養ってくれた人に応える
「親孝行」は、父母の暮らしを気にかけ、年老いたときや助けを必要とするときに支えるなど、具体的な世話に表れます。衣食を整えてもらい、学び、育つまでには、人が長く費やしてくれた時間があります。「孝」は、その養育を心に留め、自分の行いで恩に応えることにつながります。父母の恩に連なるのは、師の教え、食物を育てる人の労働、天地がもたらす暮らしの恵みです。自分の務めを果たし、身体を大切にし、身近な人を助けることも、受けた世話をほかの人へ届ける行いになります。
家族の世話には、人に見られないところで続くものも多くあります。「慎独」は、ひとりのときにも心の動きを省み、内心の約束に沿って行うことを大切にします。家族のつながりも、今一緒に暮らす人だけで終わりません。共通の祖先で結ばれる「宗族」は、さらに多くの親族や世代に及びます。生きている人には日々の世話があり、亡き人は記憶や祭祀の中で思い起こされます。後に生きる人が善を修めて回向し、その離苦を助けることもできます。養われる子であった人が、後には次の世代や年長の家族を支える。受けた恩は、そのような世話のやり取りにも続いています。
親子を結ぶ縁
親子の縁は、どこから結ばれるのでしょうか。「恩も怨みもなければ眷属にはならない」という言葉は、その出会いを過去からの関係へ結びます。以前に助けられ、家族となって恩に応えるのが「報恩」、傷つけられた怨みを伴って再び出会うのが「報怨」です。「討債」と「還債」にも、返してもらうものが残る側と、自分の負うものを返す側という関係があります。この「債」には、金銭に加え、恩恵や傷、終わっていない関わりも含まれます。「冤親債主」も、怨みを結んだ人、親しい人、負い目のある人を並べる呼び方です。生命が生を重ねる中で、以前の助けや傷害が、後の親子の縁にもつながっていきます。
その縁も、家族になったところで止まるわけではありません。入胎を説く『大宝積経』の箇所は、父母と子に感応する業があり、縁がそろって母胎に入ると説明します。生まれてからは、一つの家で暮らすそれぞれの言葉や行いが、自分にも相手にも影響します。共に受ける境遇と、一人ひとりが造る業が、同じ家庭の中にあります。親族が亡くなった後には、生きている人が修める善を回向して助けることもできます。以前の恩怨が出会いの来歴となり、今どう世話をし、応え、改めるかが、その先の関係を変えていきます。
祖先と子孫のつながり
「先祖代々」という言葉は、祖先を自分の記憶より遠くまで広げます。生前を知る年長の親族もいれば、名前や系譜上の位置だけが伝わる人、すでに名前の分からない世代もいます。中国の伝統的な「九玄七祖」も、祖先や宗親をまとめて表す言葉です。序文の「一人得法、九玄七祖、尽可超升」は、一人が教えを得ることで、世代を越えた親族にも苦を離れる助けが届くことを述べています。数字を重ねた遠い広がりが、修行によって親族を助けたいという願いに結ばれています。
家で先人の話をするときには、亡き人の声や姿が思い起こされます。系譜には世代の順序が残り、今いる人どうしのつながりも確かめられます。祭祀はその追念を行いに表し、善を修めて回向することは、さらに祖先が苦しみを離れるよう願う営みです。日本の法事にも、読経や供養を通して先立った人を思う実践があります。その相手は、名前を知る一人の親族にも、代々の祖先にもなります。記憶を伝えること、系譜を残すこと、功徳を回向することは、それぞれの仕方で、後に生きる人を先人へ結びつけます。