り回ってつなぎ止められず、猿が跳び回って閉じ込められないことにたとえたものである。たいていは、長い間、俗世の悪縁に心を引かれ、この世の美色に縛られているため、引き返すのが難しく感じられるのである。 利害もわきまえず、迷いに執着して悟らない。 邪淫を好む者は、まだ報いが訪れていない時には、何が利益となり、何が害となるかもわきまえず、気ままに悪事を行う。やがて迷いの道へ入り、人が忠告して戒めても、かえって自分の考えに固執し、悔い改めることを知らない、ということである。 芙蓉のように白い顔が、数え切れない英雄を窮地に陥れたとは知るまい。見よ、美しく紅で装った女性たちが、どれほど多くの豪傑を傷つけてきたことか。 「芙蓉白面」とは、女性の顔が白く、芙蓉の花のように美しいことである。「美艶紅粧」とは、女性が華やかに化粧し、紅や白粉をつけて、いっそう美しく見えることである。英雄も豪傑も、いずれも大いに才能のある人々である。その人々が前途を誤るのは、実に美色に苦しめられ、傷つけられたためである。天下全体では、いったいどれほどの数に上るか分からない。 戒めよ、戒めよ。さもなくば、災いはいったいいつ収まるのか。 「戒之戒之」とは、必ず戒めなければならない、と強く言う口調である。戒めずに犯すならば、招いた禍や災難は、いったいいつ止まるのか。「胡」とは、何、と問いかける語。「底」とは、止まることである。 天下には数多くの人がおり、その境遇や種類は一様ではない。 天下の人々は入り乱れて非常に多く、その身分や類別は一様ではない。 幼くして父を失い、頼るものをなくして、髪をそり僧となる者もいる。 「怙」とは、頼ることである。幼くして父がいないことを「孤」という。つまり、頼るものがないため、髪をそって寺に入り、僧となり、神霊の加護に頼るほかないのである。 名山で道を学び、塵の世を離れて俗を脱する者もいる。 また、俗世のはかなさを見抜き、俗人と共に暮らすことを望まない者もいる。そのため名山を訪ね求め、長生を求めて仙人の道を学び、修練するほかないのである。 本来、心を鉄石のように堅くし、禅の門を固く閉ざすべきである。 すでに僧や道士となった以上、当然、心は鉄や石のように堅固であるべきであり、禅堂の門戸を固く閉ざして、女性と往来しないようにすべきである。 ところが思いがけず、酒を飲み、肉を食べ、ひそかに従来の斎戒を破ってしまう。94 僧や道士は斎戒を重んじ、もともと酒を飲んだり、肉を食べたりしてはならない。それなのに、どうしてある日、斎戒を破ってしまうのか。このことは思いもよらず、実に理解に苦しむ。 鸞と鳳のつがいを乱し、今ひとときの心の快楽を得ようとする。 鸞と鳳凰という鳥はみだりに相手を変えず、女性がみだりに配偶者を変えないことにたとえられる。ところが、色欲にふける僧や道士が良家の女性を誘惑し、夫を害する企みを立てたり、駆け落ちしたりして、夫婦の仲を裂き、配偶関係を乱すことがある。それは鸞と鳳凰のつがいを転倒させるようなもので、その心はただ一時の快楽を求めるばかりである。 蓮池を汚せば、天の神々は怒る。 蓮池とは、寺院の中にある蓮の池で、清浄な場所である。ところが、僧や道士がそこで不義の関係を結べば、その清浄な聖地を汚すことになる。天の神々が怒らずにいられるだろうか。 罪業の海に落とされ、永遠に沈み続ける。 「孽海」は苦しみの海、「永」は長く続くこと、「堕」は落ちること、「沈淪」は水に沈むことである。僧や道士が蓮池を汚した以上、天の神々は必ずその者を地獄の苦海に落とし、長く沈めたまま、苦境から抜け出して生まれ変わることを許さない、という意味である。 地獄の門前には僧や道士が多い。どうしてこれが空言であろうか。まことにそのとおりではないか。 地獄とは、冥府の牢獄である。昔から、地獄の門前で罰を受ける者には僧や道士が多いといわれる。その言葉は決して空言ではなく、実際のこととしていっそう信じられるのである。 近年、西洋の風潮と新しい流行が中国の地に押し寄せている。 「晩近」はここ数年、「洋風」は西洋の軽薄な風潮を指す。「新潮」は新しく押し寄せる潮流のような、流行の物事である。「凌襲」は侵入して襲うこと、「中土」は中国の土地である。近年、西洋の軽薄で放縦な悪い風潮が中国に吹き寄せ、私たちに甚大な害を与えている、という意味である。 男女は本来の姿を変え、衣服や身なりは奇異となり、廉恥の心をすべて捨て去る。 「変相」は姿が変わること、「怪異」はどっちつかずの奇妙な服装である。男女が誠実で貞淑な本来の姿を変え、奇抜な服を身に着けて、人としての姿を失い、体面や恥を知る心を顧みなくなる、という意味である。 肌を露出して人目を引き、みだりな恋愛で罪業の種をまき、結婚前に貞操を失う者もいる。 「招揺」は落ち着きがなく、身を揺らして街を練り歩くこと。「乱愛」は正当でない恋愛で、男女がみだりに交際し、遊ぶことを常として、ついには関係を乱すことである。「種孽」は罪業の種を結ぶことをいい、結婚前に妊娠したり、世代上の身分が釣り合わないのに道を踏み外して子を宿したりすることは、いずれも罪業の縁を作り、しばしば限りない不幸を生む。「失貞」は男女が純潔を失うことである。露出の多い服で自分の肉体を誇示したり、人倫をわきまえずにみだりに恋愛を語ったり、まだ結婚していないのに礼に背く関係を持ち、清らかで尊い貞節の身を失ったりすることを述べている。 あるいはさまざまな商売を営み、奇妙な手口を次々と繰り出す。 「百業」はさまざまな業種、「耍」は手を変えること。「千奇」は千差万別の奇妙なもの、「花招」は目をくらませる手口である。現代には、さまざまな商売を営みながら、正当な方法で金を稼がず、あれこれと手口を弄する人が多い。いわゆる羊の頭を掲げて犬の肉を売るやり方で、表の看板は明るく立派でも、裏では形を変えた色情商売を営んでおり、この上なく下劣だ、という意味である。 表では色香と妖しいなまめかしさを見せ、裏には淫行へと誘う惑いの渦を隠す。どれほどの志ある人がそこに身を落とし、どれほど多くの学ぶ者がさまよい、帰ることを忘れていることか。 「春光」は人を魅了する笑顔、「妖浪」は妖艶な流し目、「誨淫」は人を淫らな行いに誘うことである。形を変えた色情商売を営む店は、表を色とりどりに飾り、美しい女性を集めて妖艶な媚態を見せ、人を大波の渦の下へ引き込もうとする。裏には淫行へと誘う渦が隠されており、人に与える害は小さくない。志も将来性もある人が、いったいどれほどそこで沈み、堕落しているのだろうか。また、多くの若い学生を誘惑し、色恋の遊興の場をさまよわせ、勉学に励むことを忘れさせる。これは淫行の罪を犯すうえ、この上ない親不孝でもある。 営める商売はいくらでもあるが、色情商売の罪業は重い。阿鼻地獄では悲惨な刑で厳しく罰せられ、子孫への悪い報いと汚名は絶えることがない。 「万商」はさまざまな商業や商売、「淫業」は売春を営む事業、「阿鼻」は阿鼻地獄を指す。どのような商売も営めるが、色情商売だけは決して営んではならず、これに背けば罪業が深く重くなる、という意味である。死後は必ず阿鼻地獄に閉じ込められ、あらゆる厳しい刑を受け、子孫にも必ず悪い報いが及ぶ。人に先祖がどのような仕事をしていたかと聞かれ、売春の巣窟を営んでいたと答えれば、その汚名は天に届くほどとなり、万年にわたって恥を残すことになる。 気ままに遊んで魂を奪われ、歓楽を求めるのが楽しいなどと言ってはならない。 「徜徉」は気ままに放縦に振る舞うこと、「銷魂」は魂が惑い乱れること、「尋歓」は刺激や歓楽を求めることである。行いを慎まず、女性の色香に惑わされ、あちこちで刺激や歓楽を求めて得意になっていることを、よいことのように言ってはならない、という意味である。 たとえ金銭による取引でも、霊性が汚れることは免れない。そばに見聞きする人がいなくても、人知れぬ場所で自ら良心のとがめを感じる。 「交易」は売買、「霊性」は魂の本性、「汚穢」は清潔でないこと、「暗室」は人に知られない場所である。歓楽や色を求めるのが金銭による売買であっても、自分の霊の光はすでにちりや汚れに覆われている。そばに見ている他人がいなくても、内心では不安を覚え、人に顔向けできないと感じる、という意味である。 よこしまな思いが起これば、悪念が増していく。自分と家庭は清らかさを失い、心の畑には毒の苗が根を下ろす。 「邪思」は正しくない思潮、「滋生」は増え育つこと。「身家」は自分自身と家庭、「心田」は心の大地、すなわち霊山である。「毒苗」は毒を含む業の木、罪の苗を指す。淫らな思いが起こると、それに伴って邪悪な考えも生じる。理性を失えば、人倫を乱し徳を損なうことにも手を出すようになり、自分自身と家庭は知らず知らずのうちに清らかで潔白な名誉を失う。また、不浄で毒を含んだ悪の木を植えて根づかせ、子孫へと伝えることにもなる。 幾世にもわたる罪業がここからまとわりつき、数々の劫を経ても輪廻はやむことがない。 「万世」は生まれ変わるたびのあらゆる生涯、「糾纏」は身にまとわりついて離れないこと。「累劫」は幾度もの災難を経ることである。生々世々の罪業が、ここから身につきまとって離れなくなる。どれほど多くの災厄を経ても、何度も繰り返し輪廻して報いを受けるとは、なんと恐ろしいことだろうか。 幸い、迷いの道に入ってもまだ遠くはない。今日の正しさを知り、昨日の過ちを悟る。 幸いにも、誤って迷いの道に入ってからさほど進まないうちに心が悟り、昨日まで歩んできた道は正しい道ではなかったと気づく。そして、今日から改めて正しい道を歩むことこそが道理だと知るのである。 聖人や賢人を志すなら、過ちを改めることをためらわない。 「吝」は惜しむこと、怠ることである。聖人や賢人は、人にまず過ちを改めるよう教える。過ちを改めることを怠らず、惜しみもしないなら、その人は聖人や賢人を志しているのである。 そうすれば、天を覆うほどの罪も、一たび悔い改めれば消え去る。 「弥天」は天いっぱいに満ちることである。たとえ天を満たすほどの大罪があっても、進んで過ちを悔い、新たにやり直そうとするなら、罪の記録を消すことができる、という意味である。 困難を恐れて目先の安楽に甘んじれば、罪は一日また一日と深くなる。その味を知って手放せず、今年すべきことを来年へと延ばす。 過ちを改めることを難しいと考え、目先の安楽に甘んじて日を過ごせば、その罪は必ず日ごとに深まる。色欲にはたいした面白みもないとすでに分かっていながら、それでも捨てようとしない。人から今年のうちに早く悔い改めるよう勧められても、わざわざ「来年まで待ってからにする」と言うのである。95 幾度くじかれても心を翻さず、生きている限りやめようとしない。棺に永遠にふたをされ、死んで初めてやむのである。 淫らな行いを好む者は、どれほど多くの挫折に遭っても心を改めようとせず、なお色欲に執着し、迷い続ける。死期が訪れて棺に永遠にふたをされるのでなければ、どうしてやめようとするだろうか。「長蓋」は、永遠に棺の中に閉ざされ、再び生き返ることができないという意味である。 悪名は永く伝わり、千年にわたって人の話の種となる。 「悪名」は悪い評判、汚名であり、「話柄」は人の話の種となる事柄である。その悪名が、絶えず流れる水のように、ますます遠くまで伝わっていくことを述べている。「千古」は千年を意味する。 悪事の跡は隠し難く、四方に「美談」として語り広められる。96 「悪跡」は淫らで悪い行いの事実、「難掩」は隠し覆うことが難しいという意味である。東西南北の人々がみな、その淫らな悪事を格好のニュースとして扱い、絶えず話題にすることを述べている。 生まれた子が父の賢徳を継がないなら、子孫がいないほうがまだ気が晴れる。 生まれた子が父のような賢徳を持たず、そのような不肖の子がただ淫欲と色をむさぼり、先祖の徳を傷つけ、しばしば人を心配させたり腹立たせたりするなら、そのような子孫はいないほうが、かえって気が晴れる、という意味である。 しかし、川の流れは変わっても、本性は変え難い。 「本性」は生まれつきの習性、「難移」は変えることが難しいという意味である。大きな川でさえ流れの変わる時があるのに、この生まれつきの悪い性質だけは変え難い、ということを述べている。 酒が人を酔わせるのではなく、人が自ら酔うのである。色が人を惑わせるのではなく、人が自ら惑うのである。 酒は壺の中にあるだけでは、人を酔わせることはできない。人が自分で酒を好み、むやみに杯を重ねて酔うのだから、自ら酔ったのでなくて何だろうか。よその美しい女性は、もともと人につきまとって惑わせに来たわけではない。人が自分で色を好み、淫欲をむさぼって女性を誘惑し、自ら惑わされに行くのだから、自ら惑ったのでなくて何だろうか。 私も姿を現して法を説く。あなたたちが古い過ちを改め、心を入れ替えて新たに歩むことを願う。 帝君は言う。「私が今、姿を現して法の言葉を説くのは、ただあなたたち民衆が淫らな行いを好む昔からの態度を改め、自らの徳を新たにして、心を改めた民となることを願うからである。」 聖なる教えに従って行うなら、私はあなたが箕疇の五福に恵まれるよう守ろう。 帝君は言う。「人がこの経によって他人を戒め、あるいは自分自身がこの経に従って行うなら、私はその人が箕疇の五福を享受できるよう守ろう。」箕疇とは、箕子が説いた『洪範九疇』のことである。五福とは、一に長寿、二に富、三に健康と安寧、四に徳を好むこと、五に天寿を全うすることである。 その教えから離れず、遠ざかることもなければ、私はあなたが三多の祝福を受けるよう守ろう。 「支」は離れること、「蔓」は遠くへ延びることである。この経を守り、いついかなる時もそこから離れず、あるいはこの経を捨て去らずに朝夕必ず読むなら、私はその人が三多の祝福を受けるよう守ろう。多くの福、長い寿命、多くの男子に恵まれることを「三多」という。これは華封人が堯に述べた祝辞である。 美しい玉に傷がないようであれば、必ず天台へ迎え導かれることを約束しよう。 「美玉」は良質の玉石、「無瑕」は傷や欠点がないこと。「天台」は仙人の住む場所である。世の男女が淫行を犯さなければ、傷のない美しい玉に等しく、功徳が円満になった時には、必ず仙人や仏が迎えに来て、ともに極楽へ導くことを約束する、という意味である。 清らかさを保ち、自ら善を好むなら、必ず冥府で迎えられることを約束しよう。 「潔清」は、水のように清らかで潔白なこと。「自好」は、自ら善を好み悪を除くことを心がけることである。そのような人が死んで冥府へ行くと、各殿の冥王は必ず座を下りて迎える、という意味である。 水害、火災、戦乱を、一家全員が免れる。害虫、蝗害、疫病も、すべてひそかに消え去る。 「潜消」は、人知れず消滅することである。この経に従って行う人は、水害、火災、戦乱などあらゆる災厄を免れることができ、害虫、蝗害、疫病といった災いも、一斉に消滅する、という意味である。 翻って、色欲に狂う者たちを見れば 「回顧」は振り向いて見ること。「狂徒」は淫らな行いを好む、傲慢で無分別な若者たちである。 目が見えず、耳が聞こえないのは、きっと前世の罪業が重いからである。 「孽」は罪業、「前生」は前の生涯である。目で見ることのできない人を「瞎子」、耳で聞くことのできない人を「聾子」という。そのような人は前世の罪悪があまりに重かったため、今生で目が見えず、耳が聞こえないという報いを受けるのだ、と述べている。 脚が不自由で、手を失っているのは、必ずや前の世からの怨みが深いからである。 前世の怨みと罪業が深く重かったため、今生では身体に障害のある人となる、という意味である。 冷えた寺で寂しく暮らし、着る物も食べる物もない。壊れた窯でわびしく暮らし、飢えと寒さに苦しむ。 それだけでなく、身を落ち着ける場所もなく、日々の食事にも事欠き、冷えた寺を借りて身を寄せ、壊れた窯にとどまるほかなく、限りない苦しみをなめ尽くす。これが前世に淫らな行いを好んだことの報いでないと言えようか。 困窮しきって生きるすべもなく、どうして懺悔できようか。 「窮極」は貧困のどん底に陥ること。「無聊」は暮らしていくすべがないという意味である。「懺悔」は罪を懺悔し、過ちを悔いることである。人がこのような境遇に至るのは、実際に前世の報いを受けているか、あるいは先祖が残した罪業を受けているのであり、悔い改めようとしてもできない。そうであれば、どこから懺悔すればよいのだろうか。 あなたたちは中国で生まれ育ち、蛮夷とは異なる。 「汝等」はあなたたち、「不類」は似ていないという意味。「中邦」は中国であり、「蛮夷」は倫理や道徳を知らない土地を指す。あなたたちは中国に生まれ、中国で育ったのだから、そのような野蛮な土地の人々のように礼義を知らずにいてはならない、という意味である。 なぜこれを戒めの鏡とし、素朴さに立ち返り、真の道へ帰らないのか。 「鑑」は鏡、「朴」は純朴さ、「真」は正しい道である。あなたたちは、なぜこのような人々を自らを映す鏡とし、純朴さに立ち返って正しい道へ帰らないのか、という意味である。 この薬石となる言葉も、規準として尊重すべきである。 「薬石」は病気を治すための物品。「準縄」は、職人が水平や直線を確かめるために用いる道具である。この『戒淫経』は一句一句がよい言葉であり、人の淫らな行いを好む心の病を治すことができる。その働きは、水平や直線を示す道具にも似ている、という意味である。 一字一字が珠玉である。どうして高い楼閣にしまい込んだままにしてよいだろうか。 「珠璣」は真珠や瑪瑙のような、きわめて貴重な物。「置」はしまっておくこと。「高閣」は高く大きな空き楼閣で、用事がなければ誰も足を運ばない所である。この『戒淫経』は一字一字が珠玉のように貴く、心身に役立つ。どうして無用な物と見なして空き楼閣にしまい込み、口に唱えることも、心で思い巡らすこともしないでよいだろうか。 私も不才ながら、壇に臨んで教えを残し、迷う人を目覚めさせる。 「垂」は残すことである。帝君は言う。「私には才学がないが、今、鸞壇に来てこの『戒淫経』を書き残し、世の人に教えを示すのは、ただこのよい言葉によって、天下で女性の色香に迷っている人を目覚めさせ、一刻も早く正しい道へ引き返させたいからである。」 これを身につけ、心に刻む人がいれば、私はその福を増し、寿命を延ばそう。 身につけて携えることを「佩服」、心にしっかり記すことを「志心」という。『戒淫経』を身につけ、心に慎んで記し、いつも離れずにいる人がいれば、私はその人を守り、福と智慧を増し、その寿命を延ばそう、という意味である。 口で説き、指し示して教える人がいれば、私はその罪を削り、過ちを消そう。 『戒淫経』を口で説いて人に聞かせ、手で指し示して人に見せる者がいれば、その人が以前に淫行を犯し、罪過や怨みを生む過ちを負っていたとしても、私は帳簿に記された罪や過ちを一斉に削り、跡形もなく消して、その人が新たにやり直す道を開くことができる、という意味である。 