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《阴律无情》文化导读 · JA

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念仏、読経、真言

法事などで耳にする「お経」と「お念仏」には、唱えている内容の違いがあります。念仏や称名では、仏や菩薩を心に念じ、「南無阿弥陀仏」「南無地蔵菩薩」のように名を称えます。読経では経文を順に読み、教えを繰り返し受け止めます。真言や陀羅尼などの決まった句を唱える行は、原書では「持咒」と呼ばれます。亡き父を救う第二十九章には、子が『地蔵経』を読み、父が地蔵の名を心に念じ、道明が地蔵菩薩法身印咒を唱える場面があり、この三つがそれぞれの形で現れます。

咒の中には、音を漢字で写した語句があります。経文には、教えや問答が文章として続きます。中国語の「経を何部念ずる」という数え方では、一部の経を初めから終わりまで読むことを一回として数えます。経本を何冊に分けて印刷したかとは、数える対象が異なります。四十九部の『地蔵経』は全体を四十九回読むこと、四十九日は経過した日数です。未出生の生命を扱う章では、その数字に伴う条件が続きます。

善い行いを誰かに向ける

亡くなった家族のために経を読み、人を助けた後に、その善い働きが大切な生命の安らぎにもつながるよう願う。功徳をある相手や願いへと向けることを、「回向(えこう)」といいます。善行をする人、実際に行うこと、利益を願う相手、どのような苦しみを離れてほしいかが、一つの願いの中に結ばれます。相手には家族や先祖、さらに広く生きとし生けるものが含まれます。

原書には、著述の功徳をあらゆる生命に回向し、ともに清らかな戒を保ち、悟りへ向かおうとする願いもあります。回向には、身近な人への思いと、ともに苦しみを離れる広い願いが息づいています。第二十九章では、子が読経と善行を重ね、父のために菩提心をもって回向します。そこへ、父の過去の善根、今の懺悔、地蔵の加持が結びつきます。一人から始まった善行が、縁に応じて、別の生命がさらに変わる機会を開くのです。

七分の功徳と自ら修めること

親族が亡き人のために善を修めて回向するとき、その功徳はどのように届くのでしょうか。『地蔵菩薩本願経』の「利益存亡品第七」は、生前に善い因を修めず、多くの悪業を重ねた人のため、死後に親族が福を修める場合を説きます。その功徳を七つに分け、亡き人が一つ、生きて善行をする人が六つを得る、という説明です。続いて、健やかなうちに自ら修めれば、その功徳を一つひとつ自ら得られると勧めます。亡き人への助けを説く中で、経文は、生きている今に修行する意味へと話を返しています。

親族の行いにも、心を尽くして供養を整えることが求められます。同じ品にある供斎の説明では、準備の間に米のとぎ汁や野菜の葉を地面へ捨てず、食物は先に仏と僧に供え、その後に他の人がいただきます。精勤して清らかに調えることが、亡き人の受ける利益に関わっています。善を行う人と受ける人の関係は、こうした実践の条件とともに説かれます。次の父子の救いも、子の功徳の総量を数値で示す形ではなく、善行、懺悔、加持が結ばれる経緯として描かれます。

功徳を誰が受けるかという話から、罪をどれほど軽減するかという話に移ると、「七分」が数えるものも変わります。付録の「冥罰淫律」にある「准抵七分」は、孝行や忠義、一定の数の善行による罪の減免を定める文言です。ここでの七分は、通常の十分を全体とする読み方では七割に当たり、対象はその条文に記された罪罰です。「七分獲一」は功徳を七つに分けたうちの一つ、「准抵七分」は罪罰の軽減の割合を指します。孝行や忠義に当たる行為、善行の種類と数、対象となる罪を合わせて読むと、各条の減免条件が分かります。

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