> S1 L1250;S1 L1256–L1264;S1 L1267–L1291
第二集・第十八章 釣りへの戒め――孤魂独釣剣海魚地獄
釣りの問答は、無傷で放す場合、傷を残す場合、食べる場合を分けています。身体に損傷がなく海へ戻って普通に暮らせる魚にも、判官は受けた恐怖を指摘します。食用や傷害にはそれぞれ異なる結果があり、商売と宣伝はさらに影響を広げます。孤魂独釣剣海魚地獄では、竿が釣り人を捕らえ、鉄剣魚の口へ送り込みます。吐き戻された形は業風によって復元し、生前に生命を捕らえた関係が、自らの苦しみとして繰り返されます。釣り道具を販売し、釣りの技術や催しを広め、ほかの人の開業も後押しした男性の例には、一万年の受報が示されます。その広告に影響されて開いた釣具店がすべて営業を終えてから、ほかの罪の審理へ進みます。彼の広告に影響されずに開いた店にはそれぞれの責任があり、彼にまとめて負わせることはありません。他者が殺生をやめ、同じ苦しみに至らないよう願うと、かつての布施と念仏の善根、今回の出会いがその善念に重なります。地蔵の教えを一度聞いて痛みを休める機会が生まれ、そこからさらに変わる道が開かれます。
> S1 L1300;S1 L1304–L1314;S1 L1324–L1328;S1 L1337–L1355
第二集・第十九章 阿玉と城隍の問答
南贍部洲の輪廻の記録を扱う城隍は、同じ黒い服を買う三人によって、善・悪・無記の業を説明します。貧しい隣人への贈り物、夜の盗みの準備、勧められるまま特に思いなく買うことでは、外から見える動作が同じでも心の方向が異なります。冥君閻王の由来では、奸計を罰し、人を改心させようという願いに、報復と瞋恚が交じっていたことが語られます。そのため最高の職にありながら、朝・昼・夕の三回、各十五分、熱砂を喉に注がれる苦報を受けます。善い願いの中の悪念にも果があり、裁きを担う立場も因果を変えません。善業は人や天の福へつながり、三界を離れるには、清らかな戒、念仏、利他の願いと実行、私心を離れることが関わります。今は戒を守る縁が十分でなくても、過去を懺悔し、生を重ねて戒を保つ心を願うところから始められます。念仏、菜食、善行を続ける一つひとつの選択が、未来の生命を形づくっていきます。
> S1 L1359;S1 L1364–L1377;S1 L1381–L1391
付録二 原書の題名と名称
01 陰律無情
現代の善書。上官玉華が「阿玉」と名乗り、意識のはっきりした状態で冥府を訪れた経験と、判官、神々、仏菩薩との問答を記した善書です。日々の行いが死後にもたらす報いと、懺悔して生き方を改める道を説きます。前言、跋文、妙升の附文にはそれぞれ署名があり、成立のいきさつや勧善の趣旨、読後の経験を伝えています。