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陰律無情

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あるいは家長が子をかばうため、蝶や蜂のように色事に戯れるままにする。

「東家」とは、家の主人、家長のことである。「愛惜」には、欠点をかばうという意味がある。蝶が戯れ、蜂が狂うように花を摘みに行くとは、軽薄で尊大な子弟が遊郭へ通うことをいう。家長が子弟をかわいがるため、教師は、その者が傲慢に振る舞い、邪淫を好むままに任せ、真剣に教え戒めようとしないのである。

情欲の芽が初めて開き、天から授かった良心は次第に失われる。

「情竇」とは、情欲が生じる心の穴のことである。「初開」とは、初めて人に誘惑され、色欲を好む思いが起こることである。ひとたびその思いを起こすと、他人の名誉や貞節を損なうことも顧みず、他人の妻や娘と邪淫の関係を持ち、天の道理と良心を失ってしまう。

もとは翰林院にふさわしい人物であったのに、邪道にそれた若者にしてしまう。

「玉堂」とは、翰林院の役所である。「邪僻」とは、邪淫や道を外れた行いのことである。才知に優れた子弟は、本来、翰林の官にふさわしい人柄であったのに、ふと邪淫や色欲にふけったために前途を誤り、女色を追う放蕩者へと変わって、そのまま一生を終える、ということである。

どれほど堂々たるまれな才能を持っていても、功名への道は必ず行き詰まる。

「磊落」とは、心が開かれ、人並み外れているという意味である。「奇才」とは、並外れた才能と学識。「偃蹇」とは、物事が何かと食い違い、計画や行動が思いどおりに進まないという意味である。子弟にまれな才能があっても、ひとたび邪淫を犯せば、事業も功名も必ず順調には進まなくなる、ということである。

凡庸な教師の過ちは、人に浅からぬ害を及ぼす。

「庸」とは、俗なことである。卑俗な師が、身を守る学びを子弟に教えず、子弟が邪淫を好んで功名を誤るままにしておくのは、すべてその凡庸な師の過ちである。その人に及ぼす害が、どうして小さいと言えようか、ということである。

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