私の言葉を根拠のない話だと見なさないなら、私は霊霄で感謝しよう。 「妄談」は根拠のない話。「霊霄」は帝君の住む宮殿の名である。帝君は言う。「あなたたちが、私の説く『戒淫経』を根拠のない話と見なさないなら、私も霊霄宝殿であなたたちに感謝しよう。」 私の教えを邪説と見なさないなら、私は金闕であなたたちの過ちを補おう。 「邪説」は正しくない説。「金闕」は上帝の住む宮殿の名。「弥縫」は過失を補うことである。上帝は人の心がよくないためにたびたび災厄を下す。しかし、あなたたちが私の『戒淫経』を邪説と見なさないなら、私は金闕で必ずあなたたちに代わって過ちを補い、災難を軽くし、あるいは免れさせよう、という意味である。 あるいは趣旨に十分な精密さや詳しさを欠くところがあれば、才ある人に校正していただきたい。 『戒淫経』で述べた趣旨に、緻密でなかったり、十分明らかでなかったりするところがあれば、才学のある人に、私のために照合し、訂正していただき、至善至美に至ることを願う、という意味である。 あるいは言葉遣いが十分に洗練されていなければ、さらに名高い方々の批評をお願いしたい。 「措詞」は、この経で用いた文の組み立てや言葉の使い方である。十分に練れておらず、優雅さや洗練を欠くところがあれば、広く名を知られた文人や学者に指摘していただき、さらに代わって訂正していただくことで、これも至善至美に至ることを願っている。 ああ、世の人々よ。朝夕に香をたき、私の『桃園経』を唱え、朝に夕に頭を垂れて礼拝し、私が真心を込めた諭しの文を読む。 早い時間を「朝」、遅い時間を「夕」といい、また朝を「晨」、夕方を「昏」という。帝君は感慨を込めて言う。「世の民衆であるあなたたちが、清らかな香をたいたり、頭を垂れて敬い礼をしたりして、私の『桃園経』を唱え、私が心血を注いだ諭しの文を読む。その善に向かう心は、まことに評価すべきものである。」 あなたたちが私を神明として敬うなら、私があなたたちを赤子のように思わずにいられようか。 生まれたばかりの子を「赤子」といい、いつも人に守られる必要がある。世の人々が私を神明として深く敬うのなら、私があなたたちを赤子のように守らずにいられようか。 苦海から抜け出したいと思うなら、邪魔を断ち切るべきである。 淫らな悪行への報いはきわめて悲惨で苦しいため、「苦海」という。「脱離」は逃れ出ること。「邪魔」は、人の心が酒や色に迷い、妖魔にまとわりつかれているかのような状態をいう。苦海から逃れたいと思うなら、妄念という邪魔を断ち切り、二度とそれにまとわりつかせてはならない、という意味である。 過去の過ちを覆おうと思うなら、罪業の障りを取り除くべきである。 「前愆」は前世や過ぎた日の過ち。「克蓋」は覆うことである。「孽障」は、重い罪業が仕切りのようになって、人の善い心を覆い隠すことをいう。「消除」は消し去ることである。以前の過ちをすべて覆いたいと思うなら、急いで淫行を戒め、善い功徳を多く積み、過去の罪業による障りを消すべきだ、という意味である。 あなたたちが私の勧めを聞かないなら、私にもどうすることもできない。 私がよい言葉で懇ろにあなたたちを諭し戒めても、かえってその勧めを聞かないなら、私にもあなたたちをどうすることができようか、という意味である。 刃の山を転げるに任せ、油の釜で煮られるに任せ、血の川に座るに任せ、溶けた鉄を飲むに任せる。 ひとたび悪い報いが身に降りかかれば、冥王は鬼卒に命じてあなたを刃の山へ投げ込み、転げ回るに任せる。油の釜へ投げ込み、煮られるに任せる。あるいは血の川に身を沈めて、寒さと生臭い悪臭に苦しませる。あるいは溶けた鉄を口に注ぎ、肝臓、腸、腹、肺が、沸き立つ油の釜で煎られているかのような苦しみを与える。そうした苦痛を、すべてあなたが受けるに任せるのである。 その時になって初めて私の『戒淫経』を読もうと思っても、恐らく火の穴から出ることはできない。その時になって初めて私の淫行を戒める教えを読もうと思っても、恐らく天庭へ昇ることはできない。 「火坑」は、刃の山や油の釜で罰を受けることが、火の穴にいるようだという意味である。「火坑から出られない」とは、その時になって『戒淫経』を読もうとしても、もう取り返しがつかないということ。「天庭」は、罪のない人が死後に極楽世界へ昇ることを、天国へ昇ることになぞらえたものである。「天庭へ昇れない」とは、その時になって淫行を戒める教えを読もうとしても、もはや苦境を超えて上へ昇ることができないという意味である。 私は霊霄で、あなたたちに恨まれることを恐れる。あなたたちは地獄で悲惨な刑を受ける。 帝君は言う。「あなたたちが地獄であらゆる悲惨な刑を受ける時、霊霄殿にいる私は、もっと早く勧めてくれなかったと、あなたたちに恨まれるのではないかと恐れるのだ。」 逃れようとしても逃れられず、去ろうとしても去れない。改めようとしても間に合わず、悔やもうとしても手遅れである。 すでに地獄で罰を受けている以上、その時に逃れようとしても逃れられず、立ち去ろうとしても去れない。事がここまで来れば、改めようとしても間に合わず、悔いようとしても手遅れなのだ、という意味である。 あらゆる苦しみを受け尽くしてから、放たれて畜生となる。毛に覆われ、角を生やし、鳥や獣と群れをなす。 地獄でさまざまな刑罰と苦痛を受け尽くしたのち、そこから放たれて畜生となり、毛に覆われたり角を生やしたりして、飛ぶ鳥や地を走る獣の仲間になる、という意味である。 それでも刃の下で死に、釜で煎られ、火で焼かれる。いつになれば終わり、ようやく人の身に生まれ変われるのか。 「依然」は、やはり以前と同じという意味である。鳥や獣となっても、なお刃の下で死に、釜で煎られたり、火で焼かれたりする。その罪の記録がいつ決着し、ようやく人に生まれ変われるのか、という意味である。 ひとたび人の身を失えば、万劫もの苦難を受ける。それよりも、善を修め徳を積み、雲の上へ昇るほうがよくはないか。 過ちを知りながら改めず、ひとたび人の身を失えば、万劫にわたる苦難を受け、すぐには人へ生まれ変われない。それよりも、善を修め徳を積めば、天国へ昇り、雲の上に入ることもできるではないか、という意味である。 前の車が倒れたなら、後の車はそれを戒めとする。それこそが長生不老の仙丹である。 「前車」は前を進む車、「敗」は倒れて壊れること。「後車」は後から来る車、「戒」は慎むことである。以前に淫らな行いを好んだ人が、ことごとく身を滅ぼし家を壊したことを戒めとするなら、それは後の車が前の車の失敗を戒めとするのと同じであり、福を増し、寿命を延ばすことができる。まるで長生不老の仙丹を服したようだ、という意味である。 かつて鸞筆が飛び舞って霊験を現した時にも、疑う心と信じる心が入り交じっていた。 「曩者」は昔のことである。昔、人々が鸞堂を設け、飛び舞う鸞筆を通じて託宣を下し、世の人々に神霊の働きを示した。しかし、世の人々には疑いと信頼が入り交じり、信じる者は少なく、信じない者が多かった、という意味である。 それゆえ災厄がたびたび訪れ、戦乱が騒ぎを起こし、天地の秩序が逆転して、数多くの民に災いが残される。97 「劫運」は、水害、火災、疫病などさまざまな災厄を指す。「頻臨」は、たびたび訪れることである。さらに戦乱の災厄が天下を乱し、ついには天地の秩序が転倒して、幾百万、幾千万もの民が一斉に災いに遭い、害を受ける。なんと悲惨なことだろうか。「兆」は百万、「貽」は残すことで、民に災いと害を残すことをいう。 ともしびや蝋燭が明るく輝き、各地に壇を設けて教えを説く。城内と近隣の人々は進んで加わり、それぞれの集まりで懺悔の文を唱え、経を礼拝する。 「輝煌」はともしびや蝋燭が明るいこと。「開壇」は鸞壇を設けること。「闡教」は人を教え導く道理を明らかに説くことである。災厄が繰り返し降りかかるため、都市と農村の別なく、人々はみな進んで金を出し、壇を設けて祭儀を営み、災厄を食い止めようとする、という意味である。 それはただ、羊を失ってから囲いを繕い、天意を変えていただこうとすることにほかならない。 壇を設けて教えを説くのは、ただ天意を変えていただくことを求めているのである。それは羊を飼う家が羊を失ったあとで囲いを補修し、人としてできることを尽くすのと同じことにすぎない。 私も口を酸っぱくして法を説き、人を救うことをいとわない。 帝君は言う。「私が苦労をいとわず、口で経典や礼法を説くのは、ただそれによって世の人を救い導き、心を改めて善に向かわせるためである。」 これを形だけの文と見なす者がいれば、たちまち災いが一斉に訪れる。 「具」は備えることで、数をそろえるだけの、重要でない物を意味する。この『戒淫経』を重要でない文章と見なし、人が信じて従うのを妨げる者がいれば、災害や禍がたちまち一斉に来る。それによって、その妄りな態度を戒めるのだ、という意味である。 これを荒唐無稽だと決めつける者がいれば、たちまち雷がその身を引き裂く。 「荒謬」は根拠がないことを意味する。この『戒淫経』を荒唐無稽で根拠のない説だと決めつけ、人に疑いを抱かせて信じ従おうとしなくさせれば、たちまち雷火がその身を打っていくつにも裂き、その悪を明らかにする、という意味である。 ひたすらに慈しむ心に、八仙は両手を組んで敬意を表す。胸いっぱいの熱い真心に、五老は頭を上げて仰ぎ見る。 帝君がこの『戒淫経』を作って世を諭す、その胸にある真心は、老いた母が子を慈しむ心と変わらない。八洞の神仙たちがこれを見ても、必ず両手を組んで善いことだとたたえるだろう。河に遊ぶ五老が見ても、頭を上げて仰ぎ望み、その教えが善良で美しいとほめたたえるだろう。 浅く粗末だといとうことなく、あらゆる民に示す。 「蒼生」は黒髪の民である。帝君は言う。「私は浅く粗末なこの『戒淫経』を、あなたたち黒髪の民すべてに示すことをいとわない。実に、民であるあなたたちを諭して心を改めさせ、邪淫を犯さないようにしたいのだ。」 ナツメやクリの版木に刻んで世に送り出してほしい。私はいつも大きな期待を寄せている。 ナツメとクリの木は、どちらも版木を彫るのに用いることができる。帝君は言う。「私はすでに『戒淫経』を民であるあなたたちに示したので、さらに印刷工場に渡して版木を作り、印刷して配り、世の人を諭してくれることを願う。しかし、私がいつもこのように思い、あなたたちに大きな期待を寄せるのは、実のところ、あなたたち民が一刻も早く教えに従い実行することを望んでいるからである。」 淫行を戒める詩 明らかな死への道を自ら探し求める 情が深いとうわべで言っても、罪業はいっそう深い 美しい色を妖魔になぞらえて見るがよい 神や鬼を欺き、よこしまな心を起こしてはならない 陽台の一夢に、どれほどの歓びがあろう 陰律三章の悲惨さには、とても堪えられない 他人の妻や娘と不義を働く者に問いたい 自分の妻や娘が他人に辱められることを、誰が甘受するだろうか 文昌帝君の淫行を戒める宝訓 私は金闕の至尊の命を奉じ、毎月の寅の日と卯の日に酆都地獄を巡察し、天下の罪ある民の行いを調べ、事実を確定する。見ると、黒い罪籍が山のように積まれ、そこにはみな、世の人々が一生に積んだ業の記録がある。その中にはさまざまな悪事があるが、あらゆる悪のうち、とりわけ淫らな悪行への報いについて、天の法は最も厳しい。 他人の妻や娘と不義を働き、その家の閨門を汚す者は、地獄で五百劫の苦しみを受けて、初めてそこを離れ、ラバや馬に生まれ変わる。さらに五百劫を経て、ようやく人の身に戻り、娼婦や役者となる。 策略をめぐらし、寡婦や尼僧と不義に寝て、その節操と行いを損なう者は、地獄で八百劫の苦しみを受ける。その後ようやく羊や豚に生まれ変わり、人に屠られる。さらに八百劫を経て人身に戻ると、目の見えない者、口のきけない者、五官や四肢のそろわない者となる。 目下の者が目上との倫を乱し、年長者が年少者との倫を乱して、綱常を損なう者は、地獄で千五百劫の苦しみを受ける。その後ようやく蛇や鼠に生まれ変わり、さらに千五百劫を経て、初めて人身を得る。だが、母胎の中で死ぬか、抱かれる幼いうちに亡くなり、結局、長い寿命を享受することはない。 さらに淫書を作って人の心を悪くする者は、死んで無間地獄に入る。その本がすべてなくなり、それによって悪をなした者たちの罪報も残らず尽きて初めて、鬼国へ生まれ変われる。そこは暗くかすみ、三光も見えず、風を食らい、氷に臥し、皮膚は無残に裂ける。仙仏に出会っても、救ってはもらえない。淫書が世の人を害する災いの大きさは、計り知れない。 もともと名門の淑女で、文字や文章を知る女性が、緑の窓辺で昼が静まったとき、あるいは青灯の下で夜が更けたとき、巻を開いてこれを見ると、魂魄を揺さぶられ、欲望の火が燃えるのを抑えられず、にわかに駆け落ちや密通へ走る。そのため節婦は節を失い、貞女は貞を失う。また、聡明で学識のある若者も、この本を一目見ると、知識や思いを汚される。ある者は自慰を抑えられず、ある者は目つきを軽佻にして、不義の関係に従う。軽ければ元陽を損ない、若くして命を落とし、重ければ倫紀を乱して、学問ある人々の仲間と認められなくなる。また、巧みに伝奇を作って舞台で演じ、寵童に教え込んで淫らな振る舞いを見慣れさせ、人の清らかな節操を乱すことも数えきれない。その原因をたどれば、すべて淫書の害である。どうして学ぶ者が、過去の世からの慧根を持ち、七寸の筆を握りながら、世に功を立て、自らに福を積もうとせず、ただ無窮の罪業を造り、上帝の怒りに触れ、自ら氷の深淵や火の穴へ踏み入ることを気にもかけないのか。深く悲しむべきことである。 印光大師増訂『寿康宝鑑』――身を守り命を保つために戒めを守るべき時期、および天・地・人に関する忌みの表(txtファイルでは表を整理できないため、インターネットで検索してください。この表はとても重要です。特に福と智慧をともに備えた子を望む父母にとって重要です)98 『陰律無情』は確かに冥府が世に送り出し、加持によって流通させている――私と『陰律無情』の物語 私と『陰律無情』の間に起きた小さな出来事を書き残すべきかどうか、長い間ためらっていた。私は一介の凡夫で、三界の内情や六道の真相の深さを知らない。そのうえ、この経験は確かに個人の予想を超えていた。以前は他人の話を読むばかりだった。『寿康宝鑑』『欲海回狂』『万善先資』などには、多くの人が経験した、このような冥府に関わる出来事が記されている。しかし今回の私の経験は、特に『陰律無情』と関わっており、今後の人生のことにも触れるため、ずっとすべてを明かす勇気がなかった。ただ、この本を紹介するときに、身近な人へ少し漏らしたことがある程度だ。それでも、『陰律無情』に強い偏見を持つ人がかなりいるのを見て、やはり話すべきだと思った。今も少し恐ろしく、どんな結果になるか分からないが、私はただ、自分の経験を事実に即して語るだけだと考えている。あなたがどんな思想や立場を持ち、どう見るにせよ、三界で起きた事実はやはり事実であり、誰にとっても事実である。ただ皆さんに知ってほしいのは、『陰律無情』には確かに並々ならぬ由来があり、真実で、偽りではないということだ。仏法は衆生に事実の真相を明らかにするものであって、事実を否定するものではないと思う。『金剛経』にも、『阿耨多羅三藐三菩提心を発す者は、法について断滅の相を説かない』とはっきり記されている。大きな棒を振りかざすように、仏法の大審判者を気取る人がいる。だが、事実を理解していないなら、仏法も真に理解してはいないはずだ。相対を絶した観照によって事実の真相を見通せるわけでもなく、なお一介の凡夫でありながら、自分の眼、耳、鼻、舌、身、意に限られた思想や見方に基づいて、あえて審判者を気取るとは、あまりに傲慢ではないか。自分を誤らせ、人をも誤らせるこの罪業を、考えたことがあるだろうか。 二か月前、つまり三月中旬、ある仏教書の流通所で、一冊の『陰律無情』をいただいた。それ以前にも見かけたことがあったように思う。よい本だとは感じたが、何らかの見方に影響されていたのか、ただの勧善書にすぎないといつも思い、真剣には読まなかった。今回は流通所で読んで、とてもよく書かれていると思った。少なくとも、何年も前のある時期、自分に魂がなくなったかのようだったことが、分かった気がした。大通りにいても十数メートル先は何もはっきり見えず、まったく気力がなく、ぼんやりして意識がかすみ、ただ肉体だけが歩いているようで、ごく単純な思考や反応しかできなかった。どうやら邪淫の悪業によって、寿命がまだ尽きないうちに、先に三魂を勾引されたのだろう。 家へいただいて帰り、改めてよく読んでみると、確かにすばらしいと思った。自分の長年の経験からも、そのとおりだと感じられ、邪淫の結果が本当によくなく、恐ろしいことも分かった。そこで、地元のある地蔵道場へもう一まとまり送って、もっと多くの人に読んでもらえたらよいと思った。ただ何となく考えただけで、そのまま過ぎ、特に気にも留めなかった。用事をし、食事をし、眠った。ところがその夜、夢を見た。夢の中で私は、本の束を抱えて地蔵壇林へ届けていた。同時に一つの声が、「地蔵壇林へ『陰律無情』を一束届ければ、あなたは永生を得る」と告げた。目覚めると、不思議でもあり、面白くもあった。昼間ふと思いついただけで、自分でも忘れていたことなのに、こんな夢を見たのだ。永生とは何だろう。それでも、とにかく地蔵壇林へ『陰律無情』を一束届けることは善いことだから、やってみようと思った。出勤してからコンピューターで上官玉華のブログを見つけ、さらに善心蓮心正法生活網も見つけた。しかし、善いことには障りが多いというのか、インターネットバンキングの証明書が期限切れだった。『陰律無情』のほかに、長く探しても見つからなかった『慈悲地蔵宝懺』なども一緒にいただこうとした。『陰律無情』は無料で結縁する本である。ところが、どうしても証明書を更新できず、いつも時刻が同期しないという状態になった。銀行の顧客窓口と何度も連絡を取り、試しても解決しなかった。私たちは工業地区におり、昼間は市街地から離れているので、繰り返し試すのはかなり面倒だった。しかし、あの夢が理由で続けたのではない。その夢は当時、本気には受け取っていなかった。ただ、善いことをしようと思った以上は、意志を固めてやり遂げ、少し困難に出会ったからといって投げ出してはいけないと考えたのだ。その後、わざわざ市街地の銀行窓口へ行って証明書を更新し、事務所へ戻って、ようやく手続きができた。『陰律無情』『慧岸明燈文集精華版』『慈悲地蔵宝懺』などを含む、本を三箱いただいた。本が届くと、そのうち一束を地蔵壇林へ届けた。以前の夢は気に留めず、本当のこととも思わず、ほとんど忘れていた。ただ一つの善いことを行うつもりで、この件に取り組んだのだ。だが、その夜、また夢を見た。夢には二人の役人らしい者が現れた。顔色は赤黒く、額には幾筋ものしわがあり、おおむね四角い顔立ちだった。『玉暦宝鈔』に描かれる冥府の役人の姿にそっくりで、一目で人間界の人ではないと分かった。