お寺に住職の家族が暮らしている光景は、日本では身近なものです。僧侶の結婚や食生活には宗派ごとの歴史があり、親鸞の結婚は明治よりはるか以前にさかのぼります。明治五年(一八七二)の布告では、僧侶の肉食、妻帯、蓄髪について国の扱いも変わりました。そうした歴史が、今の寺院の暮らしにつながっています。
『陰律無情』の戒の説明でも、誰が、どの戒を、どのような事情のもとで守るのかが関わります。在家の夫婦生活と出家者の梵行には、それぞれの範囲があります。五戒を説明する箇所では、菜食の要請が牛乳、バター、卵、蜂蜜や動物由来の品にまで及び、酒を含む食品にも注意が向けられます。同時に、命に関わる時に酒を薬として用いる例外もあります。立場、受けた戒、時期、目的を確かめると、暮らしの中で求められる行動が具体的になります。
> 関連する節:C03.03、C08.04、C08.06、C11.03、C11.05、C13.03
地獄絵、漫画、そして現代の冥府の記録
『地獄草紙』のように、寺院や博物館で目にする地獄絵には、身体や道具、刑場の姿を通して、行いがもたらす結果が描かれています。漫画『鬼灯の冷徹』では、閻魔のもとで働く冥府の役人たちの日常が、笑いを交えて展開します。こうした図像や作品に親しんだ人には、判官や鬼、裁きの場にも思い当たるイメージがあるでしょう。
『陰律無情』の自序は、意識のはっきりした状態で冥府を訪れ、問答を記録し、内容を確かめたと述べています。人が因果を知り、行いを改めるための記録です。コンピューターやウェブサイト、印刷機も、内容を作り伝える行為や、その影響の続き方に結びついて登場します。古い官署の名と現代の器物が同じ冥府にあるのは、今の生活での心と行いも、後の境遇へ続くという説明の中なのです。
> 関連する節:C04.03、C04.04、C13.01、C13.05
水子供養と、幼い生命に向けられる願い
生まれる前や幼いうちに失った子に花を供え、手を合わせる時、そこに託される思いは一つではありません。流産、死産、中絶、子どもとの死別には、それぞれの経過があります。悲しみや会いたい思いを表し、子の安らぎを願い、家族との関係を考え直す人もいます。水子供養の祈りには、そうした個々の経験が重なっています。
『陰律無情』は、生命が出生に至らなかった経過を分けて語ります。意図せず出生に至らなかった子は血污城、意図的な妊娠中断による子は枉死哭城にいます。子自身の福が具わず生まれてこられなかった場合、父母はそのための地獄の刑を免れ、懺悔と回向によって子を助けます。黄牌は閻王が認めた行動の許可で、親を捜して怨みを訴えるために城を出る場合と、同じ母胎に再び入る事例があります。母親の読経と善行を扱う答えの「少なくとも四十九部」は、経全体を読み通す回数です。ごくまれな最も早い記録では、妊娠を中断した初日から数えて、母親が四十九部を読み、大願を発して善を行い続け、子が四十九日目に超昇しています。その前の問いでは、見返りを求めず、行った後にも心に執着を残さない発心が、四十九日内の超昇を助けることも説かれます。子に残る恩怨、受け取る功徳、行く先には違いがあり、必要な期間も異なります。自宅の位牌と清らかな仏堂の助けにはそれぞれ条件があり、父母自身の真心と行いも関わり続けます。