親密な関係と行いの責任
日本の仏教でも、性の戒めを語る「邪淫」という言葉が使われます。ここでは、具体的な問答を通してその範囲が示されます。阿玉が五戒を述べる箇所は、夫婦以外の性的な関係に加え、非時・非地・非器、色情の映像を見ること、欲情を助ける道具を挙げます。婚前の関係、婚外の関係、相手を次々に替えることへの問いでは、さらにそれぞれの経緯が説明されます。見ること、心に意向を抱くこと、実行することも分けられ、相手への強制や、傷害・死をもたらす行為には重い責任が伴います。性に関わる行為でも、相手との関係、内心の意向、実際に加えた害によって、問われる事情は異なります。
回数と、どのような事情を問うているかも、記述に関わります。第三章では、まだ性的な経験のない未婚者について、一度の閲覧で一か月、続けた場合は一年以上の寿命を減じると述べ、見るだけで実行せず、速やかに懺悔する場合には軽減を示します。第四章で、邪淫を心に思うことから実行に進む場合を問う箇所では、思うだけで福を一週間分、色情の刊行物を見るだけで福と寿命を一週間分損なうと答えます。邪淫を実行すれば福と寿命を一か月分、二度目の実行では二か月分損なうと、行いと回数に応じた数が続きます。各応答の対象と条件に、それぞれの単位が付いています。第二十七章の判官は、同性間の愛欲も邪淫に含め、過去生の性別と今生の傾向によって特定の分岐を説明します。その問答は、思い、人形の木、受ける苦しみが結ばれる「連想地獄」の場面へ続きます。
夫婦の間で問われる時と場所
婚姻関係にある夫婦の行為についても、さらに問われることがあります。「非時・非地・非器」は、時、場所、身体の用い方を示す三つの語です。非時には斎日、仏菩薩の誕辰、諸天の巡察日とともに、昼間、親族の慶事や忌日、双方の身体に病気がある時などを挙げます。非地は、夫婦の寝床の中心から外れた場所での行為を指します。男性が床面に立ち、女性が寝床の縁に横たわる姿勢もそこに含め、居間、台所、便所、屋外、仏前などにも触れます。非器は身体の用い方に関わり、第二十七章では女性の産道を境として、それ以外の部位への行為を説明します。章題にある「非処」「非道」も、こうした具体的な説明によって意味が示されています。
婚姻関係にある配偶者から強いられた場合への答えには、心に楽しみを抱かなかったこと、速やかな懺悔と改過、今後ほかの人にも教えを伝える願いが、一組の条件として挙げられます。その組み合わせによって、相応の地獄の苦を免れると答えます。第四章の別の妻は、非器の行為を拒んで夫を諭し、欲望も少ない人でした。時と場所の問題は残っていても、五百年にわたり銅柱を抱く刑を免れ、拒んで諭した行いによって福もいくらか回復します。夫は、悔いる心、父母への孝行、公の務めを果たし法を守ったことによって、五百年の抱銅柱を免れますが、五百年の吞銅丸は残ります。各答話は、本人の行動と応答をそれぞれに述べています。悔いること、実際に止めること、相手を諭すことが、その事情の中で後の因縁に加わっています。
身体と天地のつながり
心の動きと身光の関係は、共に暮らす天地の説明へも広がります。酆都大帝と東岳大帝の答話は、人心、正気、陰陽の変化を天候や災厄に結び、人々が共に受ける境遇を説きます。「天人感応」は、人の行いと天地が応じ合う、こうした全体の関係を表す言葉です。阿玉の願いには、自らを「小宇宙」と呼び、一人ひとりの霊性の光を、より大きな宇宙の調和へ結ぶ表現もあります。心と行いは、自分の生命の行き先に関わるとともに、ほかの生命と共に受ける環境にも及んでいます。
「気」や「磁場」も、この関係の中に現れます。気は身体の状態、心の動き、天地の清濁を結びます。原書はまた、善悪の思いや行いが生み、心身や周囲にも影響する働きを「磁場」と呼んでいます。精・気・神は生命を養う働き、身光は善悪や心性の変化、三界六道はその先に受ける生命の境遇を表します。食事、睡眠、欲望、気づきへの配慮も、日々どう修行するかに戻ります。心と行いを改め続ける中には、親族の支えや、仏菩薩の教えと加持が届くこともあります。その助けは修行を支え、受ける本人がどう応じるかと結びついています。