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陰律無情

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たとえ金銭による取引でも、霊性が汚れることは免れない。そばに見聞きする人がいなくても、人知れぬ場所で自ら良心のとがめを感じる。

「交易」は売買、「霊性」は魂の本性、「汚穢」は清潔でないこと、「暗室」は人に知られない場所である。歓楽や色を求めるのが金銭による売買であっても、自分の霊の光はすでにちりや汚れに覆われている。そばに見ている他人がいなくても、内心では不安を覚え、人に顔向けできないと感じる、という意味である。

よこしまな思いが起これば、悪念が増していく。自分と家庭は清らかさを失い、心の畑には毒の苗が根を下ろす。

「邪思」は正しくない思潮、「滋生」は増え育つこと。「身家」は自分自身と家庭、「心田」は心の大地、すなわち霊山である。「毒苗」は毒を含む業の木、罪の苗を指す。淫らな思いが起こると、それに伴って邪悪な考えも生じる。理性を失えば、人倫を乱し徳を損なうことにも手を出すようになり、自分自身と家庭は知らず知らずのうちに清らかで潔白な名誉を失う。また、不浄で毒を含んだ悪の木を植えて根づかせ、子孫へと伝えることにもなる。

幾世にもわたる罪業がここからまとわりつき、数々の劫を経ても輪廻はやむことがない。

「万世」は生まれ変わるたびのあらゆる生涯、「糾纏」は身にまとわりついて離れないこと。「累劫」は幾度もの災難を経ることである。生々世々の罪業が、ここから身につきまとって離れなくなる。どれほど多くの災厄を経ても、何度も繰り返し輪廻して報いを受けるとは、なんと恐ろしいことだろうか。

幸い、迷いの道に入ってもまだ遠くはない。今日の正しさを知り、昨日の過ちを悟る。

幸いにも、誤って迷いの道に入ってからさほど進まないうちに心が悟り、昨日まで歩んできた道は正しい道ではなかったと気づく。そして、今日から改めて正しい道を歩むことこそが道理だと知るのである。

聖人や賢人を志すなら、過ちを改めることをためらわない。

「吝」は惜しむこと、怠ることである。聖人や賢人は、人にまず過ちを改めるよう教える。過ちを改めることを怠らず、惜しみもしないなら、その人は聖人や賢人を志しているのである。

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