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陰律無情

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それでも刃の下で死に、釜で煎られ、火で焼かれる。いつになれば終わり、ようやく人の身に生まれ変われるのか。

「依然」は、やはり以前と同じという意味である。鳥や獣となっても、なお刃の下で死に、釜で煎られたり、火で焼かれたりする。その罪の記録がいつ決着し、ようやく人に生まれ変われるのか、という意味である。

ひとたび人の身を失えば、万劫もの苦難を受ける。それよりも、善を修め徳を積み、雲の上へ昇るほうがよくはないか。

過ちを知りながら改めず、ひとたび人の身を失えば、万劫にわたる苦難を受け、すぐには人へ生まれ変われない。それよりも、善を修め徳を積めば、天国へ昇り、雲の上に入ることもできるではないか、という意味である。

前の車が倒れたなら、後の車はそれを戒めとする。それこそが長生不老の仙丹である。

「前車」は前を進む車、「敗」は倒れて壊れること。「後車」は後から来る車、「戒」は慎むことである。以前に淫らな行いを好んだ人が、ことごとく身を滅ぼし家を壊したことを戒めとするなら、それは後の車が前の車の失敗を戒めとするのと同じであり、福を増し、寿命を延ばすことができる。まるで長生不老の仙丹を服したようだ、という意味である。

かつて鸞筆が飛び舞って霊験を現した時にも、疑う心と信じる心が入り交じっていた。

「曩者」は昔のことである。昔、人々が鸞堂を設け、飛び舞う鸞筆を通じて託宣を下し、世の人々に神霊の働きを示した。しかし、世の人々には疑いと信頼が入り交じり、信じる者は少なく、信じない者が多かった、という意味である。

それゆえ災厄がたびたび訪れ、戦乱が騒ぎを起こし、天地の秩序が逆転して、数多くの民に災いが残される。97

「劫運」は、水害、火災、疫病などさまざまな災厄を指す。「頻臨」は、たびたび訪れることである。さらに戦乱の災厄が天下を乱し、ついには天地の秩序が転倒して、幾百万、幾千万もの民が一斉に災いに遭い、害を受ける。なんと悲惨なことだろうか。「兆」は百万、「貽」は残すことで、民に災いと害を残すことをいう。

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