融通や親しみやすさに欠け、受ける印象はただ『公』『無情』だった。どんな情にも動かされず、公正に職務だけを行うようだった。もう一人、その土地の一帯を管轄する者らしい姿もあった。土地神なのか、竈神なのかは分からない。二人の役人は一枚の大きな紙を私に渡した。そこには私のことが、行ごとにびっしりと記されていた。各行の左端はすべて私の名前で、字は非常にはっきりしており、その右側に記録の文章があった。私はその三人の目の前で、記録された紙を細長くちぎり始めた。しかし、ずいぶん丈夫なようで、うまく破れなかった。そのとき、その土地の管轄者らしい者が二人の役人を脇へ呼び、何か相談した。私はなお紙を破いていた。しばらくして三人が戻ると、今度はその紙に火をつけて、すっかり焼くよう私に言った。私の心配を永久になくそうとしているようだった。焼き終えると、二人の役人は立ち上がって私を一目見た。やはり公務を公務として行うだけの、親しみや融通の余地がまったくない表情のまま、去っていった。私は目を覚ました。なんと不思議なことだろう。こんな夢を見て、これほど真に迫った一幕が、たった今起きたのだ。私は三界の内情も、六道輪廻の真相の深さも知らず、人に話す勇気はなかった。しかし、『陰律無情』は確かに冥府が世に送り出し、加持によって流通させているのだと分かった。冥府の仕事は、まことに一諾千金で、言ったことを必ず実行する。『陰律無情』には、『陰律を擁護する者は、天堂へ昇り、地獄の名簿から名を除かれる』とある。そして同書に書かれているとおり、『ひどく私的なことをしても、誰も知らないと思ってはならない。善悪の一念は、そのまま陰司冥府の善悪記録簿へとつながる』のである。 これで終わりだと思っていたのに、間もなくまたあの役人と会うことになるとは、まったく思わなかった。今度は向こうが来たのではなく、私が下へ呼ばれたのだ。話は初めからしなければならない。まず一つの挿話を述べよう。一昨年、九華山へ登り、西天寺に泊まった。落ち着くとすぐ、大殿へ仏を拝みに行った。拝礼を終えて立ち上がり、外へ出ようとしたとき、戸口のそばの机の後ろに座っていた年配の尼僧に呼び止められた。「あなた、家で『金剛経』を読んでいますね」と言われた。そのとき上着の内側の胸ポケットには小型の『金剛経』が入っていたので、「ああ、『金剛経』はいつも持ち歩いています」と言いながら取り出した。すると尼僧は、『持っていると言っているのではありません。読んでいると言っているのです。少なくとも三か月は読んでいますね』と言った。私は驚いた。このようなことを言える人に会ったのは初めてだった。確かに、そのころ私は『金剛経』を読んでいた。そこで同行していた息子、甥、姪を呼んだ。尼僧の言葉は簡潔で要を得ており、どれもよく当たっていて、皆とても励まされた。夕方戻ってから、再び大殿へ行くと、若い女性が仏前にひざまずいて『地蔵経』を読んでいた。母親らしい人が戸口に立っていた。尋ねると中国東北部から来た人で、やはり尼僧に的確なことを言われ、旅行中も山で『地蔵経』を読もうと発心したのだという。尼僧は非常に慈悲深く、飽きることなく熱心に私たちを諭し、さまざまな面から導いて、しっかり修行するよう勧めた。生活、家庭、仕事のこと、前世から今生のことまで話して妻を説き勧め、たくさんの経典、念珠、飾り物などをくださった。妻は深く心を動かされ、帰ってからしばらく真剣に『地蔵経』を読んだ。山を下りる前、私は将来に災難や困難があるかを尋ねた。尼僧は『地蔵経』一冊と地蔵の像を取って私に渡し、「何も尋ねなくてよいのです。普段は仕事で時間がないなら、土曜と日曜に、家で一日一回ずつ『地蔵経』を最初から最後まで読誦すれば、すべてよくなります」と言った。帰ってからしばらくは続けたが、なんとその後、怠けてしまった。しかし、尼僧のこの上なく慈しみ深い声、顔、笑顔、そして繰り返しの勧めや言いつけを思い出すたび、ひどく恥ずかしくなった。およそ昨年の後半から、週末には一日一回ずつ『地蔵経』を最初から最後まで読誦することを、またほぼ続けるようになった。 話を戻そう。『陰律無情』を結縁して届け、あの夢を見てから何日かたつと、私は修行を少し怠けるようになった。本当に習気がひどく重いのだ。『地蔵経』を読むべきときに読まないことが何度かあったが、自分で定めた朝のお勤めだけは続けていた。するとある夜、眠ってから、私は下方へ降りて、ある部屋に入ったようだった。部屋には長方形の会議机があり、会議中らしかった。正面中央に座っていたのは、おそらく主宰者で、前の夢でやり取りしたあの役人に見えた。私が入ると、彼はやはり私情を挟まず、細部まで厳格で、非常に真剣な表情をして、『なぜこのところ経を読まないのか』と尋ねた。その場では、自分でもどうすることもできず、ありのままに、「週末の午後は『地蔵経』を読んでいませんが、朝にはまだ『普賢十大願』と『金剛経』を読んでいます」と答えたようだった。すると突然、その役人の顔に、喜びに満ちた明るい笑顔が浮かび、安堵と満足の気持ちが伝わってきた。私はそのとき、非常に驚き、めったにないことだと感じた。私の印象では、彼の顔にこんな表情が現れるなど、本当にまれなことだった。まるで夜空に太陽を見るようだった。私が仏経を読んでいるというだけで、こんなにうれしそうな笑顔を見せるとは。仏経を読誦することが、ここではすぐに、これほど特別に扱われる理由になるとは思わなかった。その後、『陰律無情』を結縁した状況も確認したようで、全体としては比較的満足しているようだった。 『陰律無情』を学び、伝えることには、非常に現実的で直接的な、自分に関わる利益があると感じた。それは、どれだけ金を出しても買えないものだった。そこで、私の兄弟姉妹にも学び、伝えてもらい、金では買えない得がたい利益を、少しでも受け取ってほしいと思った。しかし私たち兄弟姉妹は同じ場所に住んでいないので、簡単ではなかった。そこで父母に渡し、父母がどれかの子の家へ行くとき、何冊か持っていってもらおうと考えた。そのころ父母は兄の家に住んでいた。ある金曜の午後、およそ二時過ぎにこの考えが浮かび、父母のところへ行くことにした。列車に乗って別の町へ向かい、午後六時過ぎに兄の家へ着いた。中へ入ると驚いた。兄本人は外出していて自宅にいなかったが、ほかの兄弟姉妹はそろって居間に集まっていた。尋ねると、皆『あなたを待っていたんだ』と言った。弟たちのうち上の弟に『どうしてここにいるんだ』と尋ねた。彼はこの町で働いていない。すると、『午後は会議の予定だったけれど、急に中止になったので、車で父母に会いに来た』と言った。妹にも『どうしてここにいるんだ』と尋ねると、『午後に用事で外出して、済んだらもうすぐ五時だったから、職場へは戻らず、父母に会いに来たの』と言った。一番下の弟にも『どうしてここにいるんだ』と尋ねると、『清明節に父母は故郷へ帰れなかったけれど、僕は帰っていて、今日の午後戻ったばかりなんだ。先に父母の顔を見に来た』と言った。私たち兄弟姉妹が普段、一度に集まることはめったにない。誰かの家で行事があり、皆が出かけるときでさえ、同じ時間帯にそろって到着することはほとんどなかった。そこで少し言葉を交わし、それぞれに『陰律無情』を何冊か結縁してもらった。各自、家の用事があり、他の土地へ急いで戻らなければならない者もいたため、皆慌ただしく帰っていった。最後にはこんなにも速やかに本を彼らの手に渡せた。これはきっと、皆に『陰律無情』を学び伝えてほしいという考えが生じた後、仏や天地の神力による加持があった結果なのだろう、と私は思った。 何日かすると、妹から突然電話があり、『陰律無情』はどこで印刷しているのか、と尋ねてきた。息子が印刷費を寄付したいのだという。息子は中学三年生で、とても手に負えない小さな暴君だった。私は不思議に思い、どういうことか尋ねた。妹は言った。「この『陰律無情』は確かによい本だけれど、家ではもともと私だけが読んでいて、子どもには読ませていなかったの。でも、いつの間にか自分で読んでいて、突然『お母さん、僕には罪がある』と言ったのよ。どうしたのか聞くと、『前に遊びのために、わざとたくさんの蟻を傷つけたんだ。自分のお金を全部、『陰律無情』を印刷するために寄付したい。仏さまの前で願を立てて、僕が傷つけた小さな命たちを加持して救い上げてくださるよう、仏菩薩に祈りたい』と言ったの。」妹は続けて言った。「この『陰律無情』は本当に大きな功徳を立て、大いに助けてくれたわ。手に負えなかったあの子が、こんなに大きく変わるなんて。」この甥は、頭はとてもよいものの、勝手なことをして問題ばかり起こし、しつけが難しく、大人たちも大いに頭を悩ませていた。自分の金は自分で使い、大人に管理させようともしなかった。それが今回は、自分から進んで発心し、金をかき集めてすべて寄付し、自分には一銭も残さなかったのだ。 『雑阿含経』には、次のような譬えがある。「爪の上の土のように、人の道にある衆生もまたそのようである。大地の土のように、人ではないものもまたそのようである。」『涅槃経』にも記されている。あるとき仏陀は、地面からほんの少しの土を手につけ、迦葉尊者に尋ねた。「私の手の上にあるこの土と、十方世界の大地の土では、どちらが多いか。」迦葉尊者は答えた。「もちろん、十方世界の大地の土の方が多うございます。」仏陀は言った。「人身を得て善法を実践する者は、私の手の上の土のように少ない。人身を得ず、悪業を行う者は、十方世界の大地の土のように多い。」また仏経には、「人身を得る者は爪の上の土のごとく、人身を失う者は大地の土のごとし」ともある。私たちは始まりのない昔から、実に無量の地獄の業を造ってきた。この問題を直視できない人を、私は頭が明晰だとは思わない。『陰律無情』は、ほかの本のように、誰かが広く資料を集めて書いたものではなく、まして誰かの創作でもない。尊敬する同門の上官玉華さんは、ただ語り手、事実を語る人であり、一つの任務を果たしているのである。これらの目を驚かせ、心を震わせる事実は、善法を実践し、戒律を守り、仏法を修行することの現実性、緊急性、重要性を、私たちに明らかにしている。 最後に、『陰律無情』が「聖母マリアは観世音菩薩の化身である」「私が見た菩薩の示された姿は、カトリックの聖母マリアの慈悲深い姿だった。判官は、聖母マリアは実は観世音菩薩の化身の一つとしての示現だと言った」と述べることを受け入れず、さらには「間違っている」と言う人々について述べたい。私は、同門の上官玉華さんは自ら経験した事実を語っているのだと思う。間違ったことを言っているのではなく、あなたが理解していないのだ。『金剛経』には、こうある。「須菩提よ、どう思うか。身相によって如来を見ることができるだろうか。」「いいえ、世尊。身相によって如来を見ることはできません。なぜなら、如来の説かれる身相は、すなわち身相ではないからです。」仏は須菩提に告げた。「およそ相のあるものは、すべて虚妄である。諸相が相ではないと見るなら、すなわち如来を見る。」また、「須菩提よ、どう思うか。具足した色身によって仏を見ることができるだろうか。」「いいえ、世尊。如来を、具足した色身によって見るべきではありません。なぜなら、如来は、具足した色身はすなわち具足した色身ではなく、それを具足した色身と名づける、と説かれるからです。」「須菩提よ、どう思うか。如来を、諸相が具足していることによって見ることができるだろうか。」「いいえ、世尊。如来を、諸相が具足していることによって見るべきではありません。なぜなら、如来は、諸相の具足はすなわち具足ではなく、それを諸相の具足と名づける、と説かれるからです。」さらに、「もし色によって私を見、音声によって私を求めるなら、その人は邪道を行じ、如来を見ることはできない」とある。あなたは、仏がどのような身相で示現すべきで、どのような身相では示現すべきでないと言うのか。どの姿を示したときこそ、仏の示現だというのか。あなた自身の心に人と我の見があり、思いの中に人と我への執着があって、世間のあらゆる姿を捉えて分別し、虚を実とし、仮を有として執着し、断滅という一方に偏った見を生じているのだ。それでどうして、あらゆる法において究極に円満かつ自在である仏菩薩の神通と智慧が、ある特定の姿では示現しないなどと、みだりに断定できるだろうか。 『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』には、はっきりとこうある。「仏は無尽意菩薩に告げた。『善男子よ。ある国土の衆生が、仏の身によって救われるべきなら、観世音菩薩はただちに仏の身を示して法を説く。辟支仏の身によって救われるべきなら、辟支仏の身を示して法を説く。声聞の身によって救われるべきなら、声聞の身を示して法を説く。梵王の身によって救われるべきなら、梵王の身を示して法を説く。帝釈の身によって救われるべきなら、帝釈の身を示して法を説く。自在天の身によって救われるべきなら、自在天の身を示して法を説く。大自在天の身によって救われるべきなら、大自在天の身を示して法を説く。天大将軍の身によって救われるべきなら、天大将軍の身を示して法を説く。毘沙門の身によって救われるべきなら、毘沙門の身を示して法を説く。小王の身によって救われるべきなら、小王の身を示して法を説く。長者の身によって救われるべきなら、長者の身を示して法を説く。居士の身によって救われるべきなら、居士の身を示して法を説く。宰官の身によって救われるべきなら、宰官の身を示して法を説く。婆羅門の身によって救われるべきなら、婆羅門の身を示して法を説く。比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の身によって救われるべきなら、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の身を示して法を説く。長者・居士・宰官・婆羅門の婦女の身によって救われるべきなら、婦女の身を示して法を説く。童男、童女の身によって救われるべきなら、童男、童女の身を示して法を説く。天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人、非人などの身によって救われるべきなら、それぞれの姿を示して法を説く。執金剛神の身によって救われるべきなら、執金剛神の身を示して法を説く。』」これを見れば、諸仏菩薩はまったく衆生の状況に応じて姿を示し、法を説くことが分かる。衆生がどのような身によって救われるべきかに応じ、その身を示して救うのであって、執着すべき決まった姿などない。したがって、聖母マリアの身によって救われるべき者には、その姿を示して法を説くのである。仏菩薩の大慈悲心、大平等心に、見捨てる衆生などいるだろうか。六道のどの道かすら問わないのに、まして人間界のどの宗教かを問うだろうか。究極に円満かつ自在である仏菩薩の神通と智慧に、衆生の心に応じて示せない身相などあるだろうか。よく考えてほしい。自分の、衆生を平等に見ない心によって、仏の心を取り違えてはならない。姿に執着して外へ求め、人と我を分け隔てる自分の心によって、仏の心をみだりに解釈してはならない。99 仏、菩薩に感謝いたします。 天地の鬼神に感謝いたします。 上官玉華先生に感謝いたします。 文殊摩詰先生に感謝いたします。 『陰律無情』を世に広く伝えるために貢献した、すべての方々に感謝いたします。 妙升 回向偈 願わくは、この功徳により 過去と現在の業を消し あらゆる福と智慧を増し 勝れた善根を円満に成就せんことを あらゆる戦乱の災いも 飢饉なども ことごとく消え去り 人々が礼と譲り合いを習わんことを 印刷を助けるすべての者 次々と広め伝える者 今ある眷属は皆安楽に 先に亡き者は超昇を得んことを 風雨は常に穏やかで順調に 人民は皆安らかで健やかに 法界の、心識をもつすべてのものが ともに無上の道を証せんことを 編集注 以下は翻訳・編集上の注であり、原著の経文や原注とは区別しています。 本書の用語 ここでの説明は本書の訳語の使い分けを示すもので、原文に代わる教義解説ではありません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087・ZH-L1434 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 冥君閻王 原語:冥君阎王 本書が最高統帥として区別する呼称。各殿の閻王や案内役の判官と混同しません。 該当箇所:ZH-L0106・ZH-L0879・ZH-L1115 酆都大帝 原語:丰都/酆都大帝 本書の統一表記。時代による地位の移動は、個々の叙述に従います。 該当箇所:ZH-L0101・ZH-L0308・ZH-L1115 十二殿の閻王 原語:十二殿阎王 十二の殿を統轄する王たち。冥君閻王と同じ職位として扱いません。 該当箇所:ZH-L0106 閻王/閻羅王 原語:阎王/阎罗王 原文の呼称の違いを保ちます。「閻魔王」という別形は本版で統一しました。 該当箇所:ZH-L0128・ZH-L0480 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 鬼卒 原語:鬼差/鬼卒 案内・執行などを担う書中の役。判官や一般の官員とは区別します。 該当箇所:ZH-L0127・ZH-L0129・ZH-L0130 夜叉 原語:夜叉 本書の刑罰場面などに登場する呼称。別の鬼卒名へ一律に置き換えません。 該当箇所:ZH-L0516・ZH-L1237 牛頭/馬面 原語:牛头/马面 二人の人物名。二人を併せていうときは「牛頭と馬面」とします。 該当箇所:ZH-L0889・ZH-L0900・ZH-L1280 黒無常/白無常 原語:黑白无常 本書で二人の人物を指す呼称。抽象的な無常の教えとは区別します。 該当箇所:ZH-L1176 倶生神 原語:俱生神 本書で善悪の記録を担うものとして語られる神。日文字形を統一しています。 該当箇所:ZH-L0132・ZH-L1043 同門 原語:师兄 本書の仏道の仲間を表す呼称。上官玉華の性別を男性とする語ではありません。 該当箇所:ZH-L0044・ZH-L1815・ZH-L1816 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 平民の女 原語:民女 阿玉が官の前で用いるへりくだった自称。「娘」として年齢や親子関係を限定しません。 該当箇所:ZH-L0112・ZH-L0930・ZH-L1378 本官/本王 原語:本官/本王 それぞれ官、王の自称。現在の話者に応じて使い分けます。 該当箇所:ZH-L0173・ZH-L0271 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074・ZH-L0523 超昇 原語:超升 本書では善趣への上昇を広く含む語。