幼くして父を失い、頼るものをなくして、髪をそり僧となる者もいる。
「怙」とは、頼ることである。幼くして父がいないことを「孤」という。つまり、頼るものがないため、髪をそって寺に入り、僧となり、神霊の加護に頼るほかないのである。
名山で道を学び、塵の世を離れて俗を脱する者もいる。
また、俗世のはかなさを見抜き、俗人と共に暮らすことを望まない者もいる。そのため名山を訪ね求め、長生を求めて仙人の道を学び、修練するほかないのである。
本来、心を鉄石のように堅くし、禅の門を固く閉ざすべきである。
すでに僧や道士となった以上、当然、心は鉄や石のように堅固であるべきであり、禅堂の門戸を固く閉ざして、女性と往来しないようにすべきである。
ところが思いがけず、酒を飲み、肉を食べ、ひそかに従来の斎戒を破ってしまう。94
僧や道士は斎戒を重んじ、もともと酒を飲んだり、肉を食べたりしてはならない。それなのに、どうしてある日、斎戒を破ってしまうのか。このことは思いもよらず、実に理解に苦しむ。
鸞と鳳のつがいを乱し、今ひとときの心の快楽を得ようとする。
鸞と鳳凰という鳥はみだりに相手を変えず、女性がみだりに配偶者を変えないことにたとえられる。ところが、色欲にふける僧や道士が良家の女性を誘惑し、夫を害する企みを立てたり、駆け落ちしたりして、夫婦の仲を裂き、配偶関係を乱すことがある。それは鸞と鳳凰のつがいを転倒させるようなもので、その心はただ一時の快楽を求めるばかりである。