救いの場面では、本人のこれまでの行いに、周囲の行う善や、仏菩薩の教えが重なります。親族が経を読んで功徳を向けることも、苦痛が静まって本人に話す力が戻ることも、それぞれに役割があります。この場面の「心光」は、その生命の心性を明暗として現す、目に見える光です。その人が自分の過ちを認めると、心光が変わり、判官や閻王の審理にも、変わった後の状態が関わってきます。助けを与える側と、受け止める側の両方に、具体的な働きがあるのです。
苦痛が一時和らぐこと、教えを聞いて悔いること、地獄を離れて新しく生まれることには、それぞれの段階があります。教えに触れた生命にも、その場で次の生へ向かう場合と、まだ刑を受けながら将来の善縁を育てる場合があります。新たに生まれた後にも、戒を守り、立てた願いを実行する暮らしが続きます。慈悲によって開かれた機会は、その後の行いへとつながっていきます。
因と縁が結びつくとき
今の生命には、これまでの行いが持ち越されています。過去に積んだ業を「宿業」、修行や暮らしの妨げとなって現れる業の働きを「業障」と呼びます。長く繰り返してきた行いは、癖として心に残り、似た場面でまた同じ選択へ傾くことがあります。その傾きに気づき、今度の行いを改めることが、過去から続く関係に新しい条件を加えます。
一人ひとりが自分の行いによって受ける業には「別業」、複数の生命が共に受ける環境や境遇に関わる業には「共業」という言葉があります。同じ家族や地域に暮らしていても、各人の思い、選択、受け止め方には違いがあります。共有する条件の中で、互いを傷つけることも、支え合うこともでき、その行為がまた先の関係を形づくります。
家族になるまでの縁、家族として日々を過ごす中での行い、亡き人を思って修める善行は、それぞれ違う時点から働きます。親子の出会いは過去からの縁を受け継ぎ、今の生活では各人が新しい業をつくり、後の供養や回向には他者を助ける願いが込められます。因果を時間に沿って考えると、一つの関係の中に、過去の影響と現在の選択の両方があることが分かります。
定められたものと変わるもの
生死簿には、次の生の衣食、財産、家族、寿命などが記録されます。すでに積まれた業が、これから受ける条件として定まっていることを、「定業」という言葉が表します。その記録にも、その後の心と行いが関わります。生まれる前の条件と、生まれてから育つ習慣とは、生命の異なる時点にあり、後の善悪がさらに未来を形づくっていきます。
定業に大きく影響するのは、大善と大悪です。大善には、慈悲の心で人を助け、陰徳を積み続ける普通の人の行いも含まれます。また、仏菩薩が衆生を救う願いによって人の世に現れる「乗願再来」には、凡夫が業に引かれて生まれる場合とは異なる自由があります。過去の業への束縛を離れていることと、因果に従って救いを働かせることは、共に成り立っています。
未来が変わるときにも、過去から残る報いはあります。善い行いによって豊かな生活を得ながら、別の行為の余報を受ける例もあります。得られた条件をどう使い、困難の中でどう応じるかが、その先に関わります。生死簿を書き改める説明でも、実際に善を行う本人の心と行動が中心に置かれています。