「成仏」と一律に置き換えません。 該当箇所:ZH-L0548 済度/救い上げる 原語:超度/超拔 当該段落の救い導く意味に応じて訳します。新たな儀礼手順や必ず成功するという条件は補いません。 該当箇所:ZH-L1097・ZH-L1129 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093・ZH-L0066・ZH-L0067 劫/転劫 原語:劫/转劫 長い時間をいう箇所と、付録独自の刑罰・転生の説明を区別します。固定年数へ換算しません。 該当箇所:ZH-L0947・ZH-L1434 暇満の人身 原語:暇满人身 本書で修行のために大切にすべき人の身として説かれる語。 該当箇所:ZH-L0058 飛精 原語:飞精 原文の名称を保留した語。本書が説明しない仕組みは追加しません。 該当箇所:ZH-L0172 啓霊 原語:启灵 本段落では定義のない語。招魂・自動書記などと断定しません。 該当箇所:ZH-L0347 誅心 原語:诛心 書中の刑・地獄の名称。語だけから具体的な身体処置を付け加えません。 該当箇所:ZH-L0324・ZH-L0511・ZH-L1434 電氷針 原語:电冰针 本書の刑具名。材質・電気的な機序は推測で補いません。 該当箇所:ZH-L0329 玻璃宝 原語:玻璃宝 本書で鏡面の作用を持つものとして語られる名称。現代の特定素材と同定しません。 該当箇所:ZH-L0858・ZH-L0865 醧忘台 原語:醧忘台 本書の場所の固有名。罕字を保存し、裏付けのない読み仮名は指定しません。 該当箇所:ZH-L0996・ZH-L1015 孟婆湯 原語:孟婆汤 本書の孟婆に関わる湯の名称。現実の処方として扱いません。 該当箇所:ZH-L0999・ZH-L1015 地肥 原語:地肥 本書の叙述に従う名称。本文の形や香りの説明を、他の説で置き換えません。 該当箇所:ZH-L1003 涼茶 原語:凉茶 本書に出る飲み物と店の呼称。薬効や配合の情報を訳者が加えてはいません。 該当箇所:ZH-L1020 冤親債主 原語:冤亲债主 書中の因縁関係を帯びた呼称。現実の金銭債権者だけを意味する語にはしません。 該当箇所:ZH-L1159 真の妄語/仮の妄語 原語:真妄语/假妄语 本書自身が発心や利害で分ける分類。普遍的な法的・宗教的分類の認定ではありません。 該当箇所:ZH-L1174 方便の妄語 原語:方便妄语 前章の懺悔説明と後章の参照で同じ訳形を用います。自動的に無過失の嘘としません。 該当箇所:ZH-L1175・ZH-L1229 両舌/悪口/綺語 原語:两舌/恶口/绮语 本書で別々に扱う言葉の行為。対応する各章の区別を保ちます。 該当箇所:ZH-L1200・ZH-L1221・ZH-L1250 慢心 原語:我慢 本書の驕慢の意味。日常日本語の「我慢する」という忍耐の意味にしません。 該当箇所:ZH-L1342 福徳正神/福徳正鬼 原語:福德正神/福德正鬼 本書が別々に説明する神と鬼。近い字形だけで同じ存在にまとめません。 該当箇所:ZH-L1140・ZH-L1148 孽鏡台 原語:孽镜台 行為を映し出す場所・鏡の本書の名称。 該当箇所:ZH-L0129・ZH-L0865 歯車狼蛇地獄 原語:齿轮狼蛇地狱 目次・章見出し・後続参照で同じ固有名を用います。 該当箇所:ZH-L0293・ZH-L0432 五穀豊穣地獄 原語:五谷丰收地狱 食べ物を無駄にすることを扱う章の固有名。原名の豊穣という表現を残します。 該当箇所:ZH-L1033・ZH-L1043 寒氷抜舌砕身地獄 原語:寒冰拔舌碎身地狱 寒氷・抜舌・砕身の三部分を保つ固有名。 該当箇所:ZH-L1183 左右奔騰地獄 原語:左右奔腾地狱 ZH-L1232に出る固有名。左右方向も原文どおりです。 該当箇所:ZH-L1232 黒針刺舌封口地獄 原語:黑针刺舌封嘴地狱 同じ段落に出る固有名。「嘴」を名称中で「口」としています。 該当箇所:ZH-L1232 孤魂独釣剣海魚地獄 原語:孤魂独钓剑海鱼地狱 釣りの章の固有名。原名の構成を残します。 該当箇所:ZH-L1300 胎裡素 原語:胎里素 本書で母親の菜食と胎内の成長に結び付けられる呼称。医学的認定を表すものではありません。 該当箇所:ZH-L1090 巴戟 原語:巴戟 原文に出る薬材の名称。学名・用量・効能の情報は追加しません。 該当箇所:ZH-L1131 三代 原語:三世〔付録該当箇所〕 ZH-L1452の原注が三代の人々と明示するため、この箇所に限って三代と訳します。別の経句の三世は置き換えません。 該当箇所:ZH-L1451・ZH-L1452 女色の世界 原語:色界〔付録該当箇所〕 ZH-L1630の原注に従った、この箇所だけの訳。三界の色界という意味を押し付けません。 該当箇所:ZH-L1629・ZH-L1630 生きるすべのなさ 原語:无聊〔付録該当箇所〕 不聊生という原注の説明に従います。現代語の退屈という意味にしません。 該当箇所:ZH-L1716 身に帯びる 原語:佩服〔付録該当箇所〕 携帯するという原注の説明に従います。感服するという意味にしません。 該当箇所:ZH-L1728 章別の審校注記 V1_AFTERWORDS 編者注:信仰の主張と健康を区別するために この二篇の跋は道嵐の文章です。災害・病気・生育上の困難を道徳や業と結び付ける説明は、その信仰上の主張であり、医学的な診断や因果の証明ではありません。不妊には男女双方の生殖器系の要因があり、原因不明の場合もあります。病気や不妊を本人の罪の証拠としたり、必要な診療を控えさせたりしないでください。WHO:不妊 第764項の自慰に関する叙述も医学的な結論ではありません。自慰それ自体を不妊や身体の破壊の証拠とすることはできません。生活への支障や本人の不安があれば、医療者に相談してください。ビクトリア州保健省:健康情報 引用について 第762項は『印光大師護国息災法語』の関連箇所を節引しています。参照した原資料には省かれた文があり、「済人利物」と本書の「済物利人」には順序の違いがあります。本書の引文をより長い原資料に置き換えてはいません。 第764項の印光大師への引用は、『不可録重刻序』の冒頭に近い文言があります。ただし、そこで「千万億劫、不能出離」までを同じ連続した引用として確認できたわけではありません。本書の帰属と文言を保ち、この留保を記しています。 「千万億劫」は仏教文献の極めて長い時間を表す大数表現として読み、現実の年数へ換算していません。 既存の注 章別の審校注記 V1_C01 訳注 この章で用いる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087・ZH-L1434(全書の参照位置) 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 冥君閻王 原語:冥君阎王 本書が最高統帥として区別する呼称。各殿の閻王や案内役の判官と混同しません。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L0879(全書の参照位置)・ZH-L1115(全書の参照位置) 酆都大帝 原語:丰都/酆都大帝 本書の統一表記。時代による地位の移動は、個々の叙述に従います。 該当箇所:ZH-L0101(全書の参照位置)・ZH-L0308(全書の参照位置)・ZH-L1115(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 平民の女 原語:民女 阿玉が官の前で用いるへりくだった自称。「娘」として年齢や親子関係を限定しません。 該当箇所:ZH-L0112(全書の参照位置)・ZH-L0930(全書の参照位置)・ZH-L1378(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073・ZH-L0305(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073・ZH-L0403(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074・ZH-L0523(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C02 訳注 この章で用いる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 冥君閻王 原語:冥君阎王 本書が最高統帥として区別する呼称。各殿の閻王や案内役の判官と混同しません。 該当箇所:ZH-L0106・ZH-L0879(全書の参照位置)・ZH-L1115(全書の参照位置) 酆都大帝 原語:丰都/酆都大帝 本書の統一表記。時代による地位の移動は、個々の叙述に従います。 該当箇所:ZH-L0101・ZH-L0308(全書の参照位置)・ZH-L1115(全書の参照位置) 十二殿の閻王 原語:十二殿阎王 十二の殿を統轄する王たち。冥君閻王と同じ職位として扱いません。 該当箇所:ZH-L0106 閻王/閻羅王 原語:阎王/阎罗王 原文の呼称の違いを保ちます。「閻魔王」という別形は本版で統一しました。 該当箇所:ZH-L0128(全書の参照位置)・ZH-L0480(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 平民の女 原語:民女 阿玉が官の前で用いるへりくだった自称。「娘」として年齢や親子関係を限定しません。 該当箇所:ZH-L0112・ZH-L0930(全書の参照位置)・ZH-L1378(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 超昇 原語:超升 本書では善趣への上昇を広く含む語。「成仏」と一律に置き換えません。 該当箇所:ZH-L0548(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 劫/転劫 原語:劫/转劫 長い時間をいう箇所と、付録独自の刑罰・転生の説明を区別します。固定年数へ換算しません。 該当箇所:ZH-L0947(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C03 訳注 関連する既存編集注 以下は第4章に付された編集注の再掲です。本章を単独で読む場合にも参照先が分かるよう、「この段落」を元の位置番号に置き換えています。 罰の期間 ZH-L0146は一週間、先のZH-L0134は一か月としています。適用条件が同じかどうかは明示されていないため、それぞれの数を原文どおりに残しました。(第4章 ZH-L0146 の既存編集注) この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 閻王/閻羅王 原語:阎王/阎罗王 原文の呼称の違いを保ちます。「閻魔王」という別形は本版で統一しました。 該当箇所:ZH-L0128・ZH-L0480(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 鬼卒 原語:鬼差/鬼卒 案内・執行などを担う書中の役。判官や一般の官員とは区別します。 該当箇所:ZH-L0127・ZH-L0129・ZH-L0130 倶生神 原語:俱生神 本書で善悪の記録を担うものとして語られる神。日文字形を統一しています。 該当箇所:ZH-L0132・ZH-L1043(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 孽鏡台 原語:孽镜台 行為を映し出す場所・鏡の本書の名称。 該当箇所:ZH-L0129・ZH-L0865(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C04 訳注・既存編集注 独立章の補足 非時・非地・非器は、本書で性行為をしてはならない時・場所・身体の部位をそれぞれ指します。詳しい説明は第3章の ZH-L0131 にあります。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 鬼卒 原語:鬼差/鬼卒 案内・執行などを担う書中の役。判官や一般の官員とは区別します。 該当箇所:ZH-L0127(全書の参照位置)・ZH-L0129(全書の参照位置)・ZH-L0130(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C05 訳注・既存編集注 独立章の補足 「非地」は、本書で性行為をしてはならない場所を指す語です。詳しい説明は第3章の ZH-L0131 にあります。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 閻王/閻羅王 原語:阎王/阎罗王 原文の呼称の違いを保ちます。「閻魔王」という別形は本版で統一しました。 該当箇所:ZH-L0128(全書の参照位置)・ZH-L0480(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173・ZH-L0283(全書の参照位置) 本官/本王 原語:本官/本王 それぞれ官、王の自称。現在の話者に応じて使い分けます。 該当箇所:ZH-L0173・ZH-L0271(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 飛精 原語:飞精 原文の名称を保留した語。本書が説明しない仕組みは追加しません。 該当箇所:ZH-L0172 章別の審校注記 V1_C06 編集注 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 本官/本王 原語:本官/本王 それぞれ官、王の自称。現在の話者に応じて使い分けます。 該当箇所:ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0271(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C07 編集注 独立章の補足 「非時・非地・非器」は、本書が夫婦の性行為についても定める、時・場所・身体の部位に関する制限を表す語です。詳しい説明は第3章の ZH-L0131 にあります。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 鬼卒 原語:鬼差/鬼卒 案内・執行などを担う書中の役。判官や一般の官員とは区別します。 該当箇所:ZH-L0127(全書の参照位置)・ZH-L0129(全書の参照位置)・ZH-L0130(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 方便の妄語 原語:方便妄语 全書の ZH-L1175 にある説明と ZH-L1229 の参照箇所で同じ訳形を用います。自動的に無過失の嘘としません。 該当箇所:ZH-L1175(全書の参照位置)・ZH-L1229(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C08 編集注 独立章の補足 「非時・非地・非器」は、本書が夫婦の性行為についても定める、時・場所・身体の部位に関する制限を表す語です。詳しい説明は第3章の ZH-L0131 にあります。 ZH-L0229 の「色という字の頭には一本の刀がある」は、「色」の字の上部を刀に見立て、色欲の危うさを戒める中国の言い回しです。字の成り立ちを説明するものではありません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 鬼卒 原語:鬼差/鬼卒 案内・執行などを担う書中の役。判官や一般の官員とは区別します。 該当箇所:ZH-L0127(全書の参照位置)・ZH-L0129(全書の参照位置)・ZH-L0130(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C09 編集注 関連する既存の注 ZH-L0253 の「元神」に関わる説明として、全書 ZH-L0196 の訳注を再掲します。この注の「元気」は第9章本文の語ではありません。 訳注:「元神」は精神・霊魂に関わる語、「元気」は人の生命力に関わる語として、ここでは原語を残しています。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 本官/本王 原語:本官/本王 それぞれ官、王の自称。現在の話者に応じて使い分けます。 該当箇所:ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0271(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C10 編集注 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 冥君閻王 原語:冥君阎王 本書が最高統帥として区別する呼称。各殿の閻王や案内役の判官と混同しません。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L0879(全書の参照位置)・ZH-L1115(全書の参照位置) 閻王/閻羅王 原語:阎王/阎罗王 原文の呼称の違いを保ちます。「閻魔王」という別形は本版で統一しました。 該当箇所:ZH-L0128(全書の参照位置)・ZH-L0480(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 鬼卒 原語:鬼差/鬼卒 案内・執行などを担う書中の役。判官や一般の官員とは区別します。 該当箇所:ZH-L0127(全書の参照位置)・ZH-L0129(全書の参照位置)・ZH-L0130(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 本官/本王 原語:本官/本王 それぞれ官、王の自称。現在の話者に応じて使い分けます。 該当箇所:ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0271 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 該当箇所:ZH-L0093(全書の参照位置)・ZH-L0066(全書の参照位置)・ZH-L0067(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C11 編集注 関連する全書の既存注 第6章 ZH-L0196 にある元気の説明を参考として再掲します。