善い行いを積むことと、その実りを後に受けることは、つながりながらも違う場面です。布施や修行によって善を培うときには、その徳や働きを「功徳(くどく)」「福徳」と呼びます。意味が重なることもありますが、功徳は修行や善行の価値と働きに、福徳は安らかな境遇を支える善の蓄えに重きを置く語です。善因が実り、衣食や暮らしの恵みとして受ける結果は「福報」と呼ばれます。積み重ねているものと、そこから受けているものをたどると、三つの言葉の関係が分かります。
「福寿禄」の寿は寿命、禄は俸禄や地位によって得る暮らしの支えを指します。一方、「陰徳」は、人に知られずに善を行うことを思わせる言葉です。原書の判官は、「陰律所定」の陰徳として、命を救うこと、寡婦が節を守るのを助けること、人に知られない至善の三つを挙げます。三つ目は、その善行が人に知られないことまでを条件に含みます。寡婦の節には、夫の死後に再婚せず貞節を保つという歴史的な家族倫理が含まれ、後の家族の章でその背景を扱います。
食物の恵みを説明する箇所では、以前の布施や持戒が、今の衣食を支える福につながっています。功徳を回向する箇所では、善行によって得た利益を、誰のために、どのような願いで向けるかが語られます。同じ善行でも、受ける果を説明しているのか、他の生命を助ける働きを説明しているのかによって、言葉の重心が変わります。そのつど動機と相手、実際の行いを一緒に読むと、福を物やお金の量だけで測らずに理解できます。
受けた恩と返していく行い
生命を支えるものに目を向けると、すでに受けている恩が見えてきます。養育してくれた人々、食物や住まいを支える働き、学ぶ機会や教え。恩を知ることは、その支えを受け取った自分が、今度は何をできるかという問いを生みます。「上に四恩を報じ、下に三有を済う」という願いにも、受けた恩を返し、苦しむ生命を助けたいという向きがあります。
四恩の一つの説き方は、父母、衆生、国王、三宝への恩です。父母は養育、衆生は多くの生命との支え合い、三宝は仏と教えと修行の共同体に関わります。国王恩は、古代の王が国を治め、人々の生活を守る役割を担った社会を背景としています。この四つは『大乗本生心地観経』の報恩品に見える組み合わせです。三有は欲界・色界・無色界を指し、救いの願いを三界の生命へ広げています。
報恩や利他を深める修行には、「六度」、日本語では「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ばれる六つの実践があります。布施は与えること、持戒は行いを慎み整えること、忍辱は怒りに任せて害を返さず耐え抜くこと、精進は善い実践を続けること、禅定は心を安定させること、般若は物事を見通す智慧です。こうした実践を通して目指す覚りが「菩提」です。因果と修行の方向を正しく理解する「正知正見」が、その歩みを支えます。
ほかのいのちを支える
慈悲は、相手の苦しみに応じた助けとして表れます。飢えている人には食べ物を、恐れている人には安心を、過ちに気づき始めた人には学び直す機会を届ける。自分の境遇を改めようとする生命にも、周囲からの支えが必要です。その支えを与えることも、助ける側が新しく積む善い行いになります。
地蔵菩薩のそばにいて、その乗り物にもなる神獣の諦聴は、自分の役目を尽くしながら、さらに他者を助けることを説きます。利他の行いは、助けられる相手の利益となり、行う側の福徳を育てる修行にもなります。助ける人と助けられる人の間には、それぞれの行いによって、これからの縁が生まれていきます。