判官は言いました。「今日はもう時間です。阿玉、また次に来てください!」
阿玉は判官に合掌し、頂礼しました! 白い蓮の花に乗って帰ります!
8/食べ物を無駄にした惨痛な報い――五穀豊穣地獄
仏力の加被に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します!
阿弥陀仏! 私、阿玉は判官に合掌しました!
「判官! 今日は、食べ物を無駄にするとどのような果報があるのか、お聞きしたいのです。」
判官は言いました。「食べ物を無駄にすると、地獄に堕ち、その果報を受けることになります。どんな食べ物でも、一口いただくたびに、感謝の心と慚愧の心を持って食べなければなりません。食べ物を育んだ天地に感謝し、農夫の苦労に感謝し、育ててくれた父母に感謝し、自分が過去世に積んできた、食べ物に恵まれる福報に感謝するのです。人が生きていくには、食べ物、空気、水、そして太陽の光が必要です。これらは外からの因縁です。こうした外からの因縁がなければ、人間界によい食べ物はありません。ですから、まず天地に感謝しなければなりません。大自然の太陽の光や空気、土地の育みがなければ、五穀や食べ物はどこから来るのでしょう? もととなる条件がそろっていても、五穀は農夫が苦労して耕し、種をまき、水をやり、刈り取り、包装するなど、それぞれの手順を経なければなりません。春に種をまき、秋に収穫するまで、春、夏、秋の三つの季節を過ごします。まさに、『日が真上に昇るころ、穀物畑の草を鍬で取り、汗はその根元の土に滴る。誰が知ろう、皿の中の食事の一粒一粒すべてが、辛苦の結晶であることを!』というとおりです。農夫は照りつける日にさらされ、雨に打たれ、どれほど苦労して、食べ物を少しずつ大切に育てていることでしょう。私たちは農夫の苦労に感謝しなければなりません!
誰もが父の精と母の血によって人間界へ来て、人として生まれます。小さいころは皆、服を差し出されれば手を伸ばし、ご飯を差し出されれば口を開けるだけで、世話をしてもらっていました。ですから、父母が育ててくれた恩に感謝しなければなりません。また、自分が過去世に布施をし、戒律を守り、善を行って、少しずつ積み重ねてきた福報を大切にしなければなりません。福報が足りない人々は、アフリカ、エチオピア、コンゴ、中国の遠く離れた人口の少ない未発達な地域や、その他の貧しい国々などで、深刻な食糧不足に直面しています。多くの大人や子どもが餓死し、あるいは飢えのために顔色が黄色くなり、やせ細り、栄養もひどく不足して、他人の救援を待たなければなりません。救援が来るのを待つ間に、餓死してしまうこともあります!
人間界に生まれるとき、食べる量や着る物の量、背の高さや体の太さ、身分の高低、災難、財産、いつ寿命が尽きるかなどは、すでにすべて定まっています。ですから、食べ物を一口食べることは、今生の運命に定められた福報を享受することでもあります。残された生涯のうちで、福報を享受できる機会が、また一つ少なくなったのです。普通の現世の人々は、この定業を打ち破ることができません。ただ二種類の人だけが、この定業に影響を与えることができます。それは、大善の人と大悪の人です。
大善の人には二種類あります。一つは、仏や菩薩が慈悲によって願いに乗じて再び来られ、人間界の有情を導く聖者です。仏や菩薩は自由に来去でき、定業に縛られません。ときには、縁のある人間界の有情をより多く救うため、聖者がわざとさまざまな苦難を示し、自らの姿をもって法を説き、人々を導くこともあります。実際には、そうした苦難は聖者の心をまったく縛ることができません。人間界の五欲や煩悩の境界に惑わされるのは、凡夫だけなのです。もう一種類の大善の人は普通の凡夫ですが、大慈大悲の心を持ち、大きな福報と陰徳を絶えず積んでいます。このような善人もまた、運命の鎖を打ち破り、まっすぐに上昇することができます。もう一方の大悪の人は、悪業が重すぎるため、やはりまっすぐに地獄へ落ちていきます。ですから、さまざまな食べ物をいただくときは、慚愧の心を持たなければなりません。食べ物は、ただ私たちの色身を養うものです。色身は、道を修めるための道具の一つです。食べ物を重く見すぎて、美食の奴隷になり、食べ物に振り回されてはなりません。同時に、食べ物を無駄にして、五穀を粗末にしてもならないのです。