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陰律無情

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でたらめな言葉ばかり並べ立て、遊郭で思うままに楽しむ。

わざと気がふれたふりをしたり、愚か者を装ったりし、口にするのは分別のない言葉ばかりである。どこの遊郭であろうと、自分の心が喜ぶまま、気ままに遊び歩く。

『父上は私に正しい道を教えるが、父上自身も正しい道を歩んではいない』と言う。

「夫子」とは、その者の父親を指す。「正」とは正しい道である。「未出於正」とは、正しい道を歩んでいないこと。父が正しい道を歩むよう教えると、息子はかえって、父自身も正しい道を歩んでいないと言い返し、その教えにまったく耳を貸さない、ということである。

怒りをこらえ、声をのみ込む。この先、どう収めればよいのか。

「結局」とは、事の収まり、末路のことである。父が常に子どもを甘やかし、何事につけても欠点をかばってきたため、子どもの気性を悪く育ててしまった。今になって正しい道を息子に教えると、息子はかえって悪口を言って反抗する。父は怒りをこらえ、黙るほかない。このようなありさまで、どう事を収められようか、ということである。

私が思うに、名山や大河のある所で、高い見識を持つ人のいない土地がどこにあろうか。

「名山」とは、名高い山である。「大川」とは、非常に大きな川のこと。帝君は、『私が思うに、こうした所には、どこにも非常に高い見識を持つ人がいる』と述べている。

それなのに、邪淫を戒めることに話が及ぶと、難しいと思わない者はほとんどいない。なぜなのか。

「鮮」とは、少ないことである。邪淫を戒めるということになると、多くの人は難しいと考え、難しいと思わない者は実に少ない。いったい何がその理由なのか、ということである。

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