元神という語を本章の本文に加えたものではありません。100 第10章 ZH-L0262 の訳注から、三魂の理解に関わる二文を抜粋します。101 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、当該箇所を本章に補ったことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 冥君閻王 原語:冥君阎王 本書が最高統帥として区別する呼称。各殿の閻王や案内役の判官と混同しません。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L0879(全書の参照位置)・ZH-L1115(全書の参照位置) 閻王/閻羅王 原語:阎王/阎罗王 原文の呼称の違いを保ちます。「閻魔王」という別形は本版で統一しました。 該当箇所:ZH-L0128(全書の参照位置)・ZH-L0480(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283 鬼卒 原語:鬼差/鬼卒 案内・執行などを担う書中の役。判官や一般の官員とは区別します。 該当箇所:ZH-L0127(全書の参照位置)・ZH-L0129(全書の参照位置)・ZH-L0130(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305(全書の参照位置) 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C12 訳注 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 該当箇所:ZH-L0087(全書の参照位置)・ZH-L1434(全書の参照位置) 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 該当箇所:ZH-L0106(全書の参照位置)・ZH-L1365(全書の参照位置)・ZH-L1524(全書の参照位置) 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 該当箇所:ZH-L0076(全書の参照位置)・ZH-L0173(全書の参照位置)・ZH-L0283(全書の参照位置) 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 該当箇所:ZH-L0068(全書の参照位置)・ZH-L1373(全書の参照位置)・ZH-L1806(全書の参照位置) 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 該当箇所:ZH-L0073(全書の参照位置)・ZH-L0403(全書の参照位置) 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 該当箇所:ZH-L0074(全書の参照位置)・ZH-L0523(全書の参照位置) 歯車狼蛇地獄 原語:齿轮狼蛇地狱 目次・章見出し・後続参照で同じ固有名を用います。 該当箇所:ZH-L0293・ZH-L0432(全書の参照位置) 章別の審校注記 V1_C13 訳注 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から、本章に関わる項目を再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 全書の参照位置:ZH-L0087・ZH-L1434 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 冥君閻王 原語:冥君阎王 本書が最高統帥として区別する呼称。各殿の閻王や案内役の判官と混同しません。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L0879・ZH-L1115 酆都大帝 原語:丰都/酆都大帝 本書の統一表記。時代による地位の移動は、個々の叙述に従います。 全書の参照位置:ZH-L0101・ZH-L0308・ZH-L1115 閻王/閻羅王 原語:阎王/阎罗王 原文の呼称の違いを保ちます。「閻魔王」という別形は本版で統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0128・ZH-L0480 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 平民の女 原語:民女 阿玉が官の前で用いるへりくだった自称。「娘」として年齢や親子関係を限定しません。 全書の参照位置:ZH-L0112・ZH-L0930・ZH-L1378 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 全書の参照位置:ZH-L0093・ZH-L0066・ZH-L0067 誅心 原語:诛心 書中の刑・地獄の名称。語だけから具体的な身体処置を付け加えません。 全書の参照位置:ZH-L0324・ZH-L0511・ZH-L1434 章別の審校注記 V1_C14 訳注 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 全書の参照位置:ZH-L0093・ZH-L0066・ZH-L0067 電氷針 原語:电冰针 本書の刑具名。材質・電気的な機序は推測で補いません。 全書の参照位置:ZH-L0329 章別の審校注記 V1_C15 訳注 独立章の補足 文化説明:「扶乩」(ふけい)は、砂盤の上で木製の筆具を動かして文字を記し、それを神の託宣と受け取る中国の民間習俗です。(全書の ZH-L0062 の訳注を再掲。) 文化説明:「清潤湯」は、この場面で店主が売っているスープの名です。具体的な材料や作り方は原文に示されていません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 黒無常/白無常 原語:黑白无常 本書で二人の人物を指す呼称。抽象的な無常の教えとは区別します。 全書の参照位置:ZH-L1176 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 超昇 原語:超升 本書では、浄土・天界・人間界のいずれかへ移ることを含む語です。「成仏」と一律に置き換えません。 全書の参照位置:ZH-L0548 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 全書の参照位置:ZH-L0093・ZH-L0066・ZH-L0067 啓霊 原語:启灵 本段落では定義のない語。招魂・自動書記などと断定しません。 全書の参照位置:ZH-L0347 章別の審校注記 V1_C16 訳注 独立章の補足 訳注:「三悪道(さんあくどう)」は、地獄・餓鬼・畜生の三つの世界を指す仏教語です。(全書の ZH-L0085 の訳注を再掲。) 訳注:純陽(じゅんよう)は、陰陽の考え方で純粋な陽の気を表す語です。ここでは、原著が子供の身体に用いた表現を残しています。(全書の ZH-L0227 の訳注を再掲。) 文化説明:「扶乩」(ふけい)は、砂盤の上で木製の筆具を動かして文字を記し、それを神の託宣と受け取る中国の民間習俗です。(全書の ZH-L0062 の訳注を再掲。) 訳注:「神識」は、本書で魂に関わる精神・意識を表す語です。「五戒」は殺生・盗み・邪淫・うそ・飲酒を避ける五つの戒めです。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 陰律 原語:阴律 本書で述べられる冥府の規律・報いの体系。現行法の意味ではありません。 全書の参照位置:ZH-L0087・ZH-L1434 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 全書の参照位置:ZH-L0093・ZH-L0066・ZH-L0067 章別の審校注記 V1_C17 編者注:健康情報について(ZH-L0411・0414) 本章の病気の因果説明は原著の叙述であり、個別の診断ではありません。合併症のない人工妊娠中絶は、通常、その後に妊娠できる可能性を低下させません。一方、治療されない子宮の感染症などの合併症は、将来の妊娠に影響することがあります。発熱、強い痛み、異常な出血や分泌物などがあれば、速やかに医療機関へ相談してください。[NHS:回復、NHS:合併症] NHS は、中絶を受けた人の精神的な健康問題のリスクが、妊娠を継続した人より高いとはしていません。不妊や心身の症状を、その人の道徳的な過ちの証拠としたり、強要や搾取を受けた人を責める理由としたりしないでください。症状には医療的な評価と支援が必要です。[NHS 111 Wales:Abortion] 訳注 独立章の補足 訳注:「劫(こう)」は、仏教で非常に長い時間を表す語です。ここでは一定の年数に換算していません。 訳注:「三昧(さんまい)」は、心を一つの対象に集中させ、散乱を静めた状態をいいます。 訳注:「六道(ろくどう)」は、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天という、輪廻する六つの世界のことです。(全書の ZH-L0113 の訳注から、本章に必要な説明を再掲。) この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C18 編者注:急な意識の混乱について(ZH-L0432) 本文の頭痛や意識の混乱を霊の働きと結びつける説明は、医学的診断ではありません。NHS は、突然の意識の混乱にはさまざまな原因があり、命に関わる場合もあるため、直ちに医療を受ける必要があるとしています。急に混乱して、はっきり考えたり話したりできない、今いる場所が分からないなどの症状が現れたら、すぐに救急医療を受けるか、現地の救急サービスへ連絡してください。念誦や改過を待って、医学的な評価を遅らせないでください。[NHS:Sudden confusion] 訳注 独立章の補足 訳注:「末法(まっぽう)」は、仏の教えが残っていても、その実践や悟りが衰えた時代とする仏教の考え方です。ここでは、その始まりを特定の西暦年に定めません。 文化説明:孔雀明王(くじゃくみょうおう)は、災いを除く祈りの対象として信仰される仏教の尊格です。この説明は、祈りの効果を実証するものではありません。 訳注:「生魂」は、この書物では、まだ生きている人の魂を指します。本文では死後に地獄へ入る場合と区別されています。 訳注:ここでいう「禅定」は、心を集中させて散乱を静める修行や状態を指します。 この章に関わる語 全書の既存の用語説明から再掲します。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 倶生神 原語:俱生神 本書で善悪の記録を担うものとして語られる神。日文字形を統一しています。 全書の参照位置:ZH-L0132・ZH-L1043 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 福報/福徳/功徳 原語:福报/福德/功德 福報は幸いな報いを表します。福徳には善い行いや幸い、功徳には善い行い・すぐれた性質や働き・利益などの意味があります。意味には重なりがありますが、原文が用いる語の区別を保ち、一つの一般語にまとめません。 全書の参照位置:ZH-L0093・ZH-L0066・ZH-L0067 章別の審校注記 V1_C19 編者注:健康に関する説明と物品の処分について(ZH-L0445–0448) 本文が元陽の損失を病気や早死にと結びつける説明は、原著の宗教的な説明であり、医学的な因果関係が確認されたことを意味しません。自慰をしたという理由だけで、早死にや不妊になると判断することはできません。ビクトリア州政府の Better Health Channel は、不妊などを自慰の結果とする考えを誤解として挙げています。症状や健康上の心配がある場合、また生活に支障がある場合は、医療専門職に相談してください。[Better Health Channel:Masturbation] ZH-L0448 の物品の破棄を勧める発言は、作中人物の主張です。他人の所有物を損壊したり、違法な処分や安全でない焼却を行ったりすることを許可するものではありません。 訳注 独立章の補足 訳注:「元陽(げんよう)」は、本章では人が生まれながらに備える、純粋で光明を持つ陽の性質として説明されています。現代医学の特定の物質や測定値には置き換えていません。 訳注:「純陽(じゅんよう)」は、陰陽の考え方で純粋な陽の気を表す語です。本章でも原著の身体に関する表現を保っています。(全書の ZH-L0227 の訳注を本章に合わせて再掲。) この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C20 編集上の医学的補足 以下は原著の発言ではなく、本文とは区別した編集者の説明です。本文の病気や流産の原因、霊の作用に関する叙述は医学的診断ではありません。「90パーセント」も、本版で検証した臨床統計ではありません。 緊急避妊薬は排卵を防ぐか遅らせることで妊娠を防ぎ、すでに成立した妊娠を中断する薬ではありません。したがって、第471項の緊急避妊薬についての説明は、現代医学の作用機序と一致しません。WHO の説明 流産は原因が分からないこともあり、妊娠の発育上の問題によって起こることが多くあります。胞状奇胎は偶然に起こり、父母のどちらかが何か悪いことをしたために起こるものではありません。治療後も医療機関での経過観察が必要です。流産や病気を道徳上の過ちの証拠にしたり、当事者を責めたりしてはなりません。妊娠中の出血や異常な症状は医療機関に相談し、出血に強い腹痛や失神を伴うとき、または大量出血があるときは直ちに救急医療を受けてください。宗教的実践は診療の代わりにはなりません。NHS:流産・NHS:胞状奇胎 訳注 独立章の補足 訳注:「嬰霊(えいれい)」は、本書では生まれる前に亡くなった子どもの霊を指す語です。医学用語ではありません。 訳注:「陰徳」は人知れず行う善行を指し、本章では第460項に三つの例が示されています。「不浄観」は、身体を美しいものとして執着する心を離れるために、その不浄な面を観察する仏教の修行です。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C21 編集上の医学的補足 以下は本文とは別の編集者の説明です。嬰霊の記憶や苦痛の語り、身体の病気と霊を結びつける説明は、臨床記録や医学的診断ではありません。本文の処置の描写を、実際の医療の標準的な手順として受け取らないでください。 胎児の動きや反射と、主観的な痛みの知覚は区別する必要があります。英国王立産婦人科医協会(RCOG)の2022年の証拠レビューは、妊娠28週未満で痛みを知覚する可能性は低いとしています。これは、受胎直後から人と同様に痛みを感じるという第491項の説明を裏付けるものではありません。また、本書の「6か月余り」から正確な妊娠週数や個別の医療状況を推定することはできません。RCOG の証拠レビュー NHS は、人工妊娠中絶は一般に安全性が高い一方、ほかの医療と同様に感染や大量出血などの合併症の危険があると説明しています。持続する痛みや体調の異常は医療機関に相談し、中絶後に大量出血があるときは直ちに救急医療を受けてください。症状を霊の報復や本人の道徳上の過ちの証拠とせず、宗教的実践で診療を置き換えないことが大切です。NHS:中絶の合併症 独立章の補足 訳注:「嬰霊(えいれい)」は、本書では生まれる前に亡くなった子どもの霊を指す語で、医学用語ではありません。 訳注:「令牌(れいはい)」は、本章では閻王が与える許可のしるしです。黄色い令牌の働きは、書中の宗教的な物語として語られています。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C22 編者注:研究の引用と健康情報 第504項の「半年以内の自殺が10倍」という数値について、本版では原研究のデータを入手できず、検証できていません。関連する二次引用として、2002年の米国裁判所判決中の Coffey 判事の同意意見、脚注6には「自殺を試みる」ことへの言及があります。これは自殺による死亡率とは区別され、また判決中の引用自体が医学的な因果関係の証明になるわけではありません。判決文(印刷34ページ、脚注6) 米国科学・工学・医学アカデミーの2018年のレビューは、研究の質や中絶前の健康状態などの影響を検討したうえで、中絶によってうつ病、不安障害、PTSD のリスクが増加するとは結論していません。一方、自殺を含む長期の死亡との関係については、背景要因の調整が不十分な研究から明確な結論を出せないとしています。個人の苦痛を軽視したり、心身の不調を道徳的な過ちの証拠としたりすべきではありません。同レビュー第4章 第511~513項の病気と業の関係、薬では治らないという説明は、原著の宗教的叙述であり、医学的な診断や治療方針ではありません。症状があるときは医療機関に相談し、この記述を理由に治療や処方薬を自己判断で中止したり、宗教的実践で診療を置き換えたりしないでください。中絶後の大量出血は直ちに救急医療を受ける必要があります。NHS:中絶の合併症 第503項の寺院数や台湾の過去の件数も、本版で実数を検証した統計ではありません。原著にある「推計」と対象年を保ち、現在の統計としては扱っていません。 独立章の補足 訳注:「波羅夷罪(はらいざい)」は、仏教の戒律で最も重い違反を表す語です。ここでは『梵網経』の菩薩戒の文脈で用いられており、現実の刑法上の罪名ではありません。 訳注:「嬰霊(えいれい)」は本書で生まれる前に亡くなった子どもの霊を指す語です。「霊障」は霊による障りとされることを指し、いずれも医学的な診断名ではありません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C23 編者注:健康と気持ちについて 第525・529項にある流産や病気を過去世の業や霊に結びつける説明は、原著の宗教的叙述であり、医学的な原因の証明ではありません。