観音の応現とマリアへの祈り
観音にはさまざまな姿があり、救い方も向き合う相手に応じて変わります。菩薩が受ける側の縁に応じて姿を現すことを「応現」、教えが届くようにふさわしい姿や方法を用いることを「方便」といいます。『法華経』の観世音菩薩普門品は、多くの身を現して説法することによって、この救いを説明します。慈悲の願いが信仰や境遇の異なる人へ向かうとき、その現れ方にも、相手に応じる縁があるのです。
カトリックでは、聖母マリアはイエス・キリストの母として敬われます。信徒はマリアに、自分たちのために神へ祈り、取り次いでほしいと願います。日本の禁教時代には、潜伏キリシタンの中に、白磁の観音像をマリアに見立てて祈る人々がいました。「マリア観音」は、そのように観音像を用いて、聖母への信仰を保った祈りのかたちです。観音の姿をした像に、信徒がマリアへの思いを託しています。
第三十二章のマリアの姿は、観音の応現から説明されています。少年の両親はカトリック式で葬儀を行い、その後もマリアへ祈り、貧しい人を助けます。判官は、子を救いに来たマリアを、観音菩薩が縁に応じて現した化身と説明します。日本の歴史のマリア観音では、信徒が聖母への信仰を観音像に託しています。ここでは、観音の救いがマリアの姿を取って信徒に届きます。少年は十字を切り、聖母に感謝して、真心から懺悔します。親族の祈りと善行、子自身の悔い改め、菩薩の加持が、この救いの中でともに働いています。
第13章 一冊の善書を読むために
善書という本のかたち
行いはどのような結果を生み、過ちに気づいた後はどう暮らしを変えられるのか。善書が繰り返し取り上げるのは、こうした問いです。「善書」は善を勧め、過ちを改めるよう促す書物で、教えや事例、因果の物語によって、読んで知ることをその後の行動へ結びます。中国の善書には、儒家の倫理、仏教の因果、神々による賞善罰悪などが取り入れられました。異なる教えが勧善を支え、その言葉を広く人々へ伝える本の形となっています。
『陰律無情』は問答を用い、冥府で見聞きしたことを因果の説明へ結びつけます。冥界の見聞を記すこのような形式は、「冥遊記」と呼べます。自序には、天帝の依頼を受け、意識のはっきりした状態で訪れ、帰って平易な言葉で書き、修正や確認を重ねたという成立の経緯があります。訪れて見たものと、その場で尋ねたことが、因果を知り、戒を守って善を行うという執筆の目的に結ばれています。
善書は、読者の手からも伝わります。印刷を支え、人に贈り、受け取った人がまた伝える。「結縁」は、教えに出会う縁を結ぶことで、無料で渡す本にも、その機会を増やしたいという願いがあります。日本にも、中国の善書が翻刻され、訳や解説を添えて読まれた歴史があります。言語や暮らしの環境を越え、読むこと、行いを省みること、次の人へ教えを渡すことが、その流通を支えてきました。