阿玉! 今日はここまでです。早く戻って、人々に伝える文章を書きなさい。」
「はい、判官!」阿玉は合掌して感謝しました!
白い蓮の花に乗って帰ります!
20/堕胎の報いと嬰霊の枉死哭城
仏の加持に感謝します! 白い蓮の花に乗って出発します!
阿弥陀仏!
判官! 阿玉は今日、堕胎の果報について判官にお尋ねしたいと思います。
判官:「堕胎は冥府が厳しく罰する行為だ。陰律が定める陰徳には三つある。一つ目は人の命を救うこと、二つ目は寡婦が貞節を守り通せるように助けること、三つ目はこの上ない善行を、人に知られることなく行うことだ。因果の法則において、陰徳には運命を変えるだけの力がある。古来、現世で高官や貴人となり、子孫も栄えた多くの有名な実例は、いずれも陰徳によるものだ。唐代の宰相、狄仁傑は、若いころ、試験を受けるため都へ向かう途中で宿屋に泊まり、その宿の美しい寡婦の女主人から深夜に誘惑され、警戒心を抱いたことがあった。剛直で正しい心を持つ彼は、慎んで邪淫を犯さなかったばかりか、美しい寡婦に婦道の礼を守るよう諭し、自分がどのように淫欲の心を鎮めているか、その身の不浄を観ずる方法を心を尽くして教えた。婦人はそのように観じた後、恥じ入る心を起こし、生涯、忠義の節操を守った。後に狄仁傑は、思いがけず訪れた色欲の誘いを貪らなかったことによって、その名を天下にとどろかせたのだ。現世の人が、運命に定められた業縁の試練を乗り越え、清浄な戒律を堅く守り、高尚な人格を損なわずに保つことができれば、天は必ずあなたに報いる。陰律によっても、個人の生死簿に大きな善行の陰徳が必ず加賞され、福と智慧が増す。堕胎は、実際には衆生の命を奪い、殺生戒を犯すことだ。子どもはまだ生まれておらず、生まれつき善良であるのに殺される。これは父母を殺すこと、仏の身から血を流させることと同じ罪であり、そのうえ子どもとの間に悪縁を結ぶ。いわゆる、恩も怨みもなければ、眷属とはならないということだ。
子どもと父母との縁には、借りを取り立てる関係と、借りを返す関係の二つがある。もし子どもが借りを返しに来たのであれば、殺されることで怨みを抱き、悪縁に変わってしまう。子どもがもともと借りを取り立てに来たのであれば、なおさら厄介だ。悪縁にさらに瞋恚の心が加わり、その結果、借りを負う因縁がいっそう深くなる。
堕胎には三つの場合がある。一つ目は、父母が故意に堕胎したのではなく、子どもの福報が十分でない場合だ。例えば、胎内で死亡したり、胞状奇胎であったり、妊婦に病気があったりと、さまざまな原因によって赤子が生まれることができない場合である。このような原因であれば、大人は必ず懺悔し、経を読んで供養し、赤子が一日も早く苦を離れて楽を得られるよう回向しなければならない。