NHS は、流産の原因は分からないこともあり、妊娠の発育上の問題によることが多いと説明しています。流産や体調不良を、本人の道徳的な過ちの証拠とするべきではありません。第527項の説明から、すべての女性が自由に最終決定できたと決めつけたり、強要された人を責めたりするべきでもありません。NHS:流産 第529項の胸の痛みなどを、懺悔の過程として我慢してはいけません。突然の胸の痛みが続く、腕・首・顎などに痛みが広がる、胸痛に息苦しさや冷や汗などを伴う場合は、すぐに現地の救急サービスへ連絡してください。中絶後の痛みや出血が数日たってもよくならない場合や、発熱など感染の徴候がある場合は、速やかに医療を受けてください。宗教的実践を理由に受診を遅らせたり、治療を自己判断で中止したりしないでください。NHS:胸痛、NHS:中絶後の回復 第528項の胎児の大きさと苦痛の説明は、臨床的な痛覚の評価ではありません。RCOG の2022年のレビューは、妊娠28週より前の痛みの知覚を起こりにくいものとしています。胎動や反射と、痛みを主観的に感じることは区別が必要です。RCOG のレビュー 第530項の「誰もが罪悪感を持ち、感じない人はそれが隠されている」という説明は、医学的な判定ではありません。中絶後の気持ちはさまざまであり、本人が語る感情を否定して、隠れた罪悪感があると決めつけるべきではありません。つらい気持ちがある場合は支援を求めてかまいません。NHS:中絶に関する支援 独立章の補足 訳注:「定業(じょうごう)」は、ここでは過去の行為によって定まった業の報いを指します。本文の「変えられない」は、この場面での判官の説明として保っています。 訳注:「他心通(たしんつう)」は、仏教で他人の心を知るとされる神通を指す語です。本章で嬰霊にその力があるとするのは、原著の宗教的説明です。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C24 編者注:宗教的な説明と健康について 第546・548項などの病気や災難を嬰霊や功徳と結びつける説明は、原著の宗教的叙述であり、医学的な診断や治療効果の証明ではありません。読経の回数や功徳の配分は、医療の基準ではありません。症状がある場合は医療専門職に相談し、宗教的な実践で診療を置き換えたり、治療を自己判断で中止したりしないでください。中絶後の痛みや出血が数日たってもよくならない場合や、発熱など感染の徴候がある場合は、速やかに受診してください。NHS:中絶後の回復 独立章の補足 訳注:第546項の短い誓願句は、ここでは本書の表現を保っています。照合した『地蔵菩薩本願経』(大正蔵 T0412)には、苦しむ六道の衆生を解脱させてから自ら成仏するという趣旨の誓願がありますが、この短句そのままの文言は確認できませんでした。また、読経49回と49日という本章の事例を、同経の一律の保証とみなしてはいません。 訳注:「九品(くほん)」は、浄土への往生に関する九つの階位を表す語です。その詳しい解釈には違いがあり、ここでは本章の九品の蓮華という表現を保っています。 訳注:「触食(そくじき)」は、この段落では、供物の精華を吸い取って生を保つという本書の説明に沿って読んでいます。現実の乳児の栄養方法を示すものではありません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C25 編者注:歴史的な規範と医学的な概念の区別 本章の貞潔、霊性の光明、寿命に関する説明や、女身から男身への転生を善い報いとする説明は、原著と登場人物の価値観を保ったものです。編集者が性別の優劣を認めたり、婚姻歴や性的経験によって人の価値を判断したりするものではありません。寿命や病気についての医学的な証明でもありません。WHO は、「処女性」は医学的・科学的な用語ではなく、社会的・文化的・宗教的な概念であると説明しています。本章の「童貞」「童子身」も、身体検査で判定できる医学的な状態として扱ってはいません。WHO の説明 訳注 独立章の補足 文化説明:「四徳」は、中国の歴史的な女性規範における、徳行、言葉遣い、身なりや振る舞い、仕事の技能に関する四つの項目です。仕事には紡織や裁縫などが含まれます。本章の婦徳・婦言・婦功・婦容という順序は原著どおりであり、現代の女性一般に課す規範としての説明ではありません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C26 編者注:落雷の安全について 本章の雷神による懲罰という説明は、原著の宗教的叙述です。落雷の被害は、その人の過失や性行動の証拠ではありません。雷は周囲の人にも危険を及ぼし、地面や配線などを通じて被害を生じさせることもあります。米国国立気象局:落雷の経路 雷鳴が聞こえたら、すぐに頑丈な建物の中か、窓を閉めた金属製屋根のある密閉型車両へ避難し、最後の雷鳴から少なくとも30分は安全な場所にとどまってください。孤立した木の下は安全な避難場所ではありません。米国国立気象局:安全対策 落雷の負傷者が電気を帯び続けることはありません。救助者自身も雷から身を守りつつ、すぐに現地の救急サービスへ連絡し、その指示に従ってください。宗教的な判断を優先して救護を遅らせてはいけません。米国国立気象局:負傷者の救護 独立章の補足 文化説明:「仁・義・礼・智・信」は、伝統的な中国の倫理で「五常」と呼ばれる五つの徳目です。本文では五つの項目をそれぞれ保っています。 訳注:「雷神」は、この章では冥府の命令を受ける天界の神として描かれます。この役割の説明は、本書の物語の設定に基づくものです。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C27 編者注:性的指向と健康について 本章の同性愛に対する評価や、前世・地獄の刑罰による説明は原著と登場人物の宗教的主張であり、編集者が支持するものではありません。同性愛は病気ではなく、性的指向とジェンダー・アイデンティティは別の概念です。一方から他方を推定することはできません。WHOは1990年に同性愛を疾病分類の診断項目から除外しました。また、性的指向などを変えようとする、いわゆる「転向療法」は科学的根拠を欠き、有害なものとされています。WHO『性的・ジェンダーの多様性、健康と人権に関するFAQ』第2版、2–3・9頁 本文は、現実の人への差別、暴力や、性的指向を変えるよう強制することを正当化しません。「真気」「正気」が思念によって損なわれるという説明も、本書の宗教的な説明であり、医学的診断として用いることはできません。 既存の注 独立章の補足 引用説明:ZH-L0585の『華厳経』の引用は、CBETAの八十巻本(T10n0279)にある「十種清浄慈」「十種清浄悲」「十種仏業」の複数箇所からの抜粋を組み合わせたものです。経典中の一続きの文章ではありません。本文では本書の抜粋順を保っています。 訳注:「BLX」は原著にある表記のままです。この略記だけから実在の人物を特定することはしません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C28 編者注:体温や病気の説明について 第616項の体温の低下や第624項の病気の原因に関する説明は、語り手の体験や登場人物の宗教的解釈です。病気や子供の有無を、その人の道徳的な過失や前世の行為の証拠とみなすことはできません。症状がある場合は医療機関に相談し、宗教的な判断によって受診を遅らせないでください。 実際に低体温症が疑われる場合は救急医療が必要です。体温が35℃未満に低下する低体温症は危険な状態で、震え、ろれつが回らない、呼吸が遅い、意識の混乱などが見られることがあります。現地の救急サービスに連絡し、その指示に従ってください。この説明は、本文の語り手を低体温症と診断するものではありません。NHS:低体温症 独立章の補足 文化説明:「五戒(ごかい)」は、殺生、盗み、邪淫、妄語、飲酒を慎む五つの基本的な戒めを指します。本文の個々の善悪判断を、仏教全体の一律の見解として追加認定するものではありません。 訳注:第607項の短い誓願句は、本書の表現を保っています。照合した『地蔵菩薩本願経』(大正蔵 T0412)には、苦しむ六道の衆生を解脱させてから自ら成仏するという趣旨の誓願がありますが、この短句そのままの文言は確認できませんでした。 訳注:「冥光初転」は、本書に登場する冥府の法会堂の固有名です。現実の寺院の所在地を示すものではありません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 孟婆湯 原語:孟婆汤 本書の孟婆に関わる湯の名称。現実の処方として扱いません。 全書の参照位置:ZH-L0999・ZH-L1015 章別の審校注記 V1_C29 編者注:健康と暴力について 睡眠中の妨害や身体の苦痛を非人・魔障などに結びつける説明、および宝珠や神呪による苦痛の軽減は、本書の宗教的叙述です。医学的な原因の証明や治療効果の認定ではありません。眠れない状態が長く続く、または日常生活に支障を来す場合は医療機関に相談し、読誦や修行を理由に受診を遅らせないでください。NHS:不眠 本章の虐待の叙述は、暴力の方法を勧めるものではありません。家族の和や孝行のために暴力を隠し、耐え続ける義務はなく、被害は被害者の責任ではありません。安全な方法で信頼できる人や専門の支援機関に相談できます。差し迫った危険がある場合は現地の救急・警察などの緊急サービスに助けを求めてください。NHS:家庭内暴力への支援 第653項の女性としての再生や離婚についての説明も登場人物の宗教的主張であり、女性であることや離婚したことから、現実の人の過失や価値を判断する根拠にはなりません。 既存の注 独立章の補足 訳注:この章の「南方三聖」は、地蔵菩薩、道明法師、閔公の三者を指しています。左右の位置は第642項の叙述に従っています。 文化説明:「五戒」は殺生・盗み・邪淫・妄語・飲酒を慎む五つの戒めです。「十善」は、身体の行い・言葉・心に関わる十の善行を指し、殺生、盗み、邪淫、妄語、両舌、悪口、綺語、貪欲、瞋恚、邪見を離れることとして説明されます。 訳注:第652項では、息子の善行と回向だけでなく、男の霊自身の真摯な懺悔も救済の理由として述べられています。一律の儀礼的な保証へと読み替えていません。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C30 編者注:本章の主張の位置づけ 『玉暦宝鈔』の成立・伝承、冥府の制度や増築、および「五百人の中に一人もいない」という説明は、この章の判官の発言として保っています。これらを、編集者が独立に確認した歴史的事実、地理的事実、または実測の人口統計として提示しているわけではありません。二書の真実性についての評価も、原著の立場を述べたものです。 独立章の補足 訳注:「玉暦」は、この章では書名『玉暦宝鈔』の略称です。淡痴と勿迷は、原著の伝承説明に登場する師弟の名前として保っています。 訳注:本章では、最高統領一人と、その下で各殿を管轄する閻王を区別しています。十人に二人を加えた十二人という数は、後者についての説明です。 文化説明:「十悪」は、殺生、盗み、邪淫、妄語、両舌、悪口、綺語、貪欲、瞋恚、邪見を指す仏教語です。前章の「十善」と対になる概念です。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C31 編者注:宗教的叙述と健康について 第703項の自慰による身体・生命への害という説明は、登場人物の宗教的主張です。この叙述を医学的な因果関係の証明として用いることはできません。自慰それ自体から早死にや不妊を判断することはできず、不妊などを自慰のせいにする説明は医学情報で否定されています。痛み、症状、生活への支障や不安がある場合は医療の専門家に相談してください。ビクトリア州保健省:自慰に関する健康情報 本章の「負の磁場」「元気」や、宝珠・陀羅尼による変化は、本書の宗教的な体験の記述です。現実の物理測定や医学的診断、治療効果の確認ではありません。現実の身体症状への医療を、読誦や宗教的判断で置き換えるものでもありません。 既存の注 独立章の補足 文化説明:「阿鼻(あび)」は梵語 avīci の音写で、一般に「無間」と訳され、苦しみの途切れなさを表します。第698項の鼻に似た外形は本書の描写であり、「鼻」という漢字から導かれる語源ではありません。 文化説明:「四恩」には、父母・衆生・国王・三宝の恩など、経典によって異なる説明があります。第705項は四項目を列挙していないため、特定の組み合わせを本文に補っていません。 訳注:「永遠に出られない」という発言と、第715項で将来の救済を約束する発言は、それぞれ原文のまま保っています。編集者が新たな統一解釈を加えて、どちらかを消してはいません。 訳注:本章の「地獄が空になるまで成仏しない」という短い誓願句は、本書の表現です。照合した『地蔵菩薩本願経』(大正蔵 T0412)には同趣旨の誓願がありますが、この短句そのままの文言は確認できませんでした。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V1_C32 編者注:宗教的叙述と健康について 胎内での死や胎児の苦痛を業、母親の感情、食物の冷熱などで説明する第729–730項は、本書の宗教的叙述であり、医学的因果関係を示すものではありません。妊娠中の喪失を母子の罪や道徳的な落ち度と判断する根拠にもなりません。死産には胎盤の問題などが関係することがあり、原因が分からない場合もあります。胎動が減った、または止まったと感じたら、翌日まで待たず、直ちに産科の医療者に連絡してください。NHS:死産の原因 第739–741項の健康被害の説明は、登場人物の体験と解釈です。自慰それ自体から早老、腎臓病や死亡を判断することはできません。痛み、強い疲労、歩行の困難などは医療的評価が必要であり、宗教的な説明で診断や治療を置き換えないでください。習慣が日常生活を妨げたり、本人が困っていたりする場合は、信頼できる大人や医療者に相談できます。子どもの不調を本人や家族の道徳的責任と決めつけず、支援を優先してください。ビクトリア州保健省:健康情報 既存の注 独立章の補足 訳注:聖母マリアと観世音菩薩の同一視は、本書の判官の発言と語り手の体験として訳しています。諸宗教の共通見解として認定しているのではありません。第735項の葬儀の記述も、この家族の場面であり、すべてのカトリックの葬儀を一般化した説明ではありません。 経典注:第731・734項は『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五(大正蔵 T0262)の一節に対応します。「一心に名を称える」という条件、問いと答え、仏身・辟支仏身という二つの例を保っています。これは経典の文言の照合であり、現実の救命効果の検証ではありません。 範囲注:第739・741項には既存の非逐語のあらすじを残しています。この二項は原文全句の翻訳として認定していません。第740項の非露骨な医療体験の叙述は全文を訳しています。残る23項と注・用語説明を別に審校しています。 訳注:第738項の自己非難や第742項の誓いは、物語内の発言です。自分を傷つけるよう勧めるものではありません。続く第743項は、身体への害を伴う悪い願いを明確に否定しています。 この章に関わる語 以下は全書の既存の用語説明から再掲したものです。全書の参照位置は、その本文を本章に追加したことを意味しません。 冥府 原語:阴司/冥府/地府 書中の冥界の行政・裁きの場。語を説明する原注では「地府」の原字も残します。 全書の参照位置:ZH-L0106・ZH-L1365・ZH-L1524 判官 原語:判官 阿玉を案内し、質問に答える冥府の官。自称「本官」と主君への「我冥王」を区別します。 全書の参照位置:ZH-L0076・ZH-L0173・ZH-L0283 上官玉華/阿玉 原語:上官玉华/阿玉 第一・第二集の中心的な語り手。同一の女性を指します。末尾の妙升の文章とは話者を分けます。 全書の参照位置:ZH-L0068・ZH-L1373・ZH-L1806 白い蓮の花 原語:白莲花 阿玉の移動に用いられる書中の花。同じ対象の「白蓮華」などを統一しました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0305 加被/加持 原語:加被/加持 仏の慈悲や力による助け・守りを表す仏教語です。原文の二つの語を区別して残します。反復する礼敬の開場句は同じ訳形にそろえました。 全書の参照位置:ZH-L0073・ZH-L0403 合掌/頂礼 原語:合十/顶礼 原文にある礼拝動作の違いを保ちます。頂礼を単なる挨拶に縮めません。 全書の参照位置:ZH-L0074・ZH-L0523 章別の審校注記 V2_C01 編者注 この章は、阿玉が見たと語る冥府の帳簿の描写です。現実に存在する行政記録の確認や、個人の運命の実証ではありません。「三文字」は表紙の漢字「生死簿」を指します。 章別の審校注記 V2_C02 編者注 本章の運命・寿命・占いについての説明は、判官に帰属する宗教的主張であり、個人の寿命を予測する医学的根拠ではありません。第839段の健康習慣では寿命が延びないという断定は、身体活動の健康上の利益や死亡リスクの低下との関連を示す現代医学の説明とは区別してください。 特に第843~846段の少食・不眠、不食不眠についての発言は、実践を勧める健康指導ではありません。人には十分な栄養と睡眠が必要です。修行や延寿のために食事や睡眠を断ったり、必要量を削ったりしないでください。睡眠の問題が続く場合などは医療者に相談してください。この章は具体的な経典名・箇所を挙げておらず、ここに記された全主張を仏教経典一般の確定した教説として認証するものではありません。 参考:WHO「Physical activity」、CDC「About Sleep」、NHS「The Eatwell Guide」。 https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/physical-activity https://www.cdc.gov/sleep/about/index.html https://www.nhs.uk/live-well/eat-well/food-guidelines-and-food-labels/the-eatwell-guide/ 「六親」は、伝統的な六種の親族の呼称ですが、その分類には異説があり、近親を広く指す用法もあります。本章の列挙から特定の六分類を補ってはいません。参照:教育部『重編國語辭典修訂本』「六親」「八字」。 https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=63816 https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=12123 章別の審校注記 V2_C03 編者注 この章は阿玉の宗教的見聞として伝えられています。第869段で誹謗と癌を結び付ける説明は、医学的に確認された因果関係ではありません。咽喉の癌には部位により異なる種類があり、喫煙・飲酒などの危険因子が知られています。持続する喉の痛み、飲み込みにくさ、声の変化などは医療者に相談してください。病気を根拠に人の罪や虚偽の訴えを推定したり、治療を遅らせたりしてはいけません。参考:米国国立がん研究所「Head and Neck Cancers」。 https://www.cancer.gov/types/head-and-neck/head-neck-fact-sheet 第867~870段は、作中で虚偽とされる特定の中傷の物語であり、現実の性暴力の申告を一般に虚偽とみなす根拠ではありません。また、作中の暴力的処罰を現実の他者への暴力の許可として読むことはできません。 第859段の四句は『大方広仏華厳経』巻第十九、覚林菩薩の偈に確認できます。ただし、これを孽鏡台の仕組みの説明に結び付ける部分は、本書の判官の解釈です。「阿頼耶識」は仏教の識についての用語です。『解深密経』はこの識を身体に関わり、蔵されるものとして説明し、また阿陀那識を自己として執着することを戒めています。本書の鏡・記録装置の比喩を、物理的な機器の実在や不変の魂の実証と同一視しません。 https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/T0279_019 https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/T0676_001 章別の審校注記 V2_C04 編者注 ここでの神格の同一視や服飾の描写は、阿玉の見聞として伝えられているもので、すべての宗教伝統の共通見解や、実物の服飾調査の結果ではありません。冠の五色と朝服の七色は別々の記述であり、数を合わせていません。 章別の審校注記 V2_C05 編者注 天候、霊体の付着、死後の処理についての記述は、語り手と登場人物の宗教的説明です。人の表情や不安・疲労から霊体の付着を診断することはできません。強い苦痛や生活に支障を来す心身の症状が続く場合は医療者に相談し、信仰上の解釈のために受診を遅らせないでください。第902段の「専門家」は出典が示されておらず、笑顔だけで病気を治せるという意味には読み替えません。 風邪は呼吸器ウイルスによる感染症です。寒暖差だけを感染原因とみなすことはできません。参考:CDC「About Common Cold」、NIMH「Caring for Your Mental Health」。 https://www.cdc.gov/common-cold/about/index.html https://www.nimh.nih.gov/health/topics/caring-for-your-mental-health 思念や動物の怨みが気候を直接変えるという第896段の説明は、科学的に確認された気候変動の原因ではありません。現代の温暖化は、化石燃料の燃焼などに伴う温室効果ガスの増加と関連付けて説明されています。経句は『華厳経』巻第十九の覚林菩薩の偈の末尾二句ですが、気候への適用は本書の解釈です。宗教的な説明を、現実の災害の被害者に責任を負わせる根拠にしません。 https://science.nasa.gov/climate-change/causes/ https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/T0279_019 生死の通知・身光・病院での捕縛は、この物語の設定です。現実の死亡確認や病状判断の方法ではなく、病院を避ける理由にもなりません。 章別の審校注記 V2_C06 編者注 この対話は本書の宗教的見聞であり、歴史上の岳飛への実証可能な面談記録ではありません。秦檜・皇帝の責任、詞の作者、転生、冥府の軍務についての発言は、作中人物の言葉として保っています。戦争を共業とする説明によって、現実の戦争被害者の責任を推定したり、支援を差し控えたりしてはいけません。 「武穆」は岳飛の諡です。「尽忠報国」の四文字は中国語の原字を数えています。付録の詩詞は複数の作者の声であり、対話の岳飛の発言と同一の見解に統一していません。文征明の『満江紅』は、対話で岳飛作とされる詞とは別の作品です。故宮博物院の所蔵品の題名・作者の款識から、この詞題の「思陵」が宋の高宗を指すこと、満江紅が詞の調名であることを確認できます。同館の解説は、この詞が高宗の責任を批判していると説明しています。 https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=164699&la=0&powerMode=0 https://digitalarchive.npm.gov.tw/opendata/Pub/Detail/2525?dep=P&mode=full 文征明の詞の本書表記には、同館の釈文と異なる字がありますが、本書の底本を黙って校訂してはいません。他の付録詩すべての初出・原刊本を独立に確認したわけではありません。「十二枚の金牌」は伝令の文脈にある語で、競技の金メダルという意味ではありません。詩の万里・三千字・十万兵などは数字を残しつつ、実測値の証明とは扱いません。「穿楊」は優れた弓術を表す比喩です。 https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=125854&q=1&word=%E6%A5%8A 章別の審校注記 V2_C07 編者注 「百穀を食べると足が地面を離れない」という比喩は、『首楞厳経』巻第六にあります。CBETA収録本文では「地中百穀」ですが、本書の引用には「地中」がありません。訳文は本書の形を保っています。原経のこの段落は、生き物の肉やその体から得た物を食べたり身につけたりすることで結ばれる縁について述べています。光音天から来た人類の祖先や孟婆湯の説明は、判官がここで語る内容です。 https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/T0945_006 第1027段の足や喉の病気についての説明は、作中の判官の言葉です。現実の病気から前世の行動や道徳性を判断する根拠にはなりません。また、ここに描かれた強制や暴力は、現実の人に行ってよいという意味ではありません。 章別の審校注記 V2_C08 編者注 「父の精と母の血」は原文の伝統的な表現です。飢餓や貧困を福報と結びつける第1039段の説明は、作中の判官の宗教的な見解であり、特定の国や地域に暮らす人の道徳性を判断したり、必要な援助を差し控えたりする根拠にはなりません。 第1055段でも、傷んだ食べ物は食べないよう述べられています。その後の、動物に施すために野外や海へ置くという説明は、現実の食品廃棄方法として実行しないでください。野生動物への餌やりは、その健康や採食行動に害を及ぼすことがあります。食品の廃棄は地域の回収・処理方法に従ってください。参考:米国国立公園局「Don't Feed Wildlife」。 https://www.nps.gov/articles/000/idkt_feedingwildlife.htm 章別の審校注記 V2_C09 編者注 「泥犁」は、ここでは地獄を指す語です。「億億万倍」は原文の数詞を保ったもので、古い数詞の値を一つに確定して計算したものではありません。『泥犁経』の該当箇所と、その直前の小石と山の比較を確認しています。 「腐渣」はこの段落では豆腐を作った後のおからであり、「腐った食物」という意味ではありません。『雲棲法彙』所収の『遺稿』巻三に「棄腐渣責詞」という同じ題と本文があります。『感応篇注』とされた前段については、本書外の原刊本までは確認できていません。 これらは、食べ物を粗末にしないよう戒める古い宗教文献の引用です。汚れた食物を捨てることを戒める文も、腐敗や有害なかびのある食物を食べるよう勧めるものとして用いないでください。食品の安全性は別に判断する必要があります。参考:米国農務省食品安全検査局「Molds on Food: Are They Dangerous?」。 https://www.fsis.usda.gov/food-safety/safe-food-handling-and-preparation/food-safety-basics/molds-food-are-they-dangerous 章別の審校注記 V2_C10 編者注 この箇所は『仏説内身観章句経』の現存本文にある十一項目を訳しています。校注には「人」と「入」の異同や「悪」「喧」の字を欠く本が示されていますが、それだけでは冒頭の句読や「禅中」の意味を確定できません。訳注に記した難解な箇所は未解決のまま明示し、分かりやすくするための説明を経文に書き足してはいません。 題にある「悪道に堕ちやすい」は、前章の「必ず堕ちる」とは異なる表現です。また、食べ過ぎへの戒めを、必要な栄養を取らないことや極端な食事制限を勧めるものとして読まないでください。 章別の審校注記 V2_C11 編者注 本章は、判官の宗教的な説明を原文どおりに訳しています。病気や月経の状態から、過去世の行いや人の善悪を判定することはできません。「診察や薬は役に立たない」「懺悔や念仏で必ず正常に戻る」という説明を、診療の代わりに用いないでください。強い月経痛や長引く出血などは、医療者に相談する必要があります。参考:英国国民保健サービス(NHS)「Heavy periods」。 https://www.nhs.uk/conditions/heavy-periods/ 喫煙や受動喫煙には妊娠中の健康リスクがあり、妊娠中のどの時点でも禁煙は役立ちます。ただし、原文にある霊性の光、失う寿命の年数、菜食で育つ子の智慧などの断定を、医学的な検査結果や個人への診断として読むことはできません。妊娠中の食事や服薬については、医療者に相談してください。参考:米国疾病予防管理センター(CDC)「Health Effects of Cigarettes: Reproductive Health」。 https://www.cdc.gov/tobacco/about/cigarettes-and-reproductive-health.html 祖父の忍辱をたたえる説明も、現実の虐待や食事を与えない行為を黙って受け入れるよう求めるものとして用いないでください。被害に遭っている人の安全と、必要な援助を求めることが優先されます。 章別の審校注記 V2_C12 編者注 東岳大帝の職位や地獄の増設、災難と共業の関係は、作中の判官と東岳大帝の説明です。現実の災害予測や、被災者・障害のある人の行いを判断する根拠ではありません。必要な救援や支援を差し控える理由にもなりません。また、冥府の令牌についての話は、現実の報復や加害を認めるものではありません。 食物や生薬に関する説明も原文の宗教的な実践論として残しています。治療中の薬を本章だけに基づいて減らしたり、やめたりせず、医師や薬剤師に相談してください。 「心亡罪滅両俱空」の前後の偈と懺悔の説明は、法界仏教総会の『金剛菩提海』第563号にも見られます。ここでは、罪を生む心と懺悔の関係を読むための参考とし、偈の最古の作者や唯一の教義解釈を確定したものではありません。 https://www.drbachinese.org/vbs/publish/563/vbs563p024.pdf 章別の審校注記 V2_C13 編者注 「土地公のおじい様」は親しみと敬意を込めた呼びかけで、阿玉の実の祖父を指すものではありません。本章は、地域や建物を守る神と家に住む鬼を、判官の説明に従って区別しています。 頭痛や現金自動預払機の不具合についての場面は、阿玉の見聞と土地公の説明として訳しています。現実の頭痛や機械の故障から、霊の存在や人の罪を判定する根拠にはなりません。繰り返す頭痛などは、宗教的な説明だけで片づけず、医療者に相談してください。参考:英国国民保健サービス(NHS)「Headaches」。 https://www.nhs.uk/conditions/headaches/ 章別の審校注記 V2_C14 編者注 本章の「仮の妄語」は、少しの私心もなく衆生を救うための言葉として定義されています。それとは別に、自分が相手に借りを作りたくないという思いを含む例を「方便の妄語」と呼んでいます。ここでは本章の区別を保ち、二つを同じ語にまとめてはいません。 第1177段の「因地不真、果遭迂曲」は本書の表現です。『楞厳経』の大妄語を戒める段には「因地不直、果招紆曲」とあり、字は同一ではありません。本書の文を経典の字に置き換えてはいません。 地獄の刑罰や病気を招くという説明は、登場人物の宗教的な説明です。現実の他者への暴力を正当化したり、病気から虚言の有無を判断したりする根拠ではありません。 章別の審校注記 V2_C17 編者注 女性、月経の不調、黒業を結びつける言葉は、判官の説明として原文のまま残しています。現実の女性の性格や道徳性を、月経や体調から決めつける根拠ではありません。月経周期に伴う心身の症状が日常生活に支障を与えるときは、医療者に相談してください。参考:英国国民保健サービス(NHS)「PMS (premenstrual syndrome)」。 https://www.nhs.uk/conditions/pre-menstrual-syndrome/ 家族の激しい言動への感謝を説く場面も、被害を受けた人に暴力や支配を受け入れるよう求める根拠にはしないでください。安全を確保し、必要な支援を求めることが優先されます。原文にある、行動が激しいときは身を引いてよいという言葉も省いていません。 章別の審校注記 V2_C18 編者注 口唇裂や病気を過去の行為の報いと結びつける説明は、判官の言葉として原文のまま残しています。医学的な原因の説明ではなく、子どもや家族を責める根拠にもなりません。口唇裂は胎児の顔が形成される過程で生じ、具体的な原因がはっきりしないことも多くあります。参考:英国国民保健サービス(NHS)「Cleft lip and palate」。 https://www.nhs.uk/conditions/cleft-lip-and-palate/ 妻や息子の症状、治療後の悪化、肝臓がんについての語りも、この体験談の内容であり、現実の人の診断や、治療をやめる根拠にはできません。治療の効果や副作用が気になるときは、担当の医療者に相談してください。抗うつ薬は自己判断で急に中止しないでください。参考:NHS「Antidepressants」。 https://www.nhs.uk/medicines/antidepressants/ 冷水と生姜湯で罪霊を目覚めさせる場面は、冥府の物語上の描写です。現実の救急処置の手順ではありません。 章別の審校注記 V2_C19 編者注 祖母の忍耐を称える言葉や、受けた暴力と過去世を結びつける説明は、登場人物の宗教的な言葉として残しています。暴力を受けた人に責任がある、女性は虐待に耐えなければならない、という現実の行動指針ではありません。暴力や支配から身を守り、必要な助けを求めることが優先されます。背中が曲がることについても、本文は医学的な原因の説明ではありません。 「負の磁場」や「全体を包む大きな磁場」は、原文の宗教的な説明に用いられている表現です。測定された物理的な磁場を示すものとしては扱っていません。 章別の審校注記 V2_FRONT この独立抜粋について この抜粋は第二集の表題・目次・自序です。自序は上官玉華の言葉であり、前の跋の筆者である道嵐とは別の話者です。目次のリンクは全書の位置を示します。本抜粋に収めていない後続章へのリンクまで、抜粋内で移動できるという意味ではありません。 用語と叙述の補足 「五戒」は、殺生・盗み・邪淫・妄語・飲酒を避ける五つの戒めです。本書の功徳や罪の説明と、現代社会における法的な処罰とは区別してください。 「南贍部洲(なんせんぶしゅう)」は、仏教の伝統的な宇宙観で須弥山の南に位置するとされる四大洲の一つです。現代の地理学の測定対象として示しているわけではありません。 「菩提心(ぼだいしん)」は、悟りを求める心を表します。第815項は広くすべての有情に向けた祈願であり、すでに全員が成就したという報告ではありません。 地獄への往来、福や寿命の増減、赦免に関する叙述は著者の宗教的な体験や信仰の説明です。疲労などの身体・精神の状態を宗教的理由だけで診断したり、必要な医療を代替したりするものではありません。 既存の注 注 1. 訳注:「九玄七祖」は、世代を超えた一族や先祖に関する中国の伝統的な表現です。数える範囲には伝承による違いがあるため、ここでは原語を残しています。↩︎ 2. 文化説明:「扶乩」(ふけい)は、砂盤の上で木製の筆具を動かして文字を記し、それを神の託宣と受け取る中国の民間習俗です。↩︎ 3. 訳注:「三十三天」は、帝釈天が住むとされる仏教の天界名で、「忉利天(とうりてん)」とも呼ばれます。↩︎ 4. 訳注:「化生(けしょう)」は、胎や卵によらず、業によって現れる生まれ方をいう仏教の語です。↩︎ 5. 訳注:「三悪道(さんあくどう)」は、地獄・餓鬼・畜生の三つの世界を指す仏教語です。↩︎ 6. 訳注:「有情(うじょう)」は、心を持つあらゆる存在を指す仏教語で、「衆生」ともいいます。↩︎ 7. 訳注:「正大光明」は、公明正大で私心がないことを表す中国語の成句です。↩︎ 8. 訳注:この段落の原文は酆都大帝が本を「撰述」すると表現しています。前後では、大帝が命じ、阿玉が見聞を書き記す役割分担が示されるため、ここでは執筆を命じる意味に訳しています。↩︎ 9. 訳注:「五戒(ごかい)」は殺生・盗み・邪淫・うそ・飲酒を避ける五つの戒め、「十善(じゅうぜん)」は行い・言葉・心にわたる十種の悪を避ける実践を指します。「六道(ろくどう)」は、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天という、輪廻する六つの世界のことです。↩︎ 10. 訳注:「回向(えこう)」とは、ここでは功徳をすべての衆生のために振り向けることです。「無上正等菩提」は、仏のこの上なく正しく完全な悟りを指します。↩︎ 11. 罰の期間 この段落は一週間、先のZH-L0134は一か月としています。適用条件が同じかどうかは明示されていないため、それぞれの数を原文どおりに残しました。(本文)↩︎ 12. 訳注:「梵行(ぼんぎょう)」は、欲望を離れて清らかな行いを修めることを表す仏教語です。↩︎ 13. 訳注:「精(せい)・気(き)・神(しん)」は、伝統的な身体観で、人の生命を支える三つの要素とされるものです。ここでの「神」は、精神や意識の働きに関わる語です。↩︎ 14. 訳注:「飛精」は、ここでは霊が人の身体に取りつくことに結び付けられた原文の宗教的な語です。生理的な現象として説明し直さず、本書の語として残しています。↩︎ 15. 訳注:五体投地(ごたいとうじ)は、両ひじ・両ひざ・頭を地につけて深い敬意を表す仏教の礼拝法です。↩︎ 16. 訳注:「元神」は精神・霊魂に関わる語、「元気」は人の生命力に関わる語として、ここでは原語を残しています。↩︎ 17. 「動物由来のもの」は、本段落の後続の説明から指示対象を明示した訳です。原文の「身份」の用字や、経文との直接の引用関係を校訂したものではありません。(本文)↩︎ 18. 訳注:腐乳は、中国で食べられる豆腐の発酵食品です。↩︎ 19. 親族呼称の未決事項 原文の「婆婆」「公公」は、言語地域や文脈によって祖父母または姻族を指します。本段落では「奶奶」「爷爷」と並び、配偶者側の直系親族を別に挙げているため、母方の祖母・祖父と暫定的に解しました。著者の方言や続柄が確定したという意味ではなく、別の段落へ一律に適用しません。(本文)↩︎ 20. 訳注:純陽(じゅんよう)は、陰陽の考え方で純粋な陽の気を表す語です。ここでは、原著が子供の身体に用いた表現を残しています。↩︎ 21. 訳注:「霊識」は、ここでは霊的な意識を指す語として用いられています。↩︎ 22. 訳注:「回向(えこう)」とは、ここでは念仏の功徳を亡くなった少年のために振り向けることです。↩︎ 23. 訳注:原文の「腎虧」は、中医学で「腎」の精気の不足を表す語です。本訳の「腎虚」はその伝統的な意味を示し、現代医学の特定の診断名に置き換えるものではありません。↩︎ 24. 訳注:神識(しんしき)は精神・意識を表す語で、ここでは魂と関わるものとして述べられています。「三魂七魄」は、人に三つの魂と七つの魄があるとする中国の道教的な魂魄観を表す語です。ここでは原文の宗教的な表現として用いられています。↩︎ 25. 地名の列挙 原文はアフリカを国名と並べ、全体を国籍として述べています。ここでは原文の列挙を保ち、地理的な分類を改めていません。ZH-L1039にも、国家・地域・大陸を合わせた列挙があります。(本文)↩︎ 26. 訳注:五常八徳は、中国の伝統的な道徳をまとめた呼称です。本書の後段では、五常を仁・義・礼・智・信と説明しています。↩︎ 27. 訳注:神霊が人の行いを見ているとして悪事を戒める中国のことわざです。「尺」は原文の長さの単位を保ち、ここでは現代の単位に換算していません。↩︎ 28. 「我冥王」は、判官が仕える君主を指します。判官自身が冥王であるという意味ではありません。(本文)↩︎ 29. 訳注:「菩提」は、ここでは仏教の悟りを意味します。「無上正等菩提」は、仏のこの上なく正しく完全な悟りを指します。参照:大谷大学「菩提」、新纂浄土宗大辞典「阿耨多羅三藐三菩提」。↩︎ 30. 訳注:「六度」は六波羅蜜ともいい、施すこと、戒を守ること、耐え忍ぶこと、励むこと、心を静めて集中すること、智慧を養うことという六つの実践を指します。「万行」は、それらに関わる数々の善い実践を表します。↩︎ 31. 「初めて」は原見出しに従っています。先行する章での対面と本章の召見の時間関係は資料から確定できないため、「初めての正式な拝謁」とは読み替えていません。(本文)↩︎ 32. 訳注:「波旬」はサンスクリット語 Pāpīyān の音写で、仏の修行を妨げる魔であるマーラの別称です。↩︎ 33. 文化説明:「南瞻部洲」は仏教の宇宙観で須弥山の南にあるとされる大陸を指し、「震旦」は古い中国の呼び名です。↩︎ 34. 訳注:原文の「誅心」はここでは身体に加える酷刑の列挙に含まれていますが、この箇所では具体的な方法は示されていません。↩︎ 35. 訳注:「善知識(ぜんちしき)」は、仏の教えに導き、修行を助けるよき友や師を指す仏教語です。↩︎ 36. 文化説明:「清明」は、先祖をしのび、墓参りや墓の手入れをする中国の伝統的な年中行事でもあります。↩︎ 37. 朝代名と千九百という数は原文に従い、「多」の概数の意味を「余り」で表しました。叙述の基準年が不明なため、年代の対応関係は確定していません。(本文)↩︎ 38. 訳注:「菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)」は、偉大な菩薩を表す呼び名です。「精進波羅蜜」は、悟りをめざして励み続ける、菩薩の修行の一つです。↩︎ 39. 訳注:「舎利子」は、釈迦の弟子の一人である舎利弗の別名です。↩︎ 40. 描写の範囲 原文の「女倒男立」は、直前の倒立の描写を踏まえて訳しています。姿勢の細部は原文にないため補っていません。(本文)↩︎ 41. 年齢の列挙 原文は「七十九十或至百岁」です。七十、九十、百歳という数を保ち、書かれていない八十を補っていません。引用元の経典には異文があり、CBETAの校注でも「八」と「十」の相違が記されています。(本文)↩︎ 42. 経句の語義 「二心」「色」「行」は原文の語を保ちました。この箇所だけから「色」を性欲、「行」を性行為と断定してはいません。(本文)↩︎ 43. 経句の読み方:引用元の『僧伽吒経』では、この偈の前に、焼け焦げた柱では堂を飾らないという比喩があります。「荘厳」は、身を整える能力だけに限定せずに訳しています。↩︎ 44. 鬼卒への呼びかけ 本版は「猙獰」と「獠牙」を二人の鬼卒の呼称として読み、「猙獰と獠牙、二人の鬼卒よ」と訳しました。英語第10版も二つの呼称に分けています。一方、地獄名は中国語の「煙花翻滾地獄」を保ちました。この採用は本版の読み方であり、別の中国語底本によって固有名が確定したという意味ではありません。(本文)↩︎ 45. 文化説明:「阿羅訶」は「阿羅漢」と同系の音写で、供養を受けるにふさわしい聖者を表します。この引用では仏の称号として用いられています。↩︎ 46. 経句の読み方:引用元では、過去に戒を守らなかった者への言葉として述べられています。本書の抜粋を一般的な戒めとして読む余地もあります。↩︎ 47. 文化説明:「慧命」(えみょう)は、智慧を命にたとえた仏教の語です。ここでは、肉体の寿命とは区別して用いられています。↩︎ 48. 文化説明:「中有」(ちゅうう)は、ここでは死後、次の生を受けるまでの存在を指します。仏教の諸学派すべてに共通する説ではありません。↩︎ 49. 文化説明:「三従」は、中国の伝統的な女性規範で、未婚の時は父、結婚後は夫、夫の死後は息子に従うというものです。↩︎ 50. 原文の読み方:原文は「男女双方身体有病」と述べています。一方が病気の場合を含むのか、双方が同時に病気の場合を指すのかは、さらに明示されていません。↩︎ 51. 神呪の表記 神呪は底本の文字と句読点をそのまま載せています。裏付けのないサンスクリット語形や日本語の読み仮名は加えていません。(本文)↩︎ 52. 子どもの続柄 前後には夫の前妻の子とある一方、この段落の該当箇所は「前夫的孩子」です。訳文も「元夫の子」とし、両者をひそかに同じ続柄へ直していません。(本文)↩︎ 53. 泥と溶岩 本段落の原文は「泥浆」、前後の描写は「岩浆」です。ここではそれぞれを泥と溶岩として残しました。(本文)↩︎ 54. 寿命の叙述 ここでは十二歳で「寿终」とされますが、ZH-L0737には現世の寿命がまだ尽きていないとあります。両方を残し、異なる寿命の仕組みなどを新たに補ってはいません。(本文)↩︎ 55. 引用の異字 原文の「余秧」「百秧」は、善悪の報いを対比する同段落に従い、災いと訳しています。底本の文字そのものは校訂していません。(本文)↩︎ 56. 問答のつながり 答えの冒頭の「信则有,不信则无。人人一样。」は、引用・反問・同意のどれなのかが明示されていません。後続の説明に合わせるための否定や疑問符は加えていません。(本文)↩︎ 57. 戒罪の条件 追加の戒罪は、直前の「誰であれ戒めを破れば」を受けるものとして訳しました。底本の「守持戒律的佛教徒」の「守持」を「破戒」などへ置き換えた校訂ではありません。(本文)↩︎ 58. 一般則と例外 寿命が尽きなければ冥府へ来られないという断定と、特別な修行者についての説明を、ともに原文どおり伝えています。「一般には」などの限定は補っていません。(本文)↩︎ 59. 文化説明:「生辰八字」は、出生の年・月・日・時をそれぞれ干支の二字で表した、合計八字のことです。↩︎ 60. 十殿と十二殿 ここは原文が十殿とするため、他の箇所の十二殿に合わせて数を改めていません。(本文)↩︎ 61. 輪廻図の区分 原文は六道の図を五つの部分に分け、上部に天道と阿修羅道を置いています。訳文もその説明を保ち、新たな区画や方位を作っていません。(本文)↩︎ 62. 詩の官称と省略 詩中の「公相」は国の重臣として訳し、具体的な官職を補っていません。ZH-L0961の中興を託される者、ZH-L0984の「生时」の主体も、原文にない固有名で限定していません。(本文)↩︎ 63. 文化説明:「思陵」は、ここでは宋の高宗を指します。↩︎ 64. 詩にある人名・文字 人名の「周桐」はその字で保ち、ZH-L0993の「雨竭」も別のよく知られた文字へ置き換えていません。訳語の調整と中国語底本の校訂は別に扱っています。(本文)↩︎ 65. 神通の叙述 本段落の「失去神通」と、ZH-L1005の飛行能力だけを失ったという説明は、それぞれの表現を残しています。(本文)↩︎ 66. 本版は「滅道/制令」と区切り、道を滅する十一の因縁を制すれば悪道に堕ちない、と読みます。「当不識者、謂万物」は「識るべきでないものとは、万物をいう」と字義を残しました。第六の「会聚、謂禅中」は意味のつながりが明瞭でないため、「禅中」を残し、禅定の最中に人と集まることだとは断定しません。第七は「習行、多くの用事にかかわること」としています。これは本版の訳し方の決定であり、底本の異字や句読を校訂したものではありません。(本文)↩︎ 67. 「正気(せいき)」は、中国の伝統思想で、邪気に対する正しい気や、よい働きをする気をいう言葉です。ここでは「理性を失わずにいる」という意味の「正気(しょうき)」ではありません。原文は特定の医学的な意味に限定しておらず、測定可能な物理的エネルギーと同じものでもありません。語義の参考:台湾教育部『重編國語辭典修訂本』「正氣」。https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=117629↩︎ 68. 明示されない主体 仏の名を唱える者は原文で一意に指定されていません。祖父が救い導かれる対象であることは保ち、唱え手の主語を推測で補ってはいません。(本文)↩︎ 69. 「離れる」の意味 息子が母のもとを去るという原文は、死去・自発的な離別・失踪のどれかに限定していません。訳文もその幅を保っています。(本文)↩︎ 70. 相対的な年代 宋の時代の後の三百五十年目という原文には、起算点の詳しい指定がありません。西暦への換算はしていません。(本文)↩︎ 71. 「後天」は、本書で人の行いが後に形成されるという文脈を踏まえた表現です。共業が今生だけに由来すると断定したものではありません。(本文)↩︎ 72. 五根と五官 同じ段落の「五根不具」と「五官具足」は、原文どおり別の語として残しました。五根を修行上の五つの能力と断定したものではありません。(本文)↩︎ 73. 引用句の「心」は、偈の文脈に従って罪を生む心と解しました。伝承本文には異文があり、現行の四句の最古の作者・本文を確定したものではありません。(本文)↩︎ 74. 派遣する側 原文には天が派遣するという説明と、冥府が派遣するという説明の両方があります。任命の階層を推測して統合していません。(本文)↩︎ 75. ここでいう「正しい気」は、第11章の「正気(せいき)」と同じ語で、邪気に対してよい働きをするとされる気を指します。↩︎ 76. 原文の「一模拟较」には字形上の疑問が残ります。ここでは後続の例に従い、「仮の妄語に比較的近いもの」として訳しました。原文の字を校訂したものではありません。(本文)↩︎ 77. 省略された指示対象 原文では、飛び戻るものが切断された舌なのか黒い蛇なのか、明示されていません。(本文)↩︎ 78. 劫は、仏教でいう極めて長い時間の単位です。第一集第17章の注と同じく、ここでも年数には換算していません。↩︎ 79. 「善知識」は、仏の教えに導き、修行を助けるよき友や師を指します。「劫」は極めて長い時間を表す仏教の単位で、ここでは年数に換算していません。↩︎ 80. 「正気」は、第11章で説明した、邪気に対する正しい気のことです。ここでは、その働きが天地の均衡に及ぶという宗教的な説明になっています。↩︎ 81. 原文の読み方:原文は「数量多及钓到怀孕的鱼」と二項を並べています。一方だけで加重されるのか、両方が必要なのかは、さらに明示されていません。↩︎ 82. 邸宅の広さ 原文は「几千尺一栋」で、単位の制式を明記していません。「数千『尺』に及ぶ広さ」とし、平方メートルや平方フィートへの換算はしていません。(本文)↩︎ 83. 結びの四句は『華厳経』の偈です。「法界」は、ここではあらゆるもの・現象の領域を指す仏教語です。引用の確認:CBETA『大方広仏華厳経』T10, no. 279, p. 102a29–b1。 https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/T0279_019↩︎ 84. 「城隍」は町を守る神、「土地公」は小さな地域の土地をつかさどる神です。「公公」は、ここでは神への親しみを込めた敬称です。参考:台湾教育部の辞典「城隍」「土地公」。 https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=124385&la=1&powerMode=0 https://dict.concised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=11509&la=0&powerMode=0↩︎ 85. 「南贍部洲」は、仏教の世界観における南方の大陸の名です。第1集第13章にも登場します。↩︎ 86. 「三界」は、生き物が生まれ変わりを繰り返す欲界・色界・無色界という三つの領域を指します。参考:『新纂浄土宗大辞典』「三界」。 https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E7%95%8C↩︎ 87. 訳注:この付録の「四分」「七分」「九分」と、後の「八分」は、底本で分母が明記されていないため、原語の数え方を残しています。何割・何パーセントかは確定していません。原文が「一半」とする箇所は、明示どおり半分と訳しています。↩︎ 88. 年と劫 原文は同じ一文で百年と百劫を用いています。両方の単位を保ち、どちらかへ統一していません。(本文)↩︎ 89. 年齢の境界 原文は十六歳以上と十六歳以下を併記し、十六歳で範囲が重なっています。重なりをなくすための改訳はしていません。ZH-L1424の十二歳以上も原文のままです。(本文)↩︎ 90. この付録の「劫」 この付録は、一劫を一度の地獄の刑罰、転劫を一度の転生として自ら説明しています。他の箇所の長い仏教的時間を表す劫と、機械的に同じ長さへ換算しないでください。(本文)↩︎ 91. 経文と原注 この付録では経文と原注を別段落で示しています。「三世」は直後の原注が三代の人々と説明するため、経文の訳も三代としました。(本文)↩︎ 92. 原注に基づく読み 「不畏」は同じ原注にある枯死の説明に従って訳しました。同様にZH-L1465の「剿罪」、ZH-L1583の「意义」、ZH-L1610の「不贡之」も隣接する原注を踏まえています。中国語の異字が確定したという意味ではありません。(本文)↩︎ 93. 典故中の名前 原文の「公子头」は「公子頭」として残し、別の典故に現れる名前に置き換えていません。(本文)↩︎ 94. 食品の範囲 この箇所の「茹荤」は肉食として訳しています。原注は食品の範囲を列挙していないため、別の食品群の一覧を補っていません。(本文)↩︎ 95. 経句と原注の違い 原注の「无甚趣味」という否定はそのまま残しました。前の経句「知味不舍」に合わせ、肯定に変えてはいません。(本文)↩︎ 96. 「美談」の扱い 原文は悪い行跡と美談をあえて並べています。直後の原注が人々の話題となる様子を説明するため、悪行を善行として称賛する意味へ改めてはいません。(本文)↩︎ 97. 付録の異字 「劫迟」は次の原注の「劫运」に従って災厄と訳しています。ZH-L1769の城邻と次の城乡、ZH-L1784の栗木も、それぞれの原字の違いを残しています。(本文)↩︎ 98. 制作底本のTXTには表そのものがなく、表題と欠表の案内だけが残っています。この段落の検索案内も原資料の記述であり、そのまま残しています。表の校閲済み翻訳は、現代中国語版『寿康宝鑑』を用いた独立した外部参考補表として本書に添えています。補表に出典、異文、残る疑義を記し、同じTXT版の原表を復元したものとは扱っていません。(本文)↩︎ 99. 引用経文の句読 本書の底本は「長者、居士、宰官、婆羅門、婦女」と区切り、関係が曖昧です。ここでは『普門品』の通常の句読に従い、「婦女」を前の四つの身分すべてにかかる語として訳しました。妻や女性の家族を指す読みのほか、各身分の女性本人も含める解釈があり、五つの別々の身分を列挙したものとはしていません。参照:法界仏教総会の英訳、臺中蓮社の解説。(本文)↩︎ 100. 訳注:「元神」は精神・霊魂に関わる語、「元気」は人の生命力に関わる語として、ここでは原語を残しています。↩︎ 101. 訳注(抜粋):「三魂七魄」は、人に三つの魂と七つの魄があるとする中国の道教的な魂魄観を表す語です。ここでは原文の宗教的な表現として用いられています